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2010-03-10 遅すぎた訃報。 [長年日記]
_ そういうわけだから服喪につきメタボ対策、今宵は解禁。
_ へへ…『遅すぎた訃報』なんて、なんだかポーの『早すぎた埋葬』みたいじゃないですか。
すっかりなじみになっていた最寄駅そばの小さなラーメン屋。そのおやじさんは先の年末に亡くなっていたとのことで、たまたま出張帰りに立ち寄った今日、初めて知らされたのだった。ここにも長く住んでいる。場所は少々動いたが、入社以来ずっとなので20年にもなる。まあ今宵、文章はおいおいすすめていくとして、まずは失礼してホッピー黒の栓を開けさせていただくことにする。訃報を聞く直前、すでに当の店でビールを一本開けてる。明日は普通に会社だ。余談だが、ホッピーはプリン体が0ということなので、飲みつけると、焼酎を割らずともビールテイスト飲料としては申し分がないと気付いた。本物のホップを使っているところも良い。ホップには眠りを誘う効果がある。尤も、今宵はいつもの甲類25度の6倍希釈だ。
この店は当初割に遅くまで店を開けていたから、入社当初からよく利用していた。ただ、北海道出身で中太の縮れ面でなくてはラーメンと思えなかった初めの頃、まっすぐな細麺をすするのが悲しくてしようがなかったことも記憶してはいる。たぶん夜遊びの〆め的に寄り付き始めたのだっただろう。
自然顔を覚えられた私はいつかおやじさんと軽口を交わす仲になっていた。今も二代目を支え続けているおやじさんの娘さんもまたなかなかに胸の形が良く…あ、そうだ。今日の記事はどう考えても特定の個人に対する記述が多いから覚悟して読むように。ちがった、覚悟して書くことにする。続き。胸の形よく厨房仕事にうっすら浮かぶ汗は今でも彼女の女っぷりを3割くらいは上げていると思う。なかなかおやじさんの思い出の記述に行かないな、まあいいや。そんなわけで、娘さんの"働く色香"に惹かれて通ううちにここのラーメンは特徴的に旨いのではないかと思うようになっていった。
会社の寮に住んでいた私だったが、ふと魔がさして流しも無い狭い寮の部屋の中にカセットコンロを持ち込んで、森枝卓士のカレーノートを読みながらスパイスから調合するカレーを作りだした。後日今の借家に入った頃、食材を物色してうろついた東急ストアで親父さんに出会う。
いかん、風呂が沸いたようだから一時中断。今宵の日記は長いぞ。寝落ちしなければ、だが。
というわけで風呂上がりにホッピーの黒じゃないやつを飲みつつ、続き。どっからだっけ。娘さんの女っぷりが良いっていう話か。違った。でもその辺から再開しよう。
現在のご主人はもとはこの娘さんとお付き合いしてたフツーのリーマンだった。リーマンと言っても数学者じゃないらしいぞ。で、いつの頃からか、この厨房の中でおやじさんに鍛えられているワカモノの姿が見られるようになった。後日彼は私に述懐する: 「まさか自分がラーメン屋になるなんて思いもしませんでしたよ」 ごめん、述懐というほどにはひねりが無い。
さて、時を経て。私は自分のカレー作りに自信を深め、その店の人々との親しみは増していく。そのうち、先ほど風呂に入る前に書いたような事態が起きたのだ。おやじさんが私にこうたずねた、と私も述懐する: 「そんなに買って何作るの?」 私が、カレーの材料だというと、一度食わせろと言うのだ。そこで、タッパウェアに詰めて或る日持っていく。自分で作るうちに辛さに麻痺してたのだろう。具材に青唐辛子まで入れて、さらにガラムマサラまで添えて。
後日その店を訪ねて、カレーはどうだったと尋ねると、「恨みでもあるのかと思うほど辛かった」と言われた。それで私は人に食べさせる料理と自分を満足させる料理というものの違いを思い知ったのだった。まあそのあと、でも香りが違うとか旨かったとか若干の賛辞を付け加えてくれて、カレーのタッパウェアーに、店の餃子(焼く前)を詰めて返してくれたんだった。
親父さんの人柄を語るにはこんなエピソードでは足りない。ここからの記事はことによると名誉棄損に当たるようなものかもしれない。たぶん閉店の頃まで私は居ついていた或る日、自然に女遊びの話になる。 ここで言っておくが、親父さんは確か私の父と同じ昭和10年の猪男だったと思う。この話題が10年前としても彼は60代だ。なのにこんなことを言い出すのだ:
「女と付き合うんなら年増が絶対いい。ホテル代、持ってくれるからな」あげく、実は某近所のスーパーマーケットのレジのおねいさんに狙っているご仁がいるんだとか。おやじさんのご夫人はご健在のようでもあったから、明らかに不誠実な発言なのであるが、その後私はそこのスーパーを使うたびに、おやじさんに狙われている危険なレジのおねいさんはどの人だろう、なんていう妄想が尽きなかった。そういう自分は今、月・火の朝一に出現する宮崎あおいをさらに上品にしたようなうら若きレジスターにぞっこんではある。まあ万一良い仲になったとしても ホテル代を持つのは私だろう。そんなわけで私の色好みはおやじさんの域にははるかに及ばないのだった。
さて、酒にしよう。こういうときのために通販で青森の菊駒を買ってあるんだ。奥州行脚で見つけた菊駒のラベルが復活していたのはちょっと嬉しいな。ぐび。くー、後引くぜ。
おやじさんをカウンターの中に頻繁に見なくなった頃、二代目はこの店にイノベーションをもたらさんとしていた。つけめんやもやしラーメンと言った新メニューや、半ラーメン・半チャーハンと言った選択の自由度の高いメニュー。はじめて口にしたときは全くこの店の世代交代を思い知ったのだった。なんだろうか。決して奇をてらったメニューではないのに、新興の店でもちょっと味わえないようなユニークなメニューと思う。かつ、おやじさんの味は全くそのままだ。これを失ってしまったらかなりの常連を失ってしまうことだろうし、これを何よりも危惧しているのではないかと推察する。
この最寄駅の前というのは、実はひそやかなるラーメン激戦区なのである。この手狭な土地に現在近接するラーメン店がおやじさんの店を含めて4店ある。フランチャイズ店の勢力の前にはなかなか立ち向かうことは難しいであろう。この土地はなんだか食事処の栄枯盛衰が激しい。私鉄とJRの乗り換え駅という特徴も駅周りの集客にはあまり結びつくことはない。駅の面積も拡張は物理的に無理であろうから、品川駅のような賑わいを目指す方向もなかなか…。でも牛角だのペッパーランチだの○座だのといったチェーン店が要所と目していることもどうやら確かではある。
今日の帰り際に現主人は言った。
「でも、今もこの辺にいると思うんですけどね。仕事場に出るの好きでしたから」
嗚咽を抑えて帰宅したことは言うまでもない。そして今、泣こうがわめこうが誰に遠慮することなく自宅の自室にいる。こうやってつまらない思い出を書きつけたら、ようやくおやじさんの通夜を終えたような気にもなっている。 ありがとう。いままでごちそうさま。 メタボが気になる俺だけど、自転車でウェートを落としながらこれからもなるべく通うようにします。娘さん目当てにね。現主人に殺されるか。恨めしいと思うのは、お店で会うだけじゃなくて一緒に遊びたかったってことかな。しかたない。二代目を誘って年増の女をハントしに行きますか。