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2024-03-02 Copilotに連れてって [長年日記]
_ Copilotを使い始めてまだひと月もたってないんじゃないかと思うが、もうかなり依存し始めている。今日はRのパッケージの説明をしてもらって用例も教えてもらった。会話の内容を記録に残したいのだがコピペすると少し編集して整形せねばならない。ふとひらめく:
「ここまでの会話をRMarkdown形式で出力できますか?」
「もちろんできます!」
copilotは、マークダウン形式の出力に合わせて会話をまとめてくれた。でもこれだとこちらで再利用できない。ほしいのはそれを出力するためのコードだったので、そう突っ込むと、一応返してくれた。しかしこれはRMarkdownではなくただのMarkdown。RMarkdownで書くと、コードチャンクもRの環境を使って実行してくれるところがうれしいのだ。しかしCopilotさんはそれを理解してくれなかったので、RMarkdownのページを読んで次回までに学習しておくように頼んでおいた:
Copilot
了解しました。次回までにR Markdownの公式ドキュメントを学習しておきます。お待ちしております!🙂
_ 期待しとるよw 一方こちらはコードチャンクの部分だけ手で直して利用させていただく。この手の調べ物のまとめはこれでかなり楽になりそうだな。プログラムコードだから動作確認すれば書かれてることがハルシネーションかどうかははっきりわかるのが良い。そのうちdot記法できれいなPAD図を描く方法も調べといておくれよ。
_ もう一つ。今日の日記のタイトルはエルトン・ジョンの「パイロットに連れてって」をもじったものなのだが、このタイトルは確か聖書に出てくるピラトのもとにイエス・キリストが連れていかれる場面からとっているのだと思っていた。ジョン・レノンとのライブを収録したLPレコードの解説に会ったような気もする。しかし、英語版ウィキペディアを見る限り(実はまたCopilotさんに訳してもらった。楽だなあw)聖書のピラトとの関係はあるとは書かれていない。意味のないフレーズだとエルトンも言ったと書かれている。ほかのページにもそんな関係を示すようなものはなさそうだった。その件をCopilotさんにねちねち尋ねてみる:
はい、聖書には「ピラトのもとへ連れていけ」という言葉が記されています。このフレーズは、新約聖書の中でイエス・キリストがピラト総督のもとに引き渡される場面で使われています。
具体的には、マタイによる福音書(Matthew 27:2)とヨハネによる福音書(John 18:28)に記されています。これらの箇所では、イエスがユダヤの指導者たちによってピラトのもとへ連れて行かれ、最終的にピラトの前で審問を受けることになります。
うん、自分の記憶はどうやら正しかったようだが、そのあとでCopilotさんにも、このピラトとエルトンのパイロットとの関連は否定されてしまったのだった。ネット上の情報に私見を交えずに解釈しているという点ではCopilotさんは正しい。しかしデジタル化されていない記録や記憶、言葉遊びにある表記の揺らぎや論理からの逸脱などを解釈に取り入れる、という点ではいささか面白みに足りないとも言えるのだった。この辺は生成系AIとの共存においては重要となることかもしれない。僕らがせっせとアナログ資料をデジタル化しているのは彼らへの奉仕なのかもしれず、そのような労働力として彼らと付き合っていくという未来もあり得ないとは言えないのだ。というかデジタル資料をせっせと作るために何かに隷属しているような人って、すでにいっぱいいるわけだからね。