RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2009-08-17 休み明け。 [長年日記]
_ 休み中は初日だけしか日記をつけなかった。
なんだかやけに自省的な休みになっていた。ときどき襲われる気分、日記を世界にさらしているという行為がとてつもなく愚かしいものに思われる、ということ。
盆を過ぎると途端に秋の気配。暑いけど湿度が違う。昼休みは会社の構内を散歩して、夜は帰宅したら天水桶の水をじょうろで庭に撒いたあと家の階段とDK・廊下の床を磨く。これはおそうじ力を鍛える修業。5本157円で買った茄子の1本を焼き2本に飾り包丁を入れてを醤油で煮た。残った2本はぬか漬けにしようとしている。大ぶりの秋刀魚、258円を蒸らし焼き。入居した頃に据え付けたガスコンロのグリルがヤバいので最近の焼き物は蒸し焼き器を使うかオーブンレンジを使う。タンドリーチキンなんか割と普通に作るレパートリーに加えたい。パプリカをけちると寂しい色になることはこの休みの間に判明した。
NHKラジオを点けっぱなしで寝ることが多い。3時台の日本の歌は井上陽水。寝てるうちに番組が始まり、どこかのイベントのカラオケ大会で陽水をうまく歌っている人をやっかみ半分で見ているうちに、とうとう自分も誘われて歌い出す、という夢を見た。何を歌おうかと悩む。この陽水をうまく歌う人となら、スカボロー・フェアーをかなり綺麗に合わせられるのじゃないか、などと少々思い悩んだり。
陽水の歌を聞き続けていて、デビューのころから最近に至るまでの曲風の変遷に何かを思いついたようだ。日記の一番の読者は自分だ。tDiaryの”長年日記”の機能なんてなかなか楽しい。同じ日付の別の年の記事を並べて読んでみると毎年似たようなことをしてるのに想いはだいぶ違っていたり、同じ日に同じようなことを同じ気分でやっていたり、活動的だったり抑うつ的だったり。つまり今書いているという行為は未来の自分に対して何かを訴えようとする行為であるのかもしれない。この愚かしい行為は、その行為のとらえ方を年々変えながら、ゆるやかに続いて行くことだろう。