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2016-06-11 [長年日記]
_ [語学][放送大学] 英会話の話題。
テリー先生はITにも詳しいが生物学にも詳しい。彼のダディの影響であるらしい。先日のスクーリングの時の話で盛り上がった。今一つうまく説明できなかったが、海に棲む生物は、プランクトン・ベントス・ネクトンに分けられる。これは生物種としての分類ではなく、彼らの生活スタイルによる分類である。すなわち、プランクトンは自律的に遊泳することなく漂う生活をするものたちであり、幼生の時はもちろん成体となってもプランクトンに属す。ベントスは海浜や海底・岩などに接して生活するものたちで、カニ・貝・ウニ・ナマコなどはここに属す。ネクトンは自ら泳ぐことのできるものたちで、魚類やイカなどはここに属すことになるが、イルカやクジラもここに属すのである。だから、もしマーマンや人魚が存在しているならば彼らはネクトンに属すのである。スクーリングの時には光学顕微鏡や実体顕微鏡を使って観察した。観察って英語でなんて言うか忘れた。今調べたら、observationだ。出てこないもんだなあ、こういう言葉。英会話止めてしまったらこういう言葉はますます出てこなくなってしまいそうだ。
追記。ウィキペディア他ネットで調べると、もう一つニューストン(ノイストン)というのがあり、これは水面を漂うものたち。これらは動物に限らないので、ノイストンにはアメンボウの他にウキクサも含まれる。この分類を生活型と呼ばれる。
_ [テレビ] 「トットてれび」#6.
満島ひかりが寅さんの映画見て笑う。歩き方もだけど、すっかり徹子さんになりきっててゾクっとした。畳み込むような話しぶりも。私は故・談志師匠が若いころ「あんな作品撮り続けてて失礼ですよ」と言ってたように(記憶だけなのでニュアンスなどだいぶ違うだろうが、どこをとっても変わり映えしないようにみえるシリーズが談志さんには許せるものではなかったのだろうな、と推測する)、「男はつらいよ」なんて映画は馬鹿にしていたのだが、この年になったからには見てみても良いかなと思う。ストーリーがどうのこうのじゃなくて、そこには作られた当時の記憶がごまんと詰まっているはずだからだ。ドラマ、先回も(向田邦子との)辛い別れを描いていたが、今回もまた。「星の王子様」も私は馬鹿にしていた作品だが、もうこんな年になったからには何も恥ずかしがることなど無いな、と思う。BLだの「不機嫌な果実」だのと同様に、余すところなく楽しんでしまえばいいのだ。と言うわけで終劇。終劇のところの一芝居がまたいつもながらなかなかに効いている。遺憾、感情失禁が抑えられぬ(抑えられないから失禁と言うのだけどね)。
_ NHKスペシャル始まった。「不寛容社会」。いきなり厚切りジェイソンの"Why! Japanese people, why!"で始まった。面白そう。私の日記だって不寛容な人々の批判の対象になっているに違いないんだが、今のところ炎上したことはない。もちろんただの幸運に違いないと思う。それにしても、フレンドリーなナマハゲ(正確にはアマメハギ)って何だよ。宇野常寛出ててさらに面白くなりそうな予感。ディーブ・スペクターのつまらんギャグは寛容できない。
引き続き見ている。アイスバケツチャレンジに関するリツイートの分析をすると、賛否両論あるが賛成派は賛成派、反対派は反対派で閉じている構造が見えているということで、さらに、このチャレンジの恩恵を受けている人の感謝のツイートに対して反対派がその意見をリツーイートしたものが無かったということ。「政府の失敗」とか「市場の失敗」と同じようなニュアンスで「インターネットの失敗」ということが言えると思う。webと言う仕組みが世界全体を包んではいるのだが、異なる意見に対するまさに寛容の精神が広がったどころではなく、好ましい同質なグループの中でばかりつながっている。前にもそんなこと書いた気がする。これはおそらくネット空間における領域を占有するにおける自由エネルギーのようなもので説明されるのだろう。情報は共感されるために紐解かれ、考えないために情報に接しようとするのだ、という宇野さんの発言は当を得ている。中野さんは脳科学という看板によって司会者に便利に利用されている。デイブのダジャレは全く寛容できぬ。それにしても、私にとってもこの日記で自由に何かを書くことに対して、人々が寛容でなくなる日がいずれ来るのだろう。願わくば、その予言を自己実現的に加速してしまわないように振る舞い続けたいものだ。