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2014-05-02 [長年日記]
_ [読書] 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛、ハヤカワ文庫JA、2011.
まだ途中だが、思いついたこと。俺はこの批評に取り上げられた作品の多くと、さらにはセカイ系や決断主義の問題と、呆れるほどに無縁でいられたし、そのことを苦にするような状況もほぼ経ることなくゼロ年代を通過して来た。そのこと自体、この評論の文脈上からは批判されるべきかも知れないのだが、この批評が問題としている90年代後半から今に至るまで、物語の喪失を感じてはいなかったように思う。厳密には、この批評ほどにはフィクションの世界の出来事を身につまされるように感じては来なかったのだ。それは俺がそういう世界よりも責任を感じながら過ごして行くべき生業を持つことのできたこの社会においては比較的恵まれた者であったことにも理由はある。少なくとも、漫画やアニメやドラマにはそれなりの重きを置いてはいても、結局それらが発していた警告や悲鳴からは遠い場所にいることができた、ある種の余裕のおかげなのだと思う。その余裕の中には、放送大学で学ぶことやヨガに勤しむこと、そして何より、今まさにその只中にあるところの、旅の恩恵などが含まれている。学び、そして旅に出ること。そのことで、世の中は解かれるべき謎と語られるべき物語に相変わらず満ち溢れていると信じることができるだろう。弥次喜多の昔から、いずれの時代にもあるその時代特有の閉塞感から、ただ旅の物語だけが独立でいられたのだ。
_ [熊野街道]橋杭岩からの日の出。
こんな天体ショーが、晴れていれば毎日楽しめること。そしてそれがわずかに生きている間だけの楽しみであること。しかもその物語は俺の死んだ後もおそらくは繰り返される、永劫の物語であり、決して小さな物語などでは無いということ。そしてこの海の色。昨日のただ青だけの貧困な想像力をも克服できたのではないか。世界は複雑でありそれゆえにこそ美しいことはフィクションの世界からはなかなか実感することができないことだ。これを知るのには必ずしもフラクタル幾何学に精通している必要は無い。人は脳だけで考えることはできないし、日々何を食べるかということだって未来を大きく左右するがゆえに、決断主義で生きてはならない。世界は複雑だか、人の生きる原理は意外に単純であるかも知れない。
_ とある社にて。
_ 日差しはそれなりに強いし昨日の日焼けが痛かったりもするが、風は涼しいというか少し冷たい。それが今日の旅の救いだ。いや、これ以上の好機はないのではないか。今、10:30。
_ 列車待ち。
荷物が重すぎてあまり進めなかった。宿は新宮。歩きを止めたらなんか寒い。南国串本寒い。
すごく綺麗な夕焼け。日本じゃないみたいです。嬉しいですね(^_^) <br>
夕焼けじゃねえよ。日の出って言ってんだろ。全くお前と言う奴は。
し、しまった(;゜0゜) <br>
あんたの想像力は「中二の想像力」だなw