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2021-05-05 [長年日記]
_ 昨夜から『おくりびと』見てて日付変わった。彼らの仕事ぶりへのマニアックな興味なども交じり、なかなか見応えある。父母の葬儀のことも少し思い出す。この人たちの仕事が無かったら、今の自分は彼らの死をとても肯定的には受け入れられなかったのでは無いか?どんな形であれ儀式を行なってお別れすることは残された人々にとっての後の世の癒しなのだと思う。ゴーラーの本にもそんなことが書かれていた。そういう意味では、昨今は会葬の機会が少なくなって、故人の思い出が未消化となることも多いだろう。それはもしかするとこの先の世にある程度の影響を与えてしまうかもしれない。遠くからでも、ネット伝いにでも、悼んであげられると良いと思う。なおこの作品はけいりう堂の膨大な録画ライブラリの比較的初期に収蔵されたものだ。私の収集癖の正しさは年を追うごとに証明されるばかり。故に魔窟は長く存在する。短くとも、私自身が"おくられびと"となるまでは。送られ方、考えとかないとな。死装束でルーズソックス履かせてもらう、とか。
_ 朝。一応GW最終日。黄金の日々を惜しみつつカレーとマフィンの朝食をとりながらNHK R1「こども科学電話相談」を聴いている。昆虫担当の久留飛(くるび)克明先生が関西弁で答えてるのがちょっと面白い。今、別の先生に対して、クアッガという絶滅したシマウマの一種に関する質問が出たところ。遺伝的に近い種の交配によって復活させるプロジェクトがあるのを知った子供が、同じような仕方でニホンオオカミを復活させることはできるのか、と質問している訳。小六の質問者の知識にもちょっと驚く。不確かだが、この質問者はこの番組の常連の質問者で、いつも面白い質問をしていたように記憶している。かなり以前になるが、SF作家として有名(?)なロバート・シルヴァーバーグという人が『地上から消えた動物』という本を書いており、まさにこんな方法や遺伝子技術などで再現することができたとしても、それは絶滅したものとは違う、と論じていた。私はそれを読んで以来ずっとシルヴァーバーグに同意し続けている。さて、先生の答えの概要。ニホンオオカミはタイリクオオカミの亜種だから可能だろう。しかしそれは絶滅したオオカミとは違うものであり、種として存続してきた経緯というものを持っていない。彼らが生きていた時代と今では生態系が変わっているから、新たに作られた狼たちを森に放つことは現在の生態系に外来種を放つのと同義でありバランスが崩れるから慎重であらねばならない、ということだった。質問者の子供も、自分の素晴らしい思いつきにはそれだけで済まない重要な問題があったことに気づいたのでは無いだろうか。今日のこの番組のテーマは「持続可能性」(SDGs:Sustainable Development Goalsに関する生物多様性)というなかなか立派なもので、それに相応しいQ&Aだった。
_ 追記。シルヴァーバーグ『地上から消えた動物』が刊行されたのは1967年という結構昔のことだった。SF者の(本書はSFでは無いけど)想像力は恐ろしいほど時代を先取りする。これまでに世界中で書かれた膨大な作品群と、その内容が実現された結果とを付き合わせることで、精度の高い予言書を作ることができるだろう。
_ 夜のご飯と思って買った柿の葉寿司、よく見るとこんなところにも果糖ぶどう糖液糖が入っている。お漬物とかにもほとんど入っていたりして、遺伝子組み換え食品を摂取せずに生きていくことはますます難しい昨今。同時確率分布にも少しはまっていささか悲しげな連休最終日の夜。いいさ。2日仕事したらまた休みだ。死生学に関連して図書館で3冊の参考資料を借りてきた。『水子』『死と死別の社会学』『シシリー・ソンダース初期論文集』。最後のはともかく2冊はタイトル見てるだけでちょっと暗くなりそうだけど、アメリカ人の書いた『水子』は興味深い内容と見えて読むのが楽しみ。こうのさんの『この世界の片隅に』が連休中に届かなかったのは残念也。
_ かくしてあり合わせのもので膳を整え「浦沢直樹の漫勉」見つつ戴く。かわぐちかいじさん。漫画家になりたいという人には、絵を描くのが好きなのか絵を描いている自分が好きなのかを良く考えよ、と言ってあげるそうな。それで腑に落ちた。自分は後者だ。うん、漫画家になれなくてきっと良かったのだなあ。まあしかし、後者で漫画家になってしまった人だってきっといる。そういう人が「漫勉」に登場すると面白いな、とも思った。連休の最終日らしい終わり方となった。結局連休らしいことなどできずに、最終日でそれらしいことを何か探そうとする、勤め人の連休最終日。独り者なればこそこう言った味わい深い過ごし方ができるのだ。そしてそれ以外の生活などありえない。