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2009-04-09 あくがれの、あめりか。 [長年日記]
_ それはトランジスタ・ラジオが教えてくれた奇跡だった。
シンプルで力強いギターに続いて流れてきた声は、遥かな空を自信に満ち溢れて飛ぶ猛禽の歌だった。鷹と鷲。こんな曲があり得るなんて。奇跡だ、と思った。
その歌手の名がジョン・デンバーであることを知った。ほどなく、オリビア・ニュートンジョンによって「カントリー・ロード」がヒットした。オリビアはその登場のはじめはカントリーシンガーだった。最終的にはフィジカルになってたけど、好きだった。
今日の夜半、雑音の混ざったラジオから流れ出たハイトーンの歌声は確かにジョン・デンバーの声だったが、曲はPPMのものとして知っていたものだった:
僕にキスして 微笑んで
待っていると言って
抱きしめて、もう行かせない そう言って
飛行機でさようなら
いつ帰ってこられるのかわからない
飛行機でさようなら
いつ帰ってこられるのかわからない
飛行機でさようなら
いつ帰ってこられるのかわからない
僕は行きたくないよ…
この人を知ったのは中学の頃。ラジオから流れるアメリカにあこがれていた。理想の世界がアメリカにはあると思っていた。アメリカン・ニューシネマは正義の物語だった。ヒーローはサンダンス・キッドだった。1976年はアメリカ建国200年だった。「ビバ・アメリカ」が流行った。アメリカの良心・グレゴリー・ペックはオーメンで大統領役だった。何が言いたいのかわからなくなった。感じろ、考えるんじゃない。
飛行機の歌で有名になった歌手は、1997年に自家用飛行機の操縦に失敗して亡くなった。その訃報が耳に届いた頃には、僕のアメリカへの興味はすっかり失せてしまい、翌年のゴールデン・ウィークに僕は箱根の石畳と運命的な出会いをする。その後今日夜半までジョン・デンバーのことを思い出すことはほとんど無い。そういうことになっていたらしい。
最悪の景気の中で、そうでありながらも、僕にはこの春が期待に満ちたもののように映っている。僕が春分の生まれだからだろうか?春分を過ぎたら昨日までとは違う世界になっているのではなかっただろうか、「結晶世界」によれば。悲観論に騙されるな。これは始まりだ。2009年はよみがえりの始まる年だ。熊野で小栗判官が、三浦で北原白秋が、共にそのことを僕に告げていたではないか。
CD買おうかな。