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けいりう堂日記

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2011-01-02 「さあ、今日のお天気はどうですか?早速、外に出かけてみましょう」−金哲彦− [長年日記]

_ また古い画像を引っ張り出してきた。

アクセスが1000を超えた時の記念画像  PCを使い始めてインターネットにデビューしたとき、アニメーションを作りたいと言う気持ちも強かった。このGIFアニメは高校の時に紙に一枚一枚描いて作ったアニメーションとほとんど同じような作り方をした。htmlのbackgroundタグを使って背景を置き(富士山とお釈迦様の書いてある絵)、手前の動画は松の木のところと歩いてる人(自分をキャラクタにした。リアルを知る人からはかなり似てると評判になったものだ。こういうわかりやすい顔をしてるから自分の似顔絵を描くのが楽でいい。似顔絵に自分を似せてると言う噂もある)のタイミングをずらした結果遠近法が一応出せた。以下のアドレスをたどれば背景と併せてしかも意味のわからないBGMの鳴るページにたどり着けることだろう。

http://alpha-ralpha.com/hizakuri/access1000/access1000.htm

BGMは確か自動作曲ソフトにそれっぽいパタンを喰わせて作ったと思う。曲名は「to2000」だw   12年前のインターネット事情と標準的なスペックのPCで見るとこのアニメGIFは動き出すまでに数十秒かかり、その動きも数倍遅かった。時代がやっとオレのアニメに追いついたか。というか当時こんな大きいGIFをHPに載せて人様にご披露するなど明らかに迷惑行為だった。

その後キリバンに合わせて何かを作ったことなど無い。

_ [漫画] 「お見通し保己一」桝田道也

_ パブーで購入してpdfで読んだ。こういう購読の仕方は初めてだが悪くない。今や週刊誌も月刊誌も読まなくなって漫画家で選んで読むスタイルの私にはこういう形で提供される作品が無視できない。痛いところを突かれている。作品は大半がシルエットによるダイアログで語られていく。出来る限り描かないことによって多くを描きだすという手法というのがあるのだ。塙保己一という人のことは矢倉沢往還の歩き旅2日目辺り、渋谷に向かう途中で記念館に立ち寄って知った。七歳で盲人となり、後に群書類従を編纂した大学者である。ヘレン・ケラーがリスペクトしたということでも知られているかもしれない。ある夜、保己一が和学講談所で源氏物語を講義していた時、風でろうそくの灯が消えた。保己一は気付かず講義を続け、門下がちょちょちょっと待ってと言うのに「目開きってのは不便だねえ」みたいなキツイギャグをかましたという逸話が残っている。今でも彼の残した版木は印刷のために使われており、求めに応じで版を重ねているそうだ。そんな逸話の数々は桝田さんの漫画には載っていない。そういうバックグラウンドを知って読めばまた面白いんじゃないかと思う。自分の知識なんて人よりも少しだけ漫画をより楽しむため程度にしか使えていない。「はぐらかし京伝」も読んだ。どちらにも蜀山人が出てくるのに何かピンとくるものがある。蜀山人を狂言回しとして同時代の人々を描いていくというのは「帝都物語」のように贅沢なキャスティングだ。

_ [読書] 「からだが変わる体幹ウォーキング」金哲彦著、平凡社新書、2009./「エマニエル夫人」エマニエル・アルサン著、二見書房、1991.

体幹を鍛えるウォーキングの仕方があるはずだと思っていたら、そういうタイトルの本があったので購入。古本で。人は生まれて何十年も普通に歩いているので、その歩き方は歪んでいる可能性がある。歩き方が変なのを個性とごまかすことはおそらく科学的な姿勢では無い。そういうわけで、50歳も近いのに歩き方をちゃんと勉強しようと思っている。腹で歩き、腰で歩き、背筋で歩く。レオンハルト・オイラーは鷲が飛翔するがごとく計算をした、と言う。結城浩さんの「数学ガール」(の漫画版)にそういうことが書いてあった。私は鷲が飛翔するがごとく歩こう。この例えは何か変だな。オイラーのそれは「飛翔」と「計算」と言う対立的なものを同じに置いたところが(以下略)。ちゃんと読む。

エマニエル夫人はあまり解説の必要が無いかもしれないが、一応断っておくと、エマニエル坊やとは無関係と思われる。この二見の本は1991年刊のハードカバーだ。早い和訳は20年くらい前になされていたと思う。日本版の出版年が奥付に書かれていなくてカバーの折り返しのところに書かれているのがなんだか胡散臭い。ミア・ニグレンの「エマニエル」が製作されたのは1984年らしいから、この91年という記述を信じるとその年に何があって復刊されたのかよくわからない。1974年に二見書房サラ・ブックスのシリーズで出たのが最初なんじゃないかと思うが、その頃の私は中学二年生。中二か、ハハハ。。。こんな年にこんな本が家においてあったらさぞや人格も歪むであろう。まさにその通りになった。中二の私は父か母が知人から借りてきたと思しきこのサラ・ブックス版をこっそり、というかほとんど全部、盗み読んでしまっていたのである。以来、セックスの原理としての不均衡の法則や、自然に対抗する在り方としてのエロチシズム、という考え方がすっかりしみ込んでしまった。永遠の中二病にかかってしまったのもこの作品のせい(というかこの作品を家においておいた親のせいというべき)だ。文中にちりばめられた意味不明の詩、MIEKO TANABEという署名のある印象的なイラストなど、91年版にもそのままあるようで、気持ちが34年ばかり若返る.。だが、この「たなべみえこ」とは何者なのだろう?こういうネット以前の時代の情報をネットの世界からたどることはなかなか難しいようだが、以下のURLが参考になるかもしれない。掲載されている画像からみる風貌はエマニエル夫人の挿絵に通じるそれであるし、記載されているプロフィールもシンクロニシティを感じさせるが、保証の限りは無い、いつもの如く。http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/milk_tea.html

34年前の幼いエロチシズムはその後紆余曲折したものの、相変わらず抑圧的なままである、少なくとも精神上は。抑圧的なまま老化により肉体が滅びていくのを少しでも遅らせようと、アンチエイジングとして夜毎きんたま握り賦活に勤しまん乎。昔読んだ「愛のアロマテラピー」という本に、日本のことわざに年の数ほど金玉を握れと言うのがある、と書いてあった。そんなことわざ聞いたことが無い。無いけど、お風呂で伸びきったそれを40数回ほど握る自分がいる。「愛のアロマテラピー」の著者は今改めて見るとマギー・ティスランド。ティスランド…ティスランド?この人、ロバート・ティスランドの奥さんか娘なんじゃないのか?アロマテラピーに関するエロスなイメージはもしやこの人々の仕業なのではないのか?エロスと言う自然に反するべきことがらが、自然の恵みを抽出することを基とするアロマテラピーにつきまとうことの意味を想うべきかもしれない。ちなみに背もたれの大きい籐椅子を見ると何故か勃起する人々は私と同じ病に罹っていると見て良い。今でも色んなエロス作品に引用されているものな。ちなみにエマニュエル・アルサンは「砲艦サンパブロ」に顔出ししてるのでご興味あればどうぞ。こんな知識も中学のときには既に知っていた。俺って…。

_ 反対表明。

男性器のことを総じて「きんたま」と呼ぶことには賛成しかねる。あくまでも棒と玉、その区別だけは絶対に譲れない。金玉を握ることは棒をこすることとはその意味も動作も違うことに注意されたい。なんで金玉の話題になっているかと言うと、黒木香さんが、エロスな言葉は何かと聞かれて「きんたま」と即答したことに由来している。かもしれない。正月早々きんたま連呼か。アロマ企画のDVDみたいだな。おお、ロバート・ティスランドと繋がったぞw


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