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2010-03-06 禁断の書斎整理。 [長年日記]
_ ぜーんぜん片付かない。
まあぼちぼちってことでいいか。近頃私淑してる収納術使いは超整理法の野口さんに加えて近藤典子さん。あまた達人のいる中でちょっと色っぽいところが良い。ちなみに私淑している料理研究家は山本麗子さんだ。
そんなわけでデッドスペースにオリンピックで安売りしていたカートなんか入れて、古くてカパカパになったサライのバックナンバーなんかを詰め込み直したりしてた。10年以上前のアイドル誌を発掘してちょっとうれしいやら、干からびた猫のフンなんかも出てきたりして悲しいやら。越してきたころに比べて大きく変わったのはアウトドア関連の道具と資料が増えたこと。そしてもうカバーをしなくても蔵書がヤニで黄ばんだりしなくなったこと。
庭には梅が咲いてる。メンタリティは先週またしても低調だった。ホント、お酒やめたいっす。
石油ファンヒーターを使ってるけど、灯油の配達してくれる店がない。COOPも昨年夏に配達をやめてしまった。今は仕方なく近所のGSで買ってカートで運んだりするんだが、今日はマウンテンバイクの荷台にくくりつけて運んできた。思ったほど坂道がきつく感じなかったのは坂に慣れたせいだろうか。ただ、ポリタンクを横にして運ぶのでしっかりキャップをしないと漏れて危ない。さて、こんな私が今後とるべき道は2つ。この年になって運転免許を取るか、三輪自転車など運搬用自転車を入手するか。大きな目で見ると前者が望ましいのは確かだ。
2010-03-10 遅すぎた訃報。 [長年日記]
_ そういうわけだから服喪につきメタボ対策、今宵は解禁。
_ へへ…『遅すぎた訃報』なんて、なんだかポーの『早すぎた埋葬』みたいじゃないですか。
すっかりなじみになっていた最寄駅そばの小さなラーメン屋。そのおやじさんは先の年末に亡くなっていたとのことで、たまたま出張帰りに立ち寄った今日、初めて知らされたのだった。ここにも長く住んでいる。場所は少々動いたが、入社以来ずっとなので20年にもなる。まあ今宵、文章はおいおいすすめていくとして、まずは失礼してホッピー黒の栓を開けさせていただくことにする。訃報を聞く直前、すでに当の店でビールを一本開けてる。明日は普通に会社だ。余談だが、ホッピーはプリン体が0ということなので、飲みつけると、焼酎を割らずともビールテイスト飲料としては申し分がないと気付いた。本物のホップを使っているところも良い。ホップには眠りを誘う効果がある。尤も、今宵はいつもの甲類25度の6倍希釈だ。
この店は当初割に遅くまで店を開けていたから、入社当初からよく利用していた。ただ、北海道出身で中太の縮れ面でなくてはラーメンと思えなかった初めの頃、まっすぐな細麺をすするのが悲しくてしようがなかったことも記憶してはいる。たぶん夜遊びの〆め的に寄り付き始めたのだっただろう。
自然顔を覚えられた私はいつかおやじさんと軽口を交わす仲になっていた。今も二代目を支え続けているおやじさんの娘さんもまたなかなかに胸の形が良く…あ、そうだ。今日の記事はどう考えても特定の個人に対する記述が多いから覚悟して読むように。ちがった、覚悟して書くことにする。続き。胸の形よく厨房仕事にうっすら浮かぶ汗は今でも彼女の女っぷりを3割くらいは上げていると思う。なかなかおやじさんの思い出の記述に行かないな、まあいいや。そんなわけで、娘さんの"働く色香"に惹かれて通ううちにここのラーメンは特徴的に旨いのではないかと思うようになっていった。
会社の寮に住んでいた私だったが、ふと魔がさして流しも無い狭い寮の部屋の中にカセットコンロを持ち込んで、森枝卓士のカレーノートを読みながらスパイスから調合するカレーを作りだした。後日今の借家に入った頃、食材を物色してうろついた東急ストアで親父さんに出会う。
いかん、風呂が沸いたようだから一時中断。今宵の日記は長いぞ。寝落ちしなければ、だが。
というわけで風呂上がりにホッピーの黒じゃないやつを飲みつつ、続き。どっからだっけ。娘さんの女っぷりが良いっていう話か。違った。でもその辺から再開しよう。
現在のご主人はもとはこの娘さんとお付き合いしてたフツーのリーマンだった。リーマンと言っても数学者じゃないらしいぞ。で、いつの頃からか、この厨房の中でおやじさんに鍛えられているワカモノの姿が見られるようになった。後日彼は私に述懐する: 「まさか自分がラーメン屋になるなんて思いもしませんでしたよ」 ごめん、述懐というほどにはひねりが無い。
さて、時を経て。私は自分のカレー作りに自信を深め、その店の人々との親しみは増していく。そのうち、先ほど風呂に入る前に書いたような事態が起きたのだ。おやじさんが私にこうたずねた、と私も述懐する: 「そんなに買って何作るの?」 私が、カレーの材料だというと、一度食わせろと言うのだ。そこで、タッパウェアに詰めて或る日持っていく。自分で作るうちに辛さに麻痺してたのだろう。具材に青唐辛子まで入れて、さらにガラムマサラまで添えて。
後日その店を訪ねて、カレーはどうだったと尋ねると、「恨みでもあるのかと思うほど辛かった」と言われた。それで私は人に食べさせる料理と自分を満足させる料理というものの違いを思い知ったのだった。まあそのあと、でも香りが違うとか旨かったとか若干の賛辞を付け加えてくれて、カレーのタッパウェアーに、店の餃子(焼く前)を詰めて返してくれたんだった。
親父さんの人柄を語るにはこんなエピソードでは足りない。ここからの記事はことによると名誉棄損に当たるようなものかもしれない。たぶん閉店の頃まで私は居ついていた或る日、自然に女遊びの話になる。 ここで言っておくが、親父さんは確か私の父と同じ昭和10年の猪男だったと思う。この話題が10年前としても彼は60代だ。なのにこんなことを言い出すのだ:
「女と付き合うんなら年増が絶対いい。ホテル代、持ってくれるからな」あげく、実は某近所のスーパーマーケットのレジのおねいさんに狙っているご仁がいるんだとか。おやじさんのご夫人はご健在のようでもあったから、明らかに不誠実な発言なのであるが、その後私はそこのスーパーを使うたびに、おやじさんに狙われている危険なレジのおねいさんはどの人だろう、なんていう妄想が尽きなかった。そういう自分は今、月・火の朝一に出現する宮崎あおいをさらに上品にしたようなうら若きレジスターにぞっこんではある。まあ万一良い仲になったとしても ホテル代を持つのは私だろう。そんなわけで私の色好みはおやじさんの域にははるかに及ばないのだった。
さて、酒にしよう。こういうときのために通販で青森の菊駒を買ってあるんだ。奥州行脚で見つけた菊駒のラベルが復活していたのはちょっと嬉しいな。ぐび。くー、後引くぜ。
おやじさんをカウンターの中に頻繁に見なくなった頃、二代目はこの店にイノベーションをもたらさんとしていた。つけめんやもやしラーメンと言った新メニューや、半ラーメン・半チャーハンと言った選択の自由度の高いメニュー。はじめて口にしたときは全くこの店の世代交代を思い知ったのだった。なんだろうか。決して奇をてらったメニューではないのに、新興の店でもちょっと味わえないようなユニークなメニューと思う。かつ、おやじさんの味は全くそのままだ。これを失ってしまったらかなりの常連を失ってしまうことだろうし、これを何よりも危惧しているのではないかと推察する。
この最寄駅の前というのは、実はひそやかなるラーメン激戦区なのである。この手狭な土地に現在近接するラーメン店がおやじさんの店を含めて4店ある。フランチャイズ店の勢力の前にはなかなか立ち向かうことは難しいであろう。この土地はなんだか食事処の栄枯盛衰が激しい。私鉄とJRの乗り換え駅という特徴も駅周りの集客にはあまり結びつくことはない。駅の面積も拡張は物理的に無理であろうから、品川駅のような賑わいを目指す方向もなかなか…。でも牛角だのペッパーランチだの○座だのといったチェーン店が要所と目していることもどうやら確かではある。
今日の帰り際に現主人は言った。
「でも、今もこの辺にいると思うんですけどね。仕事場に出るの好きでしたから」
嗚咽を抑えて帰宅したことは言うまでもない。そして今、泣こうがわめこうが誰に遠慮することなく自宅の自室にいる。こうやってつまらない思い出を書きつけたら、ようやくおやじさんの通夜を終えたような気にもなっている。 ありがとう。いままでごちそうさま。 メタボが気になる俺だけど、自転車でウェートを落としながらこれからもなるべく通うようにします。娘さん目当てにね。現主人に殺されるか。恨めしいと思うのは、お店で会うだけじゃなくて一緒に遊びたかったってことかな。しかたない。二代目を誘って年増の女をハントしに行きますか。
2010-03-19 [長年日記]
_ センチメンタル・ジャーニー、第一夜。
ただの三連休なら溜まった仕事(含む家事(含むハードディスクレコーダーのダビング))でもこなしつつ近間の遠くにロングライド&&野宿というのでもいい。ただ、期末のフォロー厳しい時節、馬齢を重ねすっかり男の更年期となり明後日にはまたひとつ齢重ねるひとり我が身を慰めんとて、かつての足取りをゆるりとたどり返す感傷的の旅にいでてみん。旅の衣は新しき背広にあらず、行く手はふらんすにもまたあらじ。今宵福島なる馴染みの店にて酔いしれんとす。明日は座敷童にも会わん、よしや焼き出されておらぬなら。生誕を祝う夜には善知鳥なる港の銀座でまたひと騒ぎか。
そういうわけで、奥州街道歩きの落ち穂拾いをかねて出かけたのであった。天気は相当荒れるかも。なのに蓑が坂歩きたいなとか密かに目論んでいるのです。
_ 感傷旅行とは良くも言えり。時の流れなるの本質、馴染みたるものことと逢われぬ様となりぬべきことこれなり。いたく思い知りけり。いたくまた酔い痴れにけり。
2010-03-20 [長年日記]
_ センチメンタル・ジャーニー、第二夜。
今、金田一温泉です。今朝は以前の奥州街道歩きで見学できなかった桑折の旧伊達郡役所を訪ねたり、くりこま高原駅から伊豆沼一周したりして(地図で調べてみてください。結構広いですよ。琵琶湖より広いんじゃないかと思ったもん)、宿に着いたら20時過ぎ。ここは前に来たときとあまり印象が変わらなくて安心。しかし明日は天気相当に乱れるらしい。
2010-03-22 センチメンタル・ジャーニー。まとめ。 [長年日記]
_ 「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」
この歌は伊勢物語の第4段の歌なのだそうで、なぜか覚えていた。今回のセンチメンタル・ジャーニーで実感したことは第一夜に書いたように、時の流れの無常であること、その本質は何か、ということだった。これは大きな体験だった。そして、上に書いた在原業平の歌をなんどか思い起こしていた。月は昔の月のままだ。
花だって昔の花だ。
春は昔から変わらぬ春なのだ。その春が、嵐を伴っておとづれた。
変わってしまったのは、わたしだ。わたし一人だけが変わってしまったのだ。だから、私以外の全てが変わってしまったように見えているのだ。本当に変わってしまったのは私自身なのに。
そんなふうに、反・業平を気取りながら今回の旅を終えた。思った以上にセンチメンタル・ジャーニーであった。会いたいと思っていた人3人のうち1人にしか会えなかった。 その、会えた方の一人、金田一温泉・仙養館の女将さまが心にしみることをいくつか言っていた。大腸癌から立ち直った実兄殿のこと、年を経ると楽しいことは少なくなり、笑う機会がすっかりなくなってしまうこと。人の気分は本当はちょっとしたことですぐに暗くなったり明るくなったりするのに、落ち込んでいるときはそんなことには思い至らないこと、座敷童がいるというので何年先も予約がいっぱいだった某旅館の火災のこと。。。 でも一番印象に残ったのはこのことだ。上に書いたように、座敷童で有名になった某旅館に続いて、わたしが定宿(とか言ってまだ2度しか泊ってない)とする仙養館にもどうやら座敷童がいるらしいという口コミが広まりつつあり、おそらくその噂を頼りにおとづれた老父がいた。突然に息子を亡くした無念さが彼をおそらくは旅に駆り立てたのだろう。幽霊の姿であっても良いから息子に会いたい、そう思ってこの精霊の住む温泉地を訪れたということだった。
わたしのどころではない彼の人のセンチメンタル・ジャーニーにおいてもやはり、思い知ることは時の無常・その本質であったろうと思う。息子さんの霊に会うことはできなかったらしい。 けど、宿の部屋でフラッシュをたいて写真を撮ると、そこにはオーブらしきものが映っていたんだそうな。 わたしはこのオーブなるものが心霊的なるものと関係があるようには思っていないのだが、一応私が寝床を映した画像にも、いわゆるオーブと呼ばれる光球が映っているように見える。 実体験に相当するような昔語りが発掘されるといいのかもしれない。ともかく私のセンチメンタル・ジャーニーは本当にセンチメンタルな側面を深く刻んで終わった。宿でこっそり練習やってたムーン・ウォークも多少スムーズに動くようになった。奥州街道の旅は本当に終わった。そして、見た限りもう、米沢に向かう新しい旅を始めてしまっても大丈夫なんじゃないか、そうも思ったのだった。
旅から帰ったら、案の定、うちのご近所のしだれ桜が開花していた。これが街灯に照らされているのは本当に毎年深甚に思われるイベントだ。今年もそうなった。私にはどうやら早い春が来た。皆様におかれましてはいかがでしょうか。
2010-03-25 [長年日記]
_ 天候不順、されど…
庭の草木にも芽吹きの時。画像、周りにカタバミが生えてるのは昨年発芽したムクロジ。今ひとつは昨年家の裏の崖っぷちのブロックを崩しかけてたために除去した桜の切り株を埋めておいたもの。どうやら根付いたらしい。またいずれ小さな花見ができることだろう。
2010-03-27 英会話スクール、体験レッスン。 [長年日記]
_ この年になってという向きもあるかもしれないが、なんとなくこれからも必要になりそうな気がして英会話スクールの体験レッスンを受けてみた。
この日の先生は英国人。ウォーキングの話などしてみた。お勧めクラスはintermediateで、簡単だと思ったらどんどん上に進めばいいとか言ってた。月謝制なのでお手頃感がある。悪くないと思ったので申し込んだ。来週から基本的に土曜は勉強の日になる。先生はオーストラリアの人らしい。豪州は訛りが強いと聞いているが、さて?
2010-03-31 わんこそば大会。 [長年日記]
_ [食べ物・飲み物] 初・わんこそば(競技)を戦う。
以前奥州平泉で秀衡膳と名のついたわんこそばを食べたことがあるが、これは一人前20杯と数の決まっているものを粛々と食べるものだった。今回は違う。入社したころから東神奈川の駅で看板を見て以来、ずっと気になっていた「たち花」なる東白楽のわんこそばは数を競って食べる。100杯食べると記念品がもらえるらしいというので、妙齢の美女と連れだって出かけたのだった。
注文すると店のロゴ付きの前掛けが出てくる。味が単調になったときのためのおかず数品と薬味セットが出てくる。食べ方の説明を受けて、最初は戸惑い気味だった我々は次第に戦士としての自覚を高めていくのだった。ビールで少々のどをうるおしているうちスタートとなる。五杯食べたら自分でその目印におはじきを一個ずつ置いていくのだが、食べるのに夢中になって何個か置き忘れた。おかわりをよそうお姉さんは慣れた手つきで、掛け声もほがらかに「はいどうぞー」「はいどんどん」「はいよいしょ」という具合で。そのうち「はいどんどん」が悪意を帯びているように聞こえてくるのが不思議なところだ。100杯を重ねるとさすがにキビシいものがある。100杯記念の記念品をもらって記念の記帳をする権利もいただく。ノートをめくっていると、食べ終えた人の感想がいちいち面白い:
「無理」
「もう当分そばはいいです」
「そばが来る…」
「はいた」
「はいどんどん」
ちなみに連れの美女は女性の規定数80杯を余裕で超えて100杯食べてつらっとしていた。その名をうにゃにゃと言う。
わんこの他にもひっつみとかいろいろおいしそうなのがある。次は普通に違うの食べに来たい。
_ うにゃにゃ [誕生日イブだね、明日は]
_ けい [何も要らない、君の他は。ハーレクイン男と呼んで。]