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2024-08-18 [長年日記]
_ [読書] 乱読記、発掘さる。
暑い暑いと思っているうちに秋の気配が忍び寄ってくるのだから気をつけねばならぬ。いや、まだ暑いんだけど。
という訳で魔窟のアウフヘーベンをやってる。読んだあとそのまま積み上げていた本を一冊ずつ取り出して、付箋の付いてるところ(もちろん付けたのは僕なんだが)をノートに書きとっては捨てるなりしまい込むなりというひたすら能率の悪い片づけと、机の前から押し入れに向かう動線を阻むゴミだか資源だか資源ゴミだかわからないものを片付ける。これが成功したら、押し入れの中が有効に活用できるようになる予定なのである。まあ先は長すぎるほど長いからちょっとの進展を日記とかに書き込んでそれでも進んでるんだよと自分に言い聞かせるのだ。これがシニアというか人間の経立(ふったち;動物が年を経て妖怪化したもの。柳田国男『遠野物語』参照)の狡猾さである。若い人も真似していいよ〜。
それで、大した効果は得られないのかと言えばそんなことも無くて、失ったとさえ思っていなかったお宝が続々と発掘されるので楽しいのである。お宅気質とお片付けは決して相性が悪いわけではなかったのだ。ただそれもため込むものがある程度の量になったうえでのことではあるのだろう。ちなみに、こんな活動の途上で以前母の人の遺品に含まれていた消しゴムを見つけて、それをつい2日ほど前に最後まで使い切ったのはとても快感だった。文房具でも食器でも今あるものをすべて使い切ったうえで最終的には気に入ったものだけを使って生きていけたら最高だろうと思う。
それはそうと。その読後のメモを記載するノートを高校の頃から「乱読記」と称して書き続けていた。初期のころのものは当然もはや散逸してしまっているのだが、上記のアウフヘーベン作業の過程で、なんと1995年頃からのものが発掘されたのである。これは自分にとっては大きな意味を持っている。なぜなら、1990年半ばと言えばインターネットは普及が始まったばかり。GeocitiesやNetscapeのサービスが始まったのは1994年あたりとのことだから、インターネット普及前後をつなぐ自分の知的活動(笑)に関する結構貴重な記録なのである。ミッシングリングなのである。で、その頃の内容を見てみると、まず、なぜかDe Gennes先生の”濡れ”に関するレビュー論文(あ、これエロじゃないですからね!物理の論文ですからね!全くもうw)の調べ読みとか、野口悠紀雄『「超」整理法』、『分類学からの出発』、澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』、野村万作『太郎冠者を生きる』、カフカ『アメリカ』、『エッダ・グレティルのサガ』、フレーザー『火の起源の神話』、ボス『性的倒錯』、夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』(NHK人間大学のテキスト)、『スパイスの冒険』(会社の寮から借家に移転した頃で、カレーの自作をものすごく頑張ってたのでスパイスの勉強もした)、谷川健一『日本の神々』という具合。自分では「ああ、変わらずだなあ」という感じなんだけど、現在はこれらに加えてさらにヨーガだの筋トレだの街道行脚だのといった肉体系の読書が増えた。変わらず、っていうことでもないかな。。。