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2005-06-23 飯への執着。
_ 特許明細書を書いた。久し振りで時間がかかってしまった。
_ 夕食にマーボナスと昨日食べ忘れたひらめの刺身、残り物のもやし炒め、今日買ったキムチ。キムチは熟成しすぎですごく残念。もやしは独り身に一袋は多すぎるし、持ちが悪い。こんどキムチの素で炒めてみようとヒラメいた。うふふ、たのしみだなあ。。。近頃飯への執着が激しい。
2006-06-23
2007-06-23 ひさびさのメンタルクリニック。
_ 今週いっぱい気分が塞ぎがちで仕事の能率がまったく上がらない。これはどうやら軽いうつ状態だと思って、土曜にクリニックに行った。
久しぶりに飲む薬でちょっとボーっとしてすごす。
2009-06-23
_ 朝、マロウの蕾。
喉の痛みを早く治せと言うかのように、マロウが花開こうとしている。やさしの蕾、紫色よ。傍らにはカラスウリ。まだ実のなったことがないが、毎年伸びている。猫の額の住人中随一の萌えキャラですな。今年は実りそうな気がする。イヌツゲのそばに植え替えたら、根が球根のように膨らんでいることに気づいた。宿根だったのか。
_ [漫画・アニメ] 「火の鳥」再放送終了した。
先週は雨ふりでBSの受信状態が、ザ・最悪。12話は録画し損ねました。今週最終話。ダビングしててふと思い出したが、罪を償うための星に生えた、おぞましくもセクシャルな女性の太股(どうも"ふともも"という言葉と牧村僚がセットになってしまってて遺憾なあ)をそのまま木にしたような植物の出てくるエピソードはなんだったかいな、と思って検索したら、それは「宇宙編」だった。今、書店ではマンガ少年で出た時のデザインの「火の鳥」が復刻されている。買おうかな、と思ったが、「週刊手塚治虫」にみうらじゅん(この人は大人の中では一番面白い大人だと思う)さんが出てるのを見てるうちに、もっと壮大な計画を思いついたのだった。つまり、講談社から出ている「手塚治虫漫画全集」を1巻目から全巻買い集めて読むということ。もちろん新刊で、だ。これは「街道の日本史」全巻読みきることよりもキツイかもしれない。嫌いな作品もあるからね。
そうそう、「宇宙編」。この日記の数年前に、コードウェイナー・スミスの「ショイヨルと言う名の惑星」というおぞましい話のことを書いたことがあると思うのだが、今思えばなんだか昔体験したことのあるような気味の悪さを感じたように思う。それが火の鳥・宇宙編なのだとたった今気づいたと言う訳。手塚治虫ってやはりすさまじい。悪いマンガ一杯書いてる。
_ すごい発見しちゃいました!
「火の鳥・宇宙編」の主人公の名前はなんと牧村。ふともも作家の誕生を予見していたとは!!まさに神様。
2012-06-23
_ 放送大学面接授業「古事記を楽しむ」一日目に参加。今回は特に宿題とかもなかったのだが、授業中にちょっとした古代文学クイズが出た。以下の空欄を埋めよ:
・710(和銅3)年・平城京に遷都
・712(和銅5)年・「(1)」成立
・713(和銅6)年・「(2)」撰上の詔
・720(養老5)年・「(3)」成立
・759(天平宝字3)年・「(4)」の最も新しい歌、この年
・905(延喜5)年・「(5)」成立
古代文学ということと、撰上とか歌とかいうヒントを利用すると(2)が風土記で(4)が万葉集だろうということは予想できた。古事記の授業だからどこかに古事記と日本書紀を入れねばならないと思うと、古事記の方がちょっと古かったかなと思って(1)を古事記、(3)を日本書紀かと思った。これらはみな正解。最後が分からない。「源氏物語」と書いたらやっぱり間違ってた。「古今和歌集」が正解。そーだよなー。今改めて見てみると、物語文学は竹取物語でも900年代の中盤だ。思ったより新しいジャンルだな、と思う。しかもわが国の物語のはじまりであるこれはそのフィクションである点に注目すれば、なんとSFだ。科学が成立する前だからサイエンスということは正しくないけど。この問題には大きなヒントが隠されている。今年は2012年。古事記成立からちょうど1300年という記念の年ということである。いまなぜ古事記なのか、という問いかけからそれを読み取ってほしかった、とは先生の言。
第1日目は因幡の白ウサギを例にして、古事記に書かれていることを丹念に読み取るという面白い講義だった。奈良の昔に古事記が編纂されたその当時には兎の神様というのが知られており、古事記本文中にも大国主命に救われた兎が「大国主命が八上比女をめとることになるだろう」という神託を与えることから、物語の最初からこの兎は聖なる存在として設定されていたと読み解く。書いてあることを正しく読み取るとそうなるのだと納得できる。だが、そのような兎の神が、はたして「わに」(この存在が何を意味するのかも問題である)をだますようなイタズラものであることとは整合するのだろうか。
ここにトリックスターという存在のことを想う余地がある。また、おどけたエピソードの末にある通過儀礼(たとえば赤裸に剥かれること)を通じて英雄的存在に昇華されるという典型(孫悟空の話を思えば良い)、複数のエピソードの習合といった成立の謎を思うことは楽しいことだ。しかし健全な文学という学問においてはおそらくそれ以上に踏み込むことをしない。同時代の遺物を考古学的に科学したり、兎神モチーフの編年や地域分布などを民族・民俗学的に分析することにより次第になされていくことなのだろう。
文を読み解く場合に前提としていることがある。それはその文を記したものが論理的な思考をする存在であり、かつその文が「何らかの意図を」他者に伝えようとするものである、という前提だ。そこを間違えるとそのあといかに精密な分析をしたとしても無駄になる。もちろん「なんらかの」意図ということだから、偽書というものも考察の対象となるのだが、こちらは表面的な記述からさまざまに裏を読んでいく複雑な作業を必要とする。逆の言い方もできる。これらの前提に合致しないものは文学の対象とはならない、という言い方である。まあ読み解くことができるものが読み解くべき対象であると言っているにすぎないのだが。
_ 帰りは弘明寺から桜木町まで大岡川沿いに歩く。日ノ出町あたりの裏風俗の店が一掃されてからもう5年は経つだろうか。改装された飲食店などをちらりのぞいてみると、そこにはやはり往時のちょんの間の造りが残っていたりする。そういう記憶もいずれ消えて、ウォーターフロントに至る健全な遊歩道になっていくだろうか。それとも何かをきっかけにまた裏歓楽街として復活するのだろうか。横断歩道をもっと整理してくれるとウォーキングする側としてはありがたい。
2013-06-23
_ NHKラジオ第1「音楽の泉」でチャイコフスキーの「弦楽セレナード」を聞きながらおかゆをすする日曜の朝。なんかいい天気すぎる。ご案内の皆川辰夫さんは「セレナード」と言ってた。国によってセレナーデとかセレナード(仏)、セレネイド(英)となって紛らわしいから、「いっそセレナーデに統一してくれ」と井上陽水は歌っていたのだった。こうやってちょいちょい嘘を挟んでおかないとガラスのアイデンティティが保てなくなるからな。日本語では夜曲とか小夜曲とか。たぶん「おれは直角」で西洋かぶれした家老のお孫さんが「これは西洋の楽器でぐいたーという!ウーン、イエシタディー」(←資料ほとんど無し)とかやっていたのはセレナーデの一種なのだろうと思う。ウィキペディア見てたら案内役・皆川達夫さんの面白いエピソードが載ってた。子供の頃のあだ名が「アブちゃん」。アブノーマルだったからなんだって!水島新司のあいつや北陽のあいつもそうなのだろうか。それでそのアブちゃんの原因が、能の「巴」を見て感動して能楽堂通いしてたからだというのだ。皆川さん13歳くらいの頃の話。その年頃の俺は宇野鴻一郎とかエマニエル夫人とかに感動してアブちゃんと呼ばれる素質だけは持っていたのだがなあ。「巴」はもちろん巴御前のことで、武人がシテである能が修羅能、その中でも女性がシテである修羅能はこれ以外にないということである。皆川氏は長じてのち、隠れキリシタンの宗教音楽「オラショ」の研究でイタリアの騎士となる(カヴァリエーレの勲章をもらった、というのはそういうことだと思う)。以上全部ウィキペディアを参照した。「巴」観賞したい。能の映像資料はなぜにこうも少ないのだろう。NHKオンデマンドにさえろくに所蔵されてないではないか。富士山よりもいち早くユネスコの文化遺産となった能であり、日本という長い歴史にまたがる精神圏の生み出す豊かな資源と見ることもできる。それなのに、触れる機会が少ないのでは広がりようがない。格調高い芸術の在り方と矛盾しない方法が見出されなければ、既得権益にしがみついてイノベーションを志向しない大企業病と同じで、いずれ死滅する他無い。もっと博物館やゆるキャラのサバイバル精神に学び多くの関連プロダクトを生み出すべきなのである。とちょっと大きなことを書いてしまったが、巴御前に戦場で組み伏せられて首を掻っ切られることを想像するとちょっとクンダリーニが覚醒しそうになる俺は今も昔もアブちゃんだ。
_ ボビー・コールドウェル "So Much in Love"
youtubeから。途中で終わっちゃってるけど。これ視聴してて思ったが、"So much in love"は"SUKIYAKI"とメロディラインが似てる。1990年の日本ライブ。たぶんパーラメントが提供してたやつじゃないかと思う。テレビで放映していたようで、インタビューが挟まれている。この時のボビーは"Carry On"(日本名は『シーサイド・センチメンタル』という。Carry Onってのは辛抱するとかいうような意味だろうか?ニュアンスがわからないが、確かにあまりおしゃれな感じはしない)というアルバムは自分でも好きなアルバムで、恋愛以外の重要なことを歌っていて自分で聞いていてもリラックスできると言っている。"Jamaica(ボブ・マーリィがこのアルバム発表の前年に亡くなっている)"や俺がかなり好きな"Sunny Hills"がその"恋愛以外にも重要なこと"を歌った代表的な曲とのことだ。そのあと割と有名な"Sherry"を含む"August Moon"を発表したのちしばらく(日本では)活動の目立たなかったボビーが"Heart of Mine"を発表して、健在であることを知ったのがかなり嬉しかったのを覚えている。おりしも俺が今の会社に入った年だ。そんな昔のことじゃないな、とも思うよ、深甚とな。
_ [特撮] 獣電戦隊キョウリュウジャー
怖いもののない奴は本当の強さに至ることができないと言われて迷うキング。仲間を失うことが自分の恐れることと気づいてさらに強くなるという訳だが、戦い方自体はそう変わっている様な気もしない。それよりも、今回のロケ地はやたらと緑が鮮やかだ。そういう季節に撮ったんだなあなんて変なところに感心してた。そしてキョウリュウグレー・鉄砕の正体はなんと井出らっきょ!というかツルッパゲ!今までにハゲのヒーローっていただろうか?ちょっと待て、今思い出すから。えーとえーと…つづく。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
安っぽい魔宝石(魔法石、じゃなかったんだな)を見ててなんかに似てるなーと思ってたんだが、今わかった。福島の岩瀬郡鏡石町の銘菓・ぶどう氷である。これ見てくれに反して柔らかくてなかなか旨い。奥州路歩いてた時に宿で出たおやつ。今回のラストでだいぶビックリした。メデューサの妹(?)が仮面ライダーメイジに変身する。たぶん映画見た人はもうちょっとこの新ライダーのことを知ってんだろうな。変身ポーズがなんかアイドルの振り付けみたい。
デスクワークは眠気や邪念に対する戦いのようなところがあって、それはそれで厳しい仕事だと最近認め始めた。だから適当に流さなきゃいけない時もあるんだが、とにかく仕事のヒントになりそうもない邪念こそは流しておかなくちゃならない最強の敵である。でも捨て去ってしまうと素の自分が捗らなくなりそうな気もするので、今あたかも自宅にもう一人の自分がいるようなつもりで自宅にメールを送ることが非常に多い。今の俺の最大のメル友は自分自身なのだ。なんか友達がいないのを俺は孤独と二人連れだとうそぶいてる故・ジョルジュ・ムスタキか、同行二人のお遍路さんみたいなこと言ってるように聞こえるかもしれないな。そういうことじゃない。民主主義の隠れた敵であり最大の敵であるフリーライダーという生き方からどこまでも離れていきたい、社会に参加する上での自分の立場はそうでありたいと願っているのだ。理想的なデモクラットであるためにその主体である"民"から距離を置くことになるということに一面の矛盾を感じていないわけではないが、働いている間はこんな感じでやっていくより他に術がないようにも感じる。つまり俺には友愛に費やすリソースが余り沢山は無い。人間関係もできる限りシンプルにしていたい。
それはともかく、今この時間は自分は自宅の自分そのものなので、過去のメールを見ていると会社にいた自分から送られてきた多くが目に入ってくる。大半はくっだらないもので、これらにいちいち引っかかっていたら確かに会社にいる時間の半分以上はネットサーフィンになってしまうだろうな、と思わざるを得ない。そのくらいくだらなくて、これはいかに多くの邪念が沸いているかの証拠と見える。だかそんな中にはこの日記のヒントとなっているものも混ざっている。今日のキーワードは「南流石」だ。テレビ神奈川で朝7時ちょっと前だろうか、毎日やっている短い番組でカモン!カナガワンという真心ブラザーズの曲に合わせた印象的なダンスをやっているのが気になっていた。けったいな身振りも気になっていたが、ダンスの中に数度登場するちょっと年嵩の女性が何者なのかということがさらに気になっていた。存在感からは若いダンサー達の指導的な立場のように見えるが、これがかの振付師・南流石(命名:桑田佳祐)で、ダンサーたちは流石組のメンバーということらしい。それで流石組のHPを今見てるところ。ソロモン流というドキュメンタリー番組の映像にリンクがあるのだが、JAGATARAというバンドに参加していた時リーダー江戸アケミ(男)との出会いがあって今、「踊り造りは『情熱』と『衝動』」と彼女は語る。36歳にして死去した江戸アケミが、おそらくは現在も、今や55歳となる彼女を導き続けているのだ。このようにして人は人の中で永遠に生き続けることがある。自転車事故で死亡したフランスの作曲家、エルネスト・ショーソンが「たとえ1ページであっても、人の心にしみ透るものを書かずには倒れたくない」と手紙に書いたその言葉は、このようにして人の中で永遠に生きることを願った言葉ととることもできる。映像の後半は「ココロからダンス」(心と体をもじっている)の紹介。ミラーニューロンという模倣する能力に関連する神経(系?)を刺激して、ダンスの療法的側面の可能性を広げる活動を進めている。認知症の老人が表情を獲得する印象的な映像には、前衛芸術的なダンス(これは元にバレエの理論がありそれをさらに前進させたものと捉えることができる。実際フォーサイスのダンス理論の映像を見ると、その動きは肉体にとってはむしろ不健全な動きとさえ見られる)とはだいぶ異なるダンスの未来像が伺える。ミラーニューロンは心を扱う医学的、心理学的、哲学的領域において重要な概念のようである。特に人間において一種異様ともいえる発達を遂げた「共感」の能力にはミラーニューロンが強く関連している。心の機能を機械論的に解釈するとしても、それが生きた肉体から生まれることを意識して行うのとそうでないのとでは論の展開にも大きな相違が生まれることだろう。そんなわけで、ダンスには限らないが、俺も何か体を動かすことをやりたいと思うのだ。あとものまねの修業はもしかするとアンチエイジングに関連しているかもしれないと思い始めた。
_ だいぶ以前の、とはいっても今年に入ってからの日経のとあるページに、アイヌの口碑伝説に60mを越す津波の記録と思しきものがあったという記事があった。それで興味が出て以下のような論文にたどり着いた。まだ読んでいない。
_ http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_21/P121-136.pdf
_ http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_20/29-Takashimizu.pdf
_ 歴史津波に対する興味もなくはないが、それよりも、文字を持たなかったアイヌの人々の口碑伝説が記録として活用できるというその可能性のことなのである。昔起きたことを、あたかもそれが今起こっているように再現することで、実質的な未来から過去へのタイムトラベルが実現できる可能性があるのだとすると、そのようなテクノロジーはいわゆる科学の力だけでは実現することができず、民俗学をはじめとする伝承・伝説の中から過去の事実を復元する手法が"技術"として高い精度と再現性をもって自在に用いられるようになる必要がある。考証学がバーチャルリアリティにおける必修科目となること。これは容易なことではないが、挑戦する意義は大きい。たえず経営が問題となる博物館やその類似施設などにおいてはのどから手が出る技術だと思う。自分は、この技術によって、北海道の明治以前の古い道をたどることができないものかと考えている。それにはやはりアイヌの口碑伝説は有用だが、山丹貿易などを介してロシアや中国などにおいて記載された歴史書にもそのような記述を見つけられる可能性があるのではないかと思う。それらが、地形を読み解く技術と一緒になって、初めて文字による記録以前の北海道の歴史の道をたどることができるようになるのではないか。そういう今は淡い期待がある。俺の手には余りある事業となるだろうという意味で、淡いのである。
_ [テレビ] 「八重の桜」
ついに戊辰戦争のクライマックスとなった。これまでの新政府軍の進撃を見ていて、俺の歩いた奥州街道も二本松までは新政府軍の進軍に重なっているのだなあなんて思っていた。それで自分の会津への道は改めて遠いことに思いやられる。この間のGWは福島から米沢まで歩いたわけだが、ここから南下して檜原峠を越えるのが昔の米沢街道だが、綱木の集落より南は現在は廃道である。地形図を見ても沢だらけで迷いやすそうに見える。というかたどるべき踏み跡は期待できない。現地に行くまではわからない部分もあるが、この道を北から進んで会津に行くのは悲観的に思われる。一方南から檜原峠に向かう道にはまだ踏み跡があるようである。そこで、一端は二本松あたりから会津に向かい、途中米沢街道を北上して会津側から檜原峠に進み、可能なら綱木に向かって降りていくことが考えられる。それが無理ならば、綱木から檜原峠までの1kmほどの道は廃絶したものとして踏破をあきらめる他ない。この道をたどるのに草茂る夏は不利と思う。冬枯れが訪れて間もない頃がおそらくはたどりやすいのではないかと思うのだが、そんな好機に出かけることができるかどうか。ぜんぜん八重の桜の話じゃなくなった。
2014-06-23
_ こっちはやはり蒸しますえ。ちょっと時間があったので、かねてより懸案のスポーツジム見学に行った。そしてもう申し込んだ。マシンが思ったより数がありあまり混まないようなのとか温泉浴ができるとか空いてれば使えるスペースがあるとか通常クラスで水泳も習えるとかなかなかいいように思えたゆえ。
2016-06-23
_ 今日はそれなりに忙しかったので、キンダーガーデンにとらわれる必要も無く割合充実してたようだ。コミュニティハウスでも眠かったけど学習できた。今日は昨日よりも人が多かった。なぜだろう。社会学で、親族関係の変容と言う内容だったので、眠いのをこらえながら聴講してるうちに、(この互いに口をききもしないのにそれぞれにただ学習を遂行したいという共通目的−もちろん中にはほぼただ寝に来てるような御仁もいらっしゃる−でここに集まっている集団は、無関係でありながらそれでも何らかの関係性を持っていると言えるのではないだろうか)などという妄想にかられた。そして何だか帰りがけに「じゃあお先に」くらい言っても不思議はないのではと思ったが、それは止めにしておいたのである。イギリスは国民投票中。動向が決するのは明日朝くらいだろうか。私が思ったほどには、円ドルの為替は変動していないように見えているが、それなりに市場は賑わっているようだ。ポンドとユーロはあまり見てないので良くわからない。
2017-06-23
_ そういうわけで、懐かしい唱歌というか童謡を思い出している。というか思い出せずに、悶々時次郎なのである。確か夏祭りか秋祭りをテーマにしていた短調の曲。歌詞にはべっこう飴など夜店の風物が歌われていた。物悲しくも懐かしい淡い記憶である。おそらく、人気番組の合間に当たる時間の、民放の短い番組の中で流れていたのだと思う。そういう思い出も消える。涙のように。雨のように。
2018-06-23
_ 今日は午前中に筋トレと自主ヨガ、午後は放送大学学習センターに行って、本部の図書館から取り寄せた本と、複写依頼した文献を取ってきた。文献だが、県立川崎図書館よりも手続きは簡単。複写料金はほぼ同じ。センターに用事がある時に合わせれば交通費も実質かからないことになるわけだから、こちらの方が断然良い。個人的に文献の取り寄せが必要な人はぜひ放送大学に入学すべきだと思う。シュプリンガーなどの電子ブックのいくつかを無料で閲覧することも可能なのだし。というわけで帰宅したら夕食はレタス・サラダ菜・アボカド・ヒヨコ豆・小豆(最近乾物の豆は煮るのではなく蒸すようにしている)・キュウリを山盛りにしてサラダ。デザートにスイカ。さらに豆乳に溶いたピープロテイン。漆を乾かしながらタモリ倶楽部視てるとこ。
2019-06-23
_ 今日は朝からスーパーヒーロータイムも見ずに一日中3DCGソフトをいじっていたのだった。なかなか面白いのだが、再利用できるフォーマットでデータができてるように見えないのがちょっと不安。それで思ったのだが、VRMLとかX3Dなんかがそれではもっと良いフォーマットなのかといえば、なんだかそんな気もしないのだ。これらには使い勝手の良いエディタというものがあるのか、寡聞にして私は知らない。少し昔はVRMLで沢山の3次元画像を見せているホームページは結構あったのだが、多くがリンク切れになっている。この理由が私にはよくわからない。使い出は結構あると思うんだけどな。風呂入ってから私のスーパーヒーロータイムが始まらんとしている。
2020-06-23
_ 午前中は涼しかったが午後になって暑くなってきた。夕刻、たっぷりとウォーキング。夏本番となった時にはあまり長く歩かないだろうけど、少しは耐性をつけておかないと。関係無いけど何だか無性にゲーム三国志がやりたくなってきた。
2022-06-23
_ 予約の入ってる図書館の本を返して、銭湯へ。市販の麻婆豆腐の元を使わない麻婆豆腐を作って食べたが、スープをケチったせいで味がいまひとつ。片栗粉も濃すぎた。こういうものは手軽に作れるようにしておかねばならない。花椒も常備しとくべきだな。あ。ラー油加えれば良かった。ラー油入れて良い?(←のだめカンタービレで知った駄洒落。アーユーレディみたいに読む)。修行しよう。オムレツ修行の方は、結局トントンするのにこだわることをやめて、端っこを箸で持ってピッとひっくり返したほうがポくできる。もうそれを極めることにするさ。これなら具入りだろうが和風の刻みネギ入りだろうが思いのままだ。なんにもおかずが無いときももう怖く無い。おろしニンニク入れたりとかも旨い。豆腐百珍と向こうを張ってたまご百珍を作ろうかな。 ←編み出すまでもなくて既にあった
2023-06-23
_ またあっという間に週末になってしまったじゃないか。歩いて黒湯+炭酸泉のある銭湯へ。帰りも歩き。まだ見てなかったアニメ「君は放課後インソムニア」見る。キャー!伊咲ちゃんが中見にキスしたー!でもそこまで。オジロマコトさんは描きたいものがハッキリしてるんだなあ、なんてなんか変な関心もしてしまった。あと「ヴィンランドサガ」と「ゴールデンカムイ」の録画も見たら寝るつもりです。「君は放課後インソムニア」、みんなに見て欲しい。そして、俺と同じく「良いなあ、お前らは!」とか「俺にもこんな時代が…(あった、あるいは、あったらよかったのに)」と独り言ちて欲しいのですよ。
2024-06-23
_ [統計学] 政府統計。
e-Statsというページでは国勢調査はじめさまざまな政府統計データにアクセスできる、ということを最近知った。『公的統計による統計入門』という本がとても使い方の参考になる。この本はそればかりではなく、色々なグラフの描き方を紹介しており、探索的データ解析の参考とも捉えることができるのだ。本にも載ってる辺りのデータに直接アクセスしてコロナ感染拡大の生活様式への影響を見ることなんかもできる。少しずつこのデータベースの使い方がわかってきたので、実際にデータをダウンロードして得意のRで有意差を検定したらおもしろかろう、などと思ったのだが、それはちょっと甘かった。国勢調査は5年毎だし、毎年の調査項目だって多分携わるお役人がどんどん変わっていくからだろう、ファイルの名付け方にいまいち過去との連続性が無い。そして実際に統計表を開いてみれば、こりはびっくり。表としての見てくれを気にしてだろう、要らない空白があったりとか数値をカッコでくくってみたりとか。ネ申エクセルって、こんなところに堂々とまだ生き残ってたのね。河野太郎ちゃんが「こんなのやめようよ」って当時のツイッターで呟いたのは2016年。もしかしたらそこからの間にエクセルデータのデータ・クレンジング技術も長足の進歩を遂げてるのかもしれないな。ちょっと調べてみるかな。という訳で、趣味の統計は今宵もおもしろかった。「趣味の○○」と称する道には、こういった「奥が深い症候群」を誘発する罠がどの道にもたくさん仕込まれているんだ。だから楽しい、と考えるしか無い。楽しいと思えるのは僕がホモ・ルーデンスの1人だからだと思う。そんなこと書いてるけど僕はまだ『ホモ・ルーデンス』を読んでない。奥が深いことだのう。ほい、じんが!
_ うにゃ [確かにスープ多い方が味がしっかりするよね。作りなれると市販の元なくても気軽に作れるよー。ラー油は食べるときにかけラー..]
_ けい [その「気軽に」できるまでに至る道のりが遠くてねえ…。その道のりを絶対に歩もうとしない自炊をテーマにした「めんつゆひと..]