RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2017-04-15 [長年日記]
_ [ドラマ] シブヤフィフティーン
最終話が…。15歳達の選んだ「リアル」は余りにも重たいものだった。ガッキーの劇中の言葉「私だけみんなと違う」が強く胸を打つ。このドラマの世界だけのことではない。「リアル」は重たい。それでも私たちはリアルな存在であり続けなければならない。このドラマのエンディングはバッドエンディングなのではなかったのだと思いたい。過酷な現実の世界にも月への道は開かれており、そこに至るためにはジョン・カーターが火星に行ったのとは異なる方法を用いなくてはならない、ということだ。
_ [音楽] クラシック倶楽部、BSプレミアム20170414.
ライヒの日本公演。ライヒ自ら演奏する「クラッピング・ミュージック」、日本初演となる「カルテット」−これは2台のピアノと2台のビブラフォンのための四重奏曲、そして、「テヒリーム(詩編)」。テヒリームの演奏シーンを見たのは初めてだと思う。ライヒ80歳。トレードマークとなった感のあるキャップをかぶっての演奏と挨拶。やがて私たちはライヒのいない世界に生きることとなる。ライヒの拓いた音楽はその後も残り続けるに違いないが、ライヒの音楽自体を継ぐ音楽家はいないだろう。それは昔からそうなのだ。いかに同様のスタイルで曲を作る流派があったとしても、一人の作曲家のそれと全く同じスタイルがそのままで継承されていくことはありえなく、ただその作品が残るだけだ。作曲家とはまさにその人一代で、その前にも後にもいない。芸術作品を作るというのはそういうことで、いつでもその作家一人が始まりであり終わりである。しかしその始まりと終わりは人類の過去から未来に渡って連綿と続くものの一部なのだ。始まりであり終わりであることこそ、クリエイターとして在るということなのだろう。