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2011-01-06 「イフタフ・ヤー・シムシム」−アリババと四十人の盗賊− [長年日記]
_ 普通には思いもよらないような動機というものがあり、心ならずも犯罪者となってしまうような人間にはそれを抑え込むことがどうしてもできない。路傍の石にも共感を覚える能力を持つ人間のこと、話し方次第ではそんな異常な動機のことにも共感を覚えてくれるかもしれない。だが、話し言葉では伝わらないことも多い。そこで、手紙にしたり、フィクションにかこつけてそのことを書きつづることになる。
このようにして、異様な動機から異様な傑作が生まれることになる。これこそ、作家が作品を作る理由でなくて何であろう。比喩では無く、書かなければ彼は本当に破滅してしまうのだ。そのことを「書くことが生きることである」と言い換えたとして、私には異議は無い。
家庭を作ることへの怖れは、それができた瞬間に家族のことばかり考えずにはいられなくなることへの怖れなのだろうか。おのずからそうなるのならそれは煩悩であり良いことではない。どこからか与えられた倫理観による強迫ならば、それも不幸なことだ。何よりも、そのように家庭や近親者と言う者を捉えてしまうものの見方を得てしまったことが悲劇的と言える。そして、それはまた反自然的でもあるがゆえに、エロチックに見える。エマニエル夫人に書かれた原理に従うならば、だが。そして、動物に備わった家族愛を煩悩であり捨てるべきものと言い切る教えがあるならば、その宗教もまたそのゆえにエロチックなのである。
以上、昨日の旅の帰りの電車で牧村僚の人妻ふとももエロ小説を読みながら、そして敬愛するフランツカフカの唇の薄い肖像を想いつつ考えたこと。
_ [読書] 「アラビアンナイト−ファンタジーの源流を探る−」西尾哲夫、NHKカルチャーラジオ文学の世界、テキスト、2010.
ラジオのチェックまでやってられるか!
しかしこういうテーマが語られてしまうのだから困ったものだ。アラビアンナイトにエロチックなイメージが植え付けられるにいたる過程など示されていて大変面白い。私はこの物語をジュブナイル版の全集モノでしか読んだことが無い。そう言う全集は、美しい挿絵が物語に対する具体的なイメージを与えることが善し悪しである。もしかすると高校時代にアニメーションのラフスケッチなど描いたりするのに一番使ったかもしれない。今、日本語でアラビアンナイトを読もうと思うなら、ちくま文庫版と東洋文庫版とボルヘスのバベルの図書館収録の版があるらしい。東洋文庫版がバートン版をもとにしていて一番エロいらしいぜ。ちなみにここ神奈川ではアラビアンナイトと言えば特殊浴場の名前かエッチなお宝の専門店ですわ。リチャード・バートンが悪い。あれ?リチャード・バートンって「オルカ」とか「カサンドラ・クロス」に出てた俳優の名前だったかな?←惜しい。それはリチャード・ハリス。リチャード・バートンという俳優はそれとは別に確かに存在する。
そうか、イフタフヤーのことを書いとかなくちゃ。開けゴマのことらしいです。シムシムがゴマで、セサミと語源を同じにするらしい。なんで「開けゴマ」なのかもよくわからないらしいが、エッチな意味ではないか、という説あり。やはりそうか。けどゴマは小さいな。何の比喩であったとしても。
書いてる人間がエロいんだからそういうネタにばかり偏ってしまうのはしかたない。しょうごのいじょのいこ。←エナリの真似。声に出して読んで欲しい。