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2003-11-23 甲州街道:四方津~黒野田。
_ [甲州街道] 四方津~黒野田。
朝から甲州道中へ出かけた。6時の電車に乗って、放送大学の「仏教思想」を聞きながら四方津を目指す。
まずは旧道をうっかり通らずに過ぎてしまった矢坪から犬目のあたりへ。
四方津からのバスは、ネットで調べた時刻表が古くて30分以上待つ羽目に。
でも今日は甲州道中初めて富士山をくっきりと確認したのだった。
立て札だけの「座頭転ばし」なんかを確認して、そのまま鳥沢駅へと行き、前回たどり着いた大月についたら11時。結局笹子峠の手前黒野田に着いたのが午後16:00と相成ったために今日はここまでとした。歩数3万歩ほど。
汗かいてたので中央線の車中は寒い。近くに座っていたお爺たちの会話のやかましい事…
旅は一人がいい。願わくば車中で「もそうありたいものだ。
2004-11-23
_ お昼にチャーハンを作る。
天気良かったので自宅から3kmほどの三ッ池公園まで歩いて、そこで冬桜を眺めながら食べる。
その先、第二京浜に出て鶴見川堤防沿いに鶴見川橋まで行く。傾きかけた晩秋の太陽にキラキラ輝く川面のまぶしさに訳も無く涙する。
旧東海道~綱島街道と歩いて家路へ。17:00少し前まで歩いて26000歩。15.5kmほどのご近所の小さな小さな旅の締めくくりは、つるべ落としの真っ最中のでっかい夕陽。
2005-11-23
_ 髪切って図書館
午前中に髪切ってから図書館へ行く。矢倉沢往還に関連した川崎高津図書館の報告書をチェック。一部は古書店で入手したのだが、発行所の高津図書館に問い合わせてみたが、現在頒布しているわけではないという。教育委員会や図書館の調査報告書は結構古書店で入手したことがあるが、どういうルートで古書店に出回るのか。合法的でない場合もあるかも知れないな、と思った。
2007-11-23 連休1日目。
_ 今日は来週の出張の準備で買い物。手ごろな冬のコートを物色してたけど、安価でそれなりに機能性と見た目が良さそうなものはなかなかないないもんだなあ。とあるお店でジャスト1万のコートを見つけて「あ、これはいいな」と思って触った瞬間に他の客に売られてしまったという。。。
あと会議英語のCDつきのテキストを買ってきた。こうやって不安をあるレベル以下に下げていこうというのは、悪あがきとか浪費とか言うのとは絶対的に違う。それは明日への歩みなのだ。ううう。。。(なぜ泣く?) 今年初めて灯油を買う。あったかい部屋には危機感が無いです。でも、ずっと使ってなかったファンヒーターが順調に動き始めるまでにちょっと掛かりました。白煙が立って、うぉって思いました。そろそろメンテか買い替えがいるのですかね。今は順調に稼動中です。 ♪2008-11-23 洋光台から鎌倉・天園。
_ [かながわのハイキングコースベスト50から] 洋光台から鎌倉・天園まで歩く。家から家まで歩数41128歩。
洋光台駅に着くと12時過ぎ。駅前のスーパーでおにぎり一つと、今日は荷物が軽いので2リットルのアルカリイオン水を購入。「円海山ふれあいの小径」というハイキングコースの表示があって、来光寺への案内があったので西公園を過ぎて行ってみたが、それらしい建物は入り口が閉ざされていたような。駅に戻る。なんだか方角を間違いそうな駅前を峰に向かって歩く。洋光台南公園の前を通って環状3号を西へ行き、洋光台南郵便局の手前の道を左折。行き当たりにまた「円海山ふれあいの小径」の表示。これを右に曲がると坂になり、やがて白山神社と阿弥陀寺がある。ここから横横道路に沿って、市営バス峰停留所のあたりを右に行けば「ベスト50」に乗っている円海山への道であり、左に曲がれば峰市民の森。せせらぎの道は緑地というほどではない。近年水量が減ったんだろうか。市民の森をぐるりと回って戻ってきた。昼食がまだだったので峯公園でおにぎり&&チキンラーメン&&コーヒー&&プルーン1個の昼食。ぽつぽつとハイカーや犬の散歩者が来る。
円海山めざして歩き出したのが14時過ぎになってしまった。短い距離と高をくくっていたが、峰の灸のあたりから登山道へ向かう道がゲートで閉ざされているように見えた。近くの家でシェパードが吠えたりするので、ぐるりと回って登山道を探すも見当たらず、またシェパードの家に戻ると、ゲートの脇がちょっと空いていて、歩行者は注意して歩けとか書いてあるのだった。犬が吠えださないうちにとスルリと抜けて歩き出すと、向こうから鼻歌交じりでおばちゃんがやって来たりしてほっとする。
円海山は標高153.3m。電波塔が柵で覆われていて中には入れない。


2011-11-23
2012-11-23
_ 記憶と想起。
或る男の試算ではヒトの脳の記憶容量はたかだか15Gバイトだかビットだか、ということだ。この男はどちらかというと独善的で我褒めの悪癖があり、それゆえ意に沿わない人の意見を容れることがない。ゆえに吟味の要もないかもしれないのだが、ところで私の持つiPod nanoの容量は16Gバイトだ。これにほぼいっぱいの曲が入っていて、それでなお足りないと思っている。仮に前記に信用がおけるなら、これらの楽曲はもっと情報が縮約された形で保存されたっていい、ということになる。しかし一方では細やかなノイズの位置や、歌詞と音色の調和、果ては意図的な空耳(より正確には聞きなし)といった同一のコンテキストに複数の意味が付与されている場合さえある。これらの現象から、古代ギリシャの哲人ならばどのような脳の記憶に関わる活動モデルを立てるだろうか。そういうスチームパンクも良いかもしれない。
そういう訳で紀伊半島南端を目指してるとこ。指写った。
宿は、イルカが呼び物である。が、時間が合わず出会えなかった。代わりと言っては何だが、ウミガメがいて、水槽に近づくとこちらを向くんである。
辺りを散歩したが暗くて要領を得ない。ただ、里山のふもとで尻の白い四つ足獣が五頭ほどいるのを目撃した。鹿だと思う。明日の朝また散歩するかな。その後電車で江住へ行き、熊野街道・大辺路の続き。
2014-11-23
_ 悲しいことー!(←懐かしいな)ふわとろオムレツ作ろうとしたらスクランブルエッグになったことー!くそ、成功するまで毎食スクランブルエッグでも煎り卵でも食べたるわ。あ、そうだ。山芋入れてみよう。
_ アレス・バンド。この間日記に書いたこれなんだが、俺はいつもコクヨのセY-3というフィールドノートを持っていて、昨日英会話のときに師匠に「夫れいみじうをかし」と突っ込まれたので、「之の中ぐりっどの描かれたる紙也。我てきすと・ぐらふなど何くれとなく描きつけたり。絵も描けり。」「上手也」「さらば我に問いあり。かの女髪につけたるもの如何に」「へあばんど、若しくは『あれす・ばんど』なり。なれ知るやア『あれす』」
俺はアレスとは初耳だったのでそれは神の名か(マルスとかなんかそんな神がローマにいたように思ったのだが、ギリシャの軍神のようだ)と聞くと、「さにはあらじ。我が英国なる小説家也。なれ、でぃずにいの映画見ずや」いろいろ話してるうちに、それがやっとアリスのことを意味していると気付いたのである。作者ルイス・キャロルことチャールズ・L/ドジソンはDonであろうとか(Donとはオックスフォード大やケンブリッジ大の教師のことである。これは正しくなく、Lectureship(講師)だった)、絵も描いていたとか(キャロルは自身の作に挿画を入れている)など話しているうち、そういえば彼は少女の写真を数多く撮っていたのを思い出してそのことを言うと、「さなり。controversialなことなり」と師匠言う。controversialは物議をかもす、などと訳される言葉である。キャロルがペドフィリアであるらしいということを婉曲に述べたのだった。これは使える言葉だ。何やらエロいことを想起させる言葉を発した人に対して「それはcontroversialじゃないか?」と言ってあげるのである。最近覚えた「名状しがたい●●のようなもの」という言い回しと共に声に出して言いたい日本語である。日本語じゃないけど。
_ さて一眠りして朝。おはようございます。クリス・ペプラーです。←このものまね結構似てると自分では思ってる。何か月かぶりに玄米炊いて朝飯。昨日スクランブルエッグになったふわとろオムレツチャレンジ第二回だが、今度は山芋を少し擦り入れて”ふわふわ”の”ふわ”、くらいは実現した。だが”ふわ”が足りない。”とろ”にはならない。一つ気になってるのは、使ってるフライパンが年季の入った鉄製なので、焼き加減が難しいことである。餃子も鳥の蒸し焼きもこれで作ってるから愛着があるのだが、底もベコベコにうねってるので熱が均一に通らないのは問題だ。フライパン買おうかな。どんなのがいいのかな?
_ 屈辱の第三回。
昼飯。ううっ、途中まではいい感じだったんだ。今回小さいけどテフロン加工したフライパンがあったのでそれを使ってみた。だから途中までは良かったんだ。でも、最後まで箸で何とかしようとして崩れ始めて、うまくひっくりかえせなくて、くっ、ぐふっ、無理やり押し付けて形整えようとして結局バラバラになったのでもうモーチベーション無くしてチキンライスなんか作る気全く無くなって醤油で焼き飯作ってその上にぺとぺと置いてイワシのいしる(魚醤)で味付て雑に食った。泣きながら。ぐふっ、ざくっ、どむっ、びぐざむ…。だが適当にうまかったし次に期待だ。あーあ、晩飯も卵か。コレステロールって平気なのか?
そうだ、今気づいたけどこういうときに使えばいいんだ。「気が付くと、名状しがたいオムライスのようなものが皿に載っていた」
_ だいぶ以前に読んで付箋を付けていたところを、iPhoneのメーラーを開いてSiriで音声認識させて乱読記(俺の読書ノート)に反映させている。同音異義語などどうやって区別させたらいいのか。ちょっと間違えて取り消したりバックスペースで直す作業はどうやってSiriさんに教え込んだら良いの?とりあえず「・」は「ナカグロ」。
_ 第4作。
どんなもんだと自慢できるような出来ではないが、前作に比べると格段に進歩してるように思われる。火加減はわかってきた。だが如何せんフライパンが小さすぎて全体の形が崩れる。その形を何とかしようとしているうちに火が通りすぎてしまって、「ふわとろ」ならぬ「ややとろ」になってしまう。という訳で明日をお楽しみに。ちなみにこれから鳥鍋を食べるのでこのオムレツは前菜として食す。筋トレしてきたからまあタンパク質摂るのには良いだろう。ロッキーよりは食べてない。最もあっちは生だったが。ちなみに今日鍋をするということは明日の朝は今日炊いた飯で雑炊になるのである。もちろん卵で閉じるつもりだ。だから明日の朝のオムレツは必然的に、雑炊の前菜と言うことになるのである。和食に合うオムレツとは?納豆でも添えるか。。。
_ あまちゃん、続き。無事映画を撮り終わって、コンサートの準備に入る一同。2011年の3月12日がそのコンサートの日であり、日本人には忘れることのできない3.11の震災が発生するのである。あまちゃんを見るということはその想いでに再び対面するということだった。マルクス・アウレリウスは、何が起きようとも自然の行なうことは全て良いことであると考えようとした。だが、自然から受ける恩恵にもまして厳しい試練に直面した時、やはりこのように言わずにはおられない。「天道是か非か」。直接の大被害に遭わずにすんだ俺にも、自然の厳しさをそのまま、それでも”自然”のすることは全て善きことであるから、などと言って全面的に許容することはできない。が、あのときの厳しい状況を思い出すことにはきっと意味があるのだろうと思う。あまちゃんの構成はどこまでも考え尽くされていると思う。
2015-11-23
_ 永青文庫に来ました。
_ 地下鉄江戸川橋駅から坂を登って、ここに見に来たのは春画展。細川の殿様は思春期にこういう良質なエロを堪能していたのだろうと思うと羨ましい。分厚い図版4000円と手ぬぐい一枚買った。あとで機会あれば感想書く。
_ とりあえず帰宅して図録をパラパラめくった。展示されていない資料も載っていて、あっけらかんと”無修正”。これがどうしてわいせつ物頒布等の罪に問われないのかよくわからないのだが、そんなにおおっぴらに見せてたわけではないにせよ、日本人の性愛観というものは本来大らかだったのであって、今もって性器そのものの表現が解禁になっていないことは本当に不思議なことなのだ。1991年に篠山紀信と樋口可南子が共に謀って日本にヘア解禁をもたらした以上のポルノグラフィカルなイノベーションは起こっていないのである。今こそ告げよ、江戸に還るのだ、と。
2016-11-23
_ Rというソフトを使い始めてずいぶん経つ。開発環境としてのRStudioの良さが、放送大学「データの分析と知識発見」を受講して良くわかったところ。学生さんもパソコンさえあれば統計学その他科学技術計算を体験できるのは素晴らしいことなんだと思うよ。ごくたまに旅先でも使いたくなるのだがタブレットではちょっと。
2018-11-23
_ [熊野街道] というわけで、眠い目をこすりこすり出かけるのです。

_ [音楽] 「浄夜」アルノルト・シェーンベルク、1899。
つづき。8:27、桑名に停車中。今朝の南紀1号の席は山側の窓側。海側の窓側は酒盛りの男達が占領している。ビールで始まって、ワインの小瓶も二本置かれている。長島くらいまでは行くのだろうか。酔いが回るほどに声高となることを恐れつつ、ノイズキャンセラーのついたヘッドホン(しかし人の声はあまりカットされない)でシェーンベルクの「浄夜」を聞いている。半音階が多いが、無調ではない。この曲はシェーンベルクの作品としては一番有名なのだろうが、無調ではなかったのだ。
_ 浄夜、終了。酒盛りの声はだいぶ大きくなってきた。次のアルバム、行ってみようか。
_ [音楽] 「FIGHT OR FRIGHT」THE MODS、1981。
若い。青い。熱い。懐かしい感じの曲達。「バラードをお前に」(何かのドラマの主題歌だとは知ってたが、『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』という坂上忍の出てたドラマだ。見たことない。)以外は聞いたことなかった。このアルバムの曲はパンクロックなのだろうか。わかりやすい歌詞とクリアな発声とあまりに歌謡番組的な演奏は当時のコマーシャリズムとの相性が良さそうだ。そこに「懐かしさ」を感じたのだろう。もしかすると80年代の"不良の音楽"はこんな感じなのかもしれない。外は天気良い。酒盛りの奴らの声はいよいよ大きくなってきた。そのカーテンを開いて大人しく景色でも眺めていたらどうだ。せっかくのワイドビューなのだから。そうすれば旅になる。点から点への単なる移動ではなく。私の寝不足もそろそろ解消されようとしている。THE MODS終わった。酒盛りの連中は飲み疲れて話題も尽きたと見える。今はおとなしい。紀伊長島で停車中。そろそろ海が見えるからそのカーテンを開いてはどうか。つづく。
_ [音楽] 「No Sun in Venice」Modern Jazz Qualtet、1957。
以前も書いたことがあるかもしれないが、中学の頃はFM放送「夕べのひととき」で盛んにエアチェックをしてた。流石にこの言葉はもうわからないだろう。ラジオ放送の録音のことをそう呼んでいた。和製英語かも知れない。曜日によって違うジャンルを流していたので、今の自分の音楽ジャンルに対する無節操さには大きな影響を与えた番組だったに違いない。とある曜日は映画音楽をかけていて、このMJQの曲は、ある日の"映画音楽におけるジャズ"を、特集していた時聞いて、音の遷移を面白く感じた。バッハのフーガなどに影響を受けているらしいと知ったのは高校か大学の頃のこと。他にもジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリのマイナースイング(ルシアンの青春)やマイルス・デイビスの死刑台のエレベーター(いつも死刑台のメロディと間違う。こちらはエンリオ・モリコーネらしい。このテーマ曲も好き)などもかかっていた。その後あまりジャズにはのめり込まなかったが、会社に入った頃は大人の嗜みとして一通りの名盤には触れていた方が良いのではと何か可笑しな義務感で色々聞いた。横浜の老舗ちぐさやダウンビートにもよく行った。けど今になってもジャズは自分には余所余所しいジャンルなのだ。セロニアス・モンクのモンク踊りには親しみを感じるけど。後年になって坂本龍一が、映画音楽って不思議なジャンルだ、と何かのラジオ番組で言っていた。たぶんジャズとかクラシックとかいう音楽ジャンルと同等に置くわけにはいかないがやはり何か映画音楽という音楽的な1ジャンルがあるように思う、というニュアンスのことを言っていたのだと思う。"commmons: schola vol.10 Ryuichi Sakamoto Selections:Film Music commmons schola"にそのことが書いてあるようなのでそのうち読んでみたい。タイトルから見ると英文としか思えないが日本語で書かれているようだ。というわけて、映画音楽の中にも前衛だのロックだのクラシックだのジャズだの歌謡曲だのさまざまな音楽ジャンルが使われているから、映画音楽が好きだともし言うなら、映像の記憶や想像(そう、想像。大運河も死刑台のエレベーターもルシアンの青春も私見てない。)と結びついた音楽という特殊性を愛するばかりではなく、「映画縛り」さえあればあとは何でも良い、という自由奔放さを愛している、ということもあるのだろう。私たちに、聞いてはならない音楽など無い。巧拙もメッセージ性の有無も好き嫌いも含めて。歌ったって良い。作ったって良い。勿論爪弾いたって。ビブラホン弾いてみたくなったな。と書いてる間にMJQも終わった。つづく。尾鷲を過ぎて長いトンネルの中。
_ というわけで新宮についた。ホテルに荷物を預けていきなり東宝茶屋に行ってみたが休み時間らしい。夜また来てみよう。今日はもう適当に新宮散策。ちょっと気楽。風は少し冷たいが良い天気。絶好の散策日和だ!
_ 神倉神社の538段の石段。これから登る。

_ ゴトビキ岩。

_ 新宮城址から熊野川を望む。

_ あゆのなれ鮨。

_ 今宵の新宮はとてつもなく良い月です。皆さんのところはいかがですか。この月を見ていると、この月を見ているのが自分だけなんだと考えることは不合理なことだとわかる。同じ月を見てる誰かがいる。一人では無いんだ。だから、いつでも、いつまでも一人でいることができるんだ。
2020-11-23
_ げつやうび。三連休の日中は居眠りぶっこきつつこれまでの旅の画像をストレージに仕舞い込んだり放送大の講義聞いたり。あまり生産的では無いなあとか思いつつ岡村靖幸ちゃんのラジオ聴いてるうちに夕刻。川沿いを軽くウォーキングして納豆買ってジムへ。コロナがまた猛威を振るいだしてるというのにGOTOで予約した旅をキャンセルするわけにも行かずにお出かけしてた人々が帰ってくる連休最終日。穏やかじゃ無いわいな。ワイも年末年始どうしようかな。人のいないとこうろつくかな、帰省やめて。様子見してると旅券が買えないが止むをえまい。考えたくなくても今はまだ世界が未曾有の危機の真っ只中にあるのだ。サントーシャ、サントーシャ。
2022-11-23
_ [読書] 『カロリーゼロにだまされるな』大西睦子、ダイヤモンド社、2013。
知ってたけど今日は雨。昨晩プライムビデオで『シン・ウルトラマン』視ながら若干酒量が増えてしまって今朝は全く久しぶりの二日酔い。一度朝のゴミ出しに出た後は再び猫と共に昼近くまで寝ていた。雨は止まない。2品ほど作り置きのおかずを作ってから図書館で借りた本を調べ読み。『カロリーゼロにだまされるな』というサンドイッチマンの伊達さんを全否定するような本。人工甘味料の中には確かに血糖値を上げないものもあるが、甘みが強くて脳の報酬系を刺激して依存性を高めるのが問題。僕が遺伝子組み換え食品との関連で常々問題にしている果糖ぶどう糖液糖・異性化糖などは果糖を大量に摂取することが問題で、ぶどう糖が血糖値を上げてインシュリン分泌を促してグレリンの分泌を抑制する結果満腹感に繋がるのに対して、果糖は肝臓で代謝されて血糖値を上げず、最終的には余剰分が脂肪に変わるのにも関わらず満腹感を得るメカニズムが機能しない、ということらしい。果物として食物繊維やミネラルと共に摂る場合はゆるやかに吸収されるが、飲料に含まれるものには気をつけたほうがいいようだ。結局、ダイエットは依存症との関連を理解していないとうまくいかない、と感じた。それで中野信子さんの『依存症』という本も買って読もうかなと思ったのだが、どうも2015年に買っているらしい。この頃も今と似たような問題意識があったんだろうな。内容覚えてないけど。ゴミ出し以外に外に出なかった日。入浴剤も入れない普通のけいさん湯に入ってからサイハラさんと舞ちゃんのドラマの録画見た。寝ます。
_ うにゃにゃ [むかついちゃダメ!]
_ けい [ちょっとピンボケだったね。実物もってってやるから見てみ。これのモノマネとか見たら絶対ムカつくから。]