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2013-06-01 [長年日記]
_ 土曜日になった。鼻血は出てない。
_ 英会話に行ったら、先生が「我明日高尾山にのぼらむ。かの山如何ならむ」とたずねてきた(読んでわかる通り英語で言ったのだ)。「良き山なり。登るによし、登りて団子食むまたよけれ。ケイブルなどあるも山口の駅より徒歩にて上るにしくはなし」とか答えたら楽しそうにしていたので「ただ一つ心せよ。山頂には物の怪ありて大きなる面剥き出しねめつけるなり」と脅してやった。先生は天狗を見たことはあるんだろうか。来週聞いてみよう。そのためにはちょっと天狗のことをおさらいしておかねば。ウィキペディアから要点をつまんでくるとこういうことになる:
天狗はもともと中国ではアンラッキーの象徴であったところのコメットのことを意味していた。その話が日本にインポートされたころ、日本の山にはトレーニングに励むモンクが存在し、高尾山はその有名なトレーニング場の一つであった。アンラッキースターであるコメットはなぜか日本に伝わるとコンフューズして彼らマウンテン・モンク(←作った)の服装をしたフェアリーであるとみなされたのである。誰もいない山で大木が倒れることがあるが、それは天狗の仕業である。あなたはその顔をビーフジャーキーのラベルで見たことがきっとあるでしょう。もしかするとローカルなスパのある街の小さな劇場でそれを目にする機会があるかもしれません。長い鼻はモンクのトレーニングの邪魔になるファリック・シンボルを意味するのである。来週のレッスンではこれを英語に直さねばならない。英会話を続けるのもなかなか大変なことだ。
2013-06-02 [長年日記]
_ このタイプのルーズリーフが欲しいんだが。
_ どうやら生産していないようだ。しかも俺がほしいのはA5サイズ。これはちょっと自作するしかないようだ。それはできないことではない。なぜならばルーズリーフ用のパンチ器を持っているから。ただ、手間がかかる。そこが問題なのだ。なぜこんないいものがなくなってしまったのか。そういう俺だってもう何年も前に買ったっきりだからなあ。でもどうしてもクリアフォルダでは嫌なんだよ。やはり簡単な折り紙をやって自作するというのがいいように思われる。たぶん何十枚も必要とはしていないのだから。解せんことは解せんが。
実は何年も前から持ち歩く手帳はコクヨの野帳セーY3だし会社のスケジュール帳はA5ルーズリーフに差し替えのカレンダーを使い続けている。だが所詮はマイノリティなので(セーY3はマイナーな商品ではないだろうが、これを会社で使う者がマイノリティなのである。A5バインダーも愛用者は多いだろうが、これをスケジュールノートに使っている者がマイノリティなのである。もっともこちらは毎年毎年度カレンダーが出ているから前者ほどではないと思う)、いかんせんコンテンツが足りない。たとえばセーY3を持って街道歩きに出ているとつい石碑を見つけて元号を西暦に直したくなるじゃないか。そんな便利な換算表はセーY3様には売っているわけがないから自作して貼り付ける。見開き一か月のガントチャートを書きたいのに線が自分の弾きたい方向に引けないルーズリーフしかなければ、やはり自作するしかない。そういうわけだから今俺のセーY3とA4ルーズリーフノートはものすごくカスタマイズされてしまっている。きっと子供の時にサンスタースパイ手帳を買ってもらったのに、水に溶ける紙やら秘密のサインのシールなんかがなくなるのを惜しんで存分に遊びきらないうちにどこかにやってしまったことがトラウマになっているのだ。だが悲観せずに長生きしていてよかった。ガキオヤジになった今、それらは心行くまで自作することができるのである。しかもそんなの持って藪だの木の根道だのトンネルの上だの廃道だのを歩いて、GPSで場所を確かめて場合によっては仲間と通信しあったり、熊と(脳内で)戦ったり。これでは完全にスパイごっこの世界ではないか。なんかこれまでやってきたことが全然高尚な趣味ではないことを確認してちょっと苦笑いしているところ。
_ 昼前に実家の人々(親のことだ)からいろいろ食品が届く。釧路に行ってきたとのことで海産物がたくさん。別途取り寄せたカレイの干物などもあってちまちま食べていこうと。なんとなく玄米食も復活しつつあることだしな。でも今日の昼飯は鶴見川の土手でサンドウィッチにしようと思うの。
_ そんなわけで電球一個買いに出て3時間余り回ってきてしまった。出たついでに猫の額(うちの庭)の山椒の実と家の裏手に生えてるドクダミを収穫して家に入った。今日はドクダミのお風呂。梅雨時の湿気の陰気を打ち払ってくれるかのように大量に生えてくれるドクダミには愛着を感じる。入浴中はかなり香ばしい香りに包まれるがその匂いは体には残らないようだ。
_ 今日覚えた言葉。
スクロータム。意味は言えない。この辺を今現在ウィキペディアで調べると実写真付きで懇切丁寧に記述されていてビビる。ちなみにEn:Wikipediaだと"dual-chambered protuberance of skin and muscle, containing the testicles and divided by a septum..."とある。さすがの俺も古文変換はできない。目下の問題は、どうやってこの単語を記憶に固定させようかということだ。森鴎外ならば「語源を覚えれば簡単さ」と言うところだろうが、あいにく俺はラテン語がほぼ全く分からないのだ。こういう時はやはりごろ合わせが良かろう。スクロータム、スクロータマ、すくむタマ…いまいちでしかも下品だな。でもまあそういう意味だ、諸君のみなさん。こんなこと書いた以上は、そのうちスクロータムを検索してこの日記にたどり着いてしまう哀れな医者の卵さんたちがあらわれると思われ、ちょっと申し訳ない気分になる。
_ …、と、今この日記を見返して気づいたのだが、小机城跡の画像になんだか白いハレーション状のノイズが入っている。噂にはあながち根拠がないわけでもないということかもしれない。
2013-06-03 [長年日記]
_ 日付け変わってしまったのでしばし寝る。実は昨日あまり寝てなかった。寝しなに急いで読んだ花輪和一「風童」に目頭が熱くなった。ここには長年花輪さんが直面していた難問への解法らしきものがあらわれている。そのことに「良かったなあうんうん」と言いたいのである。明日もいろいろある。
_ けふもいろいろあった。疲れまくり。昨日に続いてドクダミ浴するとお肌がすっきりした感じがする。俺は慢性的な痔持ちではないが、デリケート・ゾーンはそれなりにデリケートな方だと思う。で、思うにドクダミ浴はそのへんのところにも効能があるんではないかなと感じた。
2013-06-04 [長年日記]
_ 久しぶりの出張でプレゼンする。無事終わって胸をなでおろしたら、手に何かが当たった。パピッラであった。こんな使い方でいいのだろうか、papilla?ジョークひとつ唱えるためにもラテン語の素養が必要になる。ラテン語を学ぶにはどうすればいいだろうか。良い入門書はないだろうか。NHKの語学番組にラテン語会話とかないのかな。いっそラテンに語学留学すればいいのだろうか。ラテンってどこにある国だっけ?遠いんだっけ?ラテン人の留学生と友達になればいいのかな?そういえばそんな話が「テルマエ・ロマエ」に書いてあったような気がする。確か舞台は伊東温泉だったと思う。このネタこれ以上書いてももう面白くないのでやめる。
_ そういうわけでSAKUSAKUを見てるんだが、この番組で一番面白いところはギフト矢野(芸人)のギャグがことごとくつぶされてしまうその瞬間にあるのだと思う。黒幕=白井ビンセントが天才的であることは言うまでもない。今日のクイズ。マリーちゃんのお父さんには五人の娘がいる。それぞれ、ナナちゃん、ニニちゃん、ヌヌちゃん、ネネちゃん、さてもう一人の名前は?
2013-06-05 [長年日記]
_ ロケみつの録画見てるのだが、ズーインちゃんの企画がコメント1000件に2件足りずロケ打ち切りとなってしまっていた。1視聴者として、なぜコメントをしてあげなかったんだろうと悔やんでももはや遅い。
2013-06-06 [長年日記]
_ ちょっと今仕事中なんだがどうにもむかつくことがあって書きこまずにいられない。缶コーヒーのワンダ・フレーバーズがクソマズいんだよ。もうあったま来た。仕事に戻る。
_ まだ会社。夜の休憩時間。FFにキスティスっていう女性キャラがでてくるのだが、日曜以来テスティスにキスしてるイメージで固定化してしまっている。まあそれはそれで。
2013-06-07 [長年日記]
_ あー日付かわっちった。今日のネタ。"A Ghost Story - Mamma Nettle"…「怪談乳房榎」。
_ 明らかに不正を行なうものを糾弾する者に「罪無き者のみ石を投げよ」などと言う筋合いではない。だが、その巨悪の影にあまたある小悪は、それでもネグリジブルにはなり得ないことは注意されて良い。このことを演繹すると、罪滅ぼしのための如何なる方法も存在しないことが結論されるはずだ。俺は怒っているわけじゃないし寛容なのでもない。罪悪はあるかないかでしかなく、裁きの重さはそれがもたらす影響の大きさという、ある種の経済的事情により決まるのである。
2013-06-08 [長年日記]
_ ここ2年ほど習ってた英会話の先生がイギリスに帰るんだそうで残念なことではある。
_ [特撮] 「仮面ライダー」
狼男の回。ゾル大佐はライダーと同じくショッカーの改造人間狼男だったのである。ライダーとの一騎打ちの末、ゾル大佐は丹沢に散った。クレジットには「マリ 山本リンダ」とあったのに登場していない。
次、怪人スノーマンの回。ショッカー幹部はゾル大佐に代わって死神博士天本英世である。そしてこの回で本郷猛も復活する。舞台はスイス・アルプスということになっているのだが、まあそんなわけはないだろう。本郷猛はスイスにて二人の女性助手を使って活躍していた。それにしても、ライダーたちの活動資金はどのように調達されているのであろうか。政府からの援助があるのであろうか。フェリーで日向に向かう立花一行は着物姿である。先回がクリスマスだったのでこの回は正月なのだろう。本郷のアシスタントには高見エミリーという女優がエミという役名で登場する。これはのちの鳩山邦夫夫人である。少女時代には少女フレンドのモデルであった。
続き。ゴーズターの回。本郷はショッカーにとらえられて"脳波をコントロールされ"、一文字と戦う。だがここに、ショッカー幹部死神博士でさえ知らなかった仮面ライダーの秘密があかされる。彼らはテレパシーで会話ができるのである。それを利用して一文字は本郷を正気に戻すことに成功する。注目点は、今後この設定が効果的に使われる機会がどれほどあるか、という点が一つ。今一つは、今回のエピソードから、もしかすると仮面ライダーは自らの体を改造し続けている可能性がある、ということである。少なくとも本郷の知能はそれができるには十分すぎるほど高いのであるし、事実彼らは後に風見志郎をV3に改造することになるのである。現時点ではライダー1号のコスチュームには縦ラインが入っていない。本郷はスイスから日本を訪れていながら、立花や滝に逢うことはなかった。一文字が言う:「ただ一人悪と闘う男、本郷猛。お前って。。。お前って男は本当の勇者だぞ」本郷の表情は実際の藤岡弘の復帰という現実と二重写しとなり、万感の思いが込み上げているやに見えるのである。
2013-06-09 [長年日記]
_ [特撮] 「仮面ライダー」
少年をひき逃げしてなんとも思わない冷血な男を許さんとばかりに追いかける一文字隼人。正義感に駆られて、いかに悪人とはいえ生身の人間を痛めつける一文字はヒーローとしては冷静さを欠いており、危うく見える。一方、その男の冷血さにほれ込んだ死神博士はこの男をハエ男に改造する。手術を見つめる死神博士は無表情である。ここに天本英世の怪優ぶりがあらわれているように見える。ハエ男の造形は、意識しようがしまいが有名な「ハエ男の恐怖」のそれに似てしまわざるを得ないし、多くのSF漫画を物していた石森章太郎(当時)にも当然強く意識されていたはずである。ちなみに映画「ハエ男の恐怖」の公開は1958年である。リメイクにあたる「ザ・フライ」の公開は1986年、プロデューサ―は続編「ザ・フライ二世誕生」と共に俺の大好きなメル・ブルックスである。原作者はイギリス人なのだが、ジョルジュ・ランジュランと言うフランス風な名であり、生誕地はパリ、原作「蠅」は第二次大戦後にパリでフランス語で書かれたSFである。ウィキペディアによると「蠅(La Mouche)」の収録された"Nouvelles de l'Anti-Monde (反世界小説集、とでもいうべきだろうか)"の出版は1962年とあり映画製作と前後関係が合わないから、この作品集が初出ということではないようだ。当時、ネビル・シュート「渚にて」が発表されてまたほどなく俺の好きなグレゴリー・ペック主演で映画化もされている。SF作品はこのころ黄金期を迎えていたのであった。
2013-06-10 [長年日記]
_ 2週間以上行方不明であった知人の亡骸が昨日発見されたということだった。山岳遭難である。行方不明となったときの状況を聞くにつけ、また地形図を見るにつけ、無事の発見はなかなか難しいように感じてはいた。それでもボランティアの方々が根気強く捜索してくださったおかげだろう、彼の身柄は家族のもとに帰還したのだった。改めて、山岳遭難はリアリズムなのだという緊張を覚える。滑落直後に亡くなったであろうとは捜索に携わった方の言葉であるから、きっとそのような現場だったのであろうと思う。知己を同じくする同僚たちの間にも改めて衝撃が起こっている。俺にも彼との思い出はそれなりにある。仕事の上で俺の価値を認めてくれるようなことを言ってくれた人には良い働きを返したいという気持ちになるものだ。もっともその口ぶりは幾分人を小馬鹿にしたようにもとれる諧謔的なものでもあったから、会って初めのころはどちらかと言えば苦手な人ではあったのだが。
さて、このようなときをどのように過ごすかは、ある程度今後の人生にも関わることだからあまりおろそかにしてはならないと思う。だが深い悲嘆にくれることは俺などよりもさらに近しい人たちに任せることにして、こちらはひとえに、敬愛するエピクロスの教えに忠実であろうと思う。すなわち、「亡くなった友人に対しては、悲嘆によってではなく、追想によって、共感を寄せようではないか」という教えに、である。
_ 今週のSAKUSAKUのゲストはピロカルピン。ってことは、またアルバムが出たのかな。出た。「太陽と月のオアシス」。トミタ栞、髪を短くまとめててヤバい。かなり惚れた。ヒップ大きめなとこにも惚れた。
2013-06-11 [長年日記]
_ そう言えば、ジョルジュ・ムスタキが亡くなったことは書いただろうか。5/23に79歳でお亡くなりになった。70年代の日本のテレビドラマ「バラ色の人生」で彼の「私の孤独」がテーマ曲に使われて。わが国でも知られることになった。歌詞の内容は、「孤独」を自分の恋人のように扱って、「孤独」と二人でいるのだから自分は寂しくはないのだ、という半ば強がりで半ば捨て鉢な内容、ということでいいんだろうか。ニュアンスは全く分からないし、アレクサンドリア生まれのこの歌手がどのようなパーソナリティを持っていたのかも俺には良く理解できていないと思う。ただ、優しげな声と親しみやすくシンプルな曲がたまには慰めになることがある。自らの歌もさることながら、多くのほかの歌手への楽曲の提供がこの人の活動を目覚ましいものにしている。古くはかのエディット・ピアフ、少し下ってバルバラ、さらにはあの印象的なアンナ・プリュクナルにも確か邦題で「救いを求めて」という曲を提供していた。
とかく自分が年を経るということは、数多くの知人や有名人の死に出会うということに他ならない。せんだっても親類の訃報が2件続けて届いた。ほら、天津羽衣の「お吉物語」にもあるだろう?「ハリスさんも死んだ。鶴さんも死んだ。今度は私の番なんだ」っていう歌詞が。知らねえか。そうだろうな、あんたはそういうと思ったよ。今度伊豆の下田に行ったらCDの視聴をしてきたらいい。行かねえか。そうだろうな、あんたはそういうと思ったよ。
_ 昼飯を食べてる時に、なぜかふと松田優作と風吹ジュンがものすごい迫力でセックスシーンを演じた映画があったことを思い出した。「蘇る金狼」だった。主人公のスタイルはのちに柳沢きみおの只野仁にヒントを与えたかもしれないが、たぶん昔こっそり読んだ婦人雑誌に、風吹ジュンの細い腰をつかんでガンガンファックする松田優作…的な記事が載っていたのでその古い記憶が残っていたのだろうが、昼飯に辛いカレーを食べた拍子に大脳皮質に躍り出てきたのだろう。そうとしか思えないほど唐突に思い出したのだ。そしてアマゾンでポチッとしようかと思ったのだがその必要はどうやらなかった。俺のDVDコレクションの中にいつの間にか存在していたからである。だがこれを見る前に見なくてはいけないものがすでに決まっている。現在見ている「仮面ライダー」、ついで海外映画として「善悪の彼岸」、それからアニメ「白蛇伝」、そのあといくつかのドキュメンタリー番組を見てからしょこたんデビュー直後のDVDを見た上で、「大聖堂」か「SHERLOCK」のどちらかの海外ドラマを見て、そのあとやっと邦画を見る順番になるのだが、すでにもう溝口健二の「新・平家物語」を見ることに決まってしまっているのである。日本映画史上に残る優作とジュンのハード・ファック・シーンはいつになったら見ることができるのだ。人生はそう長くはないというのに…。良いことを思いついた。そのシーンだけ先に見ておこう。慎吾くんバージョンのテレビドラマにはそういうシーンはたぶんなかったんだろうなー。
_ いよいよ梅雨らしくなってきてしまった。こういう季節は体の中も湿気の邪気に冒されがちである。以前習ってた経絡ヨガの先生が、そういうときは小豆を摂取するのがいいと言ってたので、会社の売店で一口羊羹を買って三ついっぺんに食べたら調子が戻ってきた。
_ うにゃ [それで一口羊羹かってるんだねw]
2013-06-12 [長年日記]
_ [特撮] 「仮面ライダー」
カビビンガの回。お墓に出てくる子供だましな怪人だ。こいつは上半身がカビだらけで、ほかの人間にそのカビをうつしちゃうというたちの悪い奴で、妖怪なら豆腐小僧といったところだ。今ちょうど梅雨時なので季節がら丁度いい怪人であるともいえるし、多湿な日本にふさわしい怪人と言ってもいいのかもしれない。さてこやつらは、墓地で遊んでいた双子の女の子をさらい、アジトに連れて行くのであるが、このとき女の子たちがかわいそうにパンツ丸見えである。それはともかく、アジトで死神博士が女の子たちに催眠術をかけるんだが、これがもう本当に催眠術使えるんじゃないかと思うような迫力なのである。すごいよなあ。さすが春風高校の用務員をやるだけのことはある。かくして罰当たりにも墓地での戦闘シーンとなる。俺はこの年で全話とおしてみることを心掛けているわけだが、そのようにして見ているといろいろなことに気づいて興味深い。特に意外だったのは、仮面ライダーが徒手空拳(+キック)だけでなく戦闘員の刀を取り上げて剣による戦いを結構やっていることである。殺陣の指導は大野剣友会、なのだろう。たぶん戦闘員にも扮していることと思う。以下、ウィキペディアからの引用。ライダーを担当することになった時に作られた鉄則である:
_ この記事を見ると、スーツアクターとしても演じていたことがわかる。
この時代には当然マトリックスのような高度なワイヤーアクションなどはないため、ライダーと怪人の空中戦を表現するためにはもっぱらトランポリンが使われている。相手あっての戦闘であるから二者が同時にジャンプする。ゆえにバリエーションはそう多くはなく、向かい合わせに飛ぶか並んで飛ぶかがほとんどと見える。子供心にもこれはちょっと違和感を感じたものである。地上ではあんなに激しく戦っていた二者が、ジャンプの時はどうして呼吸を合わせて飛ぶのか、と。そのときだけ急に二者が仲良しになったように見えておかしかった。
次回の怪人はナメクジラという名前なのだ。まんまじゃん。それに比べるとカビビンガというネーミングはかなりイカしてると思う。
2013-06-13 [長年日記]
_ 湿気にやられてる。仕事もなんか冴えない。この時期マラセチア毛包炎というニキビと似た皮膚病が流行ったりするらしい。マラでモーホーですか。男っぽい病気ですな。言ってる場合ではない。入浴と下着の交換を頻繁にやらんといろいろと捗らなくなってしまう。いや、罹患してるという訳じゃないんですけどね。そういうわけで10時前だけど床に就いてエピクロスの友情論に関する文章をちょっと読みながら寝てしまおうと思うのだ。
2013-06-14 [長年日記]
_ 隣のF、朝出社してくるなり俺の日記見てんじゃねえよwww。もう仕事はじまってんだろうが。
_ AStudioという番組を見てる。たまたま真木よう子が出てるのだが、白い服を着てるせいなのだろうか、胸が小さい。こんなの俺の真木よう子じゃない。まあどうせ俺のじゃないんだが。真木よう子と木村カエラは相思相愛らしい。そこには萌える。今わかった。やはり白い服着てて陰影が少ないから小さく見えるだけだ。やはり俺の真木よう子だった。まあどうせ俺のじゃないんだがな。写真集欲しいが高価なものとなっている。子供のころはジブリ作品の演技のものまねをやってストレス発散してたとのこと。真木よう子って、リアル北島マヤだったんだな。なんて恐ろしい子…。それでひとつ回文を思い出した:「なんてしつけ良い子良いケツしてんな」
_ 今週は拘束性の強い仕事が多くて本当に疲れてしまったが、それなりにやり遂げた感もあり週末ゆっくりできそうな予感。
_ 昨晩寝しなに読んだ「エピクロスの友情論」という論文はちょっと寝しなに読むにはキツかった。エピクロス自身は多くの著作を物したということだったと思うが、多くは散逸してしまって今残されている著作は非常に少ない。そこで、エピクロスの思想がどのようなものであったかを探求するためには、その少ない文章の細やかな語の用法を化学分析のように慎重に読み解いていくのである。それを志向するあまり本質を見誤るリスクと戦いながら痩せ尾根をたどるかのように進んでいく彼ら研究者は勇気がある。結論に書いてあったことだけはなんとか理解したように思う。エピクロスは友情を価値あるものとみなしていたが、その価値は、友情のもたらす利己的な快楽によって説明することが可能であり、彼が利他的なことに価値を置いていたと仮定する必然性はない、ということだった。まあどう思っていたかはともかく友情に重きを置いて友のためにわが身を供するという行為自体の価値は揺るぐことはないだろうと思う。金を稼ぐために作られた作品であることと文学的・芸術的価値のあることとが矛盾しないのと同様だ。だが、それらが共存している創り手その人自身は、きわめて矛盾に満ちた存在であるということもできるだろう。そして多くの面を内包する人が魅力的な存在であることは言うまでも無い。
2013-06-15 [長年日記]
_ 日付変わった。タモリ倶楽部に星野源登場。SAKUSAKUで話してる時とはさすがに違って、大人だなあと思うよ。人呼んで「静かなる変態」。これからもうこの人は今後鴻上尚史と並んでエロ担当決定だと思う。
_ おはようございます諸君のみなさん。
今朝のゴミ出しをしてからご飯食べてヨーグルト食べながらNHK「週刊ニュース深読み」見てるとこ。歩きながらスマホを見ることの危険を、愛知工科大・小塚教授が調べている。通常の携帯よりもスマホのほうが視線を固定して危険が増す。その理由として小塚先生は、動画などのスマホのコンテンツの魅力を挙げていた。そういうのも少しはあるだろうが、ここはむしろSAKUSAKUでトミタ栞ちゃんが言ってた言葉のほうがより現実を説明していると思う。スマホには"ポチポチ携帯"(そんな言い方あるんだろうか?)と違ってボタンがないから、慣れていても入力を目で確認しないと操作できない。ポチポチ携帯は触感が補助となって少し視線が自由になる、というのが彼女の弁であった。これだな。「ニュース深読み」はもっとニュースを深読みしなくてはいけない。
そのあと今話題のDJポリスを取り上げている。「こんな良き日におまわりさんもみなさんを怒りたくはありません。おまわりさんもみなさんと同じ12人目のチームメイトです」こんな感じの言葉でJリーグW杯出場決定の夜の渋谷の混乱を抑えていた。これはなかなか良い。そのあと、復興庁職員がツィッター=バカ発見器であることをまたしても証明する事件をおこしたことや低気圧が三つの高気圧に周囲を囲まれてて今日は雷雲の予感、などの話題が続く。
_ 蒸し暑し。このような季節には雨降り小僧だの豆腐小僧だのが出て日本中をカビだらけにするのである。ショッカーの怪人でいえばカビビンガである。
_ 今日の英会話はグラフを見ながらやれincreaseだjumpだplummetだfluctuateだと増減にかかわる言葉をいろいろやった。前置詞の使い方はやはりよくわかんない。先生も「さもあらじ、ろじっくにやあらで」とか言ってたのでまあしかたないかと。一応電車の中では日経を眺めてる俺だが、ちょっとはフィナンシャル・タイムスとか読んだ方がいいのかもしれん。とは言っても日本語の新聞だってろくに読めずにカバンの中に一週間分くらいたまってしまう(捨てられない。病気だから)のだから、週に一回では多すぎる。月に1ページとかがせいぜいだし、そんな時間が取れるんなら放送大学の面接ではない講義を1科目くらい履修するほうが急務だ。
_ [特撮]「仮面ライダー」
トドギラーの回。死神博士の催眠術は強力だ。見つめるだけでクラクラ。次回ヒルゲリラ登場。
つづき。ヒルゲリラの回。あーおぞましいわ。俺は山歩きの時はいつもヤマビルに出会うことを恐れている。幸いまだであったことはないのだが、ふと頭の上の樹を見ると枝枝にヒルがたくさん、という光景はできれば見たくないと思う。照明を凝ると死神博士の表情はもう恐ろしくて恐ろしくてオシッコモレチョンだよ。ここ数回前からショッカー戦闘員は変な杖のような武器を持って戦う。投げつけたり打ちかかったり。今回滝と戦う戦闘員は非常に手ごわい。滝がボロボロ。血を吸われた滝は立花さんから輸血を受けて復活。その隙に立花レーシングクラブがヒルゲリラに襲われる。今回これでもかというくらいたくさんヒルが出てきておぞましいわー。ヒルゲリラに血を吸われた人間の体に緑色の薬液を供給すると、人間は奴隷人間となり原始人並みの知能になる。見よ、被害者の奥さんと子供はあわれ奴隷人間にされてサルのように毛づくろいなんかしてる。奴隷人間を人質にされた一文字はついにヒルゲリラに血を吸われて、あわれ奴隷人間にされてしまうが、滝に救われて反撃に。それにしても死神博士は強敵である。ゾル大佐のようなしゃれっ気がないだけに慄然たる悪のエリートである。今回ライダーの能力には風車を使った発電というのがあることがわかった。しかしこの設定も今後使われるのかどうか。次回、怪人イソギンチャックの回。この怪人の名前懐かしいわ。つづく。
_ 今年初めて本格的にエアコン使ってるので涼しい。
_ [特撮] 「仮面ライダー」
つづき。イソギンチャックの回。ここはどうみても日本のどこかの山に見えるがアフリカ南部のダイヤモンド鉱山である。ダイヤの山を探り当てた老人のところにショッカーアフリカ支部の戦闘員と思しき怪しげな発音の男たちがあらわれ、さらに「アーウアウアウアウアウ」とまるで喜久翁のやるモノマネみたいな声を出して怪人イソギンチャック登場。老人は思わず叫ぶ:「貴様なんか海の底に引っ込んでいろ!」あー、それは俺もそう思ったよ。何で山の中にイソギンチャクが出てくるのか。倒れた爺さんのもとにジープで乗り付けてきたのはおお!なんと本郷猛ではないか。一方日本。老人からダイヤの山の位置を記された手紙を受け取る孫のヒロシくんは、バロム1で白鳥健太郎をやってた高野浩幸という子で、現在も役者として活躍しているようだ。もう一人のバロム1、木戸猛役の飯塚仁樹はその後の消息が知れないらしい。さて、イソギンチャックはなんでも吸い込む能力を持っているのだが、この特殊効果は"役者の演技力に依存した特殊効果"(←これを何と呼んでいいかよくわからないのだが、まあ特撮技術の乏しさを演技力でカバーするという失敗するとトホホな特撮技術である)で表現される。一方アフリカの本郷から電報が入り、上記のヒロシ君が狙われていることを知った一文字である。以前本郷と一文字の間にはどれほど隔たっていてもテレパシーが通じるという設定があったのだが、この回の中ではやはり忘れ去られており、彼らはトランシーバーで会話をしている。イソギンチャックは吸い込んだものを反芻することができるのだが…オエエな描写で詳細に記述できない。そのイソギンチャックがついにヒロシ少年に襲い掛かる。吸い込まれそうになるヒロシ君は突然助けを呼ぶ:「サクラちゃん助けてー!」だ、誰?そこにあらわれる少女サクラ。パンツ丸見えになりながら懸命にヒロシちゃんを救おうとするが力及ばず…そこに一文字があらわれ、いつもの戦闘シーンとなる。今回戦闘員たちは剣で戦っている。先回までの杖はどうなったのだ。あまり有効でないことがわかって剣に戻したのか(一部その杖を持って現れる戦闘員もいるので、撮影順序が前後したために設定が混乱したということではないようだ。後半は杖をあやつる戦闘も見られる)。さらにはアフリカ産の毒の吹き矢で滝を倒す。どうやらアフリカ支部から来た戦闘員が混じっているようだ。意外というべきか、戦闘員が飛び道具を使うというのは実は珍しい。身を隠したヒロシちゃんの場所を探すのに死神博士が使った方法は、なんと占い!死神博士はどうやらアレイスター・クロウリーばりの神秘術を使いこなせるようだ。だって、唱えてる呪文がマジだよ。きっと催眠術だってホントに使えるんだと思う。子供の敵であるにこれ以上ふさわしい人物はいない。かたやわれらが立花レーシングクラブにはミカというトランプ占いを得意とする女の子がいるのだが、この子が占うといつも不吉な預言となる。再び戦闘。本郷ライダーも参戦するが、彼の変身シーンは無い。彼らはコンビネーションプレーでイソギンチャックに立ち向かう。ライダー車輪(巴投げみたいな恰好で投げずに地面をごろごろ二人組で転がる技である。でもなんの効果があるのかまるで分らない)、ライダー返し(二人で両側から敵を補足して空中に飛び、空から地面に敵を叩きつける。これは結構利くかもしれないがもう少し気の利いた技の名前がほしいところだ)、そしてついにここで生まれた。ライダーダブルキック。なにしろ初代からずっとライダーの最強の技はライダーキックである。これを分身ともいえる二人が同時に見舞うのだからどんな敵もかなわないことであろう。戦い済んで本郷はヨーロッパに帰る。忙しい男である。ヒロシのおじいちゃんも帰ってきた。見つけたダイヤ鉱山を売り払い、身寄りのない子供のために子供だけの村を創るのだそうだ。次回、オーロラ怪人カメストーンの回。
_ つづき。カメストーンの回。カメストーンの放つオーロラを見たものは目から腐り始める…毎回毎回輪をかけておぞましくなっていく死神博士の作戦である。今回は被害範囲が広く、一文字も完全に視力を失ってしまった。ついに滝はFBI本部に応援を要請。一方一文字は視力のない状態でバイクに。改造人間の能力をもってすれば聴力だけでバイクに乗れる。これはすごい。FBIから応援に来たのはロバートという男。隼人のバイク(『隼人』って書いてあるw)に細工してガソリンを抜いて代わりにニトログリセリンを詰め込む。彼の正体こそはカメストーンであった。向ヶ丘遊園で戦う滝のもとに一文字が駆けつける。戦ううちにどんどん目の痛みがひどくなっていく一文字ライダーは遊園の遊具に邪魔されてカメストーンの動きを捉えられない。そこに滝があらわれ遊具を停止させる。からくも勝利したライダー。どういうからくりなのか、カメストーンが倒れるとともに目の痛みも治ってしまう。こういう設定は多くの特撮において暗黙のルールとして採用されるのである。目が不自由な状態で敵と戦うという構図もまた古くからあらわれているものであろう。次回、怪人ユニコルロスの回。次回もダブルライダーだ。
2013-06-16 [長年日記]
_ スカパー受信機を交換してから、ときどきネットワークエラーで録画に失敗してしまう。良い対策はないものか。接続テストを日課にしなきゃいけないのはちょっとハードル高い。今朝は全米オープンのためにキョウリュウジャーもウィザードもなし。しかたないので元祖仮面ライダーでも見続けるより仕方ない。
_ [特撮] 「仮面ライダー」
化石怪人ユニコルノスの回。ヨーロッパから舞い戻った本郷ライダーに対する死神博士はいつもの冷静さを失って怒りもあらわに「かかれ!殺してしまえ!」などと叫ぶ。それにつけても。シリーズの半分以上見ているわけだが、なんかキノコモルグの回以外に内容を記憶している回がほとんどないのである。そのせいで新鮮に観賞することができるわけでもあるが、どうも放映当時俺は仮面ライダーをあまり真剣には見ていなかったのではないか。今回も本郷はおやっさんたちに会わずにヨーロッパに帰っていく。次回、ギルガラスの回。つづく。
_ [新聞を読んで] 誤嚥防止。
新聞はほぼ毎日読んでる。だいぶ前の記事だが、誤嚥防止のための記事を見つけたので読み返す。俺も以前に比べると結構食事の時にむせてしまうことが多くなったので対策を考えたい。ヨガの呼吸は有効だと思う。まあしかし年相応に詩吟でもやってみようか。ただ俺にとって詩吟のイメージはあまり良くなく、声を振り絞ると額の青すじがプチプチ切れちゃうんじゃないかという怖さがある。「べんせいしゅくしゅく〜ピュー…(←出血の音)」。まあそういうことはないんだろう。誤嚥防止のために声出して行こう。ほらもっと声出して。良い声いっぱい聞かせて。いろいろと捗るぞ。
_ [特撮] 「仮面ライダー」
ギルガラスの回。デッドマンガスを浴びた人間は人間の血を見るまで殺し合いを続ける他無い。ある日家に帰ってきたら両親が殺し合いをしていたらそれはそれはおぞましいことであろう。しかし近頃はDVなどと称してショッカーの陰謀とは関係なしに勝手に傷つけあう人々もいるのである。この場合憎むべき悪の根源は加害者でありまたある意味被害者でもある当事者自身の中にあるだけに、仮面ライダーのごとく30分で解決するという訳にはいかない。だが、虚構と現実の中に共通に表れる凶悪犯罪の有様を語ることは、特撮作品を語る社会学者の諸氏にゆだねておく。俺は俺の問題意識を育てていかねばならないからである。ところで仮面ライダーガールズのセリフにこんなのがある:「カラスの焼き鳥ってあるの?」「あるわよ。信州上田のカラス田楽って言って、有名よ」知らねえよ。どうやら昭和30年代くらいまではこの地方ではわりと一般的だったらしい。最近では帯広畜産大学の食用化の研究や、都のカラス対策としての石原前都知事の提唱(ミートパイにする)などある。デッドマンガスの作用で動けなくなった一文字を襲うギルガラス。しかしベッドに寝ていたのはなんと本郷猛だった。が、彼もまたデッドマンガスを浴びてショッカーに捕らえられた…と思いきや、本郷はヨーロッパショッカー支部にあった解毒剤を携えてきていたのだ!またしても煮え湯を飲まされる死神博士。本郷はもう得意になって「死神!」と呼び捨てなんだが、"死神(のような)博士"より"死神(そのもの)"のほうが怖い存在なわけで、なんか侮蔑できてない侮蔑の言葉になってる。返す死神博士も怒りに震えながら「ほざくな小僧」である。醜い罵り合いを通じて二人の間には対立が深まっていく。本郷のアクションがかなりキレキレで、事故からの完全復活を思わせる。対する死神博士もまたその名の通り大鎌を振るって戦う。大鎌は見た目インパクトが強いが、これを振るって戦うにはそれ相応の操鎌術(読みを与えるとするならソウレンジュツということになるだろう)とでも言うべき技術が必要となる。一方東京中にガスをまき散らそうとするギルガラスには一文字が対峙する。そして一文字は南米のショッカーと戦うべく日本を発ち、日本は本郷が再び守ることとなる。ショッカー幹部も地獄大使(潮健児)に交代。これはこれでまた楽しみだ。
続き。ジャガーマンの回。オープニングをはじめ挿入歌もアイキャッチも戦闘員の服も骨のデザインにいろいろと刷新され、本郷も変身ポーズで変身する。スーツには二本線が入った。ジャガーマンは「ヒョォーッ」と叫んで地球上の動物すべてを操る怪人である。そして今回の決め技はなんとライダーキックではなくてライダーヘッドクラッシャーである。ジャガーマンが倒れ、アニマルパニック作戦は失敗に終わり、動物園に、そして地球には再び平和が訪れたのである。次回、海蛇男登場。
2013-06-17 [長年日記]
_ アンサイクロペディアというウィキペディアとは姉妹ページのような(嘘)HPがあるのだが、なかでも秀逸な記事はあああああああああ!であろう。このページはごらんのとおり「あ」でしか書かれていないので、耐性のない人は気が狂いそうになるんじゃないかと思う。このページの中に、小さな小さな「あ」の字でできたQRコードが描かれている。単に凝ったデザインをしただけかと思ってたのだが、もしやと思ってスキャンしてみたら…wwwwwすばらしいwwwww そして、さらに素晴らしいことにこのページには英語版をはじめさまざまな各国語版があるということだ。でも日本語版の記事が一番充実している。日本人としては誇らしいことだ。
_ 今夜のワイルドライフ(NHK BS)ではペンギンを扱っている。語りは「ブラタモリ」で有名になった久保田祐佳。南極のコウテイペンギンがカップリングしてるのだが、結ばれかけたカップルの間に新たなメスが割り込んでくる。よく見るとペンギンたちの目つきはなんというかすごく悪い目をして、凄んでいる。いざ交尾となりおっぱじめた途端に無慈悲な妨害をし始める。彼らもまた遺伝子に操られた哀れな存在なのである。生物が遺伝子を残すのではない。遺伝子が存続するために生物を操っているのである。
_ [新聞を読んで] 神経経済学
ここしばらく日経の経済教室では神経経済学を扱っている。市場に参加するものが必ずしも合理的でない判断をすることで、市場が失敗してしまうことがある。数式的には同じ損得になるはずの現象に対して偏った選択をしてしまう理由を脳生理学の知見などを用いて解釈しようとするのである。扁桃体(扁桃腺とは異なる脳の一部)の活発な人は不公平に対して敏感であると書いてあった。日本人の性向にはこういうところがあると何かで読んだ気がする。個人の損得よりも、他人が不当に得を得ることに対して敏感であるということである。この性向は日本人のモラルの高さの原因であるかもしれない。もちろんマイナスになることもある。そして不公平に対して敏感すぎるということは、巨悪を排除する要因となる反面、それとの比較によって小悪を容認する傾向を生むこともあり得ることだと思う。扁桃体の活動は恐怖の感情や多くの精神疾患に関連しているとされている。扁桃体の活動の特徴が不公平感を生むのか、そうではなくて不公平であるという心的事実が恐怖感情に似たものを生むために扁桃体が活発になるのか。あるいはこれらには因果律が成立しないのか(俺は、心の問題は因果律では説明できないと思っている。客観的事実とは異なることも当人の心の中では事実と同じように認識されているなら、それは当人にとって客観的事実と実質的な違いはない。上で『心的事実』と呼んでいるのはそれだ)。なかなかすっぱりとは説明できないことだろう。これは物理化学的な分析の技法が発達したとしてもある程度困難として残り続ける問題だと思う。正義や罪を論ずる際には論者の立場がどうであるかが非常に大事なことになるし、感情的の善悪と、社会への効果の大小による善悪とは区別されなくてはならない。たぶんプラトン的な善悪の概念の入りこむ余地は、もはや無い。
_ [読書] 「哀しき性的少年」睦月影郎(読了)
だいぶわくわくして読みだしたのだが、最後の何年にもわたる作者のオナニー日記(と言っても何月何日に何を媒介としてイジャキュレーションに至ったかの記録にとどまる)に一通り目を通すのには非常に苦労した。著者のモーティベーションはまさに他人の書いた赤裸々なヰタ・セクスアリスが読みたいのに誰も書いていないから自分が書くよりなかったということだったが、私には目を通すことにある種の退屈と疲労感が残った。この詳細な記録は、ある程度は時代を反映する記述となるかもしれないのだが、俺自身は他人のおかずには実はかなり無関心であったことに気づかされた程度だ。部屋に遊びに来て虫歯が欠けてしまった女性のその欠けた歯を媒介として性的妄想を膨らませイジャキュレーションに至るということは、今のところ俺自身には想像がつかない。虫歯菌があらぬ箇所にうつったりしたらそれはそれで危険なことだと思う。それにつけても上記リンクのウィキペディアの参考図はどのようにして得られたものなのだろうか。そういうのはちょっと興味がある。とりあえず苦労して読み終えたので、やっとまた普通の本を読むことができるわけだが、それがまたしても同じ著者の官能小説だったりすることは大いにあり得る。だが映像観賞と同じく内容の偏りを避けるために、俺は読書に対してもローテーションを組むことにしている。次は日本の近現代の文学を読むつもりなのだ。
_ ウィキペディアというかアンサイクロペディアネタでもう一つ。「エクストリーム・スポーツ」と呼ばれるジャンルの一つに、「エクストリーム・アイロン掛け」なるものがあって、だいぶ驚いた。リンクの記事はウィキペディアなのかアンサイクロペディアなのかわからなくなっているくらい破壊力があるが、ウィキペディアの記事なのである。そして記事を読むと、この競技の発祥は、やはりというべきかイギリスにある。イギリス人は変わってるよなー。このスポーツがオリンピックの正式競技に採用されたなら俺もきっとオリンピックを真面目にみるようになることと思う。だが、レスリングを廃してもエクストリーム・アイロンがけを正式競技に!とまではなかなか言えるものではないのである。
2013-06-18 [長年日記]
_ [読書] 「渋澤龍彦全集1」
読書もローテーションで、ということは先日書いた。大学時代はかなりローテーションを意識して読んでいたと記憶しているが、おかげで結構味わえるだけの知識の無い本をただ目を通すだけで読んだことにしてしまったりしてた。キェルケゴールとかヤスパースとか森鴎外とかバラードのSFとかはそんな感じだった。読書においてもマゾだったのだ。荒俣宏とか中野美代子とかは膨大な知識を面白くわかりやすく書いていてくれたのでかなり救われた思いがあった。で、今近現代の文学として手近にある本の何を読むかということになって、中谷宇吉郎や寺田寅彦はしばらくいいやと思い、積読中の積読だったタイトルの本を読みだした。初期の作品と思われちょっと軽薄な感じがしなくもないが、まあここからなのだという感じでもある。だんだん、けものみちのような人のなかなか訪れない世界へと連れて行かれることになるんだろう、という期待だけが今はある。でも寝る前に読むので数ページずつということで進みは異常に遅いであろう。しかもこの本はちょっと頑張って買ったにもかかわらず、建付けの悪い自宅の作り付けの棚に置いておいたせいで雨水が侵入して見事にカバーも函もシミができている。続巻も読む気になったなら、たぶんこの第1巻は新しいものを買いなおすに違いない。続く。
2013-06-19 [長年日記]
_ 俺たちが自分の遺伝子を残すためにある種の愚かな行為をやめられないのではなく、遺伝子が俺たちにそうなすべくし向けているという見方は十分成り立つ。もしも遺伝子に意志があると定義するならば。ならば、遺伝子操作とは、遺伝子を操作することではなく、これより生れ出でんとする異形の遺伝子に操作される行為という見方も成り立つのではないか。はじめの仮定が誤りである以上はこれは単なる悪い冗談以上のものではない。だが、当該の分野には限らず、技術に携わるものに、時に身に余る全能感が起こることは良くあることだし、それが必ずしも良い結果ばかりを生むとは限らないとわかっていても、極限まで行き着かずにはいられないという言わば理性的本能と言うべきであるような一種の獣性が技術に携わるものには備わっている。道徳を考察する訓練やわが身が起こしうるリスクを管理する術を身につけることは想像力と並んで必修だ、と思う。
_ ロケみつ。
稲垣早希ちゃんのサイコロ旅は今オランダ。オランダ名物はパンケーキなのだ。ベーコンが乗ってたりする旨そうなパンケーキ。これ食べてみたいな。すごくうまそう。連続で六の目を出して笑いの止まらない早希ちゃん。今の所持金10万越えてる。日本の旅でもこんなことなかったんじゃなかっただろうか。オランダのマックにはマックロケットというのがある。オランダのもう一つの名物は、自販でも良く売っているというクロケット。オランダのクロケットは日本のコロッケよりも中身がトロっとしてるようだ。
2013-06-20 [長年日記]
_ [読書]「澁澤龍彦全集1」
つづき。「撲滅の賦」は金魚に覚えるおかしな嫉妬の話。だがこの小片の中に、わからない単語を見出して付箋をつけていくとあっという間に10や20はついてしまう。書き手は意味をちゃんと知っていて書いているはずだし、現代のようにネットで検索すればたやすくわかる事柄ばかりではない。博覧強記とされるのは故あることだった。俺のように馬齢を重ねることで無駄な知識が膨らんでいくのとはちょっと訳が違う。次、「エピクロスの肋骨」。まだ読んでる途中。これはアダムの肋骨から来ているのだろうか。エピクロスなる語はどのような意味で用いられているのか。肺病の病室から抜け出した詩人はヤギに猫に詩を食わせながら旅を続けていく。まだ読んでる途中なのだがすでに記憶違いがあるかもしれない。つづく。
2013-06-21 [長年日記]
_ 早く帰ってきて今「しゃべくり007」の録画を見てるんだ。目当てはやはり真木よう子だ。今回の衣装も胸元の陰影を弱めたフラットな衣装。今回も、子供の頃ジブリ作品のまねをして一人遊びでお芝居してたと言ってる。「さよなら渓谷」公開間近であちこちに出ているのだと思うが、バラエティで露出してるとちょっとイメージが変わってくる。それにしても無名塾時代に仲代達也と喧嘩したエピソードは良いよねえ。早くいろんな宿題を済ませて「ベロニカは死ぬことにした」を見たいんだよ。噂ではかなり捗るらしいぞ。
_ 今部屋に飾っている手ぬぐい。
ちょっと前に弘明寺観音商店街歩いてて見つけたくの一の手ぬぐい。なんでも甲賀流に望月千代女という少女を集めて忍者や歩き巫女としての訓練を積ませた人がいたらしく、武田信玄に仕えたということである。この手ぬぐいのちょっとにらみを利かせたような視線を浴びせられると日々いろいろと捗るんじゃないかと思ってたが特にそういうこともなく、すでに風景と化している。
昨日だったかな、なぜだか唐突にドレッド・ツェッペリンが気になり始めてとりあえずアマゾンでカートに入れた。そうだ、もともとは(これもまた何故か、なのだが)牧伸二のことを考えてたんだった。一時期、ドレッドヘアにしてウクレレでレゲエをやってたことがあったっけなあなんて考えながら会社の敷地を歩いてたんだ。
2013-06-22 [長年日記]
_ 英会話の話題はコマーシャルについて。汝、童を使うコマーシャルいかに思す、またサブリミナル効果をもたらすもの如何に、はだか用いるものや如何見ゆるなどと今日はほぼ40分間フリーディスカッションをして終わった。この気の良い英国人教師とは今回が最後となる。教師との相性は継続の重要な要素だと思う。クラスの中で先生が教えてくれたハイネケンのCM。前半は金持ちの奥さんがwalk-in closet(歩いて入れるでっかいクローゼット。セレブの象徴なんだそうだ)を友達に見せて自慢してるシーン。一方旦那は…というCM。
_ 帰宅して一週間の疲れを微睡で開放しながらiTunesに入れている音楽を聴き興に任せて口ずさんだり。久し振りにカラオケでたっぷり声帯を使うのも良いかもな。最近バラエティ番組で関根勉勤が川崎のラウンドワンで遊んでたのを見てちょっと興味がわいた。バッティングセンターのほかにアーチェリーなんかもあるそうな。関根勉は番組中でヒロシですのヒロシがBGMで使ってる"ガラスの部屋"というペッピーノ某の歌を歌ったり凄いキレキレの振り付けで盛り上がってるのを見ててあー楽しそうだなーなんて思ってた。でもiTunesで聞いてるのはビリー・ジョエルのベストアルバムからの曲。大学入試の時に聞いてた旺文社ラジオ講座(21世紀にはなくなってしまったが自宅で浪人してた俺には大変良いペースメーカーになってくれた番組だった)の中に、ポップスの歌詞を教材にしてたのがあって、S&Gやカーペンターズ、ジョン・デンバー、ビートルズ、そしてビリー・ジョエルなんかが教材に使われていた。ビリー・ジョエルの曲は「ストレンジャー」と「素顔のままで」と「マイ・ライフ」だったと記憶している。「マイ・ライフ」でvictim(いけにえ)という言葉を覚えた。I never said I was a victim of circumstance(俺は自分が環境の犠牲者だと言ったことは無い)というフレーズはその後に人生においては折に触れて思い出されていまも有用な言葉となっている。で、今"Movin' Out"というのを聞いてたところ。過労気味のアンソニーが母親から田舎に引っ込めというアドバイスを受けてる。この歌の歌詞に「ハートアタッカカカカカ」とか「キャデラッカカカカカ」とか「クレイジーママママママインド」といった印象的なフレーズに俺のハートもぐっと鷲づかかかかかみにされたところだ。ここちゃんと歌えたらカッコイイ。「ビッグ・ショット」の間奏のとこのWouWouもサックスに合わせてちゃんと歌えたらすごくイイと思う。
_ 富士山が世界のものとなった。
そうこうしてるうちにどうやら富士山が三保の松原を含めて世界遺産に登録された。めでたたたたたたし。なんでも審議時間が10分ほどとみられていたのに50分におよび、その理由が各国からの賞賛の意見が相次いだためなんだそうだ。これだな。どこまで格好いいんだ、富士!(←山田芳裕『考える侍』の中のセリフ)
_ 数日前からまた幻嗅に悩まされている。鼻の中にいつまでも残っている粗悪な消臭剤のような匂い。家に帰っても続いているのでやはり幻嗅なのだと思う。気が散るほどひどいわけでもないが、たぶん自律神経が疲れてる兆候なんだと思う。夏冬関係なく起こるときは起こる。頭痛なんかよりはずっとましだ。この匂いがしたら休みを取ろうというのはわかりやすくていいんじゃないだろうか。
_ 夕食に"ほうとう"食す。ずっと前に買った乾麺が手つかずで残っていたため。ゆで時間10分というのが手軽に作れない最大の要因。今日はゆでながら洗濯機回してた。この暑いのにほうとうと思うかもしれないが、夏は水で冷やして"おざら"という食べ方をするのだ。近頃冷やし麺の類はつゆを薄めにしてぶっかけで食する。載せる具材は以前豆腐にのっけた"ネバネバーネ"(←命名小泉武夫先生。あまりセンスのあるネーミングではないと思っているので誰が命名したのかを明示しているんである)。たっぷりとムチンを摂取して、酸性に偏りがちな体をアルカリ側に戻そうという腹だ。
I look up when I'm walking so the tears won't fall And I recall all the nights making love together Now I can't believe love's gone away She left and broke my heart forever言わずと知れた「上を向いて歩こう」なのだが、ボビーの歌詞は永六輔の歌詞の内容に沿う内容になっている。この曲がいきなり俺のiPodからボビーの白人にしてはコブシの利いた歌声で流れてきたときはとてもびっくりした。アルバムは"Perfect Island's Night"という2005年のものなのだが、初めて聞いたのは3.11の少し後だったので、何か力づけられる思いがしたのを覚えている。途中コーラスで「ウーエー アー ムーイテー」という日本語と思しき部分があるのだが、オリジナルの坂本九だって「ウーヘーホムーフーヒーテー」と歌って永六輔に怒られたそうだからまあボビーの歌い方だって同じようなものだと言えなくはない。 「上を向いて歩こう」は日本で発表された1961年の翌年くらいには世界的なヒット曲となっていて、アメリカではなぜかスキヤキという名前で歌われている。
I look up when I'm walking so the tears won't fall But one by one they will come as a sad reminder And with every tear I hear her goodbye She left and broke my heart forever
I can't stop the rain it keeps following me I can't seem to stop tears that fall endlessly
In this my darkest hour empty heart and toll The passers by see me cry they've no way of knowing That I love her still, still even though She left and broke my heart forever, forever
Ue ah muite ooh ooh oooh oooh ooh ooh No I can't believe love's gone away She left and broke my heart forever
I can't stop the rain it keeps following me I can't seem to stop tears that fall endlessly I look up when I'm walking so the tears won't fall But one by one they will come as a sad reminder That I miss her still, still even though
She left and broke my heart forever She left and broke my heart forever Ue ah muite ooh ooh oooh oooh ooh ooh (repeat till fade)
The charms of Sukiyaki, The arms of Sukiyaki. Are all I long for since I left old Nagasaki. Why did I roam, Far away from home. I hope that she will wait for me. Her smile cannot decieve me. sweet almond eyes don't leave me. My whole life through I'll be true darling, Please believe me. That if I say, I'll be back someday. Promise that you will wait for me. When orange blossums are starting to bloom, we'll be united a bride and a groom. I'll take my Sukiyaki, And make my Sukiyaki, The only queen to be seen in old Nagasaki. And from our home, we will never roam, when i make Sukiyaki mine. Why did I roam, far away from home I know that she will wait for me. When orange blossums are starting to bloom, We'll be united a bride and a groom. I'll take my Sukiyaki, And make my Sukiyaki, The only queen to be seen in old Nagasaki. And from our home, We will never roam, When i make Sukiyaki mine. And from our home, we will never roam, When i make Sukiyaki mine. When I make Sukiyaki mine. All mineここではスキヤキというのは長崎に住んでいる可愛い女の子の名前なのである。恐るべし。ああ、可愛いスキヤキ、スキヤキの腕、古い街ナガサキで別れてから、ずっと会いたいと…こういう感じなわけ。
2013-06-23 [長年日記]
_ NHKラジオ第1「音楽の泉」でチャイコフスキーの「弦楽セレナード」を聞きながらおかゆをすする日曜の朝。なんかいい天気すぎる。ご案内の皆川辰夫さんは「セレナード」と言ってた。国によってセレナーデとかセレナード(仏)、セレネイド(英)となって紛らわしいから、「いっそセレナーデに統一してくれ」と井上陽水は歌っていたのだった。こうやってちょいちょい嘘を挟んでおかないとガラスのアイデンティティが保てなくなるからな。日本語では夜曲とか小夜曲とか。たぶん「おれは直角」で西洋かぶれした家老のお孫さんが「これは西洋の楽器でぐいたーという!ウーン、イエシタディー」(←資料ほとんど無し)とかやっていたのはセレナーデの一種なのだろうと思う。ウィキペディア見てたら案内役・皆川達夫さんの面白いエピソードが載ってた。子供の頃のあだ名が「アブちゃん」。アブノーマルだったからなんだって!水島新司のあいつや北陽のあいつもそうなのだろうか。それでそのアブちゃんの原因が、能の「巴」を見て感動して能楽堂通いしてたからだというのだ。皆川さん13歳くらいの頃の話。その年頃の俺は宇野鴻一郎とかエマニエル夫人とかに感動してアブちゃんと呼ばれる素質だけは持っていたのだがなあ。「巴」はもちろん巴御前のことで、武人がシテである能が修羅能、その中でも女性がシテである修羅能はこれ以外にないということである。皆川氏は長じてのち、隠れキリシタンの宗教音楽「オラショ」の研究でイタリアの騎士となる(カヴァリエーレの勲章をもらった、というのはそういうことだと思う)。以上全部ウィキペディアを参照した。「巴」観賞したい。能の映像資料はなぜにこうも少ないのだろう。NHKオンデマンドにさえろくに所蔵されてないではないか。富士山よりもいち早くユネスコの文化遺産となった能であり、日本という長い歴史にまたがる精神圏の生み出す豊かな資源と見ることもできる。それなのに、触れる機会が少ないのでは広がりようがない。格調高い芸術の在り方と矛盾しない方法が見出されなければ、既得権益にしがみついてイノベーションを志向しない大企業病と同じで、いずれ死滅する他無い。もっと博物館やゆるキャラのサバイバル精神に学び多くの関連プロダクトを生み出すべきなのである。とちょっと大きなことを書いてしまったが、巴御前に戦場で組み伏せられて首を掻っ切られることを想像するとちょっとクンダリーニが覚醒しそうになる俺は今も昔もアブちゃんだ。
_ ボビー・コールドウェル "So Much in Love"
youtubeから。途中で終わっちゃってるけど。これ視聴してて思ったが、"So much in love"は"SUKIYAKI"とメロディラインが似てる。1990年の日本ライブ。たぶんパーラメントが提供してたやつじゃないかと思う。テレビで放映していたようで、インタビューが挟まれている。この時のボビーは"Carry On"(日本名は『シーサイド・センチメンタル』という。Carry Onってのは辛抱するとかいうような意味だろうか?ニュアンスがわからないが、確かにあまりおしゃれな感じはしない)というアルバムは自分でも好きなアルバムで、恋愛以外の重要なことを歌っていて自分で聞いていてもリラックスできると言っている。"Jamaica(ボブ・マーリィがこのアルバム発表の前年に亡くなっている)"や俺がかなり好きな"Sunny Hills"がその"恋愛以外にも重要なこと"を歌った代表的な曲とのことだ。そのあと割と有名な"Sherry"を含む"August Moon"を発表したのちしばらく(日本では)活動の目立たなかったボビーが"Heart of Mine"を発表して、健在であることを知ったのがかなり嬉しかったのを覚えている。おりしも俺が今の会社に入った年だ。そんな昔のことじゃないな、とも思うよ、深甚とな。
_ [特撮] 獣電戦隊キョウリュウジャー
怖いもののない奴は本当の強さに至ることができないと言われて迷うキング。仲間を失うことが自分の恐れることと気づいてさらに強くなるという訳だが、戦い方自体はそう変わっている様な気もしない。それよりも、今回のロケ地はやたらと緑が鮮やかだ。そういう季節に撮ったんだなあなんて変なところに感心してた。そしてキョウリュウグレー・鉄砕の正体はなんと井出らっきょ!というかツルッパゲ!今までにハゲのヒーローっていただろうか?ちょっと待て、今思い出すから。えーとえーと…つづく。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
安っぽい魔宝石(魔法石、じゃなかったんだな)を見ててなんかに似てるなーと思ってたんだが、今わかった。福島の岩瀬郡鏡石町の銘菓・ぶどう氷である。これ見てくれに反して柔らかくてなかなか旨い。奥州路歩いてた時に宿で出たおやつ。今回のラストでだいぶビックリした。メデューサの妹(?)が仮面ライダーメイジに変身する。たぶん映画見た人はもうちょっとこの新ライダーのことを知ってんだろうな。変身ポーズがなんかアイドルの振り付けみたい。
デスクワークは眠気や邪念に対する戦いのようなところがあって、それはそれで厳しい仕事だと最近認め始めた。だから適当に流さなきゃいけない時もあるんだが、とにかく仕事のヒントになりそうもない邪念こそは流しておかなくちゃならない最強の敵である。でも捨て去ってしまうと素の自分が捗らなくなりそうな気もするので、今あたかも自宅にもう一人の自分がいるようなつもりで自宅にメールを送ることが非常に多い。今の俺の最大のメル友は自分自身なのだ。なんか友達がいないのを俺は孤独と二人連れだとうそぶいてる故・ジョルジュ・ムスタキか、同行二人のお遍路さんみたいなこと言ってるように聞こえるかもしれないな。そういうことじゃない。民主主義の隠れた敵であり最大の敵であるフリーライダーという生き方からどこまでも離れていきたい、社会に参加する上での自分の立場はそうでありたいと願っているのだ。理想的なデモクラットであるためにその主体である"民"から距離を置くことになるということに一面の矛盾を感じていないわけではないが、働いている間はこんな感じでやっていくより他に術がないようにも感じる。つまり俺には友愛に費やすリソースが余り沢山は無い。人間関係もできる限りシンプルにしていたい。
それはともかく、今この時間は自分は自宅の自分そのものなので、過去のメールを見ていると会社にいた自分から送られてきた多くが目に入ってくる。大半はくっだらないもので、これらにいちいち引っかかっていたら確かに会社にいる時間の半分以上はネットサーフィンになってしまうだろうな、と思わざるを得ない。そのくらいくだらなくて、これはいかに多くの邪念が沸いているかの証拠と見える。だかそんな中にはこの日記のヒントとなっているものも混ざっている。今日のキーワードは「南流石」だ。テレビ神奈川で朝7時ちょっと前だろうか、毎日やっている短い番組でカモン!カナガワンという真心ブラザーズの曲に合わせた印象的なダンスをやっているのが気になっていた。けったいな身振りも気になっていたが、ダンスの中に数度登場するちょっと年嵩の女性が何者なのかということがさらに気になっていた。存在感からは若いダンサー達の指導的な立場のように見えるが、これがかの振付師・南流石(命名:桑田佳祐)で、ダンサーたちは流石組のメンバーということらしい。それで流石組のHPを今見てるところ。ソロモン流というドキュメンタリー番組の映像にリンクがあるのだが、JAGATARAというバンドに参加していた時リーダー江戸アケミ(男)との出会いがあって今、「踊り造りは『情熱』と『衝動』」と彼女は語る。36歳にして死去した江戸アケミが、おそらくは現在も、今や55歳となる彼女を導き続けているのだ。このようにして人は人の中で永遠に生き続けることがある。自転車事故で死亡したフランスの作曲家、エルネスト・ショーソンが「たとえ1ページであっても、人の心にしみ透るものを書かずには倒れたくない」と手紙に書いたその言葉は、このようにして人の中で永遠に生きることを願った言葉ととることもできる。映像の後半は「ココロからダンス」(心と体をもじっている)の紹介。ミラーニューロンという模倣する能力に関連する神経(系?)を刺激して、ダンスの療法的側面の可能性を広げる活動を進めている。認知症の老人が表情を獲得する印象的な映像には、前衛芸術的なダンス(これは元にバレエの理論がありそれをさらに前進させたものと捉えることができる。実際フォーサイスのダンス理論の映像を見ると、その動きは肉体にとってはむしろ不健全な動きとさえ見られる)とはだいぶ異なるダンスの未来像が伺える。ミラーニューロンは心を扱う医学的、心理学的、哲学的領域において重要な概念のようである。特に人間において一種異様ともいえる発達を遂げた「共感」の能力にはミラーニューロンが強く関連している。心の機能を機械論的に解釈するとしても、それが生きた肉体から生まれることを意識して行うのとそうでないのとでは論の展開にも大きな相違が生まれることだろう。そんなわけで、ダンスには限らないが、俺も何か体を動かすことをやりたいと思うのだ。あとものまねの修業はもしかするとアンチエイジングに関連しているかもしれないと思い始めた。
_ だいぶ以前の、とはいっても今年に入ってからの日経のとあるページに、アイヌの口碑伝説に60mを越す津波の記録と思しきものがあったという記事があった。それで興味が出て以下のような論文にたどり着いた。まだ読んでいない。
_ http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_21/P121-136.pdf
_ http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_20/29-Takashimizu.pdf
_ 歴史津波に対する興味もなくはないが、それよりも、文字を持たなかったアイヌの人々の口碑伝説が記録として活用できるというその可能性のことなのである。昔起きたことを、あたかもそれが今起こっているように再現することで、実質的な未来から過去へのタイムトラベルが実現できる可能性があるのだとすると、そのようなテクノロジーはいわゆる科学の力だけでは実現することができず、民俗学をはじめとする伝承・伝説の中から過去の事実を復元する手法が"技術"として高い精度と再現性をもって自在に用いられるようになる必要がある。考証学がバーチャルリアリティにおける必修科目となること。これは容易なことではないが、挑戦する意義は大きい。たえず経営が問題となる博物館やその類似施設などにおいてはのどから手が出る技術だと思う。自分は、この技術によって、北海道の明治以前の古い道をたどることができないものかと考えている。それにはやはりアイヌの口碑伝説は有用だが、山丹貿易などを介してロシアや中国などにおいて記載された歴史書にもそのような記述を見つけられる可能性があるのではないかと思う。それらが、地形を読み解く技術と一緒になって、初めて文字による記録以前の北海道の歴史の道をたどることができるようになるのではないか。そういう今は淡い期待がある。俺の手には余りある事業となるだろうという意味で、淡いのである。
_ [テレビ] 「八重の桜」
ついに戊辰戦争のクライマックスとなった。これまでの新政府軍の進撃を見ていて、俺の歩いた奥州街道も二本松までは新政府軍の進軍に重なっているのだなあなんて思っていた。それで自分の会津への道は改めて遠いことに思いやられる。この間のGWは福島から米沢まで歩いたわけだが、ここから南下して檜原峠を越えるのが昔の米沢街道だが、綱木の集落より南は現在は廃道である。地形図を見ても沢だらけで迷いやすそうに見える。というかたどるべき踏み跡は期待できない。現地に行くまではわからない部分もあるが、この道を北から進んで会津に行くのは悲観的に思われる。一方南から檜原峠に向かう道にはまだ踏み跡があるようである。そこで、一端は二本松あたりから会津に向かい、途中米沢街道を北上して会津側から檜原峠に進み、可能なら綱木に向かって降りていくことが考えられる。それが無理ならば、綱木から檜原峠までの1kmほどの道は廃絶したものとして踏破をあきらめる他ない。この道をたどるのに草茂る夏は不利と思う。冬枯れが訪れて間もない頃がおそらくはたどりやすいのではないかと思うのだが、そんな好機に出かけることができるかどうか。ぜんぜん八重の桜の話じゃなくなった。
2013-06-24 [長年日記]
_ 先週からちょっと会議がいくつかあって、準備を通じて仕事が進んでいく感じで若干疲れてきている。今日の会議の相手には、以前手前どもの方にちょっとした失礼のあった方が含まれていた。なのでお詫びの気持ちを表明するために会議中ずっと全裸で正座してたのでちょっと風邪気味。まあでも俺がずっと全裸で正座していたおかげで、会議そのものは割と和やかに進んだので良かった。
_ 昨日ネットで見つけたアイヌの口碑伝説に表われた歴史地震に関する論文を寝しなに少し読んだ。著者にはアイヌ語そのものを少なくとも限られた時間の中で理解し読み解く能力はないらしく、引用された口碑伝説というのはすべて二次資料である。二次資料であっても収録時期や場所などが明記されているかどうかにはある程度配慮しているらしいので、その姿勢自体に問題はない。問題は、その二次資料の読み解き方の浅さにあるように思われる。二次資料というからには、それを採取した人物の意図や志向、それが記録された時代背景、さらにはアイヌ語を日本語に翻訳する際の意味の変遷といったものに想像の力が働かされなくてはならない、この意味で、この論文はあまりも理系的である。そこが問題だ。多かれ少なかれ何らかの作意があるであろう文学的資料に対して、それがあたかも客観的事実の忠実な記録であるかのような捉え方をするのは、そのような資料の読み解き方としては素朴的に過ぎ、明らかに間違っている。そうして、資料に書かれた歴史地震の可能性のある個所に対して、それが歴史地震であるかどうかを判別するには、そこにあらわされた記述が、起こり得ることかそうでないかというこれまた即物的な指標でのみ判定されるのである。この著者は、もっと民俗学的・文献学的なアプローチに親しむべきだった。伝承の中に記載されることがらには、無意識の領域に半ば属するような、民族の心的事実というべきものが含まれている。それが非現実的なことを事実のように記載していることを、まるで科学論文の捏造事件と同様でもあるかのように批判的に解釈することは、とても20世紀を越えた時代の学術論文とは思われないのである。さらには、偽書でさえ学術的研究の対象としてしまう文献学・古文書学の貪欲さ・ふてぶてしさにも学ぶべきものはあるだろう。このことはしかし、歴史災害を研究する分野においてはまだ試されいない方法論が数多くあるということをもはからずも物語っているのである。ただ、昨日読んだ論文は2010年より古い。研究の最前線ではまたなにか新たなことが始まっているのだろうと思う。
2013-06-25 [長年日記]
_ スカパー!がネットワーク接続エラーになる件。LANケーブルがだめになってたので交換してOKに。そもそもアクセスランプが入側も出側もついてなかったことにまったく頓着してなかったというのが愚かだった。接続エラーが解決した途端に録画領域が足りなくなって困るという。この現象を経済学における石炭問題にたとえることは簡単ではあるが、これは一方で記録的資料の入手はそれを怠った途端に難しくなってしまうことでもある。俺は「断捨離で家を片付ける」という考え方や、「捨てる技術」(この著作は、かの野口悠紀雄氏によって技術などと呼べるものではないと反駁されている)に書かれた考え方には全く賛同してはいない。1年間手を付けなかったものであっても10年以上たった後に手をつけることは俺には良くある。そのときに、「やはり捨てないでよかった」という気持ちもまああるが、それよりも大事にしたいのは、過去のある時点である動機付けがなされてそれを入手したという、その過去における自分の問題意識なのである。これはそれを入手した時の時代の証言なのである。かくして部屋の中はどんどんもので満たされていくし、ハードディスクの中は他者にはその価値を見出すことがどうしてもできないであろうコンテンツによって満たされていく。まさに、「自然は真空を嫌う」とアリストテレスが言った通りのことが、俺の家と家にある記録媒体の中で常に実現されているのである。実際には自然は空隙だらけなのだから、俺の家は”アリストテレス的自然空間”、あるいはフォークトに倣って”Aの世界”と呼ばれるべき場所なのである。それで石炭問題というのは、19世紀の半ばに活躍したジェボンズというイギリスの経済学者が、今日においてもきわめて重要な「効用」の理論を広めるのに貢献した(効用理論のオリジンは少し先輩のドイツ・プロイセンの学者ゴッセンに帰されるものとされる)のと並ぶもう一つの業績である。いわく、石炭の効率的な利用技術が進めば進むほど、本来は石炭というリソースを節約するはずだった目的にもかかわらず、消費量の増加率が供給量の増加率を上回っていくというある意味悲観論的な分析、すなわちジェヴォンスのパラドックスなのである。これと同じ状況が、今日的問題としては記憶媒体の容量の増加とその使用量の増加にも見られるのではないかと俺は見ている。このパラドクスが実現してしまう原因はなかなか複雑なようだが、経済の現象が決して理性的な行動から生まれるのではないということの好例のように思われるのである。
_ [漫画] 水木しげる漫画大全集、21、29、81巻
第1回配本の3巻が今月の3日に無事刊行された。が、そのことにしばらく気づかず、全巻予約した横浜でおそらく現在も最大の某店舗型書店からも連絡はなかった。今日取りに行って尋ねてみたところ、どうやら毎月発行日が決まっているようなものについては連絡は基本的にはしないということのようだった。刊行が遅れる場合には連絡をくれるということだが、こうなってくると、店舗型書店でこのような全集を全巻予約することの意義は、在庫切れで入手できないリスクを防ぐことにしか無いことになる。刊行日を自己管理せねばならないのならば、アマゾンで買った方が良い。なぜならアマゾンの場合は購入履歴を元に新刊の連絡をちょっと怖いくらい的確にメールで知らせてくれるからである。この仕組みはこちらの志向が完全に把握されてしまうというリスクをはらむ反面新刊を入手できないリスクを減らしてくれるので、絶版恐怖症には良い薬となる。さらに、現物は、これもまた時として酷使ともいえるほど利便性の高い宅配便のシステムと密接に連携して、今回のように数巻同時に刊行されても重たい思いをして抱えて帰る必要がないのである。こうして、紙の本が電子書籍に代わっていこうという流れの中でさらに店舗型書店は利便性の点でさらに不利になっていくのである。店舗ならではのきめ細やかなサービスというのは不利を跳ね返すための一つの方法になりうるが、今回のことを見ると、店舗型書店を動かしているスタッフの中に、すでに敗戦色のようなものさえ漂っているように見えてしまうのである。ここ1−2年くらいで勝負が決定してしまうのではないか。街の本屋は、現在の形態からは想像もできないようなサービスを提供する空間とならない限り存続できないのではないか。そのように危惧されてならない。これが解決に直接つながるものとは思わないが、ネット書店になくて店舗型書店にあるものの一つは、直に書物に触れることによるリラクセーションと関連があるかもしれないということはヒントになるかと思う。大原まり子が書店に入ると必ず便意を催すように、書店という空間には特異性がある。その特異性が図書館においても実現されているのだとしたら、書店は"何かを売る"(それは将来的には必ずしも書籍類を意味しないであろう)ことによってさらに図書館との差別化を図らねばならないのである。その"何か売るもの"の一部はあきらかに、サービスである。だがそれが、書店の中に喫茶店を置いたり、何時間でも好きなだけ立ち読み(?)できる椅子を設けることなのでは少々安易な気がする。だったらただ座らせるだけではなく読書を邪魔しない程度の室内楽でも流してみてはどうか。あるいは単に閲覧の利便性を向上するのではなく、博物館のように見て歩く動線が意識された陳列の方法などはどうか。キュレーターのいる書店…あ、たぶんすでにあるよ、そういうの。絵本専門店にそんなのがあったような気がする。見せる本だからこそそういう工夫をするのだろう。そんな風に考えると、一つもしかすると読書家にアピールするような店舗がイメージされる。書斎そのものの例示をするショールームのようなコーナーである。そのエリアの真ん中には座り心地が良くて四方に向くことのできる椅子があり、手の届くところには整理法のメソッドに裏付けられた収納棚やロッカーなどがある。これがアピールすると、たぶん分厚く巻数の多い事/辞典や全集モノの購買意欲が増すことだろう…と思う。まあ責任がないので好き勝手に書いてるだけだが、子供の頃に友達の家に行って感じる驚きの一つは、勉強部屋が自分のそれとずいぶん違うということだった。そんな気分を思い出すよすがにはなるのではないかと思うのだ。カテゴリがマンガなのに全然漫画と違うことを書いてる。最近脱線することを前提に書いてて、ローラの発言より自由な日記になってやしないか?一応今回刊行されたのは、「忍法秘話」に掲載された全話、少年マガジン版「ゲゲゲの鬼太郎」の1、ビッグゴールド掲載の「不思議シリーズ(全)」、である。楽しみだのう、ヒヒヒヒヒ。そうですか、ヒヒヒヒヒ。
_ [読書] 「澁澤龍彦全集1」
いつものノリならば水木さんの漫画も寝床に持ち込んで眠くなるまで読みふけるのだが、うかつにほったらかすと時々猫の吐瀉物に汚染されてしまうのである。つい今朝がたも、すでにしみだらけになっていた澁澤龍彦全集の表紙には、抜け毛の混ざった黄土色の吐瀉物が載っており、いよいよ新刊本を買わねば気が済まないという状況になっている。まあダメ押ししてくれたのだというほかない。どうせ新しいのを買うのであれば、書き込みや付箋が大量になって移行するのが大変にならないうちに買ってしまう方がいいのだろうとは思う。少なくとも寝床に持ち込んだ本は棚に置くなりして嘔吐対策をしといた方がいいな、とは思った。猫達との付き合いは長いのに、なぜ今頃になってそんなことに思い至ったのかよくわからないが、これもきっかけだ。改善する。ってこの記事も全く本の内容に触れてないじゃないか。今読んでるのは「錬金術的コント」。初めて知る人物のことがどんどん出てきて名前だけ知ってるのがブルトンくらいという感じで唖然としながら読んでる。以上。
_ 最近政治家をはじめとしてネットでの発言が進退にかかわるような事例がたくさんあって、あちこちで夏を前にして祭りが始まっている。「口は災いのもと」とはよく言ったもので、ネット上の情報は言い捨てにできない怖さがある。ちなみに俺は過去の日記を見直してちょいちょい直したりもしてるくらいだが、それでも書いてるうちにタッチが荒くなってきて暴走するような局面は多々あるように思う。まあなんというか、ヒトの振り見て我が振りなおそーっと。そういえばローラの父が罪に問われたり天海祐希が入院したりして、福田彩乃が一時的にピンチだ!だが、彼女はどんどん次のネタを仕込んでいる。wktkラジオ学園の中では、おそらく意図的に番組の中で熟成させていると思われるのだが、篠原涼子が回を追うごとにどんどん似てくるのが面白い。俺も頑張って西田敏行のものまね練習するかな。「覚馬、控えよ」まだまだだな。
2013-06-26 [長年日記]
_ 雨しとしと。スカパー!問題は、接続テストはOKなのにネットワーク上には録画機が見当たらない、というよくわかんない状況になってしまって全く捗らない。それでも視聴料金は取られてしまうんだよなー!HDにして損してるのではないか?
2013-06-27 [長年日記]
_ スカパー問題は貧弱な我が家(魔窟)のLAN環境によるものと思われ、ちょこっと接続の仕方を変えて一応復旧。でも安心ならん。
_ [漫画] 「パロディ漫画大全」長谷邦夫
著者は、赤塚不二夫のフジオ・プロにいて盗作漫画家と呼ばれた人であるが、もしかすると井上陽水の「桜三月散歩道」の作詞家としてのほうが有名であるかもしれない。赤塚不二夫の晩年のあたりには「バカ本なのだ」など赤塚不二夫その人に関連した著作を出版している。寝床のそばに「マヌケ式」という一冊の単行本が転がっていて、そういえば「バカ式」と「アホ式」がないなーと思ってアマゾンで検索したらそれ以上の本が出てきたという訳だ。解説とあとがきを含めて900ページ以上に及ぶ分厚いマンガ。これは読みでがあるが、長谷氏の漫画は必ずしも面白いわけではなく、氏もそのことをなんだか容認しているようなちょっとシニカルな調子で描いているものが散見される。一方でこの人はなかなかの読書家なんだなあと感じさせるものも多い。ある朝女が気がかりな夢から目覚めると沢村忠みたいに変身していた、なんていう「変身」を含む単行本「バカ式」を読んだのはたぶん中学のころじゃないかと思う。貸本落ちした古本をどこかで見つけて買ったのだ。どこで買ったのか、もう全然思い出せない。カフカの「変身」を読む前に長谷氏の「変身」を読んでいたし、つげ義春の「ねじ式」を読んだのも長谷氏の「バカ式」を読んだ後かなりたってからだったと思う。そういう意味では俺が中二病をこじらせる一因となった漫画家であるのかもしれない。そんなこと思いながら900ページを読んでいこうと思う。
_ この年になって異性に関するストライクゾーンが広がったんだと思っていたのだが、どうもそうではないことがわかった。ボール球にも平気で手を出すようになっただけだった。なーんだそういうことか。悪球打ちの岩鬼みたいになってるわけか。
2013-06-28 [長年日記]
_ こんばんわ、しおりん押しのけいりう堂です。6月がおおむね終わる。結構いろいろあった上半期あるいは上四半期、と思う。ちょっとゆっくりしたくなってきた。水木しげる漫画大全集も刊行されたし、「テルマエ・ロマエ」も完結した。東映チャンネルでは今「極道の妻たち」やってる。十朱幸代。。。「シーチキン はごろもフーズ」←俺のものまね。これかなり似てる。
2013-06-29 [長年日記]
_ タモリ倶楽部見てるところ。読図ができる人間は尊敬に値するが、今回出てきたのは読図どころか描図とでもいおうか、架空の地図を詳細に自分で描いてしまう人たち。ニヤニヤが止まらないよ。なんだこいつらは。
_ 「ソロモン流」の録画の最後のところ見た。南流石の振付けた決めポーズ、使ってねえじゃん。
_ 英会話。いつもの講師はすでに英国に帰ってしまった。今日の講師は以前何度か担当してくれた方で、顔を見るなり"Hello, my friend!"と声を掛けてきた。ビジネス英語は難しい。講師もすべてを理解しているという訳ではない。
_ [放送大学] CiNii登録。
先日図書館に申し込んだ文献複写が届いたというので、ついでにCiNiiのサイトライセンスを取得すべく久しぶりにわが校に出向いた。複写は1ページ10円で全2ページ。2010年に、歴史津波に対する簡単な解説として書かれたものである。静岡県西部の浅羽町、大須賀町の海岸には「命山」という人口の築山が設けられており、津波の時はここに避難することとしていたのだそうだ。遠州灘にほど近く高台の無いこの土地にはそのようにして昔から自然災害に備える知恵があった。命山の上には小舟が用意されていて、買い出しの役に立ったこともあるということである。出典は「静岡県史・自然災害編」とある。これなら俺にも読める。図書館に行けば置いてある。でももしかすると、将来的には全国の県史を揃えたいなどと思ってしまうかもしれない。もちろんそんなに安いものではないし日本語大辞典など比較にもならないほどスペースをとることだろう。
帰宅してメールを確認するとCiNiiの手続きの案内メールが届いていたので、残りの手続きを行なってさっそく検索始めた。サイトライセンスを取得することで何が捗るかというと、定額アクセス可能な文献をこのライセンスで自由に閲覧することができるのである。たとえば、「観光ホスピタリティ教育」の第2号に載っている「歴史教育における体験型教育観光の一事例ー東海道を歩くー」なんていう記事が読めて、由比の広重美術館などの例を引いて実際に歴史街道を歩くことの教育的意義などを論じているなあ、なんてことを味わうことができるわけである。そして今俺には、旅の特殊な機能として教育的な意義ということがあるのだという気付きが生まれた。「可愛い子には旅をさせよ」ということわざの意味が、言葉でなく心で理解できた!これでまた人生捗る。
2013-06-30 [長年日記]
_ 暗鬼紅灯の巷では「困り眉」なるメイクが流行っておるのだとか。これでは女子全員三原勇希の萌え顔、ではないか。
_ [漫画] 「水木しげる漫画大全集 021 忍法秘話掲載作品 全」
「未完成交響楽」の柱に、「フハ…とは、鼻から空気が出る音。失望ラクタンの時、しばしば出る空気が鼻毛をふれる音である。」と書いてあった。「金太とピン子」第一話では、金太を育てていたおじいさんが息を引き取るときに「フハーッ」と言って両手を開いて逝ってしまう。正に息を引き取るという感じが良く出ていると思う。
全巻予約すると捗る特典が付いてくるようだ。一つはねずみ男の名刺のついた「ビビビの名刺入れ」。これ使って活躍するサラリーマンを想像できねえよ。うっさん臭いなあ。今一つは描き下ろしのゲゲゲの鬼太郎と資料満載のスペシャル別巻。別巻1と書いてあるからその後も発行されるんだろうか。期待してしまう。ところで全巻予約は横浜で有名な某店舗型書店ですでにしてあるのだが、特典、ちゃんと入手できるのか少し心配だ。
_ ローラにまつわる最近の事件。少なくともネット上では擁護の声が大きいようだ。人徳とはこういうことを言うのであろう。
_ 先日パロディ全集を読み始めた長谷邦夫さんだが、先月脳出血を患い現在は入院治療中とのことである。wkipedia見ると、フジオプロとは金銭トラブルのために絶縁中であるとのことであり、赤塚氏の葬儀にも参列はしなかったのだそうだ。
_ [特撮] 獣電戦隊キョウリュウジャー
今日はウッチー大活躍の巻でござった。ござる言葉を使うと、拙者まるでオタクみたいドブフォw それはどうでもいい。モンスターペアレンツの群れに襲われる空蝉丸。怖すぎるよ。そして子供番組にはあるまじきキスシーン&輪姦シーン。いやー怪しからんな今回はwww でも情操教育的な意味では戦隊モノにふさわしい回だった。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
メデューサ対仮面ライダ―メイジ。メイジの動きがなかなか良い。登場していきなりキレキレのアクションを見せつけるというのはこれからの展開を期待させる上で実に効果的な演出と言えるようだ。キョウリュウジャーのモンスターペアレンツ(とその歪みを越えようとする子供)といいウィザードのファントムと言い、近頃の特撮は具体的に描きにくい現代の問題やそれに通じることを果敢に表現しようとしている。。。いやいやそれは特撮番組がこの世に出現した時からそういう機能を目指していたのではないのか。と思う。工事現場で多くののぼりを立てて、風と風の対立を表現する場面が印象的だ。メイジに変身した真由は今後も戦うことを表明している。だとすると、昭和平成を通じてテレビ番組中で戦い続ける女性ライダーの初めての登場、ということになるだろう。(あーでもそんなこと書く前にストロンガーちゃんと見てタックルが仮面ライダーと呼ぶにふさわしいかどうかは自分なりに決着着けておかなくちゃいかんな)。
_ [特撮] 仮面ライダー
第55話、ゴキブリ男登場。ショッカーはついに人間を老化させる細菌を開発した。すげえ!わがショッカーのオオ、科学力はあ、世界一イイイ!そしてそれを広めるためにゴキブリに細菌を植えつけることを計画するのだが、そこに表れたチンピラ2人。彼らは団地のみなさんに全く効かないゴキブリ駆除薬を売りつけていたところを、ショッカーに見とがめられ、計画の邪魔をするものと見なされて拉致され、ゴキブリ計画の責任者としてゴキブリ男に改造されるのである。ショッカーは卓越した科学技術の開発力を持っていながら、作戦を展開するための人材には問題を抱えているようである。しかしゴキブリ男というのはゴキブリの嫌いな人にはかなりインパクト大きいだろうな。でかい体に薄い羽を備えているあたりがすごく嫌な感じだ。ショッカーの科学力の凄さというのは、この最近に対する治療薬も開発されているということなのだ。これはつまり、アンチエイジングの効果の高い薬剤をも開発しているということなのではないのだろうか?ショッカーは老化を克服している!だが、その薬を分析してコピーした人類もまた、老化を克服したはずなのである。しかし老化を克服することはできても、本郷の改造された体を元に戻す術は無いのだ。改造手術は超人への片道切符なのである。
_ ぺヤングのたらこ焼きそば見つけたので今日の昼飯にした。ピンクのパッケージが一瞬イチゴ焼きそばかと見まごうばかりである。感想は、まあ旨い。ただ、たらこ特有の魚卵のプチプチ感が完全に失われていて、これは本当にたらこ味なのかどうかが良くわからないのだ。そういうところがジャンクフードの本道たるところかもしれない。暑くて今日は外でたくないの。天気良いけど。
_ [特撮] 仮面ライダー
第56話。路面に怪しい粉を見つける本郷と滝。本郷は知能指数600の超天才であり、それにふさわしく自ら顕微鏡によってこの粉が蝶の鱗粉であることを見出す。ちなみに知能指数600をまともに受け取って、知能指数の分布を田中ビネー式で算出した場合の標準偏差16を採用してN(100,162)の正規分布に従うものとした場合、知能指数200以上の人間であっても5000億人に1人存在する程度となる。正規性の仮定も怪しいが、よほど高い方に裾を引くような分布でない限り、知能指数600を越える人間の全人類に占める割合は実質的に0と違いがない。ちなみに現在の地球人口は70億程度である。本郷猛はそれほどすごい超人なのだ。彼がヒーローの資格を持つものであることに疑いの余地はないが、こうまでショッカーに手を焼いているからにはショッカーという組織も数多くの人材を擁しているとしか思えない。すると彼らが慢性的に幹部資格者の欠如に苦しんでいることは、知能指数の面での人材不足なのではなく、悪の能力を有する人材が足りないということなのだ。したがって、ゾル大佐や死神博士や地獄大使らが悪のエリートであることの意味を再考するならば、彼らの巨悪さ加減には改めて戦慄せねばならないのである。
_ うにゃ [今日もお疲れちゃん♪]
_ けい [そんなことより俺はお前のデリケートゾーン も見てみたいぞ。]