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2007-05-05 帰ってきました。
_ 今東横線の中。盛岡も花巻もよかったが、一人旅ならもっと良かっただろう。ひどく嫌なことがあった訳じゃない。ただ、楽しみも苦しみも丸ごとすべて絶対的に自分のもので有りたかった、ということ。
2009-05-05 こどもの日。
_ 特になし。ゴミ出しに行っただけ。トレーニングもなし。こないだ植えた高菜がたくさん芽を出してる。今年はめはり寿司食い放題だなw。唐辛子も。もしかするとカモミールも芽生えたかも知れない。そろそろブッドレアとリアトリスの季節。蝶々は紫の花が好き。うちの庭の山椒を食べて育った蝶がうちの庭のブッドレアの蜜を吸いに来るかもしれない。すると我が家の前を通る細い道は、蝶の道となるのだろう。
2011-05-05
根府川で昼食。アーンドコーヒーアーンドアイス。古道どこなのか良くわからないが根府川関所跡なんか見た。今日の目標、小田原で凧上げ。
_ 夕刻16:00すぎ、どこが東海道との分岐点なのかも今一つ分からないがとりあえず下田街道・東浦路の旅終了。はー、長かった。江戸の人たちは2−3日で駆け抜けたらしい。全行程ほぼGPSにデータが入ってるはずなのでマップにすればそれなりに価値はあると思う。
_ ところで、凧。出発前日、東急ハンズで小さなおもちゃ風の凧を見つけて二つ買った。蜂の形したのとカエルの形したの。蜂の方には「ミエコ」と名付けて、カエルの方には「ラナタン」と名付けて揚げてみたが、風の具合か要領の悪さかいま一つ揚がらない。ただ、ラナタンの方はちょっと高さ3mくらいは揚がったようだ。なんでカエルなんだとか良くわからないことは多々あるが、小さいものなので今後は旅に行く先々で揚げてみようかなと思う。なぜこんなことをすることにしたかというと、これは万一の遭難のときに、目印として使用できないかと考えてのことなのである。役に立つかどうかはまさに風まかせなところが不安だが。
2013-05-05
_ [特撮] 獣電戦隊(バモラ)キョウリュウジャー。
今日の見どころは、ウッチーとほかのメンバーが同時に変身ポーズを決めるとこ(ウッチーだけ別の振りなのだが妙に調和してて尺もあっているように見えた)と、番組終わってすぐ「仮面ライダーウィザード、このあとすぐ!」ではなく「獣電戦隊キョウリュウジャー、このあとすぐ!」ってなってたとこ。まさかの二話連続かと思った。
_ だいぶ前に録画したみうらじゅんと安斎肇の「笑う洋楽展」見てるのだが、プロコル・ハルムの「青い影」のビデオで大笑い。あの名曲にこの映像はなんなのだという破壊力の凄さ。ドアーズの映像も何か危険なことがおきそうでハラハラする。こうしてみると、やはり芸術の多くのジャンルの中で、音楽というジャンルは他に比べてダントツに完成度が高いのだと思う。同じレベルで映像作品を作ることは至難である。2次元映像でさえそうなのだ。3Dで観賞に耐えうる芸術作品を作ることはさらに大変ことなのではないか。たぶんイメージが具体的になればなるほど、鑑賞者の自由な想起の妨げになり、鑑賞者が勝手に感じとる共感の仕組みから弾き飛ばされてしまうということなのだ。どんな芸術よりも自然のほうが観賞に耐えうる、というのはよく言われることだし、最終的には余白だらけで具体的内容に乏しいものであればあるほど、そこにかすかに植えつけられた作意との対照も相まって素晴らしいもののように見えたりもする。作品というものがこっちの方向に進み始めてしまったら破滅の兆候だ。創作を行なうものは絶えずこの存在不安にさらされ続けているとも言える。それでも芸術家であり続けること、あるいは自らをそのように自覚し続けることは、本来自分が憧れて目指していた高みに対する冒涜、であるかもしれない。最初から最後まで芸術家の存在は不安にさらされている。
_ wktkラジオ学園はじまってる。何かをやっているときにラジオを聞くというのはよくあることだが、逆にラジオに集中していると、結構何にもできないなあと思う。福田彩乃の物まねがどこで出てくるかわからないという緊張感があったりなんかして。
2014-05-05
_ 今朝がた結構大きな地震が久しぶりに会ったのだが、まだ風邪気味でうだうだ寝てた。ゆれは小さくはなかったがこの分だと震度3強と言うところかと思ってたらちょうどそのくらいとニュースで速報があった。千代田区の震度が大きかったらしいが、どういう理由なのかわからない。俺は、自分のところには問題ないだろうと思って、読みかけだった宇能鴻一郎「むちむちぷりん」を読んでうだうだしてた。どうにもエロくない。しかし夫の長期出張に付き合って札幌や函館に出たヒロイン(どこもここもムチムチでプリンプリン(と会う男すべてに呼ばれる)な人妻)が北海道の食に舌鼓を打つ記述などはちょっと面白かった。
_ [アニメ] 魔法少女まどか☆マギカ
全12話ぶっ続けで見た。これは噂に違わぬすごいアニメだった。こんなの見てしまったらこのあとどんな魔法少女モノが出て来てもこの作品との対比で見てしまうよりなくなってしまう。魔法少女は成熟すると魔女に至る存在、というキュゥベエの言葉が示す通り、魔女にせよ魔法少女にせよ本来は猥雑で忌むべき存在であることに間違いない。魔女っ娘メグちゃんなんかはそもそも女性であること自体が魔女的本質を備えているというようなことをテーマソングで歌っていた。ベヨネッタのビッチぶりだってそうなわけで、そういう「妹の力」を極端に強調したのが魔女であり魔法少女なのだろう。そんなわけだから、本作が主張しているようにクレオパトラや卑弥呼やジャンヌダルクがインキュベイターと契約を交わした魔法少女であったということは解釈として正しいと見なされる。古今の歴史や伝説に詳しいものならばケルトの女王ブーディカとか神功皇后とか、さらに多くの魔法少女の例を好きなだけ見出すことができることだろう。このようにして一見既存の魔法少女の概念を転覆させたようでその実魔法少女の忌むべき本来の姿を描いたことに加えて本作のもう一つの特徴は、その大規模なループ構造にある。もちろん時間遡航能力を持つほむらの存在が大きいのだが、たとえば「ある日どこかで」の中で重要な役割を果たす懐中時計がいつ初めて誰の手によってもたらされたのかなどといったパラドクスを廃すような配慮がなされているように見える。ほむらが”はじめて”転校生として登場した時点(第10話)ですでにまどかは契約して1週間の新米魔法少女でありそこには先輩のベテラン魔法少女マミの存在もある。この最初の出会いの時に、まどかはどんな願いと引き換えに契約したのかはわからない。ほむらが何度も戦いをやり直す動機となる「ワルプルギスの夜」もどんな魔法少女が魔女と化したのかはわからない。いずれにしてもまどかたちの物語には、いつそれが始まったのかが明記されている。ちゃんと考証すれば、ほむらの時間遡航の回数も読み解けるように思われる。このループ構造を基礎にして、物語は優れて自己言及的である。魔法少女と銘打っておきながら従来の魔法少女とは異なる定義を与えている点、ヒロインがその活躍によってたやすくそして確実に倒される存在に転化してしまうこと、他の時間軸においてはともかく物語で直接語られている時間軸においてはヒロインは最後にたった一度だけ魔法少女として活躍した後は存在しないことになってしまうこと、そして最後に、自らと等質な敵と戦う忌まわしい存在と位置づけられていたはずの魔法少女は、作中のヒロインまどかによってその意味付けを大きく変更させられてしまい、従来の魔法少女モノとほぼ同様な善悪二元論に従う”健全な”魔法少女モノへと”浄化”されること、などをもって自己言及的、と言えるのである。反・自己言及的、と言った方が正しいかもしれないが、自ら表明したことに反することを次々と言及していくこともまた自己言及と言えるだろう。
_ うにゃ [おかえりなさい! 風邪早くなおしてねw ]
2016-05-05
_ ころもさんの日。菖蒲でも買ってみるかな。というわけで、宿で寛いでる…とはちょっと言い難い。今回御子柴先生の「半導体の物理」の一部をコピーして持って来ていて、ブロッホの定理の証明に差し掛かっているのだが、いろいろ私にとっては難解な部分があって引っかかりっぱなし。しかしここをクリアしないと結晶の物性は分かり得ない。仕方ないので、解釈の仕方は多分こう、という仮説、というか一人ツッコミをノートに書き込んでおいて先に進むことにした。その後は、ブロッホの原典(ドイツ語なのでちゃんとは読めそうもないが)眺めつつキッテルで再確認したい。なぜ御子柴先生の本にこだわってるかというと、正孔をどういう仮想的な粒子であると考えたら良いのかを真面目に書いていそうに見えたから。この辺クリアな理解をせずにここまで来てしまっているから、いっそじっくり納得したいと思ってる。こういうやり方が実用的でないことに関してはもうどうしようもない。きっとそういう病気なんだよ、オレ。こういう時は勉強好きだ、というセルフイメージも大いにゆらぐ。
_ [読書] 「とりかへばや物語」ビギナーズクラシックス、角川文庫、2009.
ずっと読みたかった。本来は岩波新日本古典文学大系なんかで読むべきところだが、それだと普段の持ち歩きに不適当だし安くない。こうやって古今のTSF作品?を読んでいくのだ。40ページほど読み進んで思うのは、登場人物のパーソナリティが思いの外複雑なようで、男装の姫君は当時の男性として期待される資質を兼ね備えていてそのように振る舞うのを好む反面、内心女性らしくありたいと願ってもいるようだ。これはTSFというよりは、肉体的には第二次性徴を迎えても精神が追いついていないというだけの青春の物語だったりして。あるいは作者のキャラ設定が揺らいでるのかも。まあいろいろ想いつつ読み続けていこう。つうか姫君、結婚して奥さんと同衾しちゃってるんだが、単衣着たまま肌を触れ合うことはない、とか書いてある。ということは、平安時代であっても通常のセックスってやっぱり裸でするんだな。なんか意外。しかしそれでごまかしきれるもんじゃないだろうに。さあこの後どうなるのか。つづく。つづく、で思い出したが、訪札初日千歳空港で見かけた中国人観光客、胸に「つづく」って書いてあるTシャツ着てた。正確に言うと、「く」の字は確認できなかったが、「み」とか「ら」とかじゃないよな。「き」はありかも。違和感ありありだが、振り返って本朝を顧みるなら'To Be Continued...'って胸にプリントしたTシャツなんてありふれてるような気もした。結局のところTシャツの文字とかタトゥーの文字とかDQNの決め台詞とか、すべからく勘違いの産物と言えそうだ。
_ 父の人の引き出しからこんなデバイスが出てきました。
2018-05-05
_ ゴミ出しに行った帰りに、崖からはみ出していた桜の木を切ってしまった。ひきまわして存続させようと考えていたが、そうすると結局日当たりは悪くなる。先週とは違って、直径2センチ程度の細い幹2本はものの2-3分で切れた。ここでも挽きまわし鋸が大いに活躍してくれた。いつのまにかごみごみしてしまったこの町内で木を育てる余裕は無さそうだ。もしもこの地にさらに長く住むことになるならばそのケアも体力的には難しくなるだろうし。まあまた5年くらい経ったら同じように切らねばならないのだろうな、とは思う。あとは老朽化したフェンスを何とかする必要があるようだ。たぶん来週あたりそんな作業をしているのではないかと思うので、続く。
2019-05-05
_ [特撮] 仮面ライダージオウ
今回も響鬼回。今回もトドがカッコいい。トドの師匠って斬鬼さんのことだな。死んでまで自分のそばにいてくれようとする師匠・斬鬼。思い出してきた。なんとなく響鬼を襲名する桐谷くん。先代の響鬼さんは物語の中ではどうなってたんだっけ?やっつけること=やっつけられるやつを救うこと、という変な理屈に今更ながら違和感を感じつつラス前。日菜佳さんに相談して弟子をとろうか、とつぶやくトド。日菜佳というのは立花日菜佳という女性で、24歳で亡くなった神戸みゆきさんのやっていた役。ちょっと感じ入るものがある。次回からキバ回。お!斬鬼さん出るのか?違った。この人の役は…ガルル。なつかしー。松田賢二さん。辺見えみりの旦那だったか!そしてなんか妖艶な女が…どうやらこれは釈由美子だ。くづづ!
2020-05-05 土鍋で玄米。
_ パールライスのホームページを見てちゃんと炊き方調べた。水は体積比で玄米:水=1:1.5.炊飯器で炊くときは1:1.2くらいになってた。それで硬かったのか…
_ 一人暮らしなのに大きめの土鍋を持っている。しかし最近は鍋物をするにも鍋焼き用の一人分の鍋しか使ってないから久しぶりの活躍。ベテランにはベテランにしかできない仕事があるのだ。今日はで時間かけても平気だ、すでに生ごみは出してきたし。というわけでこれを火にかける。
_ 煮たつまでは強火。煮立ったら弱火にして20分くらい。湯気の出る加減を注視して、勢いが弱くなったら30秒強火にして火を止めて10分ほど蒸らす。画像に湯気が映らないのが残念だ。この土鍋は色が気に入ってる。
_ このクレーターを見たかった!あとはしゃもじで削ぐように混ぜて完了。おこげができなかったのは残念也。
_ 二合炊いたけど朝食はこんだけしか食べないという。炊きたてだからと言っておかわりとかはしないの。なかなかのでき具合だった。また作ろう。
_ 早いうちに出かけて床屋。やってて良かった。後ろと耳の周りをバリカンで刈り上げてもらう。頭にバリカン入れたの何年振りだろう。耳のあたりに髪が触らないのって良いな。そしてせっかくの端午の節句だからね花ショウブと葉ショウブ買ってきましたよ。柏餅は連休の最初の方で食べましたから。
_ 夜。雨が来そうだったけど散歩。途中真っ暗な道があって緊張。横浜にもこんなとこあるんだよなあ。狸がいそう。帰宅して菖蒲湯に入浴、うだうだビール飲みながらスパイス調合して大量にカレーを作成。でも食べるの明日だな、まだニンジン硬いし。
2021-05-05
_ 昨夜から『おくりびと』見てて日付変わった。彼らの仕事ぶりへのマニアックな興味なども交じり、なかなか見応えある。父母の葬儀のことも少し思い出す。この人たちの仕事が無かったら、今の自分は彼らの死をとても肯定的には受け入れられなかったのでは無いか?どんな形であれ儀式を行なってお別れすることは残された人々にとっての後の世の癒しなのだと思う。ゴーラーの本にもそんなことが書かれていた。そういう意味では、昨今は会葬の機会が少なくなって、故人の思い出が未消化となることも多いだろう。それはもしかするとこの先の世にある程度の影響を与えてしまうかもしれない。遠くからでも、ネット伝いにでも、悼んであげられると良いと思う。なおこの作品はけいりう堂の膨大な録画ライブラリの比較的初期に収蔵されたものだ。私の収集癖の正しさは年を追うごとに証明されるばかり。故に魔窟は長く存在する。短くとも、私自身が"おくられびと"となるまでは。送られ方、考えとかないとな。死装束でルーズソックス履かせてもらう、とか。
_ 朝。一応GW最終日。黄金の日々を惜しみつつカレーとマフィンの朝食をとりながらNHK R1「こども科学電話相談」を聴いている。昆虫担当の久留飛(くるび)克明先生が関西弁で答えてるのがちょっと面白い。今、別の先生に対して、クアッガという絶滅したシマウマの一種に関する質問が出たところ。遺伝的に近い種の交配によって復活させるプロジェクトがあるのを知った子供が、同じような仕方でニホンオオカミを復活させることはできるのか、と質問している訳。小六の質問者の知識にもちょっと驚く。不確かだが、この質問者はこの番組の常連の質問者で、いつも面白い質問をしていたように記憶している。かなり以前になるが、SF作家として有名(?)なロバート・シルヴァーバーグという人が『地上から消えた動物』という本を書いており、まさにこんな方法や遺伝子技術などで再現することができたとしても、それは絶滅したものとは違う、と論じていた。私はそれを読んで以来ずっとシルヴァーバーグに同意し続けている。さて、先生の答えの概要。ニホンオオカミはタイリクオオカミの亜種だから可能だろう。しかしそれは絶滅したオオカミとは違うものであり、種として存続してきた経緯というものを持っていない。彼らが生きていた時代と今では生態系が変わっているから、新たに作られた狼たちを森に放つことは現在の生態系に外来種を放つのと同義でありバランスが崩れるから慎重であらねばならない、ということだった。質問者の子供も、自分の素晴らしい思いつきにはそれだけで済まない重要な問題があったことに気づいたのでは無いだろうか。今日のこの番組のテーマは「持続可能性」(SDGs:Sustainable Development Goalsに関する生物多様性)というなかなか立派なもので、それに相応しいQ&Aだった。
_ 追記。シルヴァーバーグ『地上から消えた動物』が刊行されたのは1967年という結構昔のことだった。SF者の(本書はSFでは無いけど)想像力は恐ろしいほど時代を先取りする。これまでに世界中で書かれた膨大な作品群と、その内容が実現された結果とを付き合わせることで、精度の高い予言書を作ることができるだろう。
_ 夜のご飯と思って買った柿の葉寿司、よく見るとこんなところにも果糖ぶどう糖液糖が入っている。お漬物とかにもほとんど入っていたりして、遺伝子組み換え食品を摂取せずに生きていくことはますます難しい昨今。同時確率分布にも少しはまっていささか悲しげな連休最終日の夜。いいさ。2日仕事したらまた休みだ。死生学に関連して図書館で3冊の参考資料を借りてきた。『水子』『死と死別の社会学』『シシリー・ソンダース初期論文集』。最後のはともかく2冊はタイトル見てるだけでちょっと暗くなりそうだけど、アメリカ人の書いた『水子』は興味深い内容と見えて読むのが楽しみ。こうのさんの『この世界の片隅に』が連休中に届かなかったのは残念也。
_ かくしてあり合わせのもので膳を整え「浦沢直樹の漫勉」見つつ戴く。かわぐちかいじさん。漫画家になりたいという人には、絵を描くのが好きなのか絵を描いている自分が好きなのかを良く考えよ、と言ってあげるそうな。それで腑に落ちた。自分は後者だ。うん、漫画家になれなくてきっと良かったのだなあ。まあしかし、後者で漫画家になってしまった人だってきっといる。そういう人が「漫勉」に登場すると面白いな、とも思った。連休の最終日らしい終わり方となった。結局連休らしいことなどできずに、最終日でそれらしいことを何か探そうとする、勤め人の連休最終日。独り者なればこそこう言った味わい深い過ごし方ができるのだ。そしてそれ以外の生活などありえない。
2022-05-05
_ 子供の日です。こどものかまえ。うちゅぞー。
俺、今ホッピングパンツっていう奴はいてるんすけど、薄手のジャージみたいやつでサラッとして快適っす。ホッピングパンツって呼ばれるやつ生まれて初めてはいた気がして嬉しかったんだけど、なんか、裾を絞ってるパンツの総称らしいっすね。聞いたことなかった。ちなみに税抜700円。やっす!
_ うにゃ [福田彩乃おきにいりだね。]