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2013-05-05 [長年日記]
_ [特撮] 獣電戦隊(バモラ)キョウリュウジャー。
今日の見どころは、ウッチーとほかのメンバーが同時に変身ポーズを決めるとこ(ウッチーだけ別の振りなのだが妙に調和してて尺もあっているように見えた)と、番組終わってすぐ「仮面ライダーウィザード、このあとすぐ!」ではなく「獣電戦隊キョウリュウジャー、このあとすぐ!」ってなってたとこ。まさかの二話連続かと思った。
_ だいぶ前に録画したみうらじゅんと安斎肇の「笑う洋楽展」見てるのだが、プロコル・ハルムの「青い影」のビデオで大笑い。あの名曲にこの映像はなんなのだという破壊力の凄さ。ドアーズの映像も何か危険なことがおきそうでハラハラする。こうしてみると、やはり芸術の多くのジャンルの中で、音楽というジャンルは他に比べてダントツに完成度が高いのだと思う。同じレベルで映像作品を作ることは至難である。2次元映像でさえそうなのだ。3Dで観賞に耐えうる芸術作品を作ることはさらに大変ことなのではないか。たぶんイメージが具体的になればなるほど、鑑賞者の自由な想起の妨げになり、鑑賞者が勝手に感じとる共感の仕組みから弾き飛ばされてしまうということなのだ。どんな芸術よりも自然のほうが観賞に耐えうる、というのはよく言われることだし、最終的には余白だらけで具体的内容に乏しいものであればあるほど、そこにかすかに植えつけられた作意との対照も相まって素晴らしいもののように見えたりもする。作品というものがこっちの方向に進み始めてしまったら破滅の兆候だ。創作を行なうものは絶えずこの存在不安にさらされ続けているとも言える。それでも芸術家であり続けること、あるいは自らをそのように自覚し続けることは、本来自分が憧れて目指していた高みに対する冒涜、であるかもしれない。最初から最後まで芸術家の存在は不安にさらされている。
_ wktkラジオ学園はじまってる。何かをやっているときにラジオを聞くというのはよくあることだが、逆にラジオに集中していると、結構何にもできないなあと思う。福田彩乃の物まねがどこで出てくるかわからないという緊張感があったりなんかして。
福田彩乃おきにいりだね。