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2014-04-28 [長年日記]
_ 今朝がた起きがけに思いついたのは、石炭問題における石炭使用量$y$が指数関数的に時間$t$と共に増大するというのなら、それは必ず定数$a$を用いて$\frac{dy}{dt}=ay$という形の微分方程式で表わされねばならないということだ。左辺は、言うまでもなく使用量の増加速度であり、右辺が等式で結ばれているということは、その増加速度が、現在使われている使用量そのものに比例するということを意味している。これはどういうことなのか。何がその時その時の使用量の増加を促しているのだろうか。仮にこれが、人間心理に基づく経済現象であるとするなら、左辺はいわば"限界使用量"(ここでいう"限界"は、なすべきことを一単位増やすことによる増加量という、経済学的な意味であり、微分と同義である)であり、その量が正であるということは、「今よりもう少し多く使用したい」と考えさせる何らかの正の誘因があるということだろう。ではその誘因は何によって与えられるか。この微分方程式は、それが「今現在使われている量そのもの」に比例した誘因が与えられている、ということを意味している。石炭を使用するものは、それが全体としてどのくらい使われているのかを見ている。そして、その量があまり多くないうちは自らの使用量を増やそうとは考えないが、自分を含めて周りが大量の石炭を使用していると見るや、「自分ももっと使用しなくてはならない」と使用量を増やす方向に促される。かくして石炭の使用量は指数関数的に増大する。
これが指数関数的増大の理由であるなら、石炭問題は集団ヒステリー(あるいはパニック)なのであって、係数$a$はそのヒステリーの深刻さの尺度と解釈しうる。石炭問題と同様の現象には、良く知られたムーアの法則、あるいはストレージの使用量の増加のような実例がある。先ほどの微分方程式の左辺を縦軸、右辺を横軸にとって両対数プロットすると、その傾きは$1$となる。それと良く似たグラフはこのページで目にすることができるだろう(傾きは$1$でなく$-1$だが)。
_ [漫画] 「富士山さんは思春期2,3」オジロマコト著、双葉社。
完全にツボにはまってる。富士山牧ちゃん(身長181cm、中二)の描写を見ているとその年頃独特の体温が伝わってくるようだ。俺ももっと素直な、そう上場(カンバ)くんみたいな中二でありたかったと思うよ。つくづくと。
_ 買い物行こうと思ってメモ。「もやし」って書こうとして思い切り「もしや」と書いてしまう。もしや貴様…?一人笑う皐月の午後。
_ [映画] 「マイティハート/愛と絆」
この映画は2007年に作られた。2002年、アルカイダと関連の深いテロリストによって斬首されたダニエル・パールの事件について妻・マリアンヌ(役:アンジェリーナ•ジョリー)が記した原作を映画化したもの。この映画は、そういうバックグラウンドに基づいた作品以上でも以下でもない。映画として独立した傑作という訳ではない。だが、この事件を人の記憶に残すための装置としては申し分なく機能していると思う。俺にはこの事件自体について語るべき背景情報は無いが、ダニエルの父であるジューディアの著作は仕事に生かしたいという興味を抱いているし、その父・ジューディアがダニエルのための鎮魂曲を、スティーブ・ライヒに依頼したというこの2点によって、俺にとって忘れることのできない人物となっている。ダニエルが死ぬまでの間勤めていたウォール・ストリート・ジャーナルにジューディア・パールが2009年に寄稿した「ダニエル・パールと悪の正規化」という記事が載っているのを見出した。ダニエルの死からちょうど7年、ダニエルは果たしてあの悲劇ののちにこのような世界があらわれると信じていただろうか、このようにジューディアの記事は始まる。あとはこれから読むんだが。
_ 「花子とアン」チラ見した。女学校に美しい女性たちがたくさんいるのは良い。特に高梨臨が良い。しかし、仲間由紀恵。彼女の独特の雰囲気は何なのだろう。確かな存在感は感じる。だが、これはオーラなどと言う生易しいものではない。彼女は何か変なものに祟られているのだろうか。でなければ、これは中二病患者の症例の一つであるところの邪眼あるいは憑依現象に他ならない。仲間由紀恵、怖い。。。