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2005-08-18 NTV「クリック」録画
_ 信頼できる情報筋からの情報に基づいて録画。8/21放送予定の資生堂の番組の前振りという感じで栗ちぃが3分ほど登場。子供の頃はモデルを目指して1日に牛乳2リットル飲んでたと言う。かーいいなあ。21日めちゃ楽しみ。
2009-08-18 三ツ矢雄二さんの声、若い。日高のり子さんも。
_ 陽水の続きはなんとなくアニメパラダイス。
アニメパラダイスと言うのはキッズステーションの番組。三ツ矢雄二さんと日高のり子さんが出ていて、しわのある顔にタッチの頃とほとんど変わらない若々しい声に、まるで本人が話しているのになんだかアフレコのように感じてしまう。
声はゆっくりと年を取る。
2011-08-18
_ 暑さを楽しんで外出、とか書いたけど結局は夜になってからヨガに行ったくらいであとは家で避暑してた。避暑とか言っても扇風機まわしてかき氷とか冷たい飲み物とか飲んで昼寝するくらいなんだけど。こういう夏もあっていいかもな。数年前は奥州を旅してた。
2013-08-18
_ [数学] 定義の記号
$\overset{\mathrm{def}}{=}$
とか
$\overset{\triangle}{=}$
とかが定義をあらわすのは初めて見た。後者、パール先生の本に出てきてビビった。論理学とか集合論とかこういう記号でビビらせて閾を高くしてるような気がしてならん。
_ [特撮] 「獣電戦隊(バモラ)キョウリュウジャー」「仮面ライダーウィザード」
見た。ウィザードはいよいよ結末に向けて疾走し始める。今思い出した。"4人目の魔法使い"(と笛木は呼んでいた。メイジは3人であと一人は白い魔法使いのことだろうか?)は響鬼のトドじゃないか。
_ [映画] 「新・平家物語」
監督;溝口健二。平清盛役:市川雷蔵。大映、1955、溝口健二作品は中世の世界を、まさにこうであったであろうと思わせるように映像で再現しているように見える。「雨月物語」はたぶん昔横浜・黄金町の日劇(探偵濱マイクの事務所のあるところ)の向かいにあった(というより、日劇の方が無くなってしまったのだが)ジャック&ベティで見たんじゃなかったかと思うが、そのときにそんな印象を受けたような記憶があった。その後「赤線地帯」も同じ劇場で見た。その頃そのミニシアターでは溝口健二特集をやっていたのだった。15年以上前になるのではないかと思う。ただ、今現在、溝口健二作品を何の背景知識も無しに観賞して、素直に「これは素晴らしい」という感想を述べるわけにはなかなかいかない。この作品がもう60年ほど前の作品でありながら優れた色彩で物語舞台を再構成しているということには感心はするのだが、それがどれほど素晴らしいことなのかを、製作当時の状況を知ることなく述べることができないのである。それに、時代考証が優れているかどうかを見極めることも俺にはできない。ただ、とてもそれらしく作られているその雰囲気が理解できるだけだ。物語の解釈が斬新かどうか。それも俺にはわからない。この作品は吉川英治の原作に基づいて作られているのだが、たとえば清盛が白河院の落胤である可能性を含めて、彼のアイデンティティ獲得の物語を描き上げた部分にもしユニークな点があるとするなら、それは誰の功績に帰されるべきなのか。歴史的な大作映画を観賞するためには、膨大な背景情報が必要になっているのかもしれない。
それにつけても比叡山の坊主どもの傍若無人ぶりはハンパ無いな。久我美子(時子)の可憐さに比べて小暮実千代の忠盛夫人のグラマラスなこと。結局こういうとこばかり見てしまうんだよなー。しかもこの溝口作品は新・平家物語三部作の第一作目なので、叡山の神輿に矢を射るあたりでおわる。坊主ども相手にタンカを切る雷蔵清盛だが、あまりに激高してて何言ってるかもうわからない。でもスカッとする場面。そして父の墓前にこれからの戦いを戦い抜くことを誓う清盛。場面変わり野で舞う白拍子。小暮実千代はヴァンプ女優として名を馳せた人なので、白拍子役はうってつけだったであろう。清盛の話はこれからが面白いのにねー。以上。ちなみに第二作目をDVDで買おうとすると今20000円越えてる。しばらく見ることはないだろう。
2014-08-18
_ 麹、いかん、いかんぞ(笠智衆)
_ どうせこんな森田健作の「俺は男だ!」のパロディなんてもう誰も知ったこっちゃないだろう。だが笠智衆のことだけは覚えておいてもいいと思う。それはともかく、塩麹が特に鳥の胸肉のパサパサ感をかなり改善すると聞いていろいろ試してるところ。派生商品がたくさん出ている。今日は醤油麹を使った。お風呂に入りながら30分漬けておいて、ネットで遊びつつ涼みながら蒸し焼き。テフロン加工をしてないフライパンなので塩麹使うと焦げ付きやすいのだが、それもクッキングホイルを使うことで著しく改善したのである。これは好い。久しぶりにライフが捗った。
2015-08-18
_ とりあえず「下セカ」第一巻は読んでしまった。次の巻買おうかと思ったがちょっと控えとく。どの巻見ても表紙イラストがアウトだ。調子悪くこういう取るに足らないことばかりやっている。
2018-08-18
_ [食べ物・飲み物] ラー博2回目。
行く夏を惜しんでラーメン食べに来た。折角近くに住んでるのだし、ヴィーガンインスタントラーメンも時々買いに来たいと思って、年間チケット800円を購入。3回来れば元が取れてさらに一年間期限が伸びるらしい。ここは博物館なのに学割は無いのです。
入場。土曜でまだ夏休みということもあるのだろう、長蛇の列。30分ほど並んだだろうか。YUJI RAMENで季節野菜と麦味噌ラーメンという汁気の少ないベジラーメン。もう来た。うむ。。。なんというか、太麺のラーメンサラダという感じだな。ラーメンサラダ食べたことないけど。あまりラーメン感がない。折角涼しくなったのだから熱いスープが飲みたかったが満腹。そうだ、今度家でラーメンサラダ作ろう。
_ 追記。このYUJI RAMENは9月にはラー博の店をたたむらしく、卒業記念と称してくじ引きをやっていた。多分ラー博ではこうやって順次店舗を入れ替えているのだろうが、私はそれを知らず、クジを持ってきた赤いキャップの似合う美人の店員さんに「誰が卒業するんですか?」と割と真面目に尋ねてしまった次第。美人を揶揄う癖は治ったと思ってたのに。。。
_ [映画] 『ハンナ・アーレント』監督マルガレーテ・フォン・トロッタ、2012.
というわけで見ましたよ。物語としての解決の与えられない終わり方はいかにも実話をもとにしてるという感じ。聡明なハンナ・アーレントはハイデガーの愛弟子だった。その特別な親密さをうかがわせる描写も映画にはあった。ハイデガーを評することは寡聞なる私にはできない。ただ、思考することをやめてしまったものは人間であることをやめることであるというこの映画、この映画におけるハイデガー、この映画におけるアーレントの主張には大賛成だ。何かを行うとき、それが規則だからとか上司に言われたからとか皆がやっているから、ということで自動的に行うのと、それを何のために行うのかを納得して自律的に行うのとは、行動自体が同じであったとしても質においてまるで違うということだ。というわけで、アーレントは少なくともこの映画で描かれている限りでは私にとっては望ましいが共に暮らすには少々窮屈ではある女性とは映った。実話に基づく作品が、結局のところ何も主張することなく劇終となる(ならざるをえない)ということについては今後も考察が必要と感じた。
2020-08-18
_ 今宵はタイミングを逸してウォーキングせず。ごく久しぶりに野菜炒めなんか作って食べた。学生時代自分のライフラインみたいなものだったな、野菜炒め。炒めてると汗だく。この頃中華鍋や鉄のフライパン使った後は水と竹のささらで洗ってる。竹のささらはカビがはえそうだな、と思ってたが、毎日のように使ってると、その間は大丈夫なようだ。それに焦げ付きは綺麗に落ちるしいい感じに鍋が育ってきたような気も。どうしてこんな良いものを今まで使ってこなかったのか。今の中華鍋はスーパーで買った取手が木製の良くあるやつで、何だかんだ20年以上使ってる。ダメになったら中華街で使われるような本格的なヤツが欲しいと常々思ってるのだけどその機会はしばらくこないような気がする。アルミの大きめの手鍋も同じくらい使っている。大きさが程良く、簡便に麺類を茹でるのに重宝してるので一番頻繁に使っているが、フキンを使わないと取っ手が厚くて持てなくなるのが不便。いずれダメになったら取っ手が熱くならないタイプのステンレス製に変えたいのだが、これもまだ寿命には遠いようだ。寸胴も欲しいけど高いしな。場所取るしな。早く煮物や鍋料理の季節にならんかなあ。
2024-08-18
_ [読書] 乱読記、発掘さる。
暑い暑いと思っているうちに秋の気配が忍び寄ってくるのだから気をつけねばならぬ。いや、まだ暑いんだけど。
という訳で魔窟のアウフヘーベンをやってる。読んだあとそのまま積み上げていた本を一冊ずつ取り出して、付箋の付いてるところ(もちろん付けたのは僕なんだが)をノートに書きとっては捨てるなりしまい込むなりというひたすら能率の悪い片づけと、机の前から押し入れに向かう動線を阻むゴミだか資源だか資源ゴミだかわからないものを片付ける。これが成功したら、押し入れの中が有効に活用できるようになる予定なのである。まあ先は長すぎるほど長いからちょっとの進展を日記とかに書き込んでそれでも進んでるんだよと自分に言い聞かせるのだ。これがシニアというか人間の経立(ふったち;動物が年を経て妖怪化したもの。柳田国男『遠野物語』参照)の狡猾さである。若い人も真似していいよ〜。
それで、大した効果は得られないのかと言えばそんなことも無くて、失ったとさえ思っていなかったお宝が続々と発掘されるので楽しいのである。お宅気質とお片付けは決して相性が悪いわけではなかったのだ。ただそれもため込むものがある程度の量になったうえでのことではあるのだろう。ちなみに、こんな活動の途上で以前母の人の遺品に含まれていた消しゴムを見つけて、それをつい2日ほど前に最後まで使い切ったのはとても快感だった。文房具でも食器でも今あるものをすべて使い切ったうえで最終的には気に入ったものだけを使って生きていけたら最高だろうと思う。
それはそうと。その読後のメモを記載するノートを高校の頃から「乱読記」と称して書き続けていた。初期のころのものは当然もはや散逸してしまっているのだが、上記のアウフヘーベン作業の過程で、なんと1995年頃からのものが発掘されたのである。これは自分にとっては大きな意味を持っている。なぜなら、1990年半ばと言えばインターネットは普及が始まったばかり。GeocitiesやNetscapeのサービスが始まったのは1994年あたりとのことだから、インターネット普及前後をつなぐ自分の知的活動(笑)に関する結構貴重な記録なのである。ミッシングリングなのである。で、その頃の内容を見てみると、まず、なぜかDe Gennes先生の”濡れ”に関するレビュー論文(あ、これエロじゃないですからね!物理の論文ですからね!全くもうw)の調べ読みとか、野口悠紀雄『「超」整理法』、『分類学からの出発』、澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』、野村万作『太郎冠者を生きる』、カフカ『アメリカ』、『エッダ・グレティルのサガ』、フレーザー『火の起源の神話』、ボス『性的倒錯』、夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』(NHK人間大学のテキスト)、『スパイスの冒険』(会社の寮から借家に移転した頃で、カレーの自作をものすごく頑張ってたのでスパイスの勉強もした)、谷川健一『日本の神々』という具合。自分では「ああ、変わらずだなあ」という感じなんだけど、現在はこれらに加えてさらにヨーガだの筋トレだの街道行脚だのといった肉体系の読書が増えた。変わらず、っていうことでもないかな。。。
_ うにゃ [がくぅぅ。。。 一瞬女性の名前かと^m^]