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けいりう堂日記

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2009-01-18 三浦はいいな。 [長年日記]

_ [かながわのハイキングコースベスト50から][関東ふれあいの道][かながわの景勝50選] ほんと三浦は良いです。

荒崎。荒崎

暗いうちにテントを撤収して、インスタントのうどんを食べる。メスティンの中は砂でじゃりじゃり。海岸の野営はこれが嫌なんだよね…。

荒崎を目指して歩き始める。この辺は自衛隊の少年工科学校のあたりからずっと「関東ふれあいの道-荒崎・潮騒の道」でもある。

着くと7時。夕日の丘に登って、コーヒー淹れた。

この辺、水は綺麗だし、岩壁の地層の線も複雑で面白い。こんなにいいところが神奈川にはあるんだなあ。改めて思う。荒崎の城山の上は「かながわの景勝50選」の一つでもある。

それにしても、三浦に限らず、鎌倉も横浜もなんだけど、神奈川の海辺の町というのはやけにトンビが多い。すごく低い所を飛んでいてカラスみたい。

このあと道は弁天島・長浜海岸と続いて行く。しばらく岩場や砂浜であり、そこを私は10km強(含むテントと寝袋)のザックを背負い、ライケルの冬用登山靴でざかざかと進むのである。距離はさほどでなくとも相当に疲れる。山道を行くのとはまた違う疲れ方。そりゃそうだろうさ。浜辺を走るのはハードなトレーニング、「俺は男だ!」でモリケン達もやってた。

_ 和田長浜。

和田長浜海岸というわけで長浜です。多くの人たちがゴミ拾いしてます。海のルールとかも表示されてます。釣り人は釣り用品のゴミとか糸とかを放置しないように。犬の散歩の人は犬を放さないように。そしてひそやかなキャンプは大目に見てください。以上は、けいりう堂のお願いです。 9:40、矢作入口バス停。ここが、ふれあいの道の終点です。ここから少し北に進み、和田義盛の里のあったあたりという碑を見ます。和田氏こそは鎌倉武士の栄枯盛衰の典型、と書かれていました。  えと。また南へ向かいます。134号線に沿って歩いてるとコンビニが目に入りました。ちょっと汗かいたようで塩分が欲しくなり、焼鳥串1本(塩)と昆布仕立ての焼き塩味ポテトチップスを食べつつ緩やかな登りの国道わきを進みました。三浦口の駅の辺りで、沿道に人がぽつぽつ集まり出したのに気づきました。今日はどうやら駅伝があるらしいです。 さすがに三浦、あちこちに大根の売店がありますな。10:43、駅伝の先頭走者が私を通過して行きました。沿道からの声援。私がどんなに頑張って歩いても、そんな声援めったにもらえません。

_ 引橋から油壷へ。

しっぽ。 ここから南には、北原白秋にまつわる説明板が点在しています。「引橋の茶屋のほとりをいそぐとき ほとほと秋は過ぎぬと思ひき」ここ・引橋には後北条氏がこの地を攻めたとき三浦氏が三年に及び守ったという 話が残っています。こういうの、大河ドラマにしたらいいんじゃないかな。 11:00過ぎ。少し歩き疲れてきたけれど、油壷に向かって国道を西に外れました。東大の実験施設とか国土地理院の研潮場(道が崩れてて見に行けない)とか、地学を究めるのにも良いところなのですな、三浦半島は。油壷と言えばマリンパークなんでしょうけど、私はわきにそれて三浦道寸の墓など訪ね、マリンパークのある岬をぐるりと回りました。海岸に打ち寄せた大根のしっぽなんかもいとをかし。 「油壺しんととろりとして深し しんととろりと底から光り」白秋。 油壷という地名は、油を流したように穏やかな海、という意味じゃないかと予想していたのですが、由来はもっと凄惨なものであるようです。「新井城を最後の居城として立て篭った三浦一族が北条早雲の大軍を相手に、三年間にわたって奮戦しましたが空しくついに全滅し、一族の将三浦道寸義同(よしあつ)をはじめその子荒次郎義意は自刃、他の将兵も討死、または油壷湾へ投身したと伝えられそのため湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したような状態になったので後世"油壷"といわれるようになりました」三浦氏の無念のこもる入江は今ヨットで一杯です。

_ 三崎へ。

諸磯隆起海岸 さて、油壷バス停からはまた三浦に続く「関東ふれあいの道 油壷・入江の道」が始まっています。油壷湾から少々南東にエクスカージョンすると、諸磯隆起海岸という国指定天然記念物に指定されたところがあります。砂に穴を掘って生活するマテ貝の巣穴の化石が6層ほどにわかれて並んでいる地質の側面が露出しているのが珍しいんだそうで。マテ貝がいたということはそこがかつての砂浜海岸だったことを意味しており、昔の地震の時の隆起量などを知る上で重要な遺跡だと言うのですな。他にも海外(かいと)町のスランプ構造とか蓮痕とか面白い地学的の見どころがあちこちにあります。
やはりこれですかね二谷町には白秋の歌「寂しさに浜へ出てみれば波ばかり うねりくねれりあきらめられず」が残っていました。これは死を思ってここいらの浜を彷徨したときの歌だそうですが、三崎に一年ほど住んだ白秋はこの地で再生したということです。正月には小栗判官の蘇りの地を巡り、今ここで白秋の蘇生の地を巡る。今年は私にとっても復活の時かもしれません。震えるな、瞳こらせよ。 13:30、歌舞島。ここにある白秋の歌は有名だと思います。 「いつしかに春の名残りとなりにけり 昆布干場のたんぽぽの花」ただし三浦で昆布は取れないらしいですが、三浦における会心の自作として大事にしていたということです。 というわけで三崎到着は午後二時に近かったのですが、マグロ&&イカ丼を食べてバスで帰ってきました。この日の歩数、36000歩あまり。

_ 「相模のや 三浦三崎はありがたく 一年あまり 吾が居しところ」白秋


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