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2005-11-22 『奇談』見てきました。(ややネタバレあり)
_ 会社帰り、わざわざ川崎まで出向いてレイトショーで『奇談』見る。
愛する諸星大二郎の『生命の木』が原案となっている。
今や便利屋の風情漂う阿部寛はさておき(彼は不幸にも消耗されてはじめているのではないのか?)、70年代の山間の村の風情がなかなか泣ける。見てるだけで森林浴してるような気分になる。ハナレの家屋も縄文住居じみていて非常に良い。
そして、かの有名な「みんな、ぱらいそさいくだ!」(映画では『ぱらいそさいくんだー』になっていたようである)のシーン。感動した。原作でも最大のクライマックスであるこのシーンの演出は、この映画を作るに当たって一番の問題点であったのではないだろうか。その一声の出し方はすばらしい解決を物語に与えていた。エンディングロールを見ると、声の持ち主は声優:三ツ矢雄二である。ここに肉丸くんを起用したのは天才的と言える。
ただ、ありきたりな文明批評と、ぼくは行かなくちゃ行けないんだ的の少年の存在は余計だったと思いますが。
非常に楽しめた。稗田礼二郎はやっぱり長髪がいいけど。
2007-11-22 なおみちゃんは雪の中で卓球をしてました。
_ 「NHK街道てくてく旅。」も、残り1日。なおみちゃんは仙台長町の広瀬川の河原で雪の中卓球なんてやっている。いいよなあ、おまえは。どこに行っても歓迎されて。おれなんて、どこにいっても犬に吼えられるし、地元の人に変態だと思われたくなくてエアロビの人みたいなわざとらしい笑顔で「こんにちは〜」とか言ってるんだぜ。
しかし、なんかやはり人の歩いてるのを眺めてるのもいい。私は名取川をはるか東の太平洋岸まで歩いたりしたっけ、とかいろいろ思い出す。明日は5分延長してフィナーレだ。
_ 今朝方も遭難本を読んでた。3冊あっというまに読み終わる。不謹慎な言い方ではあるが、なかなか面白いのだ。本を読みながら、デジタル地図で遭難地点付近を俯瞰してみるとまた恐ろしさがひとしお。恐怖に質のよしあしがあるとしたら、こういうのを読んでいて感じる恐怖はホラーを楽しむより質がいいのではないか。現場を想像できないと感じることのできない恐怖だし、その想像がたぶん危険予知に少しは役立つと思うからだ。そういう意味で、これらの本は思いもよらないある種の娯楽になっていることは否めない。全く不謹慎な言い方かもしれないのだが、面白半分にそう思うわけじゃない。想像力は人間と他を区別するほとんど唯一のものだと信じている。それを良く刺激してくれるというのは素晴らしい娯楽、という意味では無いだろうか。もっとも、当事者やその近親者の思いまでは想像し切れてはいないかもしれない。だからこそ娯楽などという気楽な言い方をしているのだろう。
_ 今日は気分がいいからもうひとつ書き込んじゃうよ。
今年は沢山の新人が入ってきたので、職場もなんか若返っているような気がして結構会社が楽しい。もちろんわたしも若い人々の仲間のつもりでいる。結構昔の事をうじうじ覚えている性質なので、折に触れ古い記憶〜といってもたかが16・7年くらい昔のことだ〜を引っ張り出して(ああ、書いてみると確かに昔のことだな)、若い人々が入社した手の頃に自分が悩んでいたのと同じことで悩み始めているのに気づく。結局は自分で乗り越えるしかないのだけど、こうしたらどうか、くらいのアドバイスをちょっとは与えてあげられるような年になった。けどそれ以上に、話を聞いてあげられる余裕のある自分でいられることに深い満足を覚える。うまくいっていないときにはそんなゆとりはないから、これは自分にとっても良い状態なんだと思う。
一方で、年嵩らしからぬ発言も自分にはままあるわけで。そのうち若者を煽動するソクラテスと同様の罪によって投獄された挙句毒杯を仰ぐことになるかもしれない。
仕事で絡むことになった新人さんから、一緒にやろうとしている仕事には興味がある、アプローチの仕方が自分には新鮮だ、という類のことを(メールで)言われた。突然下級生から「先輩…これ読んでください!」なんて感じでラブレター渡されたみたいにうれしい気持ちになる。新人さんは男の子です。そしてこの話はオヤジ×新人のBLではありませんから妄想は禁止です。
2010-11-22 「じゃあまた来週!!コウモリと会おうね!!」
_ 帰宅してBS−hi「ワイルドライフ」見た。イリオモテヤマネコ。水など恐れずに魚を狩る。出てくる女性研究者がまたヤマネコラブと言う感じで、「冬のオスは(交尾を控えて体重を増やすため)男くさいですよ」と言って笑う。ナイスですね。
コーヒーを良く飲むので(お酒を飲まなくなったせいで)、買っても買っても豆が足りない。膝の調子はかなり良くなってきた。土曜の夕刻は歩いても全く痛まなかった。そんな風に膝の痛まない日々が遠からずやってくるように思う。暮れに向かって完璧に治療するのだ。冬休みはまた熊野街道を歩くのかもしれない。歩くとしたら大辺路、南紀の海岸沿いの道であろう。
_ [読書] 「アロマテラピー〜芳香療法の理論と実際」ティスランド。
とうとう古本で購入することにした。70年代に書かれたこの本の著者は(少なくともこれを著した頃は)現代科学には少々疎いように見える。訳し方が不味いのかもしれないが、体内で元素の転換が起こる、とか書いてある。原子炉やサイクロトロンでしか起きないようなことが生体内で起きると書いてあるから、たぶん訳の問題ではないだろう。これを発見したのはルイス・カーブラン、とあるのだが、ネットで少し調べた結果、フランスのケルヴランという学者のことらしい。「生物学的元素転換」を提唱し、鶏の卵の殻は生体内における常温核融合によって作られると言う説を唱えた結果、1993年にイグノーベル賞を受賞した。同じ年のイグノーベル医学賞は『ジッパーに挟まれたペニスの緊急処理』に対して与えられた。『ちなみに彼らが推奨する方法は、先ず挟まったところに軟膏を塗り、その後でファスナーのスライダーをペンチで破壊するというもの。なお、「ペンチを子どもに見せない」「ズボンの生地を傷つけない」という注意点がある。(フリー百科事典ウィキペディアから引用)』
ついでに、アンサイクロペディアにおけるノーベル賞のページには「このページに対し、一部の利用者から「アンサイクロペディアのユーモア精神にそぐわない」として削除の提案が出ています」とある。アンサイクロペディアのノーベル賞はジョークだが、ウィキペディアのイグノーベル賞は本当にあるジョークだ。なんか複雑だな。
ともかく、ティスランドの「アロマテラピー」はアロマセラピーの古典的名著とされているようだが、その記述にはトンデモ科学的な部分とか、1970年代の科学的限界によりしかたない記述などもあるので気を付けた方が良いな。匂いは振動によって伝わるとか書いてあるし。それでも買ってしまう自分に人としての業を感じずにはおられない。そんなものよりも重要なことがある。米が無くなった。明日買いに行かなくては。
_ [栗山千明] 今夜は「しゃべくり007」に出てる。
今回のセカンドシングルには相当力入れてるなあ。ここ最近の豪勢な露出のせいで普段全く見たことのないテレビ番組をいくつも見てしまったよ。いや、それにしてもつまらないな、周りの芸人たち…。いや、「キル・ビル」の再現シーンは面白かった。「ハーイ♡」「GoGoダネ?」
明日は久し振りに「コレってアリですか?」に(ホントに)出演するみたいだな。
_ アンサイクロペディアの秀逸な記事の一つ。
「あああああああああ!」←このページ見てて自分も「あああああああああ!」になってしまった。
2012-11-22
_ 反ちらリズム。
ちらリズム続き。
昨日、この問題に対する良い参考例を目撃した。何かと言うと、それはカーゴパンツを履いてスネを剥き出しにした男のふくらはぎだ。断言するが、俺は男の足は嫌いだ。漫画アクションにルパン三世が連載中だった頃からずっとそうだ。だが昨日目撃したそれは、それにとどまらず、片足だけ特に剥き出して、対称性という観点においても憎むべきふくらはぎだったのである。果たして、美のイデアを持つものにおいてはちらリズムはそのイデアをさらに強く想起させ、醜のイデアを持つものにおいてもまたしかりということなのか。ここに一つのヒントとなる言葉は「秘すれば花」であるだろうか。議論はまだ開かれている。
失敗した。アンチラリズムとよぶべきだった。
2014-11-22
「すべての名詞に『エッチな』という形容詞を付けてみてはどうか」。
そういうエッチなわけで、エッチなあまちゃんを見ているところ。エッチな映画「エッチな潮騒のエッチなメモリー」のエッチなエピソードのエッチな撮影シーン。エッチなアキとエッチな先輩のエッチな初キスはいつになるのか。少し前のエッチなエピソードでは明らかにエッチなエッチをしようとしてエッチな未遂になってたりしてた。明らかに、エッチなドラマの中のエッチなアキはエッチなエッチなことをしたいというエッチな確信を持っているのである。通常清純とされるエッチなヒロインがエッチなエッチなことを考えているのだというエッチなことが明確に示されている。エッチなそこが、エッチなこれまでのエッチな朝ドラと大きく異なるエッチな部分ではないかと思う。
書いてみた感想:代名詞に「エッチな」をつけるのはさすがにアウトだと思う。「部分」につけるのもアウト。あとめんどくさい。
↑読んでみた感想:「エッチな」がゲシュタルト崩壊してエッチな意味に取れなくなってしまった。あと、読みにくい。
_ グレート・トラバース第5週見てると長野で震度6の地震発生。放送途中で地震のニュースが始まり番組は頓挫。再放送はこれまでの予定だと12/5。ゴール見たかったよ…。
2015-11-22
_ ヨガ行った。筋トレも。久しぶり。ヨガの後、2時間強、これも久しぶりのウォーキング。夜の7時ころからスマホのらじるらじるでNHKニュースを聞きながら歩きだす。その後は西田敏行と竹下景子の「新・日曜名作座」、そのあとはオリラジの出る番組を避けてNHK第2にダイヤルを変えて、カルチャーラジオ。そして文化講演会と続く。俺の好きな夜の過ごし方だ。カルチャーラジオは今は赤沢威「最後の隣人・ネアンデルタール人を求めて」というのをやっている。ネアンデルタール人の食生活を炭素・窒素の安定同位体比率から調べると、イヌイットと近いのだそうで、肉食が主体であったようだ。優れたハンターであったようだが、遺物としては手槍くらいしか出てこないので、ハンターと言うよりもファイターと言うべきかもしれない。骨折の状況を見ると、ロデオで起こる骨折と良く似ているのだそうだ。必要カロリーは現代人の2倍ぐらいであったとのこと。彼らの特徴的な形質は寒冷地に適応したものであるらしい。その後の文化講演会では上野誠奈良大教授による「三輪山 巨大な神座」。奈良は高校の修学旅行で行ったっきりだ。日本の古代への興味は40歳を超えてから沸き起こってきた。行きたい。たたなずく青垣を眺めて大和の麗しさを体感したい。
2016-11-22
_ 通勤用の鞄のジッパーが壊れたので、ジッパーを使わないメッセンジャーバッグに変えてみた。背負えないのが難点だか割と色々入るので良い。電車の中で開くとベルクロの剥がれるベリベリという音が存外でかい。「支払いはまかせろ〜」みたいでちょっと恥ずかしい。
2018-11-22
_ [漫画]「女子柔道部物語 5」小林まこと、講談社、2018。・「聖☆おにいさん 16」中村光、講談社、2018。・「パラレルパラダイス 5」岡本倫、講談社、2018。
何と3冊とも講談社だったか。「女子柔道部物語」は電車の中でちょっと笑いながら読んだ。どんどん強くなるえもちゃん。新しい技を覚えたくて男子部員に相手してもらってその度にタマキンを攻撃してしまうというのは実話だろうか。「聖☆おにいさん」は途中まで読んだところ。「ゆめかわいい」と云う言葉を覚えたぞ。「パラレルパラダイス」はこれから読む。この本だけ書店に並んでない。インモラルだからかな。楽しみだ。旅支度もせねば。
_ [音楽] 「マントラ」シュトックハウゼン、1970。
シュトックハウゼンは現代音楽と言えばこの人と言うくらいポピュラーだと思うのだが、なぜか私の守備範囲には入ってなかった。聞くきっかけになったのは、先だっての放送大学の面接授業で少し取り上げられたため(曲は違うが)。マントラというタイトルにも惹かれた。こういうものを取り上げるのは榑沼先生の授業以外にはほぼないだろう。またしてもほしい物リストの増えた授業だった。作品だが、二台のピアノのためのもので、その様式は「旋律でありながらセリーとしても機能する「フォルメル」と呼ばれる短い素材から作品全体の時間構造、音程構造などを組織的に導き出す「フォルメル技法」」とウィキペディアにあった。女子柔道部物語読みながら電車の中で聞いていたのだが、頭の中がいい感じにマッサージされたような心持ち。何度も聞きたいと思う。時々びっくりするような効果音が入ったり。
2020-11-22
_ にちやうび。昨日カラオケ行く前に眼鏡市場さんで調整してもらった眼鏡が調子良い。この店でだいぶ前に買ったメガネではあるのだが、そんなこと言わなくともいつもニコヤカにやってくれるので、また作るときもここにしようと思ってる。しかしみどもの手入れが悪くて鼻パッドの金具が錆びててそこはいじれないとのことでござった。金具が取れちゃったらまた新しい眼鏡を作ることになるのかと尋ねると、引き取り修理はできるとのこと。フレームだけ交換というのもあるらしい。安く買った眼鏡なので、買うのと料金変わらないかもしれないが、最近の自分は、それでも本体の買い替えは最後までしない、という考えだ。自宅で使ってるレーザー複合機も本体価格は安く、トナーをワンセット交換すると本体と同じくらいの価格になったりはする。しばらく故障してないので、この間はドラムと廃トナーボックスも交換した。本体壊れるまではこれでいく。こんな考え方になったのは、多分食器の金継ぎなんてやり始めたからだ。自分の買う食器には高価なものは無い。金継ぎの金粉の方が高く付く。でもそうやって使えるだけ使うことには何か意味があるんじゃ無いかと思う。
あ、そうだ。昨日カラオケで「かんなぎ」の「ハロー大豆の歌」入れたら、アニメ映像こそ出てこなかったものの、なんだか歌詞に沿った実写映像がながれててビックリした。「ブートキャンプに行くのなら」のところは家族がハイキングしてる映像で微妙に合ってないのだけど、「壮絶な色気」のところで急にエロい下着の女の子の映像に切り替わったのでした。何これ。
_ 朝のスーパーヒーロータイム。「キラメイジャー」でヨドンナ様が今朝はいつものお舌をくださらなかったので欲求不満。ストーリー来週に続いた。
_ 夕方ヨーガ。股関節の痛みはだいぶ気にならなくなってきている。帰り道に思ったこと。ヨーガインストラクタさんは星の数ほどいて、老若男女と言っていいし、教えてくれることも一人一人違ってる。でも、そのやり方はさまざまであってもヨーガ的な到達点(ヨーガを生業にしてる以上は"収入的な"到達点というのもあるだろうけど、そこは余りツッコまないでおきたい)はそれに比べると一つと言って良いほど共通しているように思われる。まるで、たった一人の開祖がいて、その人の教えが全世界に広まったかのようだ。これは宗教と言ってもいいかもしれない(実際、佐保田鶴治先生はヨーガは宗教だと言ってたらしい)が、他の宗教には無い大きな特徴がある。それは、宗派間の争いがほとんど無いということだ。ヨーガを伝える人はさまざまで、その出自や価値観は大きく違っているはずなのに、これはどういうことなのか。今日のヨーガのテーマは「感謝」、そして「サントーシヤ」ということだった。「サントーシャ」は「知足」と訳される。あるものを感謝して享受するということだろう。感謝というものはヨーガと大変親和性が良いと思う。さまざまな出自や価値観にもよらず、ヨーガを伝える人たちは共通の価値観を一つ持っている。それは、ヨーガに対する感謝なのだ。ヨーガを生業とする人も、その行法に励む人も、みなヨーガに救われていることを感謝しているに違いない。そんな人たちの間に対立が生まれる余地はあまり無い、ということなのだろう。ヨーガは人と比べない。その時の体調でも気分でも自分に合ったやり方をやれるだけやれば良い。得意な人はどんどんアーサナを深めれば良いし、体の硬い人も正しいやり方でほんの少しやるだけで見違える効果を実感することだろう。それがヨーガのトレーニングの真髄と言えるなら、少なくともヨーガを行なっているその間、その人たちの間に本来争いが起こるはずはないのだ。なんとシンプルな平和への道筋なのだろうか。ただ、ヨーガで結ばれた人々がヨーガから離れた行為を進めるととんでもないことが起こる、ということも気に留めておく必要はあるだろう。ヨーガを宗教と呼ぶのに抵抗を感じるのは、まさに価値観を固定化しがちであるという宗教というものの持つ今一つの性格ゆえ。
_ 追記。ヨーガクラスの前に三点倒立の練習してた。調整した眼鏡がずり落ちなくて快適。
2022-11-22
_ 明日も雨か!MTBがまたあちこち錆びてしまうのか。シート買っとくべきかな。夜、自主ヨーガ&スロトレ。スロトレやってると気が遠くなる。でも、ちょっと前の「鎌倉殿」で理由もなく脱いだ山本耕史の大胸筋をイメージしてもう少し続けるか。そしてある日、何の必然性も無く上半身脱いで「なぜ脱いだ」ってツッコまれたい。しかし体重は減らないもんだなあ。まあ食事制限もあまりしてないから。噂では、食べた分を運動で消化するというのはほとんど効果が無いのだそうだ。むしろ無理に運動すると食欲が増進して、しかもその分はちょっとやそっとの運動では追いつくもんじゃ無いらしい。夢も希望も無いですな。
_ 「これは納豆では無い」
じゃあパイプなのか、と言えばそれも違う。ひきわり納豆作りにまたしても挑戦してまたしても敗北してしまったのだ。そんなシュル・レアリスムなこのひきわり大豆だが、若干納豆っぽさを漂わせつつも糸を引いていないので、殆どただの蒸したひきわり大豆。なのでもう仕方無いのでただの蒸しひきわり大豆として食べることにした。これを噛み締めるたびに納豆作りへの執念を燃やす。臥薪嘗豆。苦いわけではなくて寧ろ香ばしくて旨いくらいだから執念消えるかもなあ。納豆菌が繁殖していないから他の菌で腐敗しやすいのでは無いだろうか。とりあえずひき肉の代わりにスパゲティソースにしてみよう!トマト味にするべきか和風にするべきか悩んでしまうが。。。オムレツの具というのも良さそうだ。とにかく3日以内には食べ切ってやろう。
書いてから良く考えてみると、これは本当に納豆では無いのだからシュル・レアリスムでは無いな。ただのリアリズムだ。リアリズムのひきわり大豆。
_ うにゃ [カラオケ行きたくなりました!]
_ けい [お家で大きな音出せないのでたまに良いかなと。楽器とか持ち込んでも楽しいでしょうね。弾けるものほぼ無いけど。]