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2006-06-13
_ 人間ができてない。
普段は評価なんか気にしないでやりたいようにやればいいや、なんて割り切ったつもりで居るのに、実際に評価が低いとわかるや気分が良くない、というのは我ながら人間ができてないと思う。
出世なんかしたくない(できないような気もするが)と思う反面、同期や後輩が上の立場になっていくのを見るのはやはり気分が良くない。これも人間ができていない。
会社と言うところがそういうことで序列を作る組織なのだからやむを得ない。才の無いわたしはこの境遇を続けていくより無いのだろう。
にしても、自分の頑張りと会社の評価は完全にフェーズが外れている。ここ数年。まあそんなもんか。そんなもんだろう。たぶん幸せなほうだ、わたしは。
2010-06-13 梅雨の直前、マロウが豊作。
これが、グレース王妃の愛飲したというマロウ・ティーです。のどに良いらしいです
2011-06-13
_ 梅雨時はドクダミのいわば「旬」で、今白い花がたくさん咲いている。近頃はこの花もなんだか好きだ。例によりて家の裏に沢山生えているので、大きなざるに一つ摘んで風呂に入れる。肌の調子が良くなるのが、入浴中にすでに感じられる。脂ぎった顔を洗うとすっきりする。梅雨時を乗り越えるための自然の恩恵と言えるのではないだろうか。ヨガから帰ってドクダミ風呂に入る。すっかり毒気が抜けてしまった。
2012-06-13
_ [漫画]畑中純さん、亡くなる。
言わずと知れた(←最近の俺はこういうことを言うたびに『それは知らない』といったことを言われる)「まんだら屋の良太」の作者である。この漫画は漫画サンデーという比較的に俗悪なエロ本に近い週刊誌に連載されていたものだが、この「まんだら屋の良太」はそのような誌面の特徴をさらに際立たせる作品のようであった。なんだか汚い漫画だなと思いつつもあからさまな性描写に惹きつけられて、大学に入りたてで初めての一人暮らしをしていたときの慰めとしていたものだった。一人暮らしをして最初にこれは是非しなくては、と思ったのは、まさにいけない雑誌を堂々と買って部屋で大っぴらに読むことだった。私の周囲の大人の男たちはほぼエロ本を読んでおり、わたしも大人の男ならばエロ本を読まねばならぬ、といったような義務感を感じていたようである。最初はそういった汚いエロ漫画と思っていたこの作品は、そのうちなんだかわからないが高い評価を受けるようになっていったのだが、今マンサンコミックスで読もうと思ったらキミ、結構そろえるのは大変なのだぞ。ああ、いつ捨ててしまったのだろうか、あのエロ漫画。エロマンガ島に行けばあの頃捨てたエロマンガに巡り合えるのだろうか…九鬼谷で温泉に入ってみたい。でもそんな場所はどこにもないのだ。昔から。
2013-06-13
_ 湿気にやられてる。仕事もなんか冴えない。この時期マラセチア毛包炎というニキビと似た皮膚病が流行ったりするらしい。マラでモーホーですか。男っぽい病気ですな。言ってる場合ではない。入浴と下着の交換を頻繁にやらんといろいろと捗らなくなってしまう。いや、罹患してるという訳じゃないんですけどね。そういうわけで10時前だけど床に就いてエピクロスの友情論に関する文章をちょっと読みながら寝てしまおうと思うのだ。
2014-06-13
_ 朝イチの会議で、あまりにも低レベルな内容が45分くらい続いてて、いたたまれずに抜け出して中庭でぐったりしてた。このレベルの低さに俺は傷つくのだ。こんなレベルが許されるというのなら俺の目指してる仕事の仕方は一体なんだというのだ。チャーチルが多くのことを成し遂げたにもかかわらず全てがむなしいと思ったのはきっとこんなときなのだと思っていた。今日も黒い犬が付きまとっている。そこにたまたま、10歳ほど年上の先輩がやってきて声掛けをしてくれたのだ。この人も若い時は足の指でコインを曲げたりなんかして今の俺なんかは問題にならないほどのマイト・ガイなのだが、公私ともにいろいろあって今はすっかり人間的に深みを増している。いつの間にかこの人をリスペクトするような生き方になっているな、などと思う。ダメ人間、それでも生きていかざるを、得ない(大槻ケンジ『踊るダメ人間』)。そして当の低レベル氏は俺がこんな風に深く傷ついていることなどよもや知る由もなく、必死に己の生存戦略を繰り広げているのである。俺には認めることはできない。それを認めたなら、俺には人間の尊厳を信じることなどもはやできないからだ。人間には尊厳なんかない。崇高な望みなど幻想だ。人は向上することなど決してできない。毎日グングンと成長する音をさせていたというH.G.ウェルズの家から聞こえてた音は単に下劣な行為の結果に過ぎない。ああ、この世界がそういう世界のように見えてしまう。そういう世界は嫌だ、住みたくない。このナイトメアはいつ終わるのか。今宵の眠り次第であろうと思う。ますます反骨の尖りが増す今日この頃、久しぶりの梅雨の中休みだ。おりしも流れるジョン・バリーの「ある日どこかで」のテーマ。ジェーン・シーモアの美しさ。印象的な晩年を送った若きクリストファー・リーブ。あれこそが本当の世界だ。主人公リチャードのように繰り返しつぶやこうか、僕は戻る、僕は戻る…。
_ うにゃ [おりしも→おしりも と読んでしまった(−_−;) 中庭いいね〜 天気良かったから暑そうだけどね。 我が名は..]
2015-06-13
_ ひと月半ぶりの帰省。空弁の比内鶏弁当が旨い。が、こないだ入れたブリッジにまだ慣れない。今の奴は前のと比べると何と言うか、橋脚が低くて床板が厚いので、床板の底と歯茎の間の隙間が狭い。そこに食物が挟まるのに違和感がある。まあ1週間もすれば慣れるだろうか。
_ ところで今日は2週ぶりに英会話。テリー先生は俺がいようといまいと話し続けてる。テンション高く、テキストの文章を読むときはまるで映画のイントロのナレーションか「スリラー」のウルフマン・ジャックのように印象的な読み方をする。これはちょっと真似してもいいかもしれない。
_ 札幌に着くと、先月より寒いくらい。こっちは梅雨がないからな。カラッとしてて良い。Tシャツで歩いてるのは人口の1割に満たないという感じ。宿に着いてからすっかりおなじみの円山茶寮で和菓子&フレンチミックスブレンド。落ち着く。
2016-06-13
_ 会社帰り。バスに一群の男子高校生と乗り合わせる。なぜか、彼らの間ではアニメの北斗の拳がブームのようで、ユア、ショック!と奇声を発してご満悦である。普段は不寛容な私は、なぜか笑った。何か親近感の如きを覚えたのだろう。私もこんな風な、愚か極まる男子高校生だった。それはもう筆舌に尽くしがたい愚かさだった。
_ 昨日訪ねた神奈川県立図書館の新館には、女性関連資料と名付けられたコーナーが、結構なスペースを割いて設けられていた。婦人公論を閲覧に行ったよしみで、そこも覗いてみた。新館1Fの奥まったところには、山川菊栄文庫と言うのがある。展示されている肖像写真を見ると、何とも端正な顔立ちにメガネが良く似合っている。鋭角的な顎が実は私の好みに最高にマッチしていたのでつい見とれてしまっていた。鎌倉や藤沢に棲んだ縁で蔵書が寄贈されたらしい。戦前から戦後を通じての女性運動の指導者ということなので、相応のリーダーシップを発揮していたのだろう。舌鋒鋭く理論明晰と言う文章も一度は味わってみたいものだと思う(下劣な本音を告白するならば、そういう鋭い舌鋒のやり玉に挙がってみたいようなMっ気も少々あるのだと言わねばならない。別にしなくたっていい告白なんだろうけど。男性は大人になればなるほど女の人に叱られたいという気持ちになる傾向があるようだ。だんだん叱ってくれる人がいなくなるためもあるだろう)。こういう人に付随するエピソードはNHKの朝ドラの題材にふさわしいものになるのだろうな、と想像しているがそれはまだ良くわからない。
BF1のエリアには、およそ女流の著者であれば何でも集めた、というような書籍が収蔵されている。なんとなくこれを見ていて腑に落ちない気持ちになった。明示こそしていないのだが、この「女性関連資料」というのはもとかながわ女性センターの所蔵になっていた資料とのことなのだが、とにかく女性と名のつくものであれば何でも所蔵の対象になっているように見える。では、この日本のどこかに、あるいはどこかの国に、「男性関連資料」を収蔵しているところは果たしてあるのだろうか?特に「女性」という”くくり”で何かをひとところに集めて、それで一つの集合を為していると考えられるのであれば、そのこと自体がはからずも”女性”という言葉で語られてきたことどもがどのように過去から今に至るまでに受け止められてきたかを雄弁に物語っているように思われた。所蔵されている図書の内容に目を通す以上に、ここでとり扱われる問題について、所蔵された図書のインデクスがあたかも一冊の物語であるように何かを語りかけてくるような気がしたのである。それはちょうど、考え抜かれた各章の題だけを並べた目次を眺めるとき、それらが単にその書籍の内容のダイジェストとは独立したストーリーを語りかけているように思われることがあるのと同様だ。特にそのことを批判する気はない。修行だと思ってとことん集めてみたら何かに思い至る可能性だってある。みうらじゅんさんならそういうことを言いそうに思ったりもした。ただ、そういうことであるならここの所蔵はまだまだ足りないはずなのだ。新井素子も「チグリスとユーフラテス」しかなかったし山尾悠子に至っては一冊もなかった…まてよ、実は書庫があったりして。一瞥しただけで語ってはいけないな。
_ とある人に「テラフォーマーズ」を勧められて、まあ今のところは読もうと思ってないのだが、家の中で時折見かける黒くて素早い生物がある日「じょうじ…」と語りかけて来やしないかと気になっている。それとは別に、以前から屋根裏や部屋の隅で何か小さな動くものが時折音を立てているようだ。天井裏を結構大きな音で駆けているようにも聞こえる。この小さな生き物はもしかするとネズミなのだろうか?そう思って粘着式のネズミ取りを3個ほど仕掛けてあるのだが今のところ何かが引っかかっているようには見えない。何かが発見されたらここで報告する。というか引っかかったらどう処分しようかと思って悩んでいる。やはり伝統的に水で溺れさせたのちに処分ゴミとして処理するのだろうか…。どうも幻聴ではなさそう。猫と戦わせることは…とりあえず考えたくない。
2017-06-13
_ スミルノフ、微分の計算の続き。次回は微分方程式が出てくるみたいでちょっと楽しみ。
_ 日曜の夜に、母の人の遺品の一部が届いた。荷造りしたのは私なので中身がどんなものかはおおむねわかる。母の人はもともと美しい字を書くことに憧れを抱いていてペン字の師範にもなった人だ。遺品の中にはデスクペンやペン先なども含まれていたが、他にも、似顔絵や水彩画のテキスト、そして絵筆と絵の具などがあった。母の人がそれらの作品を描いたのを見たことは確か無かった。そういうことに憧れを抱いていながら思うように習えなかったことは残念と思う。その憧れが、実は私にもある。何とか時間を作ってそういう手習いをしたいものだとふと思う。
2018-06-13
_ 私は今、会社帰りなのですが、何故か乗り換え駅の二つほど先の駅で降りて、戻る方向の電車を待っているのです。発車間際で乗車口間際に立った私は、あろうことかカバンの留め具をドアに挟んでしまっていたのですね。結構長い会社生活でおそらく初めてだと思う。
何度か引っ張ったのだけど抜ける兆しが無い。そうだろう。厚い布ベルトの先の硬質プラスチックのバックルがガッチリと噛んでいる。乗った側のドアが開くのを待つのが平和的な解決だと悟ったのだが、さて、いつこちらが開くのか。まさか終点まで…いや、終点でもこちらが開かなかったなら、車掌さんか駅員さんを煩わすことになるのでは…!
結果、前述の通り、多少の遠回りで済んだので助かった。抜けない抜けないと騒ぎたてなくて良かった。知り合いがいなくて良かった。ありがとう、大地よ、森の息吹よ、お釈迦様よ…。
もう一つ、あまり急ぎの用がなくて良かった。というわけで、そのあとジム行ってサソリのポーズ、ハヌマーンのポーズなど練習してから短い筋トレ。なんと2ヶ月ぶり。体幹系と脚はあまり衰えてなかったが肩・胸のあたりはだいぶ筋力が落ちていた。体重も2-3キロ増えてる。考えてみたが、筋トレで使うエネルギーは筋トレをしなければその分減らないだけじゃなく、筋トレしないで間食なんかしてたならその分さらにプラスになるわけだから下手をすると筋トレしてる時の三倍くらいエネルギーが使われないことになってしまうのでは。筋トレはじめるまでがハードル高いのだが、やり始めればちょっとでやめてしまうことはあまり無いので、なるべくジムには足を運ぶのが良いのでは、と思った。サソリのポーズはそのうち決まるようになるような良い予感。できれば弾みをつけずに倒立できるようになりたい。
2019-06-13
_ 仕事の関連で、パソコンにもWEBサーバーを立てた方が良いかな、と思ってその手のページを探してたら、こんなエラーメッセージがあるというのを見つけた。
Error 500 Server made a boo boo.
見たことねえよ。boo booというのは「ヘマ」とか「小さな傷」とかいう意味らしい。
2020-06-13
_ ずっと雨。すでに梅雨入りしてる訳だから、雨降りを理由にウォーキングを休むと歩くチャンスは無い。ちょうどレインポンチョが出てきたのでこれをかぶって鶴見側沿いをずっと歩く。中々いいのだが、どうやらしばらく放っておいたせいか、内側の塗料がカピカピになって剥がれてくる。うーん、まあ良い。洗って使えるだけ使う。雨の続く中ウォーキングしていると、もうずいぶん前になる富士川沿いの身延道の歩き旅のことを思い出す。富士川は暴力的に泥の色を逆巻いて、雨の道を急ぐ車は速かった。雨具をつけようとつけまいと体は濡れる。こういう時の雨具は、体温を奪われないために身に付けるのだ。寒々とした歩きの後は温泉三昧。身延の歩き旅は、正確ではなかったにせよ初めてガイドブックに頼らずに自分で企画して(とは言え元政上人の『みのぶの道の記』という参考書がありはした。ちゃんと読み解くことはできなかったけど)道を歩いた思い出深い道であり、それがまた富士川や身延線や道道立っている法華経の髭題目、そして道端に迫りくる山々の風情など地方色豊かな最高の旅だった。そんな旅を今はもう諦めているわけでは無い。いつか機会が来た時に膝が痛いだの腰が痛いだの言わないように備えておきたい。
2021-06-13
_ 玲花さまのお兄様愛やステイシーのヤツデちゃん(榊原郁恵さま)愛が迸ってて今朝のスーパーヒーロータイムは恋愛の多様性がでんぐり返っててものすごいことになってた。もっとください。仮面ライダーファルシオンの谷口賢志氏が気に入ったのでとりあえず仮面ライダーアマゾンズ視ようと思う。ゴーゴーファイブはもっと後。スーパー戦隊は次はサンバルカン視ることに決まってるんだよ。日曜ヨーガは予約取れなくてお休み。別のリフレッシュを試みることにします。
2022-06-13
_ 週初めはやはり調子が出ない。夜のヨーガでやっと調子が整った感じだけど、もう寝る時間だもんなー。
_ 某所で兀突骨のこと書いてたらますます兀突骨のことが好きになって、CDでもレンタルできないかなーと思ってレンタルサービスのサイトで検索したら、なんか作品の半分以上三国志トークなAV作品が検索されてしまったんである。世界ってなんて広いの。借りることにしましたので視聴したら感想書くでござる。
2023-06-13
_ 日付変わった。キャストパズル、外れた!組み直せそうも無いけど、何で外せたのかも全くわからん!楽しい。。。
_ 朝。ご飯の後パズルカチャカチャ。お、はまった!なぜ組み直せたのか全くわからん!とりあえず解けるという信念が大事だということだけは理解した。楽しい。。。世の中の問題が全てこうなら楽なのに。
_ [音楽] 水曜日のカンパネラ
ちょっと気になってたこのユニットの音楽、ちゃんと聴くのは初めて。アルバムのタイトルが『ガラパゴス』。ほう。曲のタイトルは「かぐや姫」いいよ。「南方熊楠」ん?「ピカソ」へえ。。「メロス」なぬ?「マトリョーシカ」…そして「見ざる聞かざる言わざる」「愛しいものたちへ」「キイロのうた」と続く。今の音楽のいろいろな要素を縦横に駆使していて現代を代表するような感じ。私んちのiTunesでは自動的にDance&Houceに分類されている。音楽は確かにダンスミュージックっぽい。実をいうと結構好きなのだけど、この歌詞で踊るんでしょうか…。南方熊楠を歌うハウスミュージックなんて前代未聞だ。和漢三才図絵会みたい、和漢三才図絵会みたい、和漢三才図絵会みたい、ね。いずれ、「ハドリアヌス茸」っていうタイトルの曲も作って欲しい。水曜日は明日だな。
_ 追記:たぶんこのアルバムの頃のボーカルはコムアイという人なんだと思うが、この人の特技、鹿の解体で、ステージでも披露してたんだって!なんか良いよw
_ うにゃにゃ [重曹そんなにすごいんですね、お掃除マニアの私にはわくわくする情報です♪]
_ けい [これであなたも重曹の姉ちゃん決定ですじゃ。しかもね、結構磨きまくってるんだけど手が荒れないみたいです。]