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2009-10-12 3日目。
_ [自転車に乗って]3連休を3日とも遊び倒すというのはちょっと大人げない。
と思いつつ、早朝の湘南海岸でチキンラーメンを食べてから出発。ここの海岸沿いのサイクリングロードはところどころ砂が溜まっててマウンテンバイクでもこぎ進むことが難しい。江の島が見えてきたり稲村ケ崎を越えたりするともうなんだか帰ってきた感が強くなる。朝比奈峠を押して登ったらあとは楽な道がずっと続く。金沢の海の公園で少々休んで、本牧を通って自宅に着いたらお昼ちょっと前。半日で60kmほど。それにしても沢山の自転車乗りがいる。MTBに乗ってるやつなんてほとんどいないし、寝泊りの道具なんて持ってるやつは皆無だ。乗りなれてる人の動きを見てると勉強になる。路肩を走ることを余儀なくされる自転車で車道を走ることには多くのリスクがある。自動車免許を持ってないから、交通法規なんて小学校の時に自転車の講習をちょっと受けたときくらいしか習ってない。勉強のために原付免許ぐらい取っておこうかな?しかしそうなると私は、たぶん新たな足を手に入れようとしてしまうことだろう。
それはともかく、ランドナーで長旅をするイメージがすごくリアルになってきた。ランドナーの前輪と後輪とにバッグをくっつけた私は、ひいひい言いながら冬の熊野の車道を走っている。よほど本宮の近くに来るまではほとんど登り道だ。正月休みに走るとしたら手足の指先の冷えや時折降るであろう雪への対処をどうするべきなのだろうか?まあ今のところはイメージに過ぎない。しかし人間の行動をリードしてきたものはすべからく、想像の力であったわけで。
2010-10-12 今週のNHK BSはSF祭り。
_ 「2001年宇宙の旅」を今放映中。
丁度ハルの反乱が終わったとこ。今見ても斬新だなあと思う。そしてやはり難解だ。今日は蒸し暑かった。あすもそんな感じらしい。
2011-10-12
_ [コンピュータ]LibreOffice-Calc
エクセルのR1C1表示にどうすれば変えられるかわからなかったのでもメモしとく。
tool->option->LibreOffice Calc->式 を選択して 式オプション−数式の構文で"Excel R1C1"を選択。わかんねえだろ、これは。
2013-10-12
_ [コンピュータ] N88 Basic、データレコーダー、そしてニュートロン。続。
ハードの不具合なのかテープの不具合なのかわからないので、簡単なプログラムを自作してテープに保存・読み出しなど試みようかと。
_ ラ・フランス食った。
固くて酸っぱかった。
_ 「新・人間発電所」
「人間発電所」とは1960−70年代にアメリカで活躍したプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノのニックネームである。たぶんそのころのアメリカ版古館伊知郎が命名したんだろうと思う。時を経て1988年。サムビデオという映像会社から「人間発電所」という名のビデオが発売され、全国のレンタルショップでは連日貸出し中…だったのではないかと思うが良くわからない。主演女優は豊丸である。この人は実はとてもお上品なお嬢様だったという説があるが、まあなんというかどちらかと言えばお下劣で貪欲なセクスを売り物とするAV女優であった。やれ拳が入るだのやれ大根が入るだの、キワモノ的な人気を博した人だった。その2年後。吉沢有希子という名で「ミス本番 裕美子19歳 田所裕美子」などをはじめとする美少女AVを手掛ける宇宙企画から1984年にデビューした早見瞳は「新・人間発電所」という作品でハードコア志向へと転換したのであった。俺のプロフィールには「大好きな女優」の中にこの人の名が入っている。ほんとに好きなんだ。貞淑そうな外見と、ことに及ぶ際の大きなギャップは俺にいろいろな学びを与えてくれる。実は年も近いwたまにはphpでプログラムを書いたりもするようだ。今はここにおられる。URLからもわかるようにどうやらアメリカ在住と言うことである。時に"早見瞳"で検索されておられるとのことなので、いずれご本人がここに御降臨なさる日もあるのではないか。なんでいきなりAV談義を始めたか書き忘れるところだった。「新・人間発電所」入手して視てたんだよ。ものすごい「あの頃」臭がたまらなかった。ヒビヤンとか若い。ビデオの価格は1990年当時14100円だそうだ。トレンディドラマ風のストーリーとは独立して、早見瞳の脱アイドル宣言がなされるこの作品は一つの画期だったのだろう。残念ながらWikipediaにも出演作品の完全なリファレンスは載っていない。そんなもの誰が作るのか。俺かな。いや今は無理だ。ところでそのWikipediaの記事に気になる記述を見出した。
"映画『普通の女の子/性愛日記』主演(1985年)"
うわ、こんなの知らねえ。どうやって視聴したらいいのか見当がつかん。JavaScriptやrNoteを改造してxNoteというのを造ったりして、かなりマニア臭が漂っている。俺と同じにおいを感じる…いや、あえて言おう「こいつ俺よりもくせえ」と。俺の知ってるrNote使いの有名人のもう一人は桝田道也師。こっちもくせえ。もちろんほめ言葉だ。
_ ロードはじまった(^_^)v
2014-10-12
_ 札幌3日目。ポロクル乗って、「あらびか」に久し振りにやって来た。北大の12条の出入口のイチョウは色づくまさに直前。「あらびか」が「るびあ」だった頃、店の中を太った猫がのそのそ歩いていたが、今はいない。「あらびか」と「るびあ」の関係も知らない。
_ そのイチョウ。
_ 義経まだあったのか!
2015-10-12
_ 天気良かった。横浜からみなとみらいのあたりをのたのた歩く。カモシカスポーツでトレッキングパンツを購入。カモシカバッグ持っていかなかった(どこにあるかもよくわからず)ので5%オフにならず。久しぶりに海のそば歩いた。また三浦半島行ってみよっかな、そのうち。そのうちとか言っててもきっと冬だな。
2016-10-12
_ [映画]「シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸」、2014.
道端ジェシカと門脇麦のダブル主演、となっている。テーマはヨガのポジティブな力、ということだと思う。ほとんど道端ジェシカのために造られたような感じだが、門脇麦(東京都出身)とその母役(高谷智子;こちらは青森出身)の本気の津軽弁の掛け合いが天才的だと思った。ラスト30分で終劇に向かうべく次々と聞いてない話が出て来て、さらになんとラス5分は青空の映像を流して「瞑想の時間をお楽しみください」だと。ヨガって安直だな。この映画でヨガの素晴らしさに目覚める…ということはありえないのじゃあないか。それはそうだろう。ヨガは見るものではないのだ。拙くともただ行なうこと、ただそれだけに意味がある。あと、なんかすごく見覚えのある女優さんが出てると思ったら、それは木内みどりだった。この人は「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」というキャンディーズの番組の中でものすごく不思議なコーナーをやってたことが鮮烈な記憶として残っている。このへんで話題が盛り上がってる。門脇麦はちょっと迂闊には見られない女優と感じる。「愛の渦」はそのうち見ておきたい。
_ そんなことより、昨日から「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが始まったらしい。なぜ気づかなかったのか。俺のガッキーアンテナは感度が悪い。だが嘆くことは無い。土曜に再放送がある。
2018-10-12
_ 朝、紙ゴミを出してから昨夜寝落ちして途中になってたバトルフィーバーJ最終話を見た。さあ、次。
_ 文献コピーと他大学から借り入れた図書を取りに学習センターへ。帰り、何となく関内近くで降りて桜木町まで歩く。久し振りだ。野毛は賑わっていた。ぴおシティも賑わっていた。電車。ソニーのノイズキャンセリングヘッドホンが今更ながら優れものと知る。うるさげな車内でバッハのマタイ受難曲を落ち着いて聴ける。もっと早くから導入しておくべきだった。次の曲は三木トリローの「僕は特急の機関士で」の東北版。うむ。ノイズが無い。
2019-10-12
_ 朝から土砂降りの土曜。ゴミの回収も中止。今日は自堕落な生活をすることに決めた。避難命令とかはたぶん出ないと思うが、出たとしたらいつも選挙会場となっている近くの中学校だろうな。無いと思うが。というわけて朝からコロッケ。
_ 土曜日に撮って出しの「あっぱれ!KANAGAWA大行進」も今日はロケ中止で増刊号を放送するとのこと。
_ 夜10時。どうやら暴風雨は過ぎ去った模様。ホッとした。
2022-10-12
_ いつもの夜のヨーガがお休みだったので自主トレへ。いつもと違うことがいくつか起こった。1。倒立で足をあげたときに浮遊感があった(でも対空時間は五秒くらい) 2。ピンチャマユラーサナ(羽のポーズという肘での倒立)、反動をつけてしまったがマットの上でやると楽にできた。いつもは床に肘をつけていたので痛さが恐怖心に繋がっていたのだろう。 3。先週末の筋トレでも感じたのだが、いくつかのメニューで荷重に物足りなさを感じた。2回連続で感じたのだから、多少は筋肉が発達してきたのだ。ジジイになっても成長ホルモンが出ているというのはどうやら本当だった。 4。しかしながら、レッグプレスの荷重がやけに重くていつもの荷重が上がらない。膝を浅く曲げる位置を変えたらなんとかいつも通りあがったが、ショックを受ける。終わってからよく見ると、背もたれにいつもは使わないマットが置いてあったせいだった。いつもは上がっていたウエイトが上がらないと、驚くほど自信を失ってしまう。マシンのメンテ不足で動きが悪くなった時とかもそう。メンテ不足はモーチベーションを低下させるのですよ。 5。背筋鍛えるマシンがいつもの位置にはまらなくて、これはいつもより楽になってしまった。 6。それでも体重は高めなのだった。 7。開脚は前後も左右も順調。座りっぱなしの毎日で痛かった左股関節も、ヨーガと銭湯、特に電気風呂のお陰で調子が良い。いろいろ気づきの多い自主トレだったのでお肉食べて寝ます。寝しなにお肉なんて間違ってると思う。もう少し早くできればなあ。。。なんだかんだで去年一昨年と痛かったあちこちが気づけば楽になってるのはありがたい。でも背中の痛みはある日突然発生したりするので気を抜けない。いや気を抜かなくたって痛みは起きる時は起きるんでどうしょうもない。背筋鍛えるのとか全く役に立たないしなー。
2023-10-12
_ 健康ライフの聞き逃しを聞いていると、発汗にはデトックス効果はほぼ無い、と言う衝撃の事実。汗の中には有害物質はほとんど含まれないらしい。もし汗がアンモニアを含むなら、それは肝機能が低下していてアンモニアが分解されていない、ということなのだそうだ。デトックスされるのは頭の中の悪い思考であって、現実の毒をデトックスしてくれるのは肝臓や腎臓。飲食の害は運動やサウナでチャラにはできないという訳だ。現実はやはり厳しかった。
2024-10-12
_ [読書] 『小僧の神様 他十篇』志賀直哉作、岩波書店、1928(岩波文庫 緑 46−2)
先日、2015年頃に読んだ森村誠一さんの『60歳で小説家になる』の"供養"をしていたら、志賀先生の『城の崎にて』をエッセイの好例として挙げていたので読むことにした。森村さんは、小説を書くためには作品世界を構築せねばならないから疲れる。疲れたら経験をほとんどそのまま描くことのできるエッセイを書けば良い、という論調でこの作品を紹介したのであった。そんな未来が来るかどうかは兎も角としても、幾つになったとて将来というものはあり、可能性は多いほど良い。それでなくてもそのうち今までできていたことがどんどんできなくなっていくのだ。脳も委縮するかもしれないしサルコペニアで満足に歩くこともできなくなるかもしれない。アクシデントが起きなかったとしても、衰えというものはやがてやって来る。証明は難しいが永遠に生きた人はいないということは、神の存在に賭けるより割りが良いはずだ。
例によってまた自分の終末を想起せしめるようなことを書いてしまったが、実のところ自分は元気一杯で、子供時代にはできなかった前後開脚も左右開脚も三点倒立もできるようになったし、ろくにグリスアップもしないジムのキシむマシンのお陰か20年前よりも胸筋は付いている。おそらく腹筋もついているはずなのだが、未だに割れたところを見たことが無い。つい書いてしまったがそんな自慢はどうでも良い。その『城の崎にて』を収録した掲題の本が今日届いた。志賀直哉と言えば『小僧の神様』というくらい有名な話が冒頭に載っているのだが、そう言えばこの話がどんなものかも僕は知らずに生きてきた。知らなくとも生きてけるからだろうと思うが、それでも耳にしたことぐらいはあるこのお話は一体どういうものなのか。そもそもこのタイトルである。この「小僧の神様」という言葉の中における「神」が一体何を意味しているのかは長年の謎ではあった。可能性として「小僧の神様」の意味することはおよそ以下のようになるであろう:
1) 小僧が信奉する神のこと。(以下「」内は同様の使われ方をする『神』の例)「─は細部に宿りたもう」
2) 小僧にとって神に等しい存在のこと。「お客様は─様です」
3) 小僧の姿をした神のこと。「男─・女─・犬─」
4) 小僧というすべての存在にとって神のように優れ尊敬されるものの比喩。「─待ち」
5) 小僧界(そんな界どこにあるのだろうか)を司る神。「海─ポセイドン・冥府の─ハデス」
6) 小僧界に存在する神。「国津─・天津─」
7) あたかも神のように振舞う小僧。「泣くな野球の─様も たまにゃ三振エラーもする」
それだけではない。「小僧」と言う言葉を取っても
a) 子供の働き手「定吉は日本香堂の─さん」
b) a)のうち特に寺院の小僧。小坊主。「門前の─習わぬ経を読む」
c) 子供を親しみを込めて呼ぶ呼び方。「朗らかな朗らかな野球─」
d) 子供を侮蔑的に呼ぶ表現。こわっぱ。「この洟垂れ─!」
e) 比較的小さなものや部位に対する呼び名。「膝─、 高師─(湿地の葦や稲類の根部に繁殖した鉄バクテリアに由来する褐鉄鋼の塊。天然記念物に指定されているものもある。)」
注:「小憎」は誤用、あるいは意図的な誤用。「爆弾小憎ダイナマイト・キッド」← 単に誤植だったのかもしれないが、テレビのスーパーか東スポあたりの記事にこう書かれていたことがあったような記憶がうっすらとある。
_ という訳で昼休みにワクワクしながらその物語を読んだ。今解き明かされる積年の謎!まあ結論としては2)a)が正解だったかなと。それにしてもこの物語の読後感よ。これが「小説の神様」と呼ばれた巨匠の代表作なのだとはとても信じられなかった。時代背景が違い過ぎるのか、僕の感性に難があるのか。しかもこれ、今もって文庫化されるくらい読み継がれているのだ。あ、でも今ひらめいたぞ。お寿司屋さんのチェーンの「小僧寿し」って、この話を下敷きにしてるのではないのか?ネタバレと言うにはあまりにも有名すぎる話だけど、ここに登場する小僧さんはお寿司を食べたいのだがお金がたりなくて悲しい思いをする。そんな小僧さんでも気楽に食べられるのが「小僧寿し」なのではないのだろうか!?←書いた後で小僧寿しのホームページを見たらその通りのことが書いてあった。えっへん!でも待てよ、「『小僧の神様』に登場する秤(はかり)屋の小僧、仙吉が、高価なお寿司を食べたくても食べられない人のため、寿司屋になろうという気持ちを抱きます。」とか書いてあるが、志賀直哉はそんなことは書いていないようだぞ。まあ小僧寿しの創業者さんにはそう読めたのだと思う。そして仙吉の気高い思いと我々の思いは同じである、などと熱く語っているのだ。彼にとってはもう志賀先生がそう書いたとしか信じることができないのだろう。いや、もう一度読み返したらどこかにそんなことが書いてあるのかもしれない。でも今日はもういいや。結局積年の謎が解けた代わりに、なぜ志賀先生がこんな文章を残そうと思ったのか、そしてそれがなぜありがたがられるのか、などといった別の謎が生まれた。謎なんてそんな風に増え続けて限界効用のように低減などしないのだ。そしてこれだけは学んだ。どんなエピソードも物語になる。だから恐れずに書くべきである、と。
こんなに立て続けに「小僧」とか「神」とか書いたの、人生初だと思う。そして『城の崎まで』はまだ読んでません。
_ [特撮] 『ウルトラマンアーク』「過去の瞬き」、テレビ東京、2024/10/12.
というわけでウルトラマンアークを追う刺客・スイードという役で黒づくめの佐藤江梨子様がご降臨なさったのであった。ノリノリの悪役w 巨大な姿で映画のスクリーンに映っているところから客席に座っているアークとユウマ(このシチュエーションもちょっとセブンとメトロン星人の対峙を想起せしめるシュールな風景だったのだが)に向かってわしづかまんと手を伸ばしてくるところが怖くてなかなか良い。円谷プロの特撮は健在だ。シュウ君を襲って情報を(脳から直接)カツアゲした挙句欲しい情報が無くて「使えないヤツだ」と吐き捨てる。なんという良いオバショタなのかと。どんな男が相手でもショタを〇しているようにしか見えないこと咬膣院魔夢の如し(←わからなくてよい)。次回は是非ともサトエリ様自身が巨大化してアークをぼこぼこにしてほしいものだなあと。またしても邪眼で子供番組を見てしまいました。
_ うじゃ [ウォークマン優秀だよね!]
_ けい [AINCというのがあって、周囲のノイズを覚えてくれます。]