

城ケ島の夜明け。風は強かったようだけど良く眠れた。人の気配で目覚めた。テントの横っちょにどうやらベストポジションがあったようで、一眼レフ持ってきてる人が夜明けを待っている。特に私に声を掛けようともしないのは、やはりなるべく関わりあいになりたくないということなのだと思う。
それにつけても。昨日の雲も雪も今日は名残をとどめていない。良い襞!違う、いい日だ。朝からごめんなさい。機嫌がいいと下ネタが出ちゃうんですよ。ちょっと大村昆みたいでしたかね。ぜんぜん違いますね。


気がついたらカメラの人のほかにも釣りの人とかデートの人(おまえら、朝帰りだろう!)とか結構にぎわい始めたのでとりあえず朝ごはん。「岳食」のにゅうめん。これはフリーズドライであっても全く普通にゆでて作ったのと変わらなくてうまいしゆで汁を捨てる心配がないのがいい。アルファ米みたいに20分もかからないしね。分量もそこそこありますし。それにしても今日はホントにいい天気だ!昨日雪雲に覆われてた富士山はさすがにまっ白。


今回の宿をここにした理由の一つには、「水っ垂」という湧水のある所を見たかったからでもあったのですが、今ここは落石注意で通行止めなのです。でもね、ちょっと泳げば現場まで行けそうですよ。やっぱり夕陽を満喫するのを兼ねて夏にまたやって来よう!また悪いこと考えちゃいましたな。
さて、またしても城ケ島大橋を越えるわけですけど、その前に見るべきものがあります。城ケ島側の橋のたもとに北原白秋の「城ケ島の雨」の歌碑があるのですね。


で、その白秋碑のある海岸を、何かきれいな貝でも落ちてないかと思ってうろついてみたら、お!発見。ツメタガイ。FFでは炎系のモンスターに効くアイテムとして有名ですね。図鑑でしか見たことないけど、ちょっと大きめで、この中からべろんと外套膜とか言うのを出してヒメハマグリを抱き込んで、穿ち犯しとろとろにして味わいつくす様を想像すると妙に興奮しますな。綺羅光の官能小説並みに下品ですな。
さ、橋渡りましょう。富士山よく見えるな。どこまで格好良いんだ、富士!


少し内陸部へ。するとすぐ三浦大根の畑が広がっているわけです。その向こうはただ海ばかり。大根の地平線。さらにすすめば八景原があり、白秋文学コースの16番。
八景原の崖に揺れ揺るかずらの葉
かずらに照るあきらめきれず
ここにも死にに来たのでしょうか?この付近、遊女の身投げを供養する塔や、馬頭観音・牛頭観音の牛馬供養塔などあります。そして、昨夜城ケ島から眺めていた大きな二基の風車がここにありました。遠くに気になるものがあると、しばらくの後にはそこにたどり着いている、ということがよくあります。旅の非日常性を感じる時です。あちこちで風力発電の風車を目撃するたび思うのは「なんだ。『未来少年コナン』のハイハーバーみたいな未来に、ちゃんとなっているじゃないか。」ということ。

宮川湾からは岩の海岸に沿う「関東ふれあいの道」です。乾いてる所は良いんですけど、濡れてたりするとつるつるします。まして表面が海藻で覆われてたりすると、もう危ないのなんのって。しかも45+αリットルのザックなんか背負って、雪山用の登山靴ですぜ旦那。でも恥ずかしがってても仕方ないんだよね。人とすれ違う時には極力明るい笑顔。でも疲れてくるとエアロビクスの人みたいになって怖いかもです。
まあそれでも砂浜よりはずっと歩きやすいんで良いです。

"盗人狩り"というところに来ました。昔盗賊が追われて逃げてきたけれど、ここの断崖に怖気づいているところを捉えられてからの地名、ということなのですが、出典が不明ですね。昔と言うのがまたいつのことなのやら。ここは「かながわの景勝50選」に選ばれています。
さらに三浦半島南端の海岸を東進すると毘沙門湾に出ます。ところが、ここから毘沙門洞窟に至る途中湾岸工事につき通行止めとあります。県道215号を行けとさ。ええー?工事いつ終わるのさ?
まあ仕方なく行きましたよ。途中大嫌いなトンネルも抜けましたよ。トンネルがどうして怖いかって?車が轟々と通っていく横を万一の時の逃げ場も無く進むのが嫌なのさ。それにときどき上の方から滴っている水がトンネルの壁を濡らす形が、なんだか浮き上がった死人のように見えることがあるからさ。悪い気がこもっている気がするからさ。熊野の湯の峰で会ったサイキック・プリーストならきっとわかってくれることだろうさ。で、トンネルを出ると江奈湾ですが、白秋の歌じゃないけど「あきらめられず」に、トンネルの真上に出る道を西に戻る。トンネルの上だから当然登り道。海岸から離れてるから当然周りは大根畑です。まあ良いじゃないか。お昼ごろですけど、白浜毘沙門天に到着。

さらに毘沙門海岸への道は特に通行止めではないので、海岸に出て西へと向かいました。これはもう、工事現場ぎりぎりまで行ってしまうしかないな。ここまで来て戻りなさいなんて言われたら「悲しみ光線」フルパワー(注:仕事中にこういう技を使ってくる同僚が実際にいるんである)で「うひゃー、参った!でももうへとへとなんすよぉ。気をつけて通りますんで、お願いしますよぉ。拝みんす、拝みんすよう」みたいなこと言いながら強行突破しようと静かな闘志を秘めて歩くのです。
しかし結局のところ工事は本日お休みだったようです。弥生時代の遺跡であるところの毘沙門洞窟もちゃんと見ることができましたが、弥生の住居址はどうやら現在も同じ機能で使われているようでありました。
お昼過ぎた。もう腹減った。しかもまた大嫌いなトンネルを通って歩く訳ですな。この悔しさを思い切り昼飯に叩きつけるのです。江奈湾の岸辺にたたずむスーパーでおにぎり二つとハムカツと鶏のから揚げとお茶購入。干潟を眺めながら食べてると、三脚を持った好事家と思しき方が声をかけてきた。たぶんものすごく長い旅をしてるんだと思ったのでしょうけど、「いやあ、昨日今日の旅でして。ちょっと大げさなんです」と笑って答えるわけです。ここで少し照れた感じを出すのがポイントですよ、全国の野宿ファンの皆さん。いや、まあ悪意があるわけじゃないんですけど、こんな恰好してまで野に遊び野に寝ることを望んで止まない気持ちをどう説明したらいいのかホントにわかんないんですよ。

小学校の低学年の頃だったろうか、あちこちで拾ってきた車のライトのカバーとか、手頃な長さの木の棒とか、木の実とか、なんかそんな、他人にとっては何の価値もないようなものを、これまたどこで拾ったのか10kg入りのコメの袋に詰め込んで、それを大黒様のように背負ってひとりで外に遊びに行っていたという問題行動を実施してたことがあります。今反芻してみるといちいち論理的に説明できる行動だったのですが、そのことはいつか機会があったら書きましょう。とにかく、なんか一式背負って歩かないと自分の遊びが完成しないような気持があの頃と同じように在るのだということに思い至ってしまいました。食べた後は元気百倍。韋駄天のごとく江奈湾を回って剱崎に着きました。これで、「関東ふれあいの道:第3番 三浦・岩礁のみち」が終了しました。剱崎灯台を見て松輪のバス停でポテチ食べながらバスを待っていると、江奈湾で声をかけてきた人にまた出会いました。三浦海岸駅に着いたら蛤を売ってたので、旅の名残りを惜しむように買って帰りました。ザックの中には昨日の酒も半分以上残ってます。家でやりましょうか。
「こうして飲めない酒を飲んでみるのも…」
なんて言いながら、猫の肉球を瞼に充てたりしながら。。。それにしても、つげ義春のこういう漫画、なんてタイトルだったっけなあ?
レイアウト変えたんですか??写真いっぱいだけど、日記部分。ちょっと縦長になっちゃったね。
今たまたまsafariで見てるんですけど、確かにブラウザの横幅狭めたりすると日記部分見にくくなるね。もとにもどそうかなー。
ケータイ画面で見るともう最悪ですねwやっぱり元に戻します。