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2004-06-11
_ 雨降りだ。肌寒い。
近頃良く本を読む。去年甲州道中行脚して新撰組ゆかりの府中・日野をおとづれて以来幕末維新のことにも興味がわいている。「高杉晋作」と「竜馬がいく」と「夜明け前」を平行して読んでいる。ときどき「蜜蜂マアヤ」や「ドン・キホーテ」や「発掘を科学する」なんてのも。
一冊や1シリーズを読み切るというのが苦手なんである。
2005-06-11 ずっとおうち。/『エマ』
_ じめじめした天気でちょっと不快な日。バッハの「クリスマス・オラトリオ」なんて聞きながらずっと家にいた。
_ パナソニックのCMに栗山千明が登場。ついに世間はあゆよりもチアキの方が可愛いことに気づいたのか、と思った。
2009-06-11 今週は眠たい日続き。
_ なんでなんでしょ?ドクダミのせいでしょうか?
たぶん違うな。ちょっとストレス気味で休肝日が取れなかったせいじゃないでしょうか。
放送大学の課題提出もあったからか。そうか。
うー、明日年休。ヤボ用に使います。
_ 村西とおるのブログが面白いっていうのは以前書きましたっけ?
>あなたさまは前科はおありですか? 私は前科七犯です。
>あなたさまの借金は? 私は50億です。
>あなたさまの年齢は? 私は60歳です。
>今日も今日とて、パンツを脱ぎ脱がせる姿をご披露しながら生きております。
すごいすごいすごい、すごすぎる。
_ http://muranishi-ch.com/new/news/blog.cgi
2012-06-11
_ 結局会社帰りにBOOKOFFに立ち寄り、「風土」を買ってしまう。今週中に読了は無理かと思う。さすがにルクレチウスは無かった。まだ参考書読んでる最中。レポート提出期限は日曜の17:00くらいだ。さてさて。
2013-06-11
_ そう言えば、ジョルジュ・ムスタキが亡くなったことは書いただろうか。5/23に79歳でお亡くなりになった。70年代の日本のテレビドラマ「バラ色の人生」で彼の「私の孤独」がテーマ曲に使われて。わが国でも知られることになった。歌詞の内容は、「孤独」を自分の恋人のように扱って、「孤独」と二人でいるのだから自分は寂しくはないのだ、という半ば強がりで半ば捨て鉢な内容、ということでいいんだろうか。ニュアンスは全く分からないし、アレクサンドリア生まれのこの歌手がどのようなパーソナリティを持っていたのかも俺には良く理解できていないと思う。ただ、優しげな声と親しみやすくシンプルな曲がたまには慰めになることがある。自らの歌もさることながら、多くのほかの歌手への楽曲の提供がこの人の活動を目覚ましいものにしている。古くはかのエディット・ピアフ、少し下ってバルバラ、さらにはあの印象的なアンナ・プリュクナルにも確か邦題で「救いを求めて」という曲を提供していた。
とかく自分が年を経るということは、数多くの知人や有名人の死に出会うということに他ならない。せんだっても親類の訃報が2件続けて届いた。ほら、天津羽衣の「お吉物語」にもあるだろう?「ハリスさんも死んだ。鶴さんも死んだ。今度は私の番なんだ」っていう歌詞が。知らねえか。そうだろうな、あんたはそういうと思ったよ。今度伊豆の下田に行ったらCDの視聴をしてきたらいい。行かねえか。そうだろうな、あんたはそういうと思ったよ。
_ 昼飯を食べてる時に、なぜかふと松田優作と風吹ジュンがものすごい迫力でセックスシーンを演じた映画があったことを思い出した。「蘇る金狼」だった。主人公のスタイルはのちに柳沢きみおの只野仁にヒントを与えたかもしれないが、たぶん昔こっそり読んだ婦人雑誌に、風吹ジュンの細い腰をつかんでガンガンファックする松田優作…的な記事が載っていたのでその古い記憶が残っていたのだろうが、昼飯に辛いカレーを食べた拍子に大脳皮質に躍り出てきたのだろう。そうとしか思えないほど唐突に思い出したのだ。そしてアマゾンでポチッとしようかと思ったのだがその必要はどうやらなかった。俺のDVDコレクションの中にいつの間にか存在していたからである。だがこれを見る前に見なくてはいけないものがすでに決まっている。現在見ている「仮面ライダー」、ついで海外映画として「善悪の彼岸」、それからアニメ「白蛇伝」、そのあといくつかのドキュメンタリー番組を見てからしょこたんデビュー直後のDVDを見た上で、「大聖堂」か「SHERLOCK」のどちらかの海外ドラマを見て、そのあとやっと邦画を見る順番になるのだが、すでにもう溝口健二の「新・平家物語」を見ることに決まってしまっているのである。日本映画史上に残る優作とジュンのハード・ファック・シーンはいつになったら見ることができるのだ。人生はそう長くはないというのに…。良いことを思いついた。そのシーンだけ先に見ておこう。慎吾くんバージョンのテレビドラマにはそういうシーンはたぶんなかったんだろうなー。
_ いよいよ梅雨らしくなってきてしまった。こういう季節は体の中も湿気の邪気に冒されがちである。以前習ってた経絡ヨガの先生が、そういうときは小豆を摂取するのがいいと言ってたので、会社の売店で一口羊羹を買って三ついっぺんに食べたら調子が戻ってきた。
2014-06-11
_ 簡易カッター付き。
_ なつかしいなーこれ。小学校の時とか使ってたわ。これ最強。だいぶ黄ばんでるけど。
_ そういう訳で、今日もまだ黒い犬が俺にまとわりついている。今日気づいたが、この黒い犬は俺のことを笑っているようだ。今までやってきたことが全て価値の無いことだと、笑うのだ。俺にはどうすることもできない。誰よりもそいつの言うことが正しいと知っているのは自分なのだから。こういうとき、ウィンストン・チャーチルは読書と著述に耽溺することにしていたらしい。前者には賛成だ。特に人間の崇高さを確認できるような思想書や伝記のような書物が望ましい。後者について言えば、俺には計算が良い。あまり難しすぎず、でも手順を追えば答えが得られてその結果も少なからず意外であるとなお良い。自信が回復できるように、そして集中できるように。エイダ・ラブレースが幼いころに数学を勧められたのと同じ理由によって、俺はそれをマイナー・トランキライザーのように使うだろう。計算が苦手なら庭をいじったり箱庭をいじったり、コラージュを作ったり、あるいは素数を数えるのも良いだろう。
_ そんなこと書いてて思い出したのだが、バベッジの助手をしたバイロン卿の娘、メアリ・シェリーの親友であったエイダの姓はラブレース。一方、70年代に大ヒットしたポルノ映画「ディープ・スロート」の主演女優の名を俺は何故か覚えていた。リンダ・ラブレースと言う。似てるよねって書こうと思ったのだが、両者の名前をアンドで検索してみるとAIDAもLINDAもどちらもプログラミング言語の名前として使われており、特に後者は意図的なギャグとして名づけられたらしいのだった。
_ [漫画] 「ただいま’69」河あきら、ジュールコミックス、2013。
新刊が出てたのは全く気付かなかった。俺の嗜好はぶれすぎていてもはやアマゾンのおすすめ機能も正常に動作しないということなのか。
そんなことより。読み始めて懐かしかったのだが、カバー袖に河さんのデビューは別冊少女マガジンに掲載された「サチコの子犬」で1969年とある。ここからの漫画人生だけでも45年と言う超ベテランということはさておいても、そういう頃がまさに舞台となっているタイムスリップものであって、当時の雰囲気を知り尽くしている作者ならではの作品である。俺にとっては少しお姉ちゃんの知っている昔の話と言うことになるが、タイムスリップしたヒロインが新宿を訪れて「ウソ~~っ 都庁がない~~っ どこの新宿なの~っ」と衝撃を受けるところがウケた。その新宿で出会ったフォークゲリラに一目ぼれするヒロインなのだが、この辺読んでて俺にはもの凄く懐かしい河さんの作品「木枯らし泣いた朝」がよみがえってきたのだ。たぶん前にもこの日記には書いたと思うが、俺にとっては初めて買った少女漫画の単行本であり、その装丁があまりにも少年漫画と違っているのになぜか興奮した、という記憶があるのである。作品の内容は、フォークと深夜放送が重要な意味を持つメロドラマで、コマーシャリズムに乗せられて仲間の歌をパクってしまう登場人物話やら脳腫瘍で夭逝してしまう主人公の意思を次いで彼の歌を歌い続けようと決意するお嬢様育ちのヒロインやらでたぶん今読むとしてもハンカチが2枚要る。さて「ただいま’69」だが、これは「たった今が1969年」と言う意味かと思ったが、最終話でこれは「ただいま」「おかえり」のただいま、であったことがわかる。この話の扉に「最終話」と書いてあるのを見るまで、短期連載であるとは思わず、「いらかの波」や「ご町内のミナさま!」「Wonder!」のように長期連載が始まっていたのだと思っていた。そして、この最終話のいたるところにみられる人物のデッサン狂いを見出して、これはその長期連載が打ち切られて作者のモーティベーションが下がってしまったことによるものと思い込んだのだが、あとがきにあたる「はじめての入院」という2ページの漫画で、河さんはこの最終話のネームを上げた時点でクモ膜下出血を発症して緊急入院。一命を取り留めて自宅療養しつつ完成させたということだった。「かんなぎ」の武梨えりのエピソードを思い出したりなんかもした。河さんはその入院のエピソードを漫画のネタにして「パンダのパ」という作品を描きはじめてるというしぶとさ。まあしかし無事でよかった、本当に。
2015-06-11
2016-06-11
_ [語学][放送大学] 英会話の話題。
テリー先生はITにも詳しいが生物学にも詳しい。彼のダディの影響であるらしい。先日のスクーリングの時の話で盛り上がった。今一つうまく説明できなかったが、海に棲む生物は、プランクトン・ベントス・ネクトンに分けられる。これは生物種としての分類ではなく、彼らの生活スタイルによる分類である。すなわち、プランクトンは自律的に遊泳することなく漂う生活をするものたちであり、幼生の時はもちろん成体となってもプランクトンに属す。ベントスは海浜や海底・岩などに接して生活するものたちで、カニ・貝・ウニ・ナマコなどはここに属す。ネクトンは自ら泳ぐことのできるものたちで、魚類やイカなどはここに属すことになるが、イルカやクジラもここに属すのである。だから、もしマーマンや人魚が存在しているならば彼らはネクトンに属すのである。スクーリングの時には光学顕微鏡や実体顕微鏡を使って観察した。観察って英語でなんて言うか忘れた。今調べたら、observationだ。出てこないもんだなあ、こういう言葉。英会話止めてしまったらこういう言葉はますます出てこなくなってしまいそうだ。
追記。ウィキペディア他ネットで調べると、もう一つニューストン(ノイストン)というのがあり、これは水面を漂うものたち。これらは動物に限らないので、ノイストンにはアメンボウの他にウキクサも含まれる。この分類を生活型と呼ばれる。
_ [テレビ] 「トットてれび」#6.
満島ひかりが寅さんの映画見て笑う。歩き方もだけど、すっかり徹子さんになりきっててゾクっとした。畳み込むような話しぶりも。私は故・談志師匠が若いころ「あんな作品撮り続けてて失礼ですよ」と言ってたように(記憶だけなのでニュアンスなどだいぶ違うだろうが、どこをとっても変わり映えしないようにみえるシリーズが談志さんには許せるものではなかったのだろうな、と推測する)、「男はつらいよ」なんて映画は馬鹿にしていたのだが、この年になったからには見てみても良いかなと思う。ストーリーがどうのこうのじゃなくて、そこには作られた当時の記憶がごまんと詰まっているはずだからだ。ドラマ、先回も(向田邦子との)辛い別れを描いていたが、今回もまた。「星の王子様」も私は馬鹿にしていた作品だが、もうこんな年になったからには何も恥ずかしがることなど無いな、と思う。BLだの「不機嫌な果実」だのと同様に、余すところなく楽しんでしまえばいいのだ。と言うわけで終劇。終劇のところの一芝居がまたいつもながらなかなかに効いている。遺憾、感情失禁が抑えられぬ(抑えられないから失禁と言うのだけどね)。
_ NHKスペシャル始まった。「不寛容社会」。いきなり厚切りジェイソンの"Why! Japanese people, why!"で始まった。面白そう。私の日記だって不寛容な人々の批判の対象になっているに違いないんだが、今のところ炎上したことはない。もちろんただの幸運に違いないと思う。それにしても、フレンドリーなナマハゲ(正確にはアマメハギ)って何だよ。宇野常寛出ててさらに面白くなりそうな予感。ディーブ・スペクターのつまらんギャグは寛容できない。
引き続き見ている。アイスバケツチャレンジに関するリツイートの分析をすると、賛否両論あるが賛成派は賛成派、反対派は反対派で閉じている構造が見えているということで、さらに、このチャレンジの恩恵を受けている人の感謝のツイートに対して反対派がその意見をリツーイートしたものが無かったということ。「政府の失敗」とか「市場の失敗」と同じようなニュアンスで「インターネットの失敗」ということが言えると思う。webと言う仕組みが世界全体を包んではいるのだが、異なる意見に対するまさに寛容の精神が広がったどころではなく、好ましい同質なグループの中でばかりつながっている。前にもそんなこと書いた気がする。これはおそらくネット空間における領域を占有するにおける自由エネルギーのようなもので説明されるのだろう。情報は共感されるために紐解かれ、考えないために情報に接しようとするのだ、という宇野さんの発言は当を得ている。中野さんは脳科学という看板によって司会者に便利に利用されている。デイブのダジャレは全く寛容できぬ。それにしても、私にとってもこの日記で自由に何かを書くことに対して、人々が寛容でなくなる日がいずれ来るのだろう。願わくば、その予言を自己実現的に加速してしまわないように振る舞い続けたいものだ。
2019-06-11
_ 早めに帰宅して荷物の受け取り。思ったより小さい。そろそろ宅配ボックス導入を考えるべき?でも留守の間に荒らされたりしないのかと、不安。NHKラジオで「サンドイッチマンの天使の作り笑い」聴いてたら、ハリウッドザコシショウが、蕎麦屋をつぎたくない息子を説得する一言というのに回答。伊達「蕎麦屋にはならない!」ザコシ「ならないならならない返し。倍返しだー!」ヒドイ。面白い。この人もしょんないTVの常連だったのよね。。。
その番組で、須賀川のかっぱ麺の紹介があった。キュウリの汁で練りこんだ麺を使っている。食べに行きたいな!福島に。
_ 土日月とジムで後屈の練習を頑張ってたせいで背中の上部に筋肉痛。深く息を吐くと痛む。何もしなくても時々感じてた痛みなのだが、今回は原因がわかっているので何だか嬉しい痛み。はいはい真性マゾですよ。
_ [物理学] ランダウ力学3章問題c
というわけで、こないだまで悩んでた定積分はそのままにして、次の問題にちゃれんじ。こないだのよりも置換積分は簡単。答え出た。おお!正解w もしかしてこないだの問題も似たような感じになってしまうのでは。再考の余地ありつつ、第3章は終わりということにする。
_ 間違えた。第3章の最初のセクションが終了になっただけだった。。。
2020-06-11
_ ついに梅雨入り。例年と違ってオホーツク低気圧が来てないと気象予報士伊藤みゆきさんが言ってた。蒸し暑い梅雨になるようだ。今日は雨降りで散歩は買い物に出かけただけ。これからはレインポンチョでも着て歩くかな。何処にしまったか出てこないけど。レインポンチョにマスクってちょっとおかしいかな。この短い頭でポンチョだけ着て歩いたら完全にてるてる坊主だ。ハレンチ学園のパラソル先生みたいになるかも。
2021-06-11
_ 夜ヨーガの後。お腹空いたので、冷蔵庫で数日水切りしてた絹豆腐にえごま油、刻み海苔、ごま、醤油少々かけて食べる。おお?!何だこの美味さは。えごま油の香ばしさなのかごまの香ばしさなのか刻み海苔の香ばしさなのか水切りした豆腐の香ばしさなのかよくわからないが、とても香ばしい。最近庭には山椒や紫蘇が生えてきたのでこれも薬味に使える。茗荷買ってきて刻んで載せるのもこれから良いな。夏は豆腐の季節だ。「豆腐百珍」読み返そう。さて、梅雨時なので和菓子の鮎買ってきたからデザートにするかと。
_ しまったなあ。TVK「関内デビル」のデビル・大場英治こと菊谷ディレクターの話し振りが何か既視感あるなあと思ってたら、やっぱりSAKUSAKUの黒幕さんだったか。急遽毎日録画することに決定。またTVKの番組コレクションが増えてしまう。
2022-06-11
_ ジムで筋トレ。お腹をすかせたまま学習センターに行き図書と論文を受け取り、食事など。数日前からまた瞑想を始めた。水琴窟の音を聴きながら、ローソクの揺らぐ明かりを感じながら、香を焚きながら。瞑想は無心を目指すがなかなかそうは行かず、実に様々な思いが浮かんでは消えていく。そんなさまざまな思いの中には良い思い出もあれば苦しい・苦い物もあるが、どんな思いも、本当のわたしを傷つける力を持ってなどいないのだ。嫌な目に遭っても、それがただの想いに過ぎないといつもわかることができたら良い。感情に任せることは肉欲にまみれることに他ならない。泣き笑いはストレスを低減すると言う。しかし泣き笑いなどせずに済むのならそっちの方がもっと良い。少なくとも今、わたしは怒っていない。怒るべき理由も無い。そのことには感謝すべきかもしれない。
2023-06-11
_ 気だるいにちよーび。何と無く『浅草お茶の間寄席』つけたままうとうとしてたら聴き慣れたフレーズが。♩天気が良ければ晴れだろう 天気が悪けりゃ雨だろう 雨が降ろうと風が吹こうと 東京ボーイズ 朗らかに〽︎ ボーイズ漫談まだ存在してたのか、貴重だな、と思って見てた。「中の島ブルースよ」の所しか歌わせてもらえない『中の島ブルース』よ。
2024-06-11
_ NHKジャーナルを聴きながら小型七輪でなんか細かいもの焼いて食べてるところ。最近思うんだが、ラジオ番組はSNSでお気楽に投稿してくる駄弁に何故こうも頼るのか。つまらん御託を聴きたくなくて人と交わらずラジオに逃げてきている自分には耐え難いことこの上ない。SNS要らない。絆とかも要らない。確かめなきゃならないような繋がりなんて、全然繋がってないことの証明ではないのだろうか?SNS要らねえ。え?この日記もSNSの一種なの?違うだろ、全然ソーシャルじゃ無いんだもん。単純に、七輪で焼いて何も付けずに食べる椎茸の旨さよ。
_ うにゃ [それで一口羊羹かってるんだねw]