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けいりう堂日記

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2008-08-05 夏休み開けてもうすぐ盆休み。 [長年日記]

_ 先週は夏休みだったのだが、一向にブログに向かう気がしなかった。

休み中に放送大学の試験があったのだが、昨年流した倫理思想しか受けなかった。

休み明けに二つばかり面倒な仕事上のイベントがあることがわかっていたので憂鬱だったのだが、それも今日一応終わり、今週末からの盆休みに、最後の奥州道中に向かわんとしている。

NHKで宮崎駿が映っている。ホルスのスケッチや白蛇伝なんかがちょっと映る。トトロからもう20年たったのだそうで。。。ついこないだのことなのに、ねえ。


2008-08-08 奥州街道:千曳へ、そして青森へ。 [長年日記]

_ GWのときに見逃した日本中央の碑(壺の石文)を見るために千曳駅で途中下車して2kmほど西へ。GWのときに通った旧街道から4号線に出る自動車学校のあたりに、その碑の記念館はあった。

これはわからんよなあ。旧街道からは看板もちょっと見えない。

というわけで夕刻、青森に着く。ねぶたは前日に終わっている。八甲田丸の停泊してる所からベイブリッジを渡って飲み屋に向かったのであった。夕焼けの陸奥湾。
田酒もうまいが如空がうまい。ほたてもうまい。アスパム物産で鮭トバ二袋購入。近頃都会で売っているやつはスライスしたやつなので食った気しねえじゃ。 続く。

2008-08-09 奥州街道:青森散策 [長年日記]

ホテルのそば=駅のそばに、青森銀座というちょっと危なげな飲み屋の集まったところがあって、うっかり引っかかって"みず"=うわばみ草と貝焼きとカレイ焼きを魚にビール飲んでた。かなり年かさのおねいさんと、わたしと同じくらいかな?のおねいさんと、ちょっと年上かな、北陽のあぶちゃんをもっと大人にしたようなおねいさん。話してるうちに、博物館めぐりをするならレンタルサイクルを使うのがいいと勧められたので、そうした。
三内丸山遺跡はとてつもなく広い。夏休みのせいだろう、収蔵庫を特別に見せてもらい、見聞を広めた証拠に認定証をゲットした。やったー。 次いでほど近い県立美術館。美術には造詣が深くないのだが、巨大な「あおもり犬」やら寺山修二がらみの展示やら、順路に従ったら最後には成田亨のウルトラシリーズのデザイン画。いいねっ!クリアケース二つ買った。
ついでサンロード青森とかいうショッピングセンターに行き、エスビットストーブ用の固形燃料を購入。それから文学館を見て最後に郷土館に行ったら日が暮れた。あわただしかった。

夕食かねて飲む。ちょっと高くついた。駅前通りでコーヒー。神戸の茜屋の豆ということだった。いい感じの店内。実は昨晩も来てた。茜屋コーヒー店って、鎌倉にも昔あったよな。

その後、またしても(青森)銀座のおねいさんたちと飲んでたら、ビール瓶がいつの間にか1ダース位並び、午前四時。午前四時に青森を出発して外ヶ浜を北上しようと思ってたのに、寝たのが四時。起きたの八時。続く。

2008-08-10 奥州街道:青森から津軽宮田まで。 [長年日記]

_ そういうわけで、いささか二日酔い加減なのに暑い中を歩きだす。ちょっと戻って善知鳥神社にお参り。善知鳥(うとう)というのは昔の青森の呼称らしい。

ちょっと歩いたら森林博物館に出た。昨日回りきれなかったところ。和洋折衷の木造の緑の屋根の建築は大変すっきりした美しさ。展示も木にこだわったオリジナリティあふれるものだった。木の看板コレクションが面白かった。

というわけで、これでもうお昼。手近な海岸に出てお味噌汁沸かしておにぎり食べる。こういう飯はいいよなあ。目の前は青い海だし。浜辺に落ちてた海藻入れようかと思ったけど止めた。

午後、ほとんど海岸沿い歩く。時折ある稲荷神社は海岸に隣接する狭い段丘の上にあることが多くていちいち訪ね歩くと疲れまくる。

そんなこんなで宮田でJRに乗って蟹田へ。ここからバスに揺られて平舘不老ふ死温泉に。この辺のバスは路線上であればどこでも止まってくれる。温泉の湯加減がなんとも絶妙。法事のお開きで来てた家族と少々歓談。立派な体躯のおねいさんと歩き旅や登山の話で盛り上がる。無理するなと言われたので素直に従ってゆるゆると歩くことにしよう。おにいさんからは田酒一杯おごり。晩飯には当然のごとく貝焼きが出る。あとはヤナギゾイというメバルのような赤い魚など。

続く。


2008-08-11 奥州街道:津軽宮田から郷沢まで。 [長年日記]

_ 朝風呂に入り、朝食食べてバス&&JRで宮田に戻る。

朝から晩まで神社仏閣訪ねまくって、後潟神社でおにぎりの昼食。食後にコーヒー。貧しい食事もこうやって食べることで大変おいしくなる。飯所を探してうろうろしなくていいのが一番。 夕刻、旧街道から西へ2-3キロほどエクスカージョンして八幡神社一帯の森をぐるりと回る。このあたりは鎌倉時代にこのあたりに権勢を誇った安東氏の館あとである。蓬田城。 郷沢の駅のそばの稲荷社についたころ、夕刻。電車に乗って今日の宿に向かわざるを得ない。 今日の宿、というのは平舘灯台のところにあるペンション。例によってJRで蟹田、次いでバスでペンション到着。すっかりバスの乗り降りの仕方を理解した。 この日の飯、ヤナギソイの焼き物と、ここの名物いかのハンバーグ。味がお好み焼きだ。うまい。 というわけで波の音を聞きながら就寝。 結局当初の予定の15kmほど遅れとなっている。

つづく。

2008-08-12 奥州街道:郷沢から平舘灯台まで。そのあと竜飛崎。 [長年日記]

_ 下北半島の向こうから出てくる朝日をばっちり拝んで、朝食、バス、JR、で郷沢。

旧街道は海岸沿いだが、線路の西側をそのまま北に向かい、玉松の広場に行く。昔は踏切がこの辺にあったようだが今は通れないのでちょっと回り道になるが、海岸を見下ろす良い場所に松の木陰。今日も暑くなる予想だ。 海岸に出て、なにやら物産を売る建物の中に入ってソフトクリームとアイスコーヒーでちょい休憩。このあとしばらく歩道の無い国道に沿うて歩く。右手には終始きらめく海。 お昼にちょうど蟹田につく。フェリー乗り場にあった中華料理屋で坦々麺とチャーハン食べる。久しぶりに建物の中で昼飯食べると思ったらこの量はなんだ。なかなかダイエットにならない。 食後、道脇の断崖の上にある観瀾山公園にひいひい言いながら登る。太宰治を記念して「彼は人を喜ばせることが何よりも好きであった」なる佐藤春夫氏の記した石碑。

こんな感じで海沿いの断崖を登ったり降りたりして、結局夕刻、松並木をくぐりぬけて平舘灯台に到着。バスを待つ間、道の駅でテント泊のライダーと若干会話。テントがあるといちいち宿に戻ったり先に行ったりする必要がなくていいなあと思う。やはり徒歩の旅行には野宿こそふさわしいのではないか?そんなこと思いつつバスに乗る。今日は戻るんじゃなくて今別のほうに進んでいく。津軽半島の先端の海岸沿いを通る車窓からは、竜飛崎の先端に沈んでいく見事な夕日を眺めることができる。これでどこまで乗っても200円だ。贅沢で、安い。 ただ、今別につくと18時を回っていたので竜飛崎のホテルまでタクシーで4000円ちょっとかけて行ったのはちょっと余計だったかも。陸奥湾はいつしか暗くなり、イカ釣り船が無数に浮かんでいる。なかなか泊まれないホテルだというので、まあこういうのもいいか。

今日の飯にもヤナギゾイとホタテが出た。ウニとかも。刺身のつまが使いまわしだったらしいのが気に食わなかったが、まあ良いとこだったんじゃないか?

足の裏はずたずた。入浴がつらい。日焼けした腕も痛いことこの上なし。

2008-08-13 本州先端の旅の一応終わり。 [長年日記]

_ 朝食前にホテル周辺を散策。足が痛いとか言ってらんないわけで。

石川さゆりの歌の流れる記念碑をまあ一応お約束だから鳴らしておいて、先を行く。日本唯一の階段国道というのが長くて疲れた。これは車優先の現在の交通事情に対する強烈なイロニーである。 階段国道の先には太宰治の文学碑。「津軽」の一節。本州をどこまでも北に向かおうとしてもこういうところにすぽんとはまり込んでもうその先には行けないことになるから読者諸君も気を付けたまえ、なんかそういったことが書かれている。

太宰治が竜飛崎をおとづれた時は今日のように曇りだったのであろうか?もしもはるか北、しょっぱい川のその向こうに蝦夷地の山々が見えていたなら、ここが本州のどん詰まりであるなどとは思わなかったのではないのだろうか?なぜならば伝説の義経主従はもちろん、はるか縄文の人々までもが、この津軽海峡を陸路を途絶させるものとは認識しなかったのである。あの向こうには津軽の閉塞を打ち破る広い大地が続いている。だからこそ彼らはこの海峡をしょっぱい川と呼んだのであり、判官の悲劇ははるか蒙古にてアジアの快挙に変じたのであり、三内丸山遺跡にはオホーツクから伝わった黒曜石が鋭利に輝いていたのだ。

というわけで朝食の後、バスで三厩。義経寺は明日の義経祭を控えて賑やか目に見える。高台の上から平舘海峡を望む絶景の寺。ほんとはちゃんと歩いてここまで来て、旅の終わりの快哉を叫びたかった。が、どうせまた来るのだ。

JRでじっくり時間をかけて帰宅。新幹線の中で、白神山地から川越に帰らんとする父と同じくらいの年の人と語らいあう。

秋に、また来ることができるだろうか。そして、しょっぱい川を越えることができるだろうか。

いやいや、ここまで来てしまった男はもちろんどんな手を使ってもここに舞い戻ってきてしまうのだ。おそらく何を犠牲にしても、だ。

2008-08-21 雷が鳴ったのでビバークの練習をしてみた。 [長年日記]

_ この間の奥州街道行脚から1週間。宿を予約して行ったり来たりしてなかなか進まない行脚をどうにかしたいと思って、野宿の練習をすべきなんじゃないかなんて思い始めているのです。

で、帰宅後最寄り駅に着くとちょっとした雨降りで雷がしきりに鳴る。雷さんだー!
野宿旅にはテントを持っていくことになるんだろうが、もしかしたらツェルトでも結構いけるんじゃないのと思って、ツェルト泊の練習をしてみた。家のベランダで。設営してるうちに雨があがっちゃったけど、夜風はもう秋の気配だった。
カレーのご飯をコッヘルで食べてから無理やりコーヒー沸かして飲んだ。思ったんだけど、ツェルトはやはり非常用品だ。見かけ上はテントみたいに縄で張って外と隔絶した感じになるけど、気密が悪いから夏場は虫に、冬場は風に侵されることだろう。
次の手は、少々重くてもテントを持って徒歩の行脚をすることに慣れることができるかどうか、である。というわけで、今週末はちょっと出かけてくる。

2008-08-23 矢倉沢往還落ち穂拾い、そして(1) [長年日記]

_ 小田急渋沢駅から、峠の集落を通って松田に向かうルートをたどった。以前渋沢から松田へは千村を通って行こうとして小田急線に阻まれ大きく北に迂回したのだった。

今回のウォーキングには雨中の野営というもう一つの目的があった。
が、いったいどこで? 蓑上誠一「サラリーマン野宿旅」見ても、万人に認められるような晴れがましい野宿なんてどこにもないらしい。 地図をにらめっこしつつ以前歩いた時撮影した画像を眺めて、足柄大橋の辺りの酒匂川の河原と一応決めていく。こっそりとテントを広げるのだから出発は少々遅め。 峠には峠隧道というのがあり、ここを抜けさらにしばし歩くと富士見塚というのがあった。巻狩りの時に頼朝公がここからの眺めを讃えたといい、矢倉沢往還の一里塚でもあるという。時刻16時ころ。地元のNPOにより整備された休憩所があり、この天気では誰ももうおとづれることはないだろうと思われた。トイレもある。ならば、ということでここに野営を決め込んだ。

すぐ脇に農道がありときどき車が通り、私の野営を睨むようにしていく。エスビットストーブで米を炊いているうちに暗くなる。雨である。まだまだ気温は高い。テントの入口を釣り上げておいたら、そこに雨水がたまって、ちょっとした手水のようになった。米は固め。 失敗だったのは、エスビットの燃料があまりなかったということで、明日の朝食分で完全に使い切りそうだった。コーヒーを入れる余裕がない。米を炊くのにも足りないかもしれない。

そこで、ドリップコーヒーの中身と無洗米をそれぞれチャック付きバッグに入れて水を適量加えて一夜放り出して置くことにする。コーヒーはダッチコーヒーにしてお米はお粥で行くことにしたのだった。明日の準備をして、テントに潜り込む。

なかなかに眠れないので太宰「津軽」を、ヘッドランプをつけて読む。ウィスキーのポケット瓶を持っていったが、180mlの酒はあっという間になくなり、ラジオを聞いたり津軽を読んだりしながら夜が更けていく。一度地元の人が車でやってきてここに降り立った。松田の方から花火らしい音が聞こえるが、ガスが出ていて全く見えない。音しか聞こえない花火は最低だ。地元民は咎めることもなく去って行った。

せめて星が出ていればなあなどと思う。つづく。

2008-08-24 矢倉沢往還落ち穂拾い、そして(2) [長年日記]

_ 朝の5時頃目覚める。眠りは浅いようだったが、眠気で歩けないというわけでもなさそうだった。



朝食。夕べの仕込みはうまいこと功を奏して粥もコーヒーも乏しい燃料でなんとか準備できた。たき火も考えたがやはりこんな公園の如きで大きな火を使うのは良いこととは思えなかったし、だいたい乾いた薪になりそうな枯れ枝も見当たらない。夕べつかった割り箸をストーブの燃料に折り加えた。一膳でぬるま湯がカップ一杯くらいは用意できそうだ。

テントを撤収して出発は午前7時少し前。重い荷物を持って歩くのは確かに大変だが、起きて飯を食べたらもうすぐに昨日の旅の続きが始まる、というのは野宿のいいところだ。しかしこれは公認の旅の様式とはとても言えない。どちらかというと非合法な旅の様式に近い。野宿者は恥じらいつつ人目をはばかりながら歩き始める。ここいらは「矢倉沢往還の落窪付近」というかながわの古道50選の一つでもある。涼しげな木陰の旧道を歩み、松田に出たらあとは酒匂川沿いにどんどん南下するのみ。雨は止まない。容量40Lを超えるザックには、レインポンチョは似合わない。増水していく川の中に身を投げ込んで釣りにいそしむ人々を河岸から「馬鹿だなあ…」なんて思いながら歩く。馬鹿はこちらも一緒だ。

酒匂川の河口に出たら11時を過ぎていた。またしても登山靴を小田原の海の水で濡らして、鴨宮駅から帰宅。体中びしょびしょで電車の中は寒い。帰宅してすぐに風呂に入った。

こんな旅は現代の旅からはかなりかけ離れたものである。家にあればけにもる飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る。そんな歌が似合うようなわびしい行為だ。しかもたいして遠くに出掛けたわけでもない。こんなものは旅ではなく放浪だ。が、それはまた限りなく原初的な旅の姿にも近いわけであり、乾飯ほとびにける東男の旅もかくや、なのだった。それを支えているのは現代の技術の粋を集めた(?)雨具やテントやザックなのである。

というわけでまた機会あるごとにこんな歩き方をしてしまう。つづく。(いつか)

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