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2008-07-16 An unhappy end。 [長年日記]
_ 喜劇王、と呼ばれた人物が、あぐらをかいてすっかり小さくなって、サイの目のように並べたいくつもの結末の間に座り込んでいた。私にはその人はグルーチョ・マルクスのようにも見えたし、ソウルイーターのエクスカリバー(うぜえ)のようにも見えた。
彼の言うことには、自分がこれまでに描き演じてきた数々の劇の結末に比べると、この人生の本当の結末はあまりにも悲惨であり、正気で演じ切ることには堪え得ないのだそうだ。
「そんな結末しかあり得ないのだというのならだ」
と彼は言った。 「どれを選ぼうと大差はない。そして、一様にさみしい『現実の結末』を、私が演じてきたこれまた一様に空しい、これら『いつわりの結末』とすっかり取り換えてしまってもさらに変わりはない。人生はサイの目の如くだと言わなかったかね?いや、より合わせた色つきのロープだったかね?」
そんなようなことを言って彼は、してやったりとばかりにほほ笑んだのだが、老いた喜劇俳優たちが一様に持つ悲しみは、そんな笑みで消えるものではなかったのだった。
こういう夢を見ていた。夢から覚める間際に、この夢のタイトルは"アンハッピー・エンド"だな。冠詞をつけて"アナナンハッピー・エンド"。と、思った。
目覚めて、あれ?"アナンハッピー・エンド"か?と、思い直した。
ハッピーエンド、というタイトルがマルクス兄弟の映画にあったように思っていたが、それも偽りの記憶だったようだ。
タイトルに"アン"が何個ついていようが、それが偽りの記憶によるものだろうが、今は全く違いがないように思える。どの結末が起こるかは完全に等確率と考えるしかない。特別の理由が存在しないからだ。