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2014-05-05 [長年日記]
_ 今朝がた結構大きな地震が久しぶりに会ったのだが、まだ風邪気味でうだうだ寝てた。ゆれは小さくはなかったがこの分だと震度3強と言うところかと思ってたらちょうどそのくらいとニュースで速報があった。千代田区の震度が大きかったらしいが、どういう理由なのかわからない。俺は、自分のところには問題ないだろうと思って、読みかけだった宇能鴻一郎「むちむちぷりん」を読んでうだうだしてた。どうにもエロくない。しかし夫の長期出張に付き合って札幌や函館に出たヒロイン(どこもここもムチムチでプリンプリン(と会う男すべてに呼ばれる)な人妻)が北海道の食に舌鼓を打つ記述などはちょっと面白かった。
_ [アニメ] 魔法少女まどか☆マギカ
全12話ぶっ続けで見た。これは噂に違わぬすごいアニメだった。こんなの見てしまったらこのあとどんな魔法少女モノが出て来てもこの作品との対比で見てしまうよりなくなってしまう。魔法少女は成熟すると魔女に至る存在、というキュゥベエの言葉が示す通り、魔女にせよ魔法少女にせよ本来は猥雑で忌むべき存在であることに間違いない。魔女っ娘メグちゃんなんかはそもそも女性であること自体が魔女的本質を備えているというようなことをテーマソングで歌っていた。ベヨネッタのビッチぶりだってそうなわけで、そういう「妹の力」を極端に強調したのが魔女であり魔法少女なのだろう。そんなわけだから、本作が主張しているようにクレオパトラや卑弥呼やジャンヌダルクがインキュベイターと契約を交わした魔法少女であったということは解釈として正しいと見なされる。古今の歴史や伝説に詳しいものならばケルトの女王ブーディカとか神功皇后とか、さらに多くの魔法少女の例を好きなだけ見出すことができることだろう。このようにして一見既存の魔法少女の概念を転覆させたようでその実魔法少女の忌むべき本来の姿を描いたことに加えて本作のもう一つの特徴は、その大規模なループ構造にある。もちろん時間遡航能力を持つほむらの存在が大きいのだが、たとえば「ある日どこかで」の中で重要な役割を果たす懐中時計がいつ初めて誰の手によってもたらされたのかなどといったパラドクスを廃すような配慮がなされているように見える。ほむらが”はじめて”転校生として登場した時点(第10話)ですでにまどかは契約して1週間の新米魔法少女でありそこには先輩のベテラン魔法少女マミの存在もある。この最初の出会いの時に、まどかはどんな願いと引き換えに契約したのかはわからない。ほむらが何度も戦いをやり直す動機となる「ワルプルギスの夜」もどんな魔法少女が魔女と化したのかはわからない。いずれにしてもまどかたちの物語には、いつそれが始まったのかが明記されている。ちゃんと考証すれば、ほむらの時間遡航の回数も読み解けるように思われる。このループ構造を基礎にして、物語は優れて自己言及的である。魔法少女と銘打っておきながら従来の魔法少女とは異なる定義を与えている点、ヒロインがその活躍によってたやすくそして確実に倒される存在に転化してしまうこと、他の時間軸においてはともかく物語で直接語られている時間軸においてはヒロインは最後にたった一度だけ魔法少女として活躍した後は存在しないことになってしまうこと、そして最後に、自らと等質な敵と戦う忌まわしい存在と位置づけられていたはずの魔法少女は、作中のヒロインまどかによってその意味付けを大きく変更させられてしまい、従来の魔法少女モノとほぼ同様な善悪二元論に従う”健全な”魔法少女モノへと”浄化”されること、などをもって自己言及的、と言えるのである。反・自己言及的、と言った方が正しいかもしれないが、自ら表明したことに反することを次々と言及していくこともまた自己言及と言えるだろう。
おかえりなさい! 風邪早くなおしてねw <br>