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今様膝栗毛 第17回その2(99/07/29)

亀山―三雲(2)

 鈴鹿越 蟹が坂横這い歩き     

     夏休み連続行脚その3・続)〜


宿を出て間も無く、市ノ瀬のあたり。筆捨山の手前の集落ですれ違った子供がσ(^Ω^)を「カメラのオジサン♪カメラのオジサン♪」と呼ばう。通りすぎてからも背中の方から「マタ来てね♪」と声を掛ける。こういう出会いもまあ良いじゃないか。子供は嫌いだけどね(笑)。

後手に手を振りつつ、また来るかも知れないなあ…と漠然と思う。更に行くと「名勝筆捨山」との標識。あれかな?と思うところを写真に撮った。

向こうに見えてるのがそうだと思うんだけど、

自信ないなあ。

国道沿いであんまり落ち着いて見てられない。筆を捨てたのは狩野元信。あまりの絶景のためとも、天候がコロコロ変わって筆が追いつかなかったためとも言われている。あいの土山雨が降ると馬子唄にも歌われているくらいだからこの辺、気候が不安定なのは確かなのでしょう。

そろそろ坂ノ下かな、という辺りで自然の家とおぼしき建物が。なにやらミニ五十三次ともいうべき柱が道の脇に並んでいる。

 

柱を数えながら歩けば東海道全部歩いてしまったような気分。

もうヨコハマ帰っても良いかな(笑)。

近くには季節はずれのアジサイ。ちょっと寒いところなのかもね。

そろそろお昼なんですが、食事の出来そうなところが見当たらないなあ…。と思ってると坂下(第四十八宿)に着きました。といっても本陣などの跡を示す標石があるだけだ。

こんなのが幾つかあるだけ。

スタミナを大いに補給せねばならないのに、これはひょっとしてそこの雑貨屋でパンでも買うしかないのか?

雑貨屋に入って、ここいらに食事の出来るところはありませんか?と尋ねると、もう少し先にドライブインのようなところがあると教えてくれたので、先を急いだ。

<13:00>  ああっ!確かにある。鈴鹿峠のふもと、その名も「鈴鹿峠」(笑)。入ってみると、なんかやってるようなやってないような感じで客は他に一人しかいない。くたびれた足を座敷席で開放してやる。店員は調理担当のおばあさまと、食材調達担当とおぼしき男性。このタオルで鉢巻をした男性はガッシリした色黒で、ちょっと見アカイヒデカズ風のサワヤカ元気な御仁。生簀で飼ってる鰻を勧めるので、鰻重を所望する。冷茶を何杯もお代わりした。

鈴鹿の山に囲まれて生簀で鰻なんか飼ってる。

鈴鹿のアカイヒデカズさんとちょっと会話を交わす。東海道を歩いていると聞くと、「ええなあ。仕事が無かったらワシも行きたいで」なんて言う。片山神社の方を行った方が良いと言う。昨日は何処に泊ったのかと言うので、関だと言ったら、「御茶新サンか?」とズバリ当てられた。

「ソンナに有名なんですか?あそこ」と聞きかえすと、ニッコリ笑って鈴鹿のアカイさんは言った。

「なんの有名な。」

まあ別段どうって事無い会話なんだけど、言葉はかなり関西弁に近い中部の言葉、と感じたのが印象に残る。

足の様子はだいぶ好転してきた。午前中は三雲までの40kmの道程を思って実は結構絶望的な気分だったのだが、気分も好転している。

首の周りが日焼けしてヒリヒリする。ちょっとなんかする度に足が痛いだの首が痛いだの、オヤジはイヤだなあ(笑)。まあ生きてる証拠だ。

ゆっくり休んで、歩き再開。さあ鈴鹿越えだ。箱根くらいの厳しさを予想していたが、勾配は緩い。しかし片山神社の方に行かなかったため、名高い鏡岩を見ていないのである。

 

途中見かけた鳥居と常夜灯。

峠道にはこんなマンホールの蓋が。

本来の道を少し外れて歩いているようだが、馬子唄の刻まれた碑があるのを見つけた。もう坂は下りに入っているようだ。ちょっと休憩。

説明不要だね。

山中の常夜灯を過ぎるとまた馬子唄の碑。

 

山中の常夜灯。

この人馬はなんだか埴輪のようなんですが。

人家が増えてきて峠もそろそろ終わりだな、というあたり。ここいらに蟹が坂があるはずなのだが…それがどこなのかよくわからない。

蟹が坂の話を一応書いておくとですね、昔なぜか鈴鹿の山麓に身の丈3mの巨大蟹がいたんだそうですな。で、それを武士が殺したら今度は悪霊となって土地の人に祟りを為したと。そこへ恵心院の坊さんがやってきてその悪霊とこんな問答をしたそうです:

 

僧「何者ぞ」

霊「我は両手は空を指し、双眼は天をつき、八つ足が横に歩くもの」

僧「サテは蟹なり!」

 

そりゃ偉い坊さんじゃなくたってわかるだろ。 (^Ω^;

で、正体を見破られた蟹にさらに坊さん、天台宗の往生要集を説いて説教するとこの蟹、おのが悪行を悟って我が身の甲羅を八つに割って消えうせる。坊さんは割れた甲羅を埋めて蟹塚を立てる。このとき蟹の血が凝って飴となったのが厄除けの蟹が坂飴…

と言うわけで、もともとは天台宗の宣伝だったであろうこの伝説に飴売りの宣伝が便乗して今に到る、という事なのだと思う。

小さな神社の辺りに初老の男性がいる。尋ねてみると、いかにもここが蟹が坂である、と言う。何にも表示が無いんだね。

ついで蟹石の在りかを教えてくれたので、工事中の道路の脇の藪の中を探して見るが、まるで見当たらない。う〜む…せっかくきたのだし、何か記念が欲しいものだ…。

そこでσ(^Ω^)は、蟹が坂を横向きになって歩いたのでした。やがて道は田村川を渡り、田村神社の前を通る。

水清き田村川。

田村とは坂上田村麻呂のことであるのは言うまでも無い。この人は蝦夷を平定したので著名ですな。当地では鈴鹿の鬼を退治したことになっている。この鬼ってのが蝦夷だったんでしょうかね。田村神社から一号線を渡ると、もう土山(第四十九宿)

お土産売り場。

 


<16:00> 「道の駅あいの土山」で休息。「あい」とは「相」、トイ面とか向こう側のことだとか。ここで蟹が坂飴を買った。

土山本陣を見たり、

土山宿本陣跡。ここに住んでるのは「土山さん」でした。

「飛び出せ嬢ちゃん」を見つけたりしながら、

とっても幼しい「飛び出せガール」。

それでも日暮れは着実に迫ってくるのである。まあここまで来たら慌ててもしかたないやね。足の痛みはほとんど気にならなくなっている。

<17:40>  幸いあたりはまだ明るい。ここで標石を見つけた。

東海道反野畷。

 道標の裏側には「あいのっちゃま」と書いてある。それで「反野畷」と書いて「あいのっちゃま」と読むのだろうとずっと思っていたのだが、実は「あいのっちゃま」じゃなくて「あいの ま」と書いてあっただけのようだ。このことにはしばらく気づかなかった…

 ここでまたしても「飛び出せボンズ」の無残な姿を目撃してしまった。みんなも車には気をつけようね。それとも誰かにワザと壊されたのか?

あ、あんた…

上半身無いじゃないか。

そうかと思ったらまたまた幼しい「飛び出せボンズ」が。

ここいらは小学校よりも幼稚園の方が多いのでしょうか。

そろそろ夕食のことが心配になってくる。あまり遅くならないうちにどこかで食べてしまうのが良さそうだ。と、飲み屋の前に杉の玉発見。酒屋の印ですね。

しかしこれも最近はかなり恣意的に

置かれる場合が多くなってきたので、

次第に珍しくなくなってきているよう。


<18:30> 水口町に入ると同時に食事の出来るところを探した。旭酔水口店。居酒屋です。でもウーロン茶2杯頼んでキムチ鍋、肉じゃが、おにぎり一個、焼おにぎり一個。あ〜、ビール飲みてえ!

ともかく満腹になったからまた結構歩けるぞ、と勢いづくものの、さすがに暗くなった。水口(第五十宿)の宿場跡に着くともう夜八時を過ぎている。当然遠目は利かない。それでも写真は撮る。肉眼で良く見えない物がフラッシュのおかげで見えたりもするのである。自縛霊まで見えちゃうこともあるしね。

古い造りの着物屋。

しかしこう暗くなってしまうと、スゴク怪しい人に見えてるんだろうな、σ(^Ω^)。

水上宿では、三本の通りが宿場を通っている。まず東の入り口で二本に分かれ、そのうちの左の道が奥でさらに二本に分かれる。その三本は西の出口のところで束ねられてまた一本になる。下の高札はその東側の始めの三叉路のところにあったもの。

これはホントにこの時間には肉眼では字が見えなかった。

しかしもう、暗くなっちゃうと歩き旅はダメだね。細かい物をいろいろ物色して歩くのが一番楽しいんだから。もうさっさと行っちゃいましょ。

近江鉄道本線水口石橋駅。

ここの汚水のマンホールはキレイ。

さて、ここまで来たからにはもう当初の予定通り三雲まで行ってしまおう。道はこのあと横田の渡しに到るまでずっと直線。脇を用水が流れる真っ暗い道をすたすた。

それでもこんな道標があるのを見つけた。

向こう側は横田渡と書いてある。

で、横田の渡しに近づくと、道端には

こんな灯りが随所に設けられている。

これにずいぶん救われた気がした。

横田の渡しは野洲川の河畔にあった。その大きな常夜灯には今も灯りがともっている。昔の旅人も今の旅人もこの常夜灯の灯りを見てどんなにかホッとしたことであろう。って、前も同じこと書いたっけ。

でも今夜は格別にそう思うよ。

さてここからは川沿いに迂回して国道一号線沿いに三雲へ行くのである。しかしロクに歩道も無いこの道を、ビュンビュン飛ばすトラックを避けながら歩くのは本当に恐ろしい。こんなとこで死にたくない!

と本気でそう叫んでしまった。

<21:00過ぎ> 渡し場から意外に時間がかかったような気がした。三雲駅に這う這うの体で到着。ホテルの場所がわからなかったのでタクシーを使って、途中朝食を購入してホテル寿苑甲西に到着。大阪のKouサンから何度か電話がかかってきていたらしい。再度かけてきてくれたKouサンの電話を受け、明日の待ち合わせを19:00、三条大橋で、と決めた。

明日はここから38km強歩かねばならない。これまでの疲労も考慮してペースを考えると、朝4:30位には起きねば…。

フロントにモーニングコールを頼んだら、

「その時間はまだ営業してないんですが…」と言われてしまう。

目覚ましブザーだけで果たして無事に起きられるのであろうか?そして在関西チャ友の方々と無事三条大橋で出会えるのか?

次回最終回、「抜け参りの上がり」、乞うご期待。(笑)


<おまけ 土山道の駅で買った蟹が坂飴>

 

甘味もかなり控えめで純麦芽糖って感じのすっごく素朴な飴だった。だが暑さに弱く、家で袋を開けたら全てくっついていました。


<脚注>

1.ワシ…「オレ」って言ったかも知れない。<戻る

2.蟹が坂を横向きになって歩いた…ちょっと無意味にも見えるこの行為にはちゃんと出典があるのです。「夏の日にあな苦しやと旅人の横這いにして登る蟹坂」(烏丸光広)<戻る

 

<最終回へ>