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2005-07-10 銭湯/焼肉
2006-07-10
_ そう言えば今朝方悪い夢を見た。
同じ形の家が隣り合わせになっていて、わたしの家は向って左側にあった。右側の家には母方の親戚が泊まりに来ていたのだが、何故か外から玄関が開かなくなったと言う。二つの家は中で通じている。わたしはわたしの家に入って中で左側の家に入り込んで内側から様子を見る。
左側の家の玄関は縦長で60cmくらいの幅の三つの部分に分かれており、そのうち右側の二箇所は石で閉ざされ、左側の一箇所には未開の種族のあがめる木製の神像らしきものがすっぽりと収まっている。近づこうとすると「そこに行っては駄目」と後ろから警告するものがあった。それはわたしの母だった。この左側の家は、どうやら未開の人の悪霊に祟られているらしい。玄関は異界との出入り口だが、神像は外からの侵入者を防ぐと言うよりも、この家の中にあるものを外に出さないための仕掛けであるようだった。この家から出るルートは、さらに左の奥に向って一度二階に抜け、そこから二つの家の中間にある縦横1mほどの何も無い間隙をシュートのように降りて外に抜けることだった。わたしは母を連れて左の家の二階に出ると、そこには生前の未開の人がいて、若い頃に蟷螂の研究をしていたこと、そしてその成果を文明人の同僚に盗まれて自殺し、文明人に祟るようになったのだということをわたしに告げた。悪霊はまがまがしい存在なのだが、そのことを告げたときの未開の人は悲しげだがとても落ち着いて見え、深い同情を感じた。わたしと母は家の中間のシュートを滑り降りる。おぞましい肉塊の中を通って無事に外へ出た。
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思い返すと幼少の頃に、二軒がついになった家に住んでいたことがある。若い父が単身赴任していて母と二人暮しをしていた頃、あるいはその少し後のことで、両親の始めての子供であったわたしは、無意識の中に父とはなれて暮らす母のいろいろなコンプレクスを間接的に体験していたのかもしれない。昔の家だから屋根裏があってネズミも住んでいたらしく、これがあるとき知らぬ間に屋根裏で死んで、死体に湧いた蛆が映画サスペリアの如く屋根裏から落ちてきたことがあったそうだ。離乳したばかりのわたしがあちこちに散らかしたご飯粒がその蛆虫を想起させてかなり精神的に参ったのだ、と後日母から聞いた。
ユングのイニシャルドリームは地下の大王、一つ目の人食いのファリックシンボルだったという。わたしのイニシャルドリームが何だったかはわからないが、かなり古い時代の夢として覚えているのは、二部形式の夢だ。第一部はぬいぐるみのようなゾウさんやキリンさんやライオンさんに囲まれて、みんなで協力して1mに満たない小さな宇宙ステーションを作る夢だった。宇宙ステーションというのだから保育園には行っていた頃だろうと思う。この絵本のようなとてつもなく楽しい世界は急に終わってしまい、一人で塀に沿った土の道を歩いている第二部に変わる。一本道なのだが、行く先の道端に、乞食とも幼児ともつかないブヨブヨした感じの一人の人が坐っている。わたしはその人の前を通ることが恐ろしい。何事もなく通り過ぎられたら、と祈るようにその人の前を通ると、恐れていた通りにその人が声を発する。意味を成さない言葉だ。今思えばそれは妖怪が発するとされる「うわん」とか「ももんがあ」とかいった声と同じものだったのだろう。その声を聞いてしまった絶望で、わたしも叫び声をあげる。成人した頃に漱石の「夢十夜」と秋山さと子の本を呼んで、どうやら道端の人はわたしのシャドウであったのだろうと納得した。シャドウとのつきあいは古い。この人でなしはあきらかにわたしの分身だ。深く関わることはとてつもなく恐ろしいが、それなのにどうにも懐かしい人なので、どこかの道端に投げ捨てることはできないし、無視して通り過ぎてしまうこともできない。
2009-07-10 今日はちょっと夜更かししよっかなー。
_ ただいまAM1:13でございます。
そういうわけでちょっと起きてます。ツッコミになんか書いてくれたら即レスするかもよ。期待してないか、別に。
2011-07-10
_ また猫が増えた。
とは言ってもマグカップの猫。イトーヨーカドーの4階で猫のポーズ(ヨガにそういう名前のアーサナがある)をして媚びてる奴がいたので、「うちの子になるか」と聞いたら「なる」と言ったので連れ帰った。取っ手がしっぽというのはありそうであまり見かけないかも。体の下半分が白い黒猫。逆パターンって無いよね。なんでだろ。「枕草子」で清少納言がこういう模様の猫が一番よねー的なことを書いてたと思う。学生時代に飼ってた奴に似てる。
_ 丸石エンペラーに新しいGPSを搭載して試してみようとしたのだが、先月くらいにバラ苑に行った時からなんだか前輪の辺りが軋んでいたのが気になっていた。カンチレバーブレーキの辺りをいじってたら、なんとワイヤとカンチレバーを固定する金具が割れてた。あぶないなー、遠出とかしてたら大変なことになるところだった。桜木町のY's Roadにあるかもしれないと思って、いつものMTBに乗って出かけた。新しいGPS(ガーミンeTreck Legend)も搭載して。新Legendは起動速いし感度もびんびんで乗ってる間中信号をほとんどロストしなかった。画面がカラーなのも良い。良いことづくめ。もう以前のは使えない。しかもデフォルトでチャリに固定するパーツが付いてる(チャリのアーム側のパーツは自分で調達せねばならないが)。
ついでに7月のトップページの写真でも撮ってくるかと、N90も持って出た。
_ Y's Roadには部品は無かった。まあ当然かもな…。楽天で買うことにしてみなとみらい辺りへまわることにした。
_ 開港資料館のメイフラワーも、我が家と同じく実を結んでた。秋にもまた行こうと思う。
_ 山下公園
貴様が船で旅立つのは俺への思いやりだったのか…
風の「海岸通」をBL風にしようとしていまいち。相変わらずカップルと家族連ればかりで馴染まないが、今や私は場の空気からも自由となった。アイスと珈琲飲んでた。結構涼しい。今日の衣装は、ドライ生地の長袖シャツの上にメッシュのTシャツを重ね着、下はチャリ用の裾がベロクロで絞れるようになっているズボン。頭にフェールラーベンの上着を買ったときにおまけで貰ったゴアテックスのキャップ。眼鏡の上に遮光サングラス。ドライ長袖がかなり良い感じ。白なので日光を反射する効果もあるみたい。ロングライドはこれで決まりだな。
滝の川のほとり。看板がはげちゃったから近所の人が書き足したんだが、原形をとどめてない。原形を見た人にしかわからないことだが…
_ 反町公園に寄り、ハマナスがどうなってるか見てきた。まだ花がちらりと咲いている程度で実を結ぶのはもっとあとになるようだ。とふと根元を見るとピンク色の薄手のゴムが…どう見てもコンドームだ。反町公園は"アニキ"と"オレ"の社交場として有名だと思ってたが、普通に男女の社交場でもあったようだ。つうかハマナスの根元に捨てるなよ。肥料になるとでも思ったのか?このチンカス野郎(←真に)。
_ 帰宅して夕食摂ってからトップページの画像を選んでたが、出かけて撮った画像にはどうも良いのが無い。やはりもっと夕暮れになるまでシャッターチャンスを待つべきだったのだろうが、待ち切れずに帰ってきてしまったので、結局出がけに庭で撮ったメイフラワーの実の画像を使った。
2012-07-10
_ お肉すきすき ジャストミートでかっ飛ばそう←このうたは某アイドルが歌ってるんだそうだが良く知らない。ジャストミートのミートがお肉のミートにかかってるとはしばらく気付かなかった。
2013-07-10
_ 自分のドメインを検索してたら、日本国語大辞典やらいろいろ参照してミチや街道という言葉を解説しているページが、廃道マニアの方に絶賛されていたのを見つけてちょっと舞い上がってた。それがきっかけになって、もう15年ほど前になるが、東海道行脚の時に街道を外れて草薙神社に向かった時のことを思い出した。神社の縁起に、草薙の剣を使って草を薙ぎ払った時のヤマトタケルの言葉が描かれていたのだった。「とおかたや しけきかもとを やいかまの」。15年前には出典がまるで分らなかったのだが、今は結構簡単に検索される。ヤマトタケルの物語が成立した時点から遥かな未来に行われた私の旅から、15年ほどさらに遠ざかった現在であるにもかかわらず、過去の知見はむしろ15年過去よりも見出しやすくなっている。これが知識のタイムパラドクスでなくてなんだろうか。さて出典と思われるものだが、延喜式の中に祝詞が集められていて、その六月晦大祓祝詞というのの中にあるのである。延喜式は流石の俺でも手元に無い。でも道の歴史を考えるうえでも参考になる文献には違いない。道つながりというだけでいろんな資料をそろえたくなることも、家族を大事に思う気持ちと同様で、煩悩の一つに過ぎず、どちらにも大義などは無い。
2014-07-10
_ チャーチル「わが半生」(角川文庫、1965)届く。ハトロン紙に包まれたその表紙のチャーチルのアップの肖像は何ともいえない表情であり、ナチスドイツに敢然と立ち向かい滅ぼした英雄には全くふさわしくない者に見える。これが黒犬に取り憑かれた男の表情、というわけなのだろうか。
_ で、そのチャーチルの肖像をアップしようとしたのだが、メールで日記更新することが何故かできない。ちょっと困った。
2016-07-10
_ ネットで曲を探していて寝るの遅くなった。小学校の時に、教師の一人が高学年を率いて器楽合奏を行なっていた。私が高学年となった時にはもう何年かは続いていたようだった。一年上の先輩たちの演奏を見て、転校してきた私はその見事さに感動を覚えていた。誰がどの楽器を演奏するかと言うのにも大いに興味があった。片田舎の小学校だったから先生があちこちで不要の楽器を集めてきたりしてできあがった、おそらくはだいぶ不規則な編成だったのだろう。覚えているのはバイオリンが4つ、アコーディオンも4つか5つ、フルート、チェロ、コントラバス、ピアノ、マリンバ、ビブラホン、バスドラム・スネアドラム、ボンゴもあった。生徒が手持ちの楽器を持ってくることもあった。テナーサックスを手に入れた友達がそれだけでチェロからテナーにパート替え、などというのもあって、この友達はもしかしたらチェロが嫌いだったのかな、などとも思ったりした。こんな感じの編成で、生徒だってピアノを習ったことのある子がたまにいたりする程度でほぼ全員素人だったのだ。
もちろん私も素人の一人で、そんな中バイオリンに割り当てられた。奏法はその楽器を担当していた先輩から後輩に引き継がれる。私を教えてくれたのは少々性格のキツイ女性で、結構厳しく躾けられた。大体わかると思うが1本の弦だけをクリアに鳴らすのはそう簡単ではないのだが、他の弦に弓がふれると「なんてお前は器用なの」的な言葉責めをこの女性の先輩から頂戴するのである。この体験が今の私の性癖を形成している、と言ったらフロイトが喜びそうだがそこは良くわからない。たぶんうぶな小学生の私は素朴に苦痛を感じていたんだと思うのだが、そのうちそれなりに弾けるようになるともちろん演奏は楽しいものになった。
先輩たちが担当してた年には先生がエレキギターで参加して「ベサメ・ムーチョ」なんかやっていた。私の年は小学校の開校70周年記念の年にもあたっていたので、そのための演奏会なんかもありずいぶん先生も腐心したことだろう。大先輩たちがやってくるというのもあり、昔の唱歌や軍歌、懐メロなんかも織り交ぜたメドレーを呼び物とすることにしたのだった。先生自ら作曲した序曲に続いて「めだかの学校」「兵隊さん」「鎌倉」「児島高徳」「戦友」「国境の街」など、全て先生が出来合いの編成に合わせて編曲したものを、休日を返上して練習した。後世の性癖への影響はともかく、今の私の音楽の趣味がこんな体験に基礎をおいていることは間違いない。私のインデックスには書生節だの昭和のメロディだのがプログレやトラッドやシャンソンや印象派なんかと平気で混在している。バイオリンはその時の2年間程度でその後ほぼ触る機会が無くなった。会社に入ってから1年ほど習っていたが、その頃は今よりも仕事熱心だったので忙しくなった時期に止めてしまって今に至っている。リタイア後にやることの候補の一つになっているのだが、私たちの老後がそういう習い事を悠々やれないほどに貧しくなっている可能性は高い。
そんな思い出の強い器楽合奏の演目の中に「ソナタ ハ短調」と楽譜に書かれていた曲があった。バッハの作曲と言うことだったのでそう覚えていたのだが、後年その曲を探そうとしてもハ短調のソナタにそれらしき旋律を持つものが見当たらない。だが今日の未明にそれらしきものが見つかった。BWV1020。ところがそれはソナタではあってもト短調であり、チェンバロとフルート(或いはバイオリン)のためのソナタの第一楽章だった。調性が異なっていること以上に驚くべきことに、この曲はBWV1020という Bach-Werke-Verzeichnis(バッハ作品主題目録番号)が与えられているが今では偽作とされているものだったのである。いろいろ驚くことはあるが、私のならったのがハ短調だったことは、当時使っていた楽譜に変化記号(記憶ではシャープだったがたぶんフラット)が三つついていた記憶、市の催しに参加したときの演目が「ソナタハ短調」で楽譜にも”C Moll”と書いてあったような記憶を併せるとかなり確度が高い。演奏用の編曲が後世なされたのか、あるいは同じモチーフで異なる曲があるのかは私には今のところわからない。ただネットで聞いたBWV1020は、いくつかのところで私たちのあの時習ったものとは異なっているように思われる。そのこともどちらの仮説がより正しいかの決め手とはならない。まあそのうちまた何かがわかるかもしれないのだ。今の問題は、このBWV1020を含む作品集のCDを買い求めるかどうかと言う金銭的な問題にただ尽きる。
_ 追記:書いたのを読み返してて気づいたが、旋律に違いがあるのは、もしかすると、小学生が演奏しえないために先生が即興で書き直した可能性がある。偽作とはいえ演目には良く取り上げられる名曲であるが、小学生が正確に弾けることは期待できないからである。記憶の旋律と探し当てたBWV1020のそれを比較するとそのことがわかるのかもしれないが、それを確認するためにはピアノの双方の知識が要ることだろう。
2018-07-10
_ うう、今日も暑かった。帰宅してから朝食用のスープを作ろうと思い帰り掛けに買物へ。豆乳味噌仕立ての和風のスープなんていいんじゃないかと思って、白菜を買おうとしたら、無い。ええ?白菜って夏は売ってないんだっけ?もう50回以上夏を迎えてるのに気付かなかったぞ。。。
2021-07-10
_ 梅雨の中休みというところか、晴れてハチャメチャ暑かった。またしても受け取り場所を横浜駅西口カウンターにするのを忘れて、紅葉坂の県立図書館に。少し興味があってビクトリア朝の女性のファッションに関する本なんかも借りて来た。そこからずっと歩いて東白楽駅の直ぐそばにある銭湯へ。あんなにあった回数券も半分に。日ペンの第二回の課題、提出。
2022-07-10
_ というわけで今日は選挙速報のためだろう、鎌倉殿の放映は無いの。夕方最寄りの中学校で投票。いつもは体育館でやってるのに今回は校舎の玄関前でやってた。学校の校舎にお邪魔するの久しぶりだなー。教室にも入りたかったよ。その足で銭湯行って食堂で一杯。さあまた一週間が始まるでござる。
_ ぼくちゃん [その焼肉屋さん教えてください。]
_ けい [もうずいぶん前ですからね。なくなっちゃったと思います。]