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2018-11-29 [長年日記]
_ [殺害された言葉] 「処女作」「処女地」
最近この日記にはあまり書かない仕事での出来事を書く。初めて業務発明を提案しようとする同僚のアイディアを聞いてた時のこと。私は「これって○○さんの『処女作』ですよね?」と尋ねた。そうならば上司とよく相談して云々と続けるつもりだったのだが、なんかその一言で場の空気がちょっと妙な感じになった。しばしして気づいたのだが、どうも『処女』という言葉にその場の皆の衆が反応したらしい、と気づき、
「…ええっ?(『処女作』って)言うよね?」と同意を求めるも何か空回りしている。この言葉使っちゃいけないのか?処女地とかいうと「地」じゃない「ち」が想起されちゃうのか?これがまた私の口から発せられたということが何やらなまめかしくというかなまなましく捉えられたようだった。
そうか。そうなのか。こうして死語が生まれるのか。しかもこの場合言葉は自死したのではない。この語感に過剰に反応する人々によってよってたかって殺害されたのだ。私は死語の誕生の瞬間に立ち会ってしまった。せめて長く語り継がねばならない。いかにして『処女作』という言葉が殺されていったのかを。という訳で、早速だが[殺害された言葉]というカテゴリを作ってみたのでこれからも殺害現場に立ち会ったら書き込んでみようかと思う。まあ例によっていつまで続くかはわからないが、10年後にこの日記を読み返した時にまた何かを思いつくかもしれないから。