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2005-07-18 飲酒復活か?
昨日までの疲れを癒すべく一日寝ていたり、留守録しておいたビデオを見たり。夕方、銭湯に行って帰りがけに日本酒を買ってくる。
この頃銭湯帰りにビールと言うのがお決まりのコースになってしまっていて、せっかく止めかけていた酒の量が少しずつ増えてきている。というわけでこの日、浦霞純米750ccをあれよあれよというまに開けてしまった。
2006-07-18
_ 創造の病、であれば。
なんだかいらいらする。自分の能力に全く自信が持てない。自分はどうしようとしているんだ。
「わたしは何処へ(行こうというのだろう)」と、気がつくとつぶやいている、なんてことが時々ある。
周囲の価値観と自分が大事にしていることが随分食い違っているように見える。そして、自分があまりにもこの世に何も残していないことや、自分が正しいと思っていることさえなんだかわからなくなってしまうことや、どんな些細なことでもそれを無視してしまえば自分を裏切ることになってしまうように思えてあちこちにつまづいてしまうこと。そんなことを随分思い返してしまっていた。思うとも無く。
_ 自分だけが気づいている(気づきかけている)世界の秘密。そんなものは無いのかもしれないし、もしあったにせよ本当は何の価値も無いのかもしれない。そんなものにとらまえられて実際的なことがらをついおろそかにしてしまう自分。
_ だが悩みや迷いを一刀のもとに切り捨てることはできない。
_ そうだ、ずっとそんなことはできなかったんだった。かつて決めてしまったではないか。わたしはわたしのシャドウをずっと抱きながら歩いていくのだ、と。それがどんなに重苦しく吐き気のする醜悪な存在であっても、決して路傍に捨て去ることはするまいと。
_ 心を病んできていることがわかる。こんなことが以前も何度かあった。今のわたしはその頃より経験をつんでいる。少なくとも自分の心がどのくらい疲弊していたり、その原因が何なのかを分析できるようにはなっているはずだ。さしあたりの妙薬は十分な睡眠をとることだろう。それができることは幸いなことと思わねばならない。
2011-07-18
_ バーテープ巻いた。
写真撮ったのはいつもの"オレ"と"アニキ"のハッテンバこと反町公園(←こういうことばかり書く独身者はやはり怪しいと思われてもしかたない。オレはノンケだぜ、アニキ。でもアニキはノンケでも何でも無理やり食っちまう鬼畜だからな。いやほんとにもう止めよう)。初めてにしてはよく巻けたと思うんだがやはりブレーキのあたりなんかちょっと甘い。金具の折れたブレーキは交換したが、新品のブレーキシューゆえか良く泣く。きしみが相変わらずで、あちこち増し締めしたくらいではどうにもならない。泥除けのあたりか、さもなくばフォークスッポ抜き輪行したあとの組み立てが悪かったか。そういうわけで次は泥除け外して乗ってみようと思う。
HDMIケーブル買ってから夜のヨガに行こうと思ってスーパーのイートインのコーナーで軽く腹を満たしてジムに出かけたら、祝日ゆえ早く終わる日でヨガも休み。なんやて!(←Ⓒ焼きたて!ジャぱん)認識してなかったなあ。。。
帰宅して風呂。最近熱い風呂→体洗う→お湯少し捨てて水を継ぎ足して水風呂という入浴の仕方が多いので、エネルギーはともかく水道使用量が増えてると思う。カキ氷メロン味食しつつHDMIの威力におののいてる。録画した「江」とか見たらすげえ綺麗。始まったな、と思った。明るくて目がつぶれそうなのでコントラスト落とした。BDも今度こそちゃんとPCで視聴可能になった。
_ それにしてもこの日記、「なでしこ良くやった」とか全く書く気無いのな。相変わらずの非国民振りです。
2012-07-18
_ 帰宅するとケン・ラッセルのDVDが遠くUSから届いてた。想定されていたことだがリージョン1なので通常設定ではプレーヤーで再生できない。WinDVDは4回までリージョンを切り替えられるのでとりあえずそれでちょっと見たが、あとあとを考えてデータ取り込んで今変換中。あくまで個人の楽しみのためなのでこれを世界とシェアするつもりは無い。
2013-07-18
_ 今朝も早かった。疲れ心頭に発した。←ママ
スーパーでビグザムどうふ見かけるも買う気にならぬ。
_ [漫画] 「幻想の明治」高信太郎、けいせい出版。
高信太郎は今はハングル入門本の方が有名だが、ナンセンス漫画で名をはせた人。高校の頃この人の漫画2−3冊持ってたがもう実家にもないんじゃないかと思う。この人の漫画は未来に残るような気がしないのでちょこちょこ集めようかななんて思っているところ。
_ 「驛肝録」を参照しなおしたくて、昔大学の頃によく行ってた札幌の古書店から取り寄せ中。それなりの出費ではある。昔はそこで買い物したら近くの名曲喫茶「コンサートホール」で薄暗がりの中ぱらぱらとめくったりしてたっけなー。名曲喫茶というと必ずコーヒーがまずいのはどういうことだったのだろう。渋谷の「ライオン」もどちらかと言えばそういう感じ。
2014-07-18
_ 日付変わった。今日は帰りが遅くなったんだが、駅前のスーパーマーケットが開いてたので寄った。すると脚の綺麗な女性がいたので、仕方なく久米の仙人の如く眺めていたら、その女性は突然鼻糞をほじくりだしたのである。小指でならまだしも、人差し指を入れてぐりぐりやりだしたのでいたたまれずにそっと去ったのである。近年で一番悲しい出来事だったかもしれぬ。
2015-07-18
_ [音楽] 'Man of La Mancha Sound Track'(『ラマンチャの男』サントラ)
欲しかったんだ、これ。余談になるが、モーリス・ラヴェルもドン=キホーテの歌曲作ってたね。ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン=キホーテ、だったっけかな。ラマンチャの男のドゥルシネアは大変美しいラブソングだ。歌おうとすると泣けてくる。でも’The Impossible Dream’(見果てぬ夢)は聞いてるだけでジンと来てしまう。このクエストによって世界はきっと今より良くなる。だから見果てぬ夢を見続け、打ち勝てる見込みの無い敵に立ち向かい、届かない星に手を伸ばすのだ。かつて俺もそう思う、と言えた頃が確かにあった。今はどうだろうか。
だがそんなことよりもソフィア・ローレン。ああ、なんという豊穣の胸よ…。
ドルアーガの塔(アーケードゲーム):1984年7月
ザナドゥ:1985年10月
ドラゴンクエスト(ファミコン):1986年5月
諸君、そういうことだ(いや、あまり共感持ってくれる人いないかもしれないんだが)。RPGという概念に触れた最初はドルアーガの塔だった。全60面を何万円かけてゲームしても独力では解けそうもないような条件を各面でクリアしてアイテムを拾い、鍵を見つけて、モンスターを倒して、最終的にはラスボス・ドルアーガを倒しヒロイン・カイを救い出すというゲームである。
こう書いてみてちょっと意外に感じたのだが、これらの要素は確かにRPGを特徴づける重要な要素だ。大きく欠けているのはキャラの成長があまり明示的ではないということくらいと言えてしまうかもしれない。ヒーロー・ギルは戦いを重ねることでキャラとしてのスキルを上げるわけではないし、HP(これも大変なことに大抵の場合はモンスターの一撃で0になるか、2度目の攻撃で確実に0になる程度まで減少してしまうという過酷な評価がなされる)の上限がだんだん増えるわけでもない(ある面で登場するアイテムを摂るとその面の中でだけHPが増えたり回復したりすることはあるのだが、次の面に進むと元に戻るのでほとんど意味をなしていない)。ただ、キャラクターたちの動きの実現のされ方は素晴らしいもので、スライムのプルプル感とか、ギルが剣を突き出すと左手の盾が連動して左を向いてそちらの防御をするとか。ミラーナイト以外はジオン軍のモビルスーツにしか見えない敵のナイトや、ラブリーなクォックス(これは『オズの魔法使い』に出てくるドラゴンらしい。小説は読んだはずだったが、どこでどう出てきたのかわからない)が画面の横幅いっぱいに火を噴いてきてやられたときの衝撃wとか。とにかく解けないけど魅力的という凶悪なゲームである。キャラが成長しない分、プレイヤーがゲームプレイに対して成長していかないといけないのである。そもそもRPGというのは役をこなすゲームだったはずで、元祖と言えるテーブルトークゲーム「ダンジョンズ&ドラゴンズ」では内容のかなり大きな部分を占めている。そこがすっぱりゲームの中から落とされているのである(とはいえ、ゲームに夢中になるとちょっとは自分とギルが一体になるという感覚はある。画面の中のギルがマジシャンの呪文を浴びる瞬間思わずプレイヤーの体がよけようとしてしまうというのもよくあることで、思えば子供が人形で遊んでいるときのような異常な集中力と想像力の支配下にあると、自然自分が別の世界で別の役割をこなしているような気分になる)。その次にプレイしたザナドゥも上記のような感じだったから、ドラクエは一人プレイではあってもずいぶん本格的なRPGのように感じたものだった。その後ドラクエはパーティを組むゲームとなってますます本来のRPGっぽくなっていった。一方で日本にもRPGという言葉が浸透していくと、D&Dのキットとか、「火吹山の魔法使い」みたいなゲームブック(ストーリーを構成する小節ごとにアクションの選択肢を選び、選択肢に応じて指定されたページをめくっていくことでプレイを進めていく)が入ってきたりした。俺がウィザードリーをプレイしたのはその辺をちょこちょこやってからの事だったと思う。
くだんのRoll20.comではオンラインでプレイする人たちの観戦をすることもできるようだが、アメリカ時間で行われることが多いので楽しむ機会を作るのは難しいかもしれない。アカウントは作ってみたけどね。そうテリー先生に言うと、いつものように「coolなり。なれわが生徒にありて最も秀でたるうちの一人なり」とおっしゃったのである。テリー先生は頭がネットに直接つながってるようで、何を話題にしても答えを返してくる。カブトムシ捕まえた話をしたらブリーディングのサイトの事を教えてくれたりして、彼はホビーキングのように見える。危険人物かもしれぬ。
_ [コンピュータ] Windows Insider Program へようこそ
ご参加ありがとうございます。Windows Insider Program に参加する準備が整いました。
注: Windows 10 の一般リリースが間近に迫っているため、現時点では新しい PC を Windows Insider Program に掲載しません。引き続き、プログラムに登録して Windows 10 Mobile Insider Preview を使うことができます。お使いの PC で試せる新しい Insider Preview ビルドがリリースされしだい、こちらからお知らせします。
どうやらPC版を試すことは現時点できないようだ。まあきっとどこかにisoファイルが転がってるんじゃないかとは思うけど、お利口さんにして正式リリース待つ。その前にDSP版Win7を仕入れておいた方がいいのかな。
2016-07-18
_ 日付変わりッツひと箱あれば。来週から放送大学は試験期間に入る。案の定だけど番組の視聴がまだ半分近く残っている。3連休なのはありがたい。ラテン語がチンプンカンプンだ。試験受けるの来期にしちゃおうかななんてちょっと弱気になったりして。まあ諦めるのは直前でいい。それまではあきらめないことにしよう。いつものことだ。あきらめるときが来たらすっぱりとあきらめられるように、今はあきらめない。プレミアムシアターで男がパンツ一丁で歌歌ってテーブルの上でセックスしようとしている。NHK-BSはもはやNHKじゃないな。ヘンデルの「アグリッピーナ」、舞台を現代に置き換えるとこうなるのか。本来の演出も視て比較しなきゃいけないってことなのか?そんな暇あるのだろうか、この先の人生においても。しばらく消えてたがまた出てきたパンツ男。動きによっては穿いてないように見えるときがあるから安心できない。
休みになると途端に新聞を読まなくなるのは問題だ。朝食食べたらまず新聞読むかな。でもなんか時間が勿体無い気がするんだよな、家で新聞読んでると。手を動かしてやるべきことがたくさんあるせいだと思う。録画の整理とか洗濯とかアイロンがけとか。そうだ、このあいだヤフオクで1000円で古いナショナルのスチームアイロンを入手した。ずっしりと重たくて滑りが悪いのだが、少し厚手のチノパンなんかがピチッとかかるので気持ちいい。昔のアイロンってこうだったなあ。かけにくいなあ、なんて思いながらかける。アイロンがけは結構好きな仕事だ。もっともうもうと湯気があがればいいのに。
「アグリッピナ」ってなんか聞き覚えあると思ったら、ちょっと前の時間に聞いてた「攻略!英語リスニング」の題材に出てきたんだった。ネロ帝の母。
_ 夜中3時ころ目覚めてトイレに立ち、なんとなくラジオをつけて寝た。ラジオ深夜便の3時台はいつも少し古い日本の曲を流している。夢うつつで聞いていたそれは岡林信康であり、「山野ブルース」が流れているときに私は夢の中でその岡林信康さんが、どこか木造の民家が散在している北国の片田舎で歌っているのを見た。雪の降り積もるに任せてヒゲ面が真っ白だった。私がフォークソングと出会った頃は拓郎も陽水ももうすっかり人気者で、岡林さんはすでに「フォークの神様」と呼ばれていた。あの頃、ボブ・ディランが神格化されていたように、日本のフォークシンガーの中にもそういうカリスマを見出そうという指向性のようなものがあったように思う。その指向が向いた先が岡林さんだったり斎藤哲夫さんだったりしたのだろう。実際、夜のトランジスタ・ラジオから流れてくる「グッドタイムミュージック」や「悩み多き者よ」は静かな説得力を持って耳に届いてきた。その頃の北海道で育った私には被差別部落問題の存在など全く知ることもなかったから、FMで聞いた岡林さんの「手紙」は、ドラマにありがちないわば”薄められた悲劇”の一つにすぎないと漠然と感じていただけで、単純に良い歌だと思って覚え、時には何の邪気も無く周りを気にすることも無く口ずさんでいたことさえあったかもしれない。そのような問題の存在を知らされたのは大学に入って本州から来た人々との交流があってからのことで、よりはっきりと意識したのは入社時の導入教育で篠田三郎と日色ともゑの出ていた「故郷の空」という映画を見たときだった。カムイ伝を読んだのも入社して間もない頃と思うので、この分野に対する私の意識は今に至るまでいささか低いままであると思う。「故郷の空」は「遠い落日」「ハチ公物語」などの神山征二郎監督の手になる1988年の作品で、企画は東京都と都の教育委員会とのこと。DVDなどは作られていないらしく、これを観ようと思うと、たとえばどこかの教育委員会に申請してさらに16mm映写機を調達する必要があるように思われる。小学校の頃に学校の教材として見た映画なんかそんなの多いだろうな、と思って、一つ覚えている作品を探してみた。「ボクは五才」というのがそれで、1970年の作品だ。15年くらい前にテレビで放映していたような記憶もあるがあてにはならない。これは父親を訪ねて高知から大阪まで、自分の記憶と以前一度訪ねたときに自ら描いたスケッチブックを頼りに(!)無銭旅行するというものだ。驚くべきことにこの作品は今年の8月に角川からDVDが出る。なぜ?私のような懐古趣味のユーザーを狙っているのか。見たいな。左卜全とかミヤコ蝶々とか出てくる。うわ、すげえ見たくなってきた。
結局眠りの浅いまま6時台に床を離れる。NHKラジオの番組は「まいあさラジオ」に替わっている。いつもは5時台を聞くか聞かないかで出勤となるのだが、この時間に聞いてみると新鮮だったりもする。この番組はリスナーからの投稿を受け付けているのだが、早朝聞いていると、淋しい(と自覚している)リスナーが個人的な悲しみを、抑え気味の文体で、しかし切々と訴えてくるものがたびたびあってハッとする。投稿は必ずしも独居の老人からとは限らず、たとえば10代のリスナーが「今日空手の昇段の試験なのでプレッシャーあるけど応援の言葉があれば頑張れそう」なんていう投稿や、「柿が実をつけたが一本の木に100個もなっててどうしたらいい?」のような相談が寄せられる。そしてそれに対して別のリスナーが、少し遅い時間帯にまた投稿をするのだ。これもまた無縁社会にあっての新しい絆を考えるヒントになるのではないかと思う。深く分析してないがSNSやネットの投稿とは違う機能を持っているのだろう。公共の電波を私的な問題で占有している、という厳しい見方もありうるが、番組で取り上げられるということは内容の是非に関わらずそれが一つの意見として認められたという満足感につながる、ということもあるだろう。そしてネット上で見られるコミュニティと大きく違うのは、そこに参加する人々の年齢・性別・職業・居住地域という属性のきわめて多様であることだ。特に多様な年齢層が同じ意見に対してそれぞれの感想を持つきっかけになってその応答がある程度リアルタイムであるということはこの種の番組の大きな特徴となっている。ただこれも昨今の情報通信技術の進展に依存することで、それ以前は別のリスナーからの反応は次回の放送まで待つ他なかった。投稿に対しては共感を表わすことも無視することも反対を述べることも自由だ。不適切な表現は番組スタッフによっておそらくは注意深く除かれているという保障の仕組みも備わっている。またネットからの投稿が可能なので投稿に対するバリアは(ハガキ職人をやることに比べれば格段に)低い。一度に取り上げられる数は必然的に少ないが、このようなつながりは絶えることが無いのではないか。
_ [音楽] BWV1020(偽作)。
先日、J.S.バッハの作品ではどうやらなさそうと判明したバッハのソナタ。フルートソナタとして演奏されることが多いようなのだが、比較的新しい記憶として、バイオリンの演奏を覚えていた。どうやらその記憶は捏造されたものでなく、少なくとも一時期、もしかすると現在も、アルテュール・グルミオーの演奏になるCDを持っていた、あるいは持っている。ただ、現存していたとしてもわが魔窟の奥深くに眠っているようなので、DECCAの安いCDを改めて求めたらいつの間にか郵便受けに入ってた。早速聞いてみると確かに聞き覚えがある。同梱のライナーノートにはこの作品が偽作であるという疑いを示す言葉は何一つないが、帯には「真作かどうか疑問視されている…」と書かれている。おそらく真の作者についての研究は今も途上にあるのだろう。たとえば10年後、このCDがまだ増版されていたなら、その時の帯には何が書かれているのかには少し興味がある。もちろん、作品の良し悪しと真作か偽作かということとには今は関係が無く、この曲が好きだ。フルートの技法を用いてこそ真価が発揮できるような書き方をされているとのことだが、グリュミオーの演奏を聴いている限り、その説の真偽こそまずは吟味されるべきではないかとも思えてくる。
_ [新聞を読んで] 日経・私見卓見
もうすぐお昼。今日の横浜は曇りがちで蒸し暑いようだ。録画の整理しながら新聞読んでる。やっと経済教室のページまで来たが、最近このページには「私見卓見」という記事が書かれていて、「投稿や寄稿を通じて読者の参考になる意見を紹介」とある。たまにはいいこと書いてあるなあと思う記事もあるが、大抵は「私見」に偏りすぎていて「卓見」と見えるものがあまりに少ない。ただのつぶやきなのか、私見だが是非聞いてほしいことがあるというのか、誰に向かってどんな意図で書かれているのかが読み取れない。これを含めて「経済教室」というページを構成するのは適切なのだろうか?確かに小学校の教室なら、理に合わないことを声高にわめいて学級を崩壊させるような意見もあり得るだろうが、このページがそんな教室で会って良いはずはない。新聞代は高いのだ。少し前に「領空侵犯」とかそんな名前で専門外のことについての意見を紹介するという趣旨の記事が載っていたこともあった。それも自分にはあまり肯定的に感じられなかったが、そのうち終わってしまった。私見は別の欄でやってほしい。たとえば日曜版の素人川柳なんかの載ってるページと同列で十分なのではないか。
_ 部屋が冷えない。ラテン語の講義さらに1つ受講してから祝日特別メニューのヨガに行き、帰宅してさらに2つ受講。あと2コマで一応全講義を聞いたという事実だけはできることになる。が、ちょっと覚えることがありすぎて大変だ。どうしようかな…。眠い目こすりつつ机に向かっててアイスコーヒーを盛大にこぼした。幸いキーボードは被災しなかったがマウスが濡れてちょっと怪しい動きをしてる。寝るかな。暑いわ。
2018-07-18
_ 今朝目覚めて、喉の渇きを感じた時に、「そう言えば、旅の間の水…!」と思い出したのだった。ややあって思い出す。キャメルバック、ホースのついたやつ。ハイドレーションシステムという奴だ。小さいのと大きいのを持っている。小さいのが見つかった。夏だからこれでは少し心もたないな。帰宅したらまた探し物か。あとGPSもだ。
_ 旅支度の続き。帰路の切符も受け取りに行く。知らなかったのだけど、特急の乗り継ぎ割引があるんだった。しまった、行きの切符も変更しに来ないと。もう日にちが無い!とか書きつつジムに行く途中で軽く腹ごしらえ中。食べながら、以前とだいぶ食生活が変わってることを加味して食料も少し用意しとかないと、と思った。毎食昆布か梅のおにぎりになってしまう。でもまあ、紀伊勝浦で魚くらいは食べたって誰にも責めることはできないと思うがな。名物を食べるのは道中記つけるのと同じことだからな。
_ そうそう、はやiPad Proへの機種交換の準備ができたとの連絡。来週届く。わくわくさんだよ!ケース買い替えになるし料金プランに若干の疑問もあるので、早々に電気屋さんに向かうことになるだろう。そう言えば大学から借りた本も同じ頃返却期限がくる。
_ 食後、長年日記読んでて驚いた。去年の今日、雹が降ったって書いてある!そんなことあったんだ。なんか長くつけてる日記はまるで歴史書のようで、真偽やら記録者(自分だけど)の意図などを推しはからないとミスリードしそうだよ。
_ かくしてジム帰り。ハヌーマーナーサ(前後開脚)今宵ついに、両側ともにぺったり床につくようになったでござる。後ろ側の爪先たてても寝せても着いたでござるよ。これでは拙者まるでお猿でおさる。ドュフフフフ。。。サソリも順調と思う。孔雀は相変わらず滞空時間5秒。そう言えば本物の孔雀ってどのくらい飛べるんだろうか?鳩の王座もゆっくりと狙いたい。私は30代の時よりも今の方が体は柔らかい、という事実。これだけは真実なんだよ。
2020-07-18
_ 悩んでおります。この在宅勤務の機会に魔窟にはいくつもの変革が起こり、フルタワーPCでWindows10が動いている。それをテレビに繋いでるうちにふと「最近のゲームってどうなってんの」なんて思う。最新の三国志とかFFとかどんな感じなのかと。三国志はグラフィックボードつけないと動かないものになっちゃてるらしい。グラボついてるのとついてないのとの違いはまあ想像できなくはないのだけど、実感してみたいと思って、FF14のベンチマークソフトをある日ダウンロードして動かしてみたのだった。うん。動いてるよ。かなりノロノロしてるけど。FFってこんなんなってんのか。さてベンチマーク終了。快適な動作は困難。そりゃそうだろう。じゃあグラボ付けてみるか、暇だしな!みたいな感じで衝動的に付けてみたら、とても快適となってしまった。そりゃそうでしょ、そういうの選んだんだから。とりあえずFF14はトライアル版で少し遊ぶことが出来そうなのだけど、出た当初から色々あるゲームだし、オンラインゲームだというのが廃人化のリスクを思わせてビビる。2000年初めの頃に、少しオンラインゲームにハマってた時のことを思い出したりする。面白かったけどイベントのために明け方近くまで起きてるとかちょっとできないよなあ。今のゲームはそんなんじゃないのかも知れないけど。なんでグラボなんてつけたんだろ。暇だからか。外すか。そんな訳無いか。幸か不幸かもうすぐ夏休み。帰省もできないのでゲームスタートには申し分の無いチャンスじゃないか。ゲーム三昧で気付いたら夏休み終わる、とか嫌じゃないですか。特撮とかアニメとかもたくさん見たいしそろそろ家での勉強も復活させたい(そう。このコロナ禍の期間、学ぶことよりも運動することを重視して、まるで勉強してないの。放送大学も気が乗らずに今期は一科目も受講しなかった。面接授業はどのみち閉講だったが)。悩むならやってみたら?暇なんでしょ、自分。ええ。この日記が廃人日記になりそうに見えたらどうか止めてください。。まて、自分FF8ちゃんと終わらせてない。昔過ぎてパソコンでやったのかプレステでやったのかも記憶が薄い。両方やってた気もする。そっからFF14までって気が遠くなるな。やっぱグラボ外すか。そんな訳無いか。
2021-07-18
_ ジムの浴場が今使えないので最寄りの銭湯へいく。入ってみると、おお、黒いお湯。聞けばここは看板にこそ出してないが温泉なのだとか。回数券で入れる温泉。作りは昭和レトロな感じでサウナも水風呂も無いが、富士山の壁画で高い天井のなかなか良い風呂だった。
2022-07-18
_ げつよーび。お休みだ。海の日だけど、海は一昨日見てきたからな。ゴミ出ししてからクロワッサンとベーコン・オムレツ(トントンするのやめてフライパンの動きと合わせて箸かシリコーンのターナーでひっくり返すように作るとあまり悩まずに綺麗にできる。これで良かったんじゃん!)で朝食。コーヒー飲んでるところ。蒸し暑い。湿度を調べたいんだが乾湿球式の温湿度計の、湿球を水に浸す容器が行方不明でござる。乾乾球。いっぺんに二回の室温が測れるから平均取ることで温度計測の精度はちょっと上がるから便利だ。無いな。
2023-07-18
_ 夜のヨーガで大変な汗をかいた。このあともう少しやりたいことがあるので夕食を軽く摂りたい。最近の食事は肉類主体になっているがトマトや菜っぱは欠かさない。昼の間に鶏ももを薄味で焼いていたので、照り焼きソースなんかつけて食べれば楽で良い、楽がいい、楽しかしたく無い。そう思っていたがスーパーで見つからず。ふと、凍らせていない長沼ジンギスカンを見つけたので購入して帰宅。冷蔵庫にはもう少しで忘れそうだったサンチュがあったので、フラワートルティーヤに敷いて、焼いたジンギスカンを巻いて食べる。よく分かった。焼き肉の類は全てトルティーヤの具になる。そのうちレバーとか砂肝とかでもやろう。買ってきたものがもう一つある。冷蔵庫のポケットにすっぽり入る冷茶ポット。前に使ってた奴は放ったらかしにしていたらゴの付く昆虫のトイレと化していたのだった。開けて重曹と過炭酸ナトリウムで勝手に洗浄しようとしたが、硬くて蓋が開かない。どうやら開け方は説明書に書いてあるようなのだが、それが蓋をした容器の中にあるんじゃないか!まあなんとか開けて、開け方の書いてある説明書は無事に読めた。その時にはもう説明書の価値は無くなっていたのだった。良い言い回しを思いついたぞ。『俺って、蓋の開かない容器に入った、蓋の開け方の説明書、みたいだな』
_ きだ [ビグ・ザムとうふの真の食し方を下々にお示しください、中将殿。 ザクとうふがWikipediaに載ってて吃驚です。]
_ けい [とうふにMS-06とか型番ついてるし。俺は普通のキヌにネバネバーネ仕様で十分です。これをビグザムやザクでやると取り返..]
_ うにゃ [あまり味はうまくないのだよ。ショクン!それよりランバラルが36才だったとは驚いたのです。]
_ けい [↑ギレン登場したな。]