RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2005-04-22 紅の豚。
_ 『紅の豚』
久し振りに他の会社の人の前でプレゼンする。自社の人間にプレゼンするよりも外でやるときの方が受けの良いことが多い。
まあそんなわけで、これからもピン芸人としてやっていくのもまあ良いかもしれない。
帰ったら日テレで『紅の豚』をやっていた。いいなあ。
2006-04-22
_ [矢倉沢往還] 海老名-厚木
10時頃家を出て海老名には11時過ぎに着く。デニーズで珈琲を飲んでから海老名の史跡訪問。国分尼寺跡と国分寺跡を訪ねる。それから西のほうに行き瓢箪山古墳を訪ねようとしたら、その近くに海老名銘菓「ひょうたん山最中」を売る店を見つけ、最中を3つ購入。瓢箪山は海老名の国造の墳墓であると大正時代の石碑があったが、それは誠か。歩き回って疲れたので、またデニーズに行って珈琲を2杯飲む。ついで温故館という郷土資料館を見学して、3000円ほど資料を購入した。それより嬉しかったのは、以前溝口のふるさと館でコピーさせてもらった大山街道のカラーパンフレット4種をいただけたこと。職員の方が詳しく説明してくれたので良かった。相模の国の国府は海老名ではなくて平塚か藤沢の辺りで、国府と国分寺がこんなに離れていると言うのは特殊なケースなのだそうだ。
すっかり海老名を堪能して、矢倉沢往還を先に少しだけ進むが、海老名氏の墓所を探しているうちに早日暮れ。結局相模川を渡ることができなかったが、もう目の前に雄大な大山、そして(晴れていれば)その向こうに富士山が見えるところにきた。多分次回は大山の頂上の様子をお届けできることでしょう。しかし海老名から眺める大山は富士山より高いように見える。大山から先の道の確定は少々問題だが。
2007-04-22 フリージア咲いた。
_ フリージアが咲きました。
_ 多分去年の秋の終わりごろに植えたんだと思うのですが、すっかり忘れてました。忘れててもちゃんと咲くのが球根のいいところですね。
植えたのも忘れてたけど、何を植えたかだって勿論忘れてました。咲いてもこれが何の花だかわからなくて、図鑑で調べてしまいました。
2013-04-22
_ 今日は朝から晩まで会議とか面接とかそんなんで終わったのでもうほかにやる気がしなくて早帰り。。。と思いきや、今日は英会話の振り替えレッスンの日だったのをすっかり忘れていて、気づいたのが1時間前。あわてて宿題していくも今一つ。フィナンシャル・タイムズの記事は日経同様普通とちょっと違う言葉づかいをするので慣れないと読み取りが難しいのだった。stimulateとかseduceとか。どちらも似た意味で、先生は「バーで隣にきれいな女性が座って一緒に飲みましょうよとか言って手を握ってきたら(とここで先生は本当に手に触れてきた。言っとくが男だ。俺も男だ。アッ―!とはならなかった。)どんな気分だ?」といって言葉の意味を教えようとするのだった。帰り道、LASERって何の略だったっけなあと思い出そうとして思い出せなかった。Light Amplification by Stimulated Emission of Radiationである。でもなんか最後のRadiationってちょっと余計な感じもする。
2015-04-22
_ 帰宅してうとうとしながら宅配便を待ってた。やっと届いたよ、神田伯剌西爾のふらんすブレンド。神田でブラジルでフランスか。ジム行って筋トレして歩いて帰宅。いい汗かいたようなやな汗かいたような。ここ1-2週は日ごとの体重変化が激しい。とりあえず中間目標の体重まで減ったら自分に寿司おごることにした:
俺「俺、今日は何でも頼んでいいからな。何にする?」
俺’「…もっとお母さんみたいに聞いてくれ」
俺「…けい、何が食べたい?」
俺’「おすし」
元ネタは吉田戦車の伝染るんですなんだが、書いてるうちになんか「がきデカ」の二人こまわりを思い出しちゃったよ。
2016-04-22
_ [映画] 「ベルリン・天使の詩」
夜になって始まった。白黒の天使の世界からフルカラーの人間の世界へ。自分には珍しく封切りの時に見た映画。独りではなかったのも自分には珍しいことだった。映画のラストに小津安二郎も天使だったことがわかってなんだかそれで、この映画で何を「天使」と呼んでいたのかがわかったような気がする。故・赤瀬川源平さんは、この映画を見て、天使はまるでわれわれ路上観察舎のように奇妙なものに興味を抱いてそっと寄り添って、そして不審者のように振る舞う、と言ったようなことを何かに書いていた記憶がある。それもまたこの映画の「天使」を理解するヒントとなった。明日は寝不足だろうか。あるいは遅く起きてゴミ出しに間に合わないのだろうか。
献辞は以下の通り:Dedicated to all the former angels, but especially to Yasujiro, François and Andrej.小津、トリュフォー、タルコフスキーなのだろう。
_ ある日のラジオで高橋源一郎がおすすめの児童文学としてケストナーの「飛ぶ教室」を勧めていた。ケストナーは好きな作家なのだが、児童文学をほとんど読んでいなかったことを思いだした。読まずに死ぬわけにはいかない作品がいくつもあったのだ。三島も、谷崎もそうだ。私はいまだそういう快楽を尽くしていない。
2017-04-22
_ というわけで。実は光回線にトラブルが発生していたので本日その修理に来ていただいたのだった。昨日の、拙宅を少々片づけねばならいと言うのはこのためだった。まあ限られた時間の中では所詮腐海の一部が干潟になるくらいのことしかできなかったわけだ。それでも回線は復旧。あろうことか光ケーブルをおそらくはネズミに齧られて断線したらしい、ということだった。修理代金がどんだけになるのかと思うとブルブルだよ。今後の対策としては侵入したネズミに対しては無慈悲な駆除を行なうと共に、ケーブルが被害を受けないように工夫するということになる。まずは天井を這わせてみると。
2018-04-22
_ 日付変わってしまった。明日は10時から予定があるんだが。「だがしかし」面白すぎて10巻まで読んでしまった。パンチラとかほぼ皆無なのになんでこんなにエロスなの?男の子ってなんでこんなにバカでエッチなの?すごく好きなマンガ。10巻の最終話、終わりの予感。さむしい。ねる。
_ その予定というのは放送大学の面接授業。ちょうど借りてた本の返却期限でもあったので本2冊持って出かける。もう暑い。行く途中アゲハ蝶を3頭も見た。チョウは「頭」で数えるんだったよね。角があるからだったかな?時間間に合った。昼食後眠くなるかも。
_ で、面接授業は課題をいただいて来月報告する機会がある。ちょっとしたグループワーク。
2020-04-22
_ 今宵も終業後にウォーキング。なんだかんだで13キロ強だった。永久凍土の中からメカジキの切り身が出てきたので夕食はこれの煮付け。脂が乗ってて旨し。刻み生姜があればもっと良かった。明日の朝はいよいよ瓶詰め野菜を使ったスープ。気分次第で野菜ジュースか豆乳かあるいは野菜コンソメのみの三種類から選ぶことになる。他にもバリエーションありますかねえ?ワカメスープはちょっと合わない気がするが、まあ、やってみてもいいな。カレースープは当然合うだろう。あ。味噌汁も良い。瓶詰め野菜にはブロッコリーなんか入ってるんだけど、味噌汁にブロッコリーは入れたことないな。何か楽しみにになってきましたよ!
2021-04-22
_ 仕事終わってからRMarkdownとplotlyとMCMCと格闘。3次元のランダムウォークの軌跡を折角3dのインタラクティブプロットにしたというのに仮のWebページにアップすると何も表示されない。リロード繰り返したせいかアップロード繰り返したせいかわからないが今は表示されてるっぽい。単なるhtmlだけのページであってもメンテは面倒なものだ。90年代後半にはあんなに沢山あった個人ページがすっかり減ってしまったのは、なにもジオシティーズが解散してしまったからばかりではないのだ。みんな、何かを発信したいけど発信したものを管理するのは難しいと気づいたのだ。パスワードなんてすぐ忘れるしな。それはそうと、やっぱりRを使えばモンテカルロ計算は手軽にできる。あまり重たい計算には向かないけど。学生時代に今くらいRが使えてたら、きっと実験なんかそっちのけで計算ばかりやってて学位なんか取れなかったんじゃなかろうか。そうでなくても実験結果をフィッティングするのに凝りすぎて(当時、PC-9801のN88ベーシックコンパイラでコード書いてたんだっけ)指導教官に嫌味言われたりしてたからなあ。まあ、なんか楽しいです。昔も今も。
_ 『小説 田中絹代』読了。どこまで事実でどこからが進藤兼人さんの創意・創作であるのかわからないが、まああとは田中絹代さんと溝口健二さんと進藤兼人さんの作品を心置きなく鑑賞すれば良いのだ。で、次なる読書ジャンルは「芸術・音楽」とわが乱読記ノートに書いてあるから、ディーリアスの項をちょっと読んで20年ほどほったらかしていたコリン・ウィルソンの『コリン・ウィルソン音楽を語る』を読み始めることにした。癖の強い文章!ちなみに、コリン・ウィルソンとは、イギリスの荒俣宏みたいな人。この言い方は、漫画家のとり・みきさんが何かで書いてたものだが、多分現在ではこの言い方は『荒俣宏は日本のコリン・ウィルソンみたいな人』という言い方よりは伝わるだろうな。
2022-04-22
_ 昨晩の大雨から一転、晴れた。ソーカルの本、Amazonの品書きを見ていると「訳が稚拙なために低評価」というレビューが目につく。翻訳本のレビューで良く見るやつなのだが、どうしてかこのようなレビューに苛立ちを覚えるのだった。おそらく、ならばどういう訳がより適切なのかを示すこと無く批判だけをする事に、言いっぱなしの無責任さを感じたのだと思う。Amazonのレビュー記事は、その情報としての対称性や、記事の正当性に対する検証といった、普通の発言の場においては当然要求されるべきルールがないにも関わらず、発言の与える影響は大きい、という実に特殊な場なのだ。この特殊性ゆえに、「秀逸な記事」(あるいはそれこそ『稚拙な』記事も)集めて並べてみたら面白いだろうと思う。
それはともかく、その批判的記事の中に「噴飯もの」という表現があって、この言葉の起源が気になった。この言葉を初めて使った者はどんなつもりで使ったのだろう。噴飯とは文字通り、食べてた飯を思わず吹き出すほどおかしい、ということだが、単に滑稽なだけの時には使われない。「天津・木村のエロ詩吟は噴飯物だ」と書いたら、それは「飯を吐き出すほどの面白さ」というよりも、「くだらなくて笑っちゃう」とか「エロすぎてむしろ腹が立つ」と言ったニュアンスになるだろう。だが問題は、「噴飯するためにはまずそのための飯を頬張らねばならない」ということなのだ。想像してみて欲しい。目の前で批判されるだけ、というのも嫌なことだが、そうする代わりに目の前でわざわざほかほかご飯をかっこんでから「ぶほほほ」とその口の飯を吐き出す奴がいるのだ。こちらを侮辱したり天津・木村のエロ詩吟を侮辱するのにわざわざそこまでやるのかお前は、と言いたくもなるだろう。せめてもう少し語感が優しくならんのか。「もし今私の口の中にご飯が入っていたら吐き出してるところだよ」とか。念のために書いとくけど天津・木村には何の罪も無い。エロ詩吟大好きです。一番好きなやつは「して して またする」っていうシンプルなやつ。
_ 晴れたと思ったら暑い。ちょっと気分悪くなった感じ。あかぬ。
_ うにゃ [雨が降ったら宿で休むがよろし。 旅は良いね(^_^) ]
_ けい [顔文字化けてるな↑ たぶんMathJaxのせいだと思う。半角の数字と記号は勝手に数式にしてくれてる。日付の書体もち..]
_ うにゃ [日付の書体わざとなのかと思ってたよ。でも、このフォンとスマートな感じが好きなんだ〜 ]