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2022-04-22 [長年日記]
_ 昨晩の大雨から一転、晴れた。ソーカルの本、Amazonの品書きを見ていると「訳が稚拙なために低評価」というレビューが目につく。翻訳本のレビューで良く見るやつなのだが、どうしてかこのようなレビューに苛立ちを覚えるのだった。おそらく、ならばどういう訳がより適切なのかを示すこと無く批判だけをする事に、言いっぱなしの無責任さを感じたのだと思う。Amazonのレビュー記事は、その情報としての対称性や、記事の正当性に対する検証といった、普通の発言の場においては当然要求されるべきルールがないにも関わらず、発言の与える影響は大きい、という実に特殊な場なのだ。この特殊性ゆえに、「秀逸な記事」(あるいはそれこそ『稚拙な』記事も)集めて並べてみたら面白いだろうと思う。
それはともかく、その批判的記事の中に「噴飯もの」という表現があって、この言葉の起源が気になった。この言葉を初めて使った者はどんなつもりで使ったのだろう。噴飯とは文字通り、食べてた飯を思わず吹き出すほどおかしい、ということだが、単に滑稽なだけの時には使われない。「天津・木村のエロ詩吟は噴飯物だ」と書いたら、それは「飯を吐き出すほどの面白さ」というよりも、「くだらなくて笑っちゃう」とか「エロすぎてむしろ腹が立つ」と言ったニュアンスになるだろう。だが問題は、「噴飯するためにはまずそのための飯を頬張らねばならない」ということなのだ。想像してみて欲しい。目の前で批判されるだけ、というのも嫌なことだが、そうする代わりに目の前でわざわざほかほかご飯をかっこんでから「ぶほほほ」とその口の飯を吐き出す奴がいるのだ。こちらを侮辱したり天津・木村のエロ詩吟を侮辱するのにわざわざそこまでやるのかお前は、と言いたくもなるだろう。せめてもう少し語感が優しくならんのか。「もし今私の口の中にご飯が入っていたら吐き出してるところだよ」とか。念のために書いとくけど天津・木村には何の罪も無い。エロ詩吟大好きです。一番好きなやつは「して して またする」っていうシンプルなやつ。
_ 晴れたと思ったら暑い。ちょっと気分悪くなった感じ。あかぬ。