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2005-09-22 『関所抜け 江戸の女たちの冒険』
_ [読書] 『関所抜け 江戸の女たちの冒険』金森敦子、晶文社、2001年。
昨日から読み始めた。積読の一角。江戸の女たちといっても出てくるのは秋田の女性である。なかなかスリルのあるタイトルなのだが、読んでいるうちに、庶民の女性にとってはさほどには関所抜けが困難なことでもなかったらしいことがわかってくる。参考文献が豊富に出ており、清河八郎や吉田松陰の旅のことにも触れられている。その文献の中に十辺舎一九の「続膝栗毛」が出てきて、そうだ、これ読まなくちゃ、と想い出したのだった。
_ カメラの修理に約2万円
修理の終わったカメラを引き取ってきた。傷だらけだなあ。でもイトオシイクールピックス885。手の中にぴったりとはまる感じ。明日はこれ持って出かける。
2007-09-22 引きこもる休み。
アウトドアへの興味とはマ逆だけど、引きこもってうつうつとヲタクなことをやるのも生きるよすがの一つだったりする。今日は録画した番組をDVDに焼いてインデクスカードを付けて、というのをずっとやり続けてた。
9月も終わるから最終回の番組が多い。「地球へ…」も最終回。サブタイトルは「地球の緑の丘」という。これはSF者にとっては忘れがたい言葉なのだった。ムーアの「ノースウェスト・スミス」にあらわれる歌の名前。これにインスパイアされてハインラインが同名の小説をものした。これに絡んで「SF名文句・迷文句」なるHPをずっと読み続けてしまう。良く見ると初期の書き込みの中にどうやら昔わたしが投稿したと思しき記事があった。
「スポンサーから一言」
フレドリック・ブラウンの短編から。わたしが酔いどれになったのはあずまひでおとブラウンの影響なんじゃないか、と思う。
またしても腐った死体の生活。死体に生活って、変か。
2009-09-22 机の引き出しを修繕。
_ まあそんなことだけで。
机の一番大きい引出にはついつい体重をかけてしまったりして使えなくしてしまっている。いくつかの木材を打ちつけてなんとかまた使えるようにした。
作業の途中、適当な長さの釘が欲しくなって自転車で出かける。ついつい鶴見川沿いを末吉橋まで下って新横浜まで上がって。ススキを2本つんできたりして。「装甲騎兵ボトムズ 赫奕たる異端」なんか見てたりして。ちょっとお酒も飲んでたりして。
2012-09-22
_ ヨガ行ってから少し遠出でもしようかなと考えたのだが雨ということなのでやめた。仮面の忍者赤影の続き見たりとかちょっと仕事のこと考えたりするくらい。涼しくなってきたし玄米食を再開したので、魚のぬか漬けも再開した。今日は秋刀魚を漬けた。今年は秋刀魚はそれほど安くはなってない。内臓ごとつけるのが断然うまいと思うのだが、内臓と頭を抜いた3匹セットがお安かったのでそれにした。お腹の中までぬかを詰めて、冷蔵庫に放置。もう明日は食べ始められると思う。あまり発酵しすぎずに、されどできる限り塩辛く作るのにはコツがありそうだ。
2013-09-22
_ [特撮] 「仮面ライダーウィザード」
異世界編。アクセルモードの555とクロックアップしたカブトがワームと戦うシーンの背後でカバちゃんがゆっくり動いてる。まだ使われてた!昭和初期の"演技に依存する特殊効果"すなわちSEDA(Special Effects Depending on Actors)、である。SFXの歴史をウィキペディアで見てもこの言葉は出てこない。たった今俺が造語したから。田口トモロオがアマダム(これはクウガの変身能力の原因とされる霊石と同じ名である)というこの異世界の主として怪演を披露している。ロケに使われている古民家や石橋のある土地はどこだろう。だいぶ都会から離れた土地のようだ。良くあるAnother Storyと切り捨ててしまうことができないことが一つだけあった。この世界で空を見上げると、地球で真昼の月を見るよりもずっと大きな地球を見ることができる。この世界に生まれた人間は、当たり前のように地球に行きたいと思うことだろう。それは作中の男女の子供たちの動機に重なることでもある。終盤に鎧武登場。次回、ウィザードの最終回。実質的には既に終わってる。
_ [夢] 先生と呼ばれる人。
昨日の朝方見た夢だったと思う。おそらく古い街道沿いの道だろう。バス停の名前にそのことをうかがわせる名残があった。その幾分細い道をたどっていくと、「先生」と呼ばれる人の家があった。俺はなぜか両親と甥の一人を同行させて「先生」の家を訪ねる。俺の書いたものを見てもらうためだ。落ち着かなく待っていると「先生」はあらわれた。俺よりはだいぶ若い。だが明らかにこの人は人を教え導く何かを持っている。硬い質感の髪を後方に特に手入れもせずに跳ねるにまかせているのは、俺にはエドガー・アラン・ポォの肖像を思わせた。目は大きく切れ長で、口ひげをニートに蓄えている。和服であらわれた先生はたいそう忙しい人のようだった。だから、俺の作品に目を通す時間はごく短いものだったが、ある程度書き溜めて持って行ったものの最初のページを読み、どうやらそこに面白そうな何かを見出したようだった。それが、俺自身の考え方を面白いと感じたのか、作品としての面白さを感じたのかはわからない。稚拙な文章の稚拙さ加減を笑う他なかったのかもしれなかった。だが「先生」の思いを推測することはやめておいた。「先生」がこの駄作を見て、そこに何か面白いと思うものを見出したのは確かだったからだ。しばし文章を読んだ後、1ページ目にある書き損じ部分を墨で塗りつぶした痕を「先生」は指でなぞる。指の先には墨が付いた。そのことも「先生」には面白く思われたらしい。それから「先生」は「何かまた新しいものを書いてきてください」と言った。それは手紙で送ってくるのがいい、と言ったか、手紙ではいけない、と言ったかは聞き取れない。だが、また何か俺の新しく書いた文章を読みたいと言ってくれた。「それを読んでから、会見の時間を設けることにしましょう」ということだったから、手紙で送るように言ったのだろう。そして、今日の会見はこれで終わりだといった。「では最後まで読んではくださらない…?」と俺は哀願を含めて言った。「先生」は、何を当然のことを尋ねるのかと不思議そうな表情で「そうですよ?」と言った。だが俺は、少なくとも「先生」に興味を抱かせたことで十分満足だった。甥が俺を祝福するかのようにビニールの切れ端のようなゴミを俺の髪になすりつけていた。俺は持参した原稿と、先生から渡された茶筅のような小さな筆を受け取り、(やった、やった…)と心で叫びながら、手ぬぐいで何重にも巻いて持ち帰る準備をした。目覚めてすぐ、忘れないようにこの夢をメモ書きした。「先生」の声は若々しく明るい声だった。そこに考えの含まれていない余計な言葉を決して発しようとしない、好ましい寡黙さも相まって、俺はこの「先生」に今も心を奪われている。夢で老賢人に遭うのは何年ぶりなのだろう。俺には未だにユング的な夢を見ることができるのだと思うとうれしかった。老賢人は自分よりも若い姿で現れることもあるのだと思った。この先は特にそういうことになるだろうと思う。
2014-09-22
_ ポロクル初めて使ってみた。ポートの場所が分かっていれば結構便利。変速器無いから坂は厳しい。市街地の西側ぐるりと回ってみた。学生時代、ほとんど出歩かなかったのは何故だったんだろ?
2016-09-22
_ 職場で、の続き。
<前回のあらすじ>セキュリティドアの操作を間違えて出るべきドアを出られなくなった俺。開錠権限を持つ”鍵子さん”に相談すると彼女はそのドアの前で俺に言った:
「ちょっと向こうを向いていてくれませんか?」
この言葉を聞くや鍵子さんのビキニアーマー姿を激しく妄想する俺。そして鍵子さんが言う:
「もういいですよ」
振り向いた俺が見たものは…!
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そこで私が見たのは、重たい鉄の扉を開けて立っている鍵子さんの姿であった。私が後ろを見ていた間中、セキュリティ・カードを使う電子音は聞こえず、代わりに何かそれなりに重たい金属が触れ合う音が聞こえたような気がした。何か機械的な操作によって開錠できるしくみだったのだろうか。彼女はそれを見られたくなかったのだった。もちろん彼女の服装にも乱れたところはなかった(チッ)。ひとしきり手間をかけて無事外に出られたのだが、オフィスへの帰り道、さて彼女は一体どんな操作をして開錠したのかと少し考えてみたが、現場のドア付近の記憶はほとんどない。「夕鶴」の予ひょうとは違い、彼女の願いに対して私は誠実だったのである。なのでいくら考えても答えは出まい。考えるのを止めようとした際に、ふと一つの考えが思い浮かんだ。
鍵子さんがドアの前で何か奇妙な踊りを踊ると鍵が開く。
そうに違いない。カードも使わず呪文も唱えずに開けるとしたらきっとそういう方法だ。金属音は単に開いたときの音に過ぎなかったのだ。どんな踊りだったんだろうか。パペットマンみたいなやつだろうか。どのみち見られたくないレベルのちょっと恥ずかしい振り付けのやつだ。間違っているかもしれないが、もし違う方法で開錠したのだとしても、ピッキングすることに目下興味の無い私にはどんな方法であっても結果は同じなので、ここはやはり奇妙な踊りで開けた、ということで行きたい。その方が良いじゃないか。納得できたので私はその後普通に仕事を続けることができたのだった。
日記の内容を続きモノにするともたついてだめだな。前半は通勤中に書いてたので途中でやめざるを得なかったのだ。
_ ふすまパン、再び。
こうでなくては!!やった、これで明日の飯はまたヘルシーなベーコンエッグだ。6つ焼いて3つは冷凍した。カビ対策もバッチリだな。調子に乗って今度はトルティーヤ生地作ってみるかな!!さすがに涼しいといろいろ捗る。
2018-09-22
_ [特撮] ウルトラマンルーブ。
録画だけずっとしてたけど、たまたまリアルタイムで放映してるのを見てる。ほとんど何の事前情報も無く感想如きを書いてみる。後日見直すと面白いかもしれないから。設定など間違ってても知らない。
兄弟がウルトラマンに変身してる。その妹アサヒが兄たちの変身解除を目撃して、彼らがウルトラマンだったことに気付く回。妹、ですます体で話す子。番組最後で、彼女が兄弟の一人であることへの疑念がほのめかされる。ウルトラマンシリーズは実を言うとセブン以降はネクサスをすべて見た以外メビウス、マックスくらいしか見てないんだが、この空白の期間にウルトラの国はどうなっているんだろうか。今この番組を見ながら、子供の頃に感じていた巨大ヒーローの"威厳"ということを想っている。
2020-09-22
_ 日曜に録画してたスーパーヒーロータイムとか「かながわ旬菜ナビ」とか見て1日過ごす。納言・薄幸の動画も見たりして。次の休みの機会には熊野街道・伊勢路の続きなんて良いかもなあ。脚、さらに鍛えないと。
2023-09-22
_ 釣巻和(つりまきのどか)さんの漫画で初めて読んだのは『水面座(みもざ)高校文化祭』だったろうと思う。全3巻のこの漫画は文化祭が始まって終わるまでを描いている。連載中はどんなだったろう。月刊誌で3年にわたって描かれていたらしい。雑誌が発売されて読むたびに「まだ文化祭やってる!」という訳だ。単行本で一気に読むのとは時の流れ方が違う。そんな終わらない楽しい時間の幻惑を楽しめなかったことは残念だったかもしれないが、文化祭実行委員の都ちゃんがご近所の商店街の人々からも炊事のおばちゃんたちからも愛される元気な娘なので読んだら絶対好きになる。
その後僕に起きた銭湯ブームの影響で読み出した『のの湯』は、しばらく釣巻さんの絵だとは気づかなかった。ちなみにこの作品はまだ終わっていない。原作の久住さんがいけないんだ、と思ってたが、久住さんは原案協力、ともされていて、どのような分担なのかは定かでない。
それはともかくこの漫画家さんには興味がどんどん湧いてきて、『くおんの森』を読んで今、『童話迷宮』を読み始めたのだが、ここで僕は路頭に迷った。どう味わえば良いかわからないのだ。この漫画は小川未明の童話を元にしているとのことなので、何に対しても説明を求めずにいられない僕は新潮文庫版『小川未明童話集』を求めることにしたのだった。なぜ新潮文庫を選んだかも覚えていないが、僕にとって新潮文庫は森鷗外も夏目漱石もこの文庫で読んだ、という青春の文庫ではある。それが届いたのが昨日。思えば名高い『赤いろうそくと人魚』すら読んだことが無い。しかし、昨晩はAmazonの誤配(まただよー!)の処理のためにオペレーターさんと長々とチャットしてて読まず。今朝になって簡単な朝食の後その『赤いろうそくと人魚』だけ読んでみた。北国の深い海に暮らす人魚は華やかな人間社会に憧れて海神の祀られている神社で娘を産み落とす。娘は祈願に来た老夫婦に拾われて…。主観で書くと、顛末は童話にあるまじく凄惨である。この人魚は北の深い海に暮らしているというイメージとも相まって、ラブクラフトの世界の住人のようにさえ思えたのだった。なぜこの物語が代表作のように扱われてきたのかは僕にはわからないのだ。が、この物語を知った上で釣巻和に戻ろうと思う。
2024-09-22
_ 珍しく早朝に起きて活動してみたが、結局日中眠くなって朝活もまた寝不足気味で全くはかどりゃせんのだった。でも近所の銭湯で炭酸泉にたっぷり浸かって買い物して帰ってきたのでまあまあ良いかと。この後冷凍庫の永久凍土の中からマンモスの肉を掘り出して中秋の宴となる予定だが疲れて寝るかもしれない。ちなみにマンモスの肉は白い皮に包まれて半月型してたりティッシュを丸めたような形をして凍ってます。焼いたり蒸したりしてラー油や芥子をつけて食べるしかないな。
_ うにゃ [北の大地なんですね。今は。私は百貨店の北海道展でうろうろしてきました。 すあまですが形が違う物にみえてきますw]
_ けい [皆まで言うな、俺も実物見たことなくて自信無い。]
_ けい [↑待てよ、たぶん君はものすごく腐った見方してるな。]
_ うにゃ [キフジンなんで、でへへへ〜 ]