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2020-11-22 [長年日記]
_ にちやうび。昨日カラオケ行く前に眼鏡市場さんで調整してもらった眼鏡が調子良い。この店でだいぶ前に買ったメガネではあるのだが、そんなこと言わなくともいつもニコヤカにやってくれるので、また作るときもここにしようと思ってる。しかしみどもの手入れが悪くて鼻パッドの金具が錆びててそこはいじれないとのことでござった。金具が取れちゃったらまた新しい眼鏡を作ることになるのかと尋ねると、引き取り修理はできるとのこと。フレームだけ交換というのもあるらしい。安く買った眼鏡なので、買うのと料金変わらないかもしれないが、最近の自分は、それでも本体の買い替えは最後までしない、という考えだ。自宅で使ってるレーザー複合機も本体価格は安く、トナーをワンセット交換すると本体と同じくらいの価格になったりはする。しばらく故障してないので、この間はドラムと廃トナーボックスも交換した。本体壊れるまではこれでいく。こんな考え方になったのは、多分食器の金継ぎなんてやり始めたからだ。自分の買う食器には高価なものは無い。金継ぎの金粉の方が高く付く。でもそうやって使えるだけ使うことには何か意味があるんじゃ無いかと思う。
あ、そうだ。昨日カラオケで「かんなぎ」の「ハロー大豆の歌」入れたら、アニメ映像こそ出てこなかったものの、なんだか歌詞に沿った実写映像がながれててビックリした。「ブートキャンプに行くのなら」のところは家族がハイキングしてる映像で微妙に合ってないのだけど、「壮絶な色気」のところで急にエロい下着の女の子の映像に切り替わったのでした。何これ。
_ 朝のスーパーヒーロータイム。「キラメイジャー」でヨドンナ様が今朝はいつものお舌をくださらなかったので欲求不満。ストーリー来週に続いた。
_ 夕方ヨーガ。股関節の痛みはだいぶ気にならなくなってきている。帰り道に思ったこと。ヨーガインストラクタさんは星の数ほどいて、老若男女と言っていいし、教えてくれることも一人一人違ってる。でも、そのやり方はさまざまであってもヨーガ的な到達点(ヨーガを生業にしてる以上は"収入的な"到達点というのもあるだろうけど、そこは余りツッコまないでおきたい)はそれに比べると一つと言って良いほど共通しているように思われる。まるで、たった一人の開祖がいて、その人の教えが全世界に広まったかのようだ。これは宗教と言ってもいいかもしれない(実際、佐保田鶴治先生はヨーガは宗教だと言ってたらしい)が、他の宗教には無い大きな特徴がある。それは、宗派間の争いがほとんど無いということだ。ヨーガを伝える人はさまざまで、その出自や価値観は大きく違っているはずなのに、これはどういうことなのか。今日のヨーガのテーマは「感謝」、そして「サントーシヤ」ということだった。「サントーシャ」は「知足」と訳される。あるものを感謝して享受するということだろう。感謝というものはヨーガと大変親和性が良いと思う。さまざまな出自や価値観にもよらず、ヨーガを伝える人たちは共通の価値観を一つ持っている。それは、ヨーガに対する感謝なのだ。ヨーガを生業とする人も、その行法に励む人も、みなヨーガに救われていることを感謝しているに違いない。そんな人たちの間に対立が生まれる余地はあまり無い、ということなのだろう。ヨーガは人と比べない。その時の体調でも気分でも自分に合ったやり方をやれるだけやれば良い。得意な人はどんどんアーサナを深めれば良いし、体の硬い人も正しいやり方でほんの少しやるだけで見違える効果を実感することだろう。それがヨーガのトレーニングの真髄と言えるなら、少なくともヨーガを行なっているその間、その人たちの間に本来争いが起こるはずはないのだ。なんとシンプルな平和への道筋なのだろうか。ただ、ヨーガで結ばれた人々がヨーガから離れた行為を進めるととんでもないことが起こる、ということも気に留めておく必要はあるだろう。ヨーガを宗教と呼ぶのに抵抗を感じるのは、まさに価値観を固定化しがちであるという宗教というものの持つ今一つの性格ゆえ。
_ 追記。ヨーガクラスの前に三点倒立の練習してた。調整した眼鏡がずり落ちなくて快適。
カラオケ行きたくなりました!
お家で大きな音出せないのでたまに良いかなと。楽器とか持ち込んでも楽しいでしょうね。弾けるものほぼ無いけど。