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第14回(99/07/06)

岡崎−鳴海

 〜今業平のσ(^Ω^)が業平の古跡を訪ねる(笑)〜

<その2>


 <16:00頃> さて街道筋に戻ろう。ここ知立の名物といえば

なのですが、ワタシは甘い物がカラキシ駄目なので名前を聞いただけで敬遠せざるを得なかった。色々種類があってクレープの如しだ。まてよ、そう言えばワタシはクレープと言う物も食したことが無いではないか。

 ここで蚊取り線香のホーロー看板を見つけた。店頭で見かけたことのないブランドであるが、愛知ではシェアNo.1なのかもしれない。しかしさっきのテレビなんかはもはや決して店頭で見られない物であろう。このようにしてホーロー看板も歴史の道の一部となっていくのであろうか?

この看板は路上観察学会の
「路上観察華の東海道五十三次」
(文春文庫)にも「世界一の簡潔看板」
として載っている。

 などと思いつつ歩きつづけると辺りはすっかり人里である。ときどき危険な作業をしている人もいる。高所作業にはヘルメットと脚立と命綱を用意せねばいかんぞ。

 赤い線を一本引いて「イチビキ」と読ませる味噌の看板もいとおかし。

知立のマンホールは
やはりカキツバタ


<17:00頃> さて、知立市を抜けて刈谷市に入って忌まわしき国道一号線沿いを歩いていると、十五人ほどの集団が歩道橋の陰に集まっているのが見えた。一体何事であろうかと近づくに、彼らは微動だにしない。

さしまねく人の顔を見ると…

 

 

 

きゃ!

 

 

な、なんだなんだ?

 

 

く、来るなぁ〜

 

 

ひぃぃぃぃぃ…

 

 

も、もうやめて〜

 

 なんなのだ、一体君達は?とたずねると、福禄寿のような男が、

「われわれは惑星開発の苦役からのがれてここ刈谷市にやってきたレプリカントなのだ。」

などと言った訳では決して無いのだが、どこかの秘宝館か東京タワーろう人形館のようなところで長の勤めを終えた人々だったのであろう。

 辺りがまだ明るくて良かった。夜中にこんな人達と出会ってしまったら腰を抜かして「べとべとさん、先ヘ御越し」なんておまじないでも唱えてしまうところじゃないか、などと先を急ぐと、途中で知立の地図を無くしたことに気づいた。慌てて引き返すと、レプリカントさん達の前に落ちて居たではないか。

しかも間抜けなことに、自分の取った写真に落した地図がしっかり写っていた…。

看板に「びっくりいちば」って書いてあるけれど、「安くてビックリ!」という意味ではなさそうだなあ…

 

 こんな不吉なところはサッサと逃げるに限る。30分ほど急ぎ歩いて本日休業のスーパーの前で缶入りのお茶を飲みつつ休憩した。

 次の宿場の鳴海までの距離をマップメジャーで計測すると、あと9.3kmと出た。その次の宮までだと15.8km。今日は鳴海までだなあ…などと考えて、再び歩き出すと今川町公民館の前で…

 

レプリカントの残党がこんなところにもいたのでした。ひいいいいいいいいい!


 今回は何だか路上観察学者のような膝栗毛なのだが、街道名物の一里塚があったので撮影。あらめずらしや。左右の一里塚跡が残っている阿野一里塚であった。

京都に向かって右。

左。

 ひょっとしたら方向間違ってるかも知れないが。一度街道沿いの一里塚をサマライズする必要があるだろうな。しかし、最初の頃の歩きでは一里塚などあまり気に留めずに歩いていたから取材の仕直しになってしまう。

 とある家の軒先にウエキくんがいた。

行儀良くオッチャンコしてるね。


<18:30> 一里塚で小休止して更に進む。まだ明るいが、そろそろ夕食が心配になってくる。いつのまにか刈谷市から豊明市に入っていた。消防団の建物のシャッターには団扇のような生物が描かれていた。

 う〜ん。

 どうやら愛知の諸君が特別に絵が下手だという訳ではない。

 ヘタな絵を人に堂々と見せられる神経を持ち合わせているというのが正解なのだ。

 

古戦場跡は今は公園。

 余計なお世話でした。という間に桶狭間の古戦場跡に到着。入り口を入るとすぐに、鶴と亀が出迎えてくれた。

ここには信長に亡ぼされた今川義元の墓がある。

義元さんのお墓。

しかしずいぶんと
くたびれているなあ…

というわけで苦手な歴史の勉強にも若干はなるという今様膝栗毛の旅である。などと言いつつ次第に暗さの増してくる街道筋に、山車会館を見出す。対面のほうには鳴海名物の絞会館と言うのも在る。ここで弥次サンは手拭い用にわずかの絞りの切れを購入したのであった。

 そう、ここはもう既に鳴海(第四十宿)なのだった。五十三次も残すところ十三宿か…。

山車会館は向こうの建物で、手前は手打ちうどんの店。

 さて日も暮れたことだし、ここらで夕食にしよう。鳴海の駅までもうすぐだが、いささか腹が減った。ここで何を食すると言って、やはり味噌カツ定食しかあるまい。手近な食堂に入って腹ごしらえ。

取り分けなんということも無い食堂だったが満足だ。腹を満たして最後の行程を行く。道の途中に駕籠かきを象った石碑のようなものがあったが、由来は知れず。

 かくして鳴海の駅に到着したのは20:00丁度であった。この日の全道程25km。久方ぶりに再開した行脚にしては良く歩いた。鳴海の駅の駅員の笑顔を見て何やらほっとする。丁度急行豊橋行きが来る時刻。ビールを買って電車に乗る。豊橋からは新幹線をフンパツして帰るのだ。寝ながら帰りましょう。次の歩きは夏休みだな。残り十三宿、一気に方をつけるとしようか!

<おまけ>

電車に乗る直前に買った名古屋限定の缶ビール。


<脚注>

7.甘い物がカラキシ駄目…このページを編集中の現在、以前ほど飲酒しなくなった所為で良く甘い物を食する。ここのところ歩き旅にも行っていないので贅肉が溜まりつつあるのかもしれないが、体重計の無い我が家では知り様も無い。<戻る

 

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