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2006-12-01 [長年日記]
_ [読書] 課題届けに本部へ。宮沢賢治との出会い。
早起きして幕張に出かける。コンベンションに行く以外に来たのは初めてだなあ。高校生が沢山歩いてる。校門のところで守衛さんに課題を渡す。「皆さんの、ここで預かってます」と、おそらく昨夜、私と同じように直接持ち込んだ人たちの課題を手にかざす。時間があれば構内まわりたかったのだが、これから会社に行くのだった。
長々と電車に揺られつつ、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読む。完成原稿が無いということをはじめて知った。私は宮沢賢治をどうしてか意図的に読まないようにしていたのだった。中学の国語教科書に「オッペルと象」が載っていたことや、「セロ弾きのゴーシュ」をアニメで見たくらいかな。あとは鴨沢祐仁という漫画家の「クシー君の発明」が原作を直接ひいてはいないものの稲垣足穂(ああ、この人もまた意図的に読まないようにしている人だ)や宮沢賢治の影響を受けて描かれていたように記憶しているくらい。その後、漫画「プラネテス」に「春と修羅」の一節がでてきた(『やってしまへやってしまへ』という、あれ)ことや、eufoniusの「アルタルフ」、そしてついにイーハトーブの地を訪れたことなどをきっかけにして、ようやく私には宮沢賢治を読む機会が訪れたのだ。
で、「銀河鉄道の夜」なのですが、ああ、これはかなつぼ眼が夾雑物を廃して本当に見るべきものを書き留めた観察ノート、創作というよりも幻視を詳細に描いたスケッチブックだった。まず、銀河鉄道の銀河は星の集まりではなく、水素よりも透明な(ということは、質量数がゼロということだ!)流体であって、星々はその河床である。河原の石は稜線の角度や複素屈折率などを指標として選別された鉱物標本を贅沢に集めてばらまかれたもののようだ。
空の色が「美しい美しい桔梗いろ」と描かれていたことが一番の驚きだった。これは松本零次の「銀河鉄道999」とは全く異なるビジョンだ。あの星空に、宮沢賢治という人はこのような色彩豊かな世界を見ていたのだろうか。この物語の作者は、確かに、「細部に神が宿りたまう」というあの汎神論の信奉者であるように思われた(実は法華経の信者であったらしいが)。この物語の作者との出会いが私にとって少年期でも青年期でもなく、今このとき(中年期って言わざるを得ないのでしょうね。ならば言おう。『ノニナール香る中年期』と)であったことは、望ましいことのように思われたのだった。