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2006-05-15
2007-05-15 都市伝説。
_ 都市伝説はなんとなく自分の分野とは違うな、と思ってずっと無視しようとしていたのだが、なぜか気になってWikipediaでチェーン状に調べ続けてしまう。子供の頃から辞書や事典が好きだった。調べて、わからない言葉に出会って、それを調べて、またわからない概念に出会って。そうやって事典/辞典の世界の中を成り行き任せに巡り歩くのが好きだった。
都市伝説といって良いのかどうか。こんなのがあって笑った。
「墾田永年私財法は現在も有効である」
あえてこのジョークにオチをつけるなら、こうだ。
「しかしながら今や未開拓の土地はどこにも無いから、この法律が発効する機会はもはや無いのです。」
Wikipediaの「都市伝説一覧」を順に見て行くと、最初のうちは一つ一つたいした話じゃないしつまらない取るに足らないと思っていたのだが、それが100を越える頃には、それらの記載のほうがむしろ普通の事柄であって、世の中に怪奇でないものは無いというように見えてくる。そして、後ろを振り返ることが恐ろしくなったのだった。実際には私の背中には積読の山を積載した机があるだけだったのに。
2009-05-15 またメッパが。。。
_ 目がいずい。
いずい、というのは痛痒いような不快感のことで、特にこのようにモノモライができたときに感じるヤツに使ったりするんですな、北海道では。ちょっと疲れてんのかもしれない。ちょっと頑張るとすぎに下痢したりメッパができたり胃が荒れたり口内炎ができたり。やだやだヤダモン。
2011-05-15
2012-05-15
_ もう梅雨入りか、みたいなじとじとした雨の日。ロケみつヨーロッパが始まってしまう。「どうしてこんなことできるんですか…(マジ泣き)」かわいそうな早希ちゃん。。。でもヨーロッパ旅行にちょっと嬉しそうでもある。西日本ってスペインの中にすっぽり入る大きさ。でもちょっとびっくりだ。日本って結構大きいよね。
2013-05-15
_ 午後から出社。出たとたんに忙しい。事務所の引っ越しとか自分も叩かれてるのに人の尻たたき的な打ち合わせとかエクセルVBA呪いつつマクロ組むとか。明日も忙しい感じ。風邪ひいてゆっくり休んでおいてよかった、ってなんかおかしいな。でも風邪引くのはゆっくりしなきゃという体の信号だという噂もあるから結局これでよかったに違いない。違いないの!ねる。
2014-05-15
_ こないだまど☆マギに関連してベヨネッタがビッチなことをついでに書いたが、ベヨネッタ2ではなんとショートカットに!こ、これはおいしそう。きっとあまちゃんの影響だぞ。
_ そういうわけでベヨネッタ2のムービーのあるサイト。たまらーん!しかしWii Uなのか。どーすっかなー。
2018-05-15
_ 昨日の帰りのバスの運転手の人のアナウンス。「車窓から見える新緑が綺麗です。終点です。1日お仕事お疲れ様でした。」
おまへのことを「DJドライバー」と呼んであげやう。
_ 報告書を書いたりするときの私は極めて筆が遅いのである。何とか克服したいと思いつつも、参考資料など当たっていると数々の捨てがたい事柄に出会って感じ入ってしまい、筆が止まる。丁度、喧嘩の天才なのに夕焼けを見ると戦えなくなってしまう「夕焼け番長」のように、である。例えが古くて拾えなくても構わない、続きを書く。それで今日は、質量分析という地味なようだけど重要な話を調べてたのだ。電子の発見に大きな貢献のあったJ.J.トムソン卿は、質量分析と同位体の発見を同時に成し遂げたという実験物理の巨人であるが、同じような実験を電磁波を実証したヘルツも行なっていた。彼はクルックス管の中に陰極線に対して垂直方向の電場がかかかるような電極を設けたのだが、この電場は陰極線に何ら作用を及ぼさなかった。そこで彼は陰極線は荷電粒子のビームではない、と結論した。よく知られているように、陰極線は電子ビームであるというのが事実だ。実は彼の実験は真空度が足りず、不純物粒子が電極についてそれが電場を遮蔽してしまったということだ。それでもヘルツの偉大さには変わりがないだろう。そんなことを思った。
2019-05-15
_ 仕事うまくいかず疲れて帰り道。2つの図書館をハシゴしようとしたら2つ目に向かう電車が人身事故で遅延。別線に振り変えられてついでにその2つ目の図書館までの運賃が浮いた。一応振替となった場合の合理的なルートと思われるのだけど帰りは普通に払って帰る。その図書館で、フェドルチェンコの理論物理学演習書(西成勝好訳)を閲覧。昨日うまく計算できなかったランダウの教科書に準拠してるはずだ。おお、同じ問題出てた。解き方出てなかったわら。という訳で速攻で返してきた。また来る交通費が惜しいので。西成さん解説とか書いてくれれば良かったのに。ベジタリアンラーメン食べてからジム行く。
_ 圓生百席「刀屋」聴いた。送り囃子は「有難いぞえ」と言う唄。「有難いぞえ身延のお山 ノホノホエー」面白い唄。この話は「鰍沢」とサゲが同じ。芸談の中で圓生自身が語る。鰍沢は先日の日記にも書いたように新しい話で、当初はサゲがなかったそうだが、後年やはり必要ということになり「刀屋」のそれを持ってきてようだ。「これも御祖師様(日蓮上人)のお陰。お材木(お題目)で助かった」という奴。
2021-05-15
_ 学習センターに本返しに。帰り、久し振りに伊勢佐木町をブラブラして馬車道から弁天通りを通って桜木町駅へ。ロープウェイ、やはり低いなw
_ 金継ぎして使ってたお皿が割れたので何か気の利いたやつ買おうと横浜・高島屋へ。高くて嫌いなデザインのしかなかったのでここで買うのはやめた。たまたまやってた生花展を冷やかす。思いの外お喋りが多い。生物としての植物に関する蘊蓄とか蕾が開いてないといった生物的・即物的な会話が多く聞こえてきて、ああ、これは必ずしも芸術の展示と捉えなくとも良いのか、とある種納得。花が好きなら生花もそう言う目で見ても不味いと言うわけじゃ無いだろう。作家の意図には関わらず。しかし、見えそうでいて見えない、けれども確実に何かの意図はあるに違いない(でなけれは展示など不要でやはり野に置け、と言うことになるだろう)これらの作品の意図を汲めずに私は戸惑っていた。この小さなルピナスはどうして建物の模型の影に隠すように生けられているのか?すらりとした緑の茎に鮮やかな赤い花のような組み合わせがいくつか眼につく。切り取られた花の枝は無作為のように見えて、それでいて枝の一方にだけ花と蕾の並んでいるものを選び、その開花した花と開花するであろう花が上方を仰いでいる。自然の中や自然を模した環境の中に生まれた草木の命を折り取って、それが元の環境にいた様子を、作家は主観を交えて再構成して我々の眼前に投げ出している。その花が生きていると見えれば見える程に、まるで生首を捧げられているような血生臭さを感じた。野からただ一輪摘み取られて衆目に晒されているという状況は、おそらく異常な状況なのである。それにしても、ミッキーマウスって花は、まんまミッキーマウスだ!結局お皿は地下街にあったちょっと良い食器屋で購入。
_ 夕食摂ってから「あっぱれ!KANAGAWA大行進」増刊号見る。実はアキラさんのMCになってから気になっていることがある。以前スポンサーだったアサヒビールと横浜銀行がスポンサーを降りたようなのだ。前者は、ランチの時間にCMを差し込む手法が今では珍しいものだと思ってただけに残念。古い例えだが、藤田まことのてなもんや三度笠なんかでは劇中に「当たり前田のクラッカー」なんてのがあった。横浜銀行は、ペンギンの親子の粘土アニメ(?)のCMが結構好きだった。どっちも見られないの残念。予算も心配だ。TVK頑張れください。このあと大学の通信課題やろうかと思ったがやめた。明日早いうちにやってしまおう。
_ うにゃ [今日もお疲れ様でござる。 休日は、気分転換してくださいね〜 ]
_ けい [なんかそうもいかない感じよ。]