今様膝栗毛 第15その2回(99/07/27)
鳴海−四日市(続)
宮の渡し公園のやぐら。 |
<14:00少し前>
熱田神宮に到着。 とにかく昼飯!というわけで、ここはやはり名物のきしめんと行きましょう。境内には鶏が放し飼いになっている。
きしめん定食。 |
熱田神宮の神鶏。 |
食後にアイスコーヒーを飲んでゆっくりくつろいでから須佐之男命を参拝…と、おりからの曇り空がとうとう泣き始めた。拝むのもそこそこにあわてて駅へと急ぐσ(^Ω^)。途中信長が寄進したという土塀を見た。桶狭間での戦勝を熱田神宮に祈願して、そのお礼であるらしい。
雨に濡れる神宮。 |
雨に濡れる信長塀。 |
…というわけでここからはしばし電車の旅。熱田の駅前に、キャンデーを配っているおばさんがいた。
「何のキャンデーかな?」と見ると、小さなパンフレットが付いている。読んでいるうちになんだかむかっ腹が立ってきたのであった。
@ | A |
B | C |
こんな宣言、舌を抜かれてもできませんって。
<16:00>
名鉄、近鉄と乗り継いで、桑名(第四十二宿)に着きました。昔は舟で今は電車。もっとも船酔いする人の為の佐屋街道というのもあるけれど。
ここに来たからには当然焼蛤だろう、という向きもあろうが、σ(-Ω-)はついさっききしめん定食を食べたばかりでお腹が一杯なのです。それに蛤なんぞ食べたら酒が欲しくなるに決まってる。
道路のタイルを写真に収めるだけで諦めたのであった。
たのしそう。 |
渡し舟こそ無いものの、七里の渡しの古跡は残っている。そちらへと向かっていくと、泉鏡花「歌行灯」の舞台となった船津屋が。
船津屋。作中では湊屋。 |
桑名側の七里の渡し跡。 |
海上にキノコが生えてました。 |
民謡に「桑名の殿様」ってのがありますが、桑名城は今は九華公園となっている。ドッシリ構えて見下ろしているのは桑名の殿様だった本田忠勝。
思いっ切り逆光でしたね (^Ω^; |
九華公園というだけあって お休みの日に訪れる人が多い…のかな? |
「桑名の殿様」の歌詞が思い出せなくて何だかキモチ悪いけど、ひとまず先へ行こう。この辺スクールゾーンなので…
…がいたるところに居る。
「僕たちゼッタイ飛び出しますからね!そっちで気をつけてね!」
とかいわんばかりの勢いの、こういうボンズどもはいろんなスクールゾーンで見かけるが、この辺りは特に多い。こう言う物には必ず名前がついているものだが、σ(^Ω^)は寡聞にしてそれを知らない。今後も登場する予定だから不便の無いように今ここで勝手に命名してあげよう。
命名、「飛び出せボンズ」。 |
なんとなく座りの悪い名前だが、呼び続けているうちにシックリ来るようになる類のもんでしょう、これは。
飛び出せボンズに注意しながら歩いてると、とある家の軒先には、鶴の家ってなってた。
鶴居村にいないときはここにいたのか。 |
気にしていた雨は時折ぱらりと来たり来なかったり。台風は進路を逸れたようだ。ぃやいや、いかったべさ。
道標の石はご丁寧に指で方向を示している。漢字の読めない人にもわかるようにかな?いや、でもこっちが自分の行く方向だとは、指だけではわかりますまい。
左 江戸道 /右 京いせ道 |
この指、HPのナビゲーションボタンに |
道標の指差す先を行くと…おっ、また出たな!飛び出せボンズ。
君は少し肥満気味だゾ。 |
何だかやけにボンズの存在が気になるのだが、ヨコハマからわざわざやってきて記憶に残るのはボンズの事だけというのではあんまりだ。もっと旧跡らしい旧跡を見なくてはいかん。なんせこの旅の目的の一つは、
「古の歩き旅を辿ることにより、
そう遠くないかつて自分達が何物であったのかに関する知見を得る」
ですからね。これがおそらくは古跡をたづねるココロなのだ。
と言っていると、天武天皇社があった。壬申の乱のとき(672年)に天武天皇が桑名を訪れて、名古屋の方を見て「まあ遠いのネ」かと言ったとか。以来七里の渡しは別名「間遠(まどお)の渡し」とも呼ばれたという。
嘘言っちゃいかんな。ともかく天武天皇社は御祭神として天武天皇・持統天皇・高市皇子の三人家族を祭っているのである。暗殺を恐れて奈良の吉野にいた天武天皇は伊賀に行って鈴鹿を越え、桑名から七里の渡しは使わずに、熱田から揖斐川沿いに北上して不破の関(関ヶ原)を越え琵琶湖東岸沿いに南下し、粟津(大津と草津の間)で甥の弘文天皇を破ったとのこと。奥さんもずっとついてったらしい。
Q.ところで、天武天皇と弘文天皇と、どっちが大海人皇子でどっちが大友皇子だか覚えてる?
Q.の文についてる下線は別にリンクの印じゃないからね、念のため。クリックしても答えにリンクしてるわけじゃないから正解は自分で調べたまえ。
で天武天皇社のすぐ近所には一目連神社が。
↑ここにも、飛び出せボンズ。 |
神社の由来を書いてると長くなるけど、一目連というのは鍛冶屋の神様だそうです。鍛冶屋の仕事は真っ赤な火を凝視するうちに目を悪くするので良く片目が悪くなったんだとか、柳田国男先生の「一つ目小僧その他」にたしか書いてあったように記憶している。加えてふいごを踏みつづけて仕事してるうちに片足を悪くして、結果一つ目一本足の神様となる、なんてね。ギリシャの鍛冶神ヘファイストスも足が悪い。
かようにこの界隈には昔から鍛冶屋が多かったらしいが、なるほど梵鐘を作っている店がありました。鍋吉鋳造所。
一見金だらいだけど、今良く見るとどうも大きな叩き鐘のようです(左)。 |
さて、そろそろ日没が気になる時刻になってきましたが、町屋川を渡る手前で常夜灯を発見。このあたりは昔立場で、立場茶屋の「安永餅屋跡」がすぐそばにある。四日市と言えば「なが餅」、ですよね。
町屋川常夜灯。 |
川を渉ると朝日町。帰宅する工場の人達が一里塚横を通りすぎていく。工業地帯だもんなあ、ここ。
オ、またいたぞ。飛び出せボンズ…いや、今度はお嬢ちゃんか。ちゃんと手を上げてて、さすがに交通マナーってものをわきまえてるね、お嬢ちゃん。
朝日町の一里塚。 |
この態度を少しは見習いたまえ、 飛び出せボンズの諸君。 |
<18:30> 更に行けば富田町。ここの一里塚は跡を残すだけであった。 このぶんだと宿に着くのは20:00をまわることだろうと思い、宿泊先に電話を入れておく。その後三丁目のミツウロコショップでちょっと休憩。煙草、美味し。 さて、と歩き出した途端、我々(と言ってもひとりなんだけど)はショッキングな光景に出くわしたのである。
はねられたのか。だから言わんこっちゃないんだ、可哀想に…でも自業自得ってもんだゾ、ボンズ。 |
辺りはそろそろ暗いです。こんな時に灯のともった常夜灯を見た旅人の気分は察して余りある。
富田の常夜灯。 |
暗くなってくると自然足が速まる。夜の街道にはまたさまざまなキャラクターが割拠しているのであった。
けっこう賑やかじゃない? |
かくして四日市(第四十三宿)に辿り着いたのは21時頃。ホテルに入り、チャ友のMr.Jさんと連絡をとる。実は今回、京都三条に着いたらKOUさんはじめ関西在住のチャ友の人々がσ(^Ω^)のためにオフ会を催してくれると言うのです。
けれども出発前にKOUさんと連絡が取れなかったため、Jさんに連絡とってもらったのでした。その節はありがとうございました、Jさん。
さ、ヒト風呂浴びて夕食に出るが、三重の夜は淋しい。やっと開いている居酒屋を見つけたら、そこは三重から遠く離れた北の土地…
どて焼を食べつつビールを浴びていると、NHKの番組で期せず東海道歩きの特集をやっているではないですか。
レポーターの女の子が日本橋を七つ発ちして戸塚に向かう、という趣向であったが、レポーターは戸塚の手前5kmほどで中座していた。
無茶やらせるなあ。もう半泣きだぜ、レポーター。
店のおばちゃんにσ(^Ω^)も歩いてるんだと言ったら受けました。
<脚注>
1.海上にキノコ…これが今盛んに環境への影響が問われている長良川河口堰であるとは、「路上観察華の東海道五十三次」を読むまで知らなかった。<戻る>
2.泉鏡花「歌行灯」の舞台…新潮文庫版の「高野聖・歌行灯」を今読んでるところなので、この話題はまだσ(^Ω^)には聞かないで下さい。<戻る>
3.「古の歩き旅を…」…膝栗毛のトップページに書いてあるので、読んでなかった人は今読んどくように。<戻る>
4.「まあ遠いのネ」…「間遠なり」と言ったというのが本来。けどほんとのことはわかりませんぜ、旦那。<戻る>
5.立場…御存知でしょうけど、駕籠舁(かごかき)のお休み処です。杖を立てて休んだから「たてば」というらしい。<戻る>
6.NHKの番組…1999/7/27放送のこの番組、どなたかビデオ撮ってませんか?<戻る>