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2013-10-09 [長年日記]
_ レリクスという謎だらけのPCゲームのクリア動画を見てた。なるほどそういうゲームだったのか、なんて思いつつ、ついやってみたくなった。実は98のゲームとして移植されたときにちょっとやって全く要領を得なくてクリアをあきらめたのだった。ゲームソフトこそ無くなったが、今でもプレイするための環境は持っている。あとたった一つの外部記憶装置さえあれば完璧だと思う。それはディスクドライブではない。ふふふん。
_ [漫画] 「水木しげる漫画大全集」003
「貸本漫画集3怪獣ラバン他」。
「怪獣ラバン」このことは既に書いた。
「怪奇猫娘」「私はそれをがまんできない」。そう言って本性をあらわにしてしまう猫娘。このシーンはその後何度も用いられることになる。あと、暗闇のシーンしばらく続いて作者「まんがが切れてすみません ちょっとお茶をのんだものですから」水木さんwww
「スポーツマン宮本武蔵」タイトルからしてパクリっぽい。カラーページは言ってみれば塗り絵のようなシンプルさなのだが、カラフルさがすごく新鮮な気がする。あばれいのししの尻尾につかまって東京中を駆け回る宮本武蔵。鉄道の陸橋の見えるのはおそらく秋葉原ではないかと思う。ライバル佐々木小次郎のセリフ:「ぼくはこのマンガが終わるまでにかならず武蔵を亡き者にしてみせるぞっ!!」初期作品は紙芝居から転向して間もないせいだろうか、マンガのロジックを軽々と飛び越えてみせる表現が目立つ。このセリフのようなメタ表現もその一種だ。
「雪のワルツ」少女マンガ。大きな黒目。娘・マリを訪ねて各地を転々とする母親がまるで港のヨーコを追いかける宇崎竜堂のようだ。そしてラスト。「ちょっとおたずねいたしますが……」→農夫「その女の子でしたらずっと前に凍え死にました」→「ああ…」おわり。唐突に3コマで締めくくる水木さんwww
「かなしみの道」「最後まで読んで下さいほんとうにあった話ですから」と少女の語りが始まり、満州を転々とするうち家族が一人二人と亡くなっていくスタイルの良い少女。「この想い出は一生忘れることができません」で終わり。
「二人」水木洋子名義。こういうのを見ると、もしかすると子供の頃に読んだいくつかの貸本から流れた古いマンガの中には、それと知らずに水木さんの作品が含まれていたのではと思い始めている。
巻末の資料に、カラーページを単行本に白黒で収録する必要があった時、単純にモノクロ印刷するとつぶれてしまうために、わざわざ白黒原稿を(時に色調をシミュレートするためにスクリーントーンまで使って)リライトするというスゴイ努力が語られる。こうしてリライトされた白黒原稿は、印刷が1/2に縮小されているせいもあってかとてもコントラストがきれい。
_ 「お伊勢さん」最終回。式年遷宮の今年を記念して三重放送他地方局で放映された10回シリーズの番組も、先日のホントの遷宮を終えて最終回となった。この録画を見る頃には次の遷宮がおわってるかも知れん。
_ [経済学] スティグリッツ「公共経済学」
川崎市立図書館で借りた。例によって借りて読んでみていい本だと思ったら買うことを検討するという訳。しかし、もうだいぶ前になってしまったが、放送大学で経済学を取った時に講師の林敏彦先生が、教科書は基本的に幾らであろうと高くは無いということをおっしゃっていた。仮にそれが4000円で高いと感じるなら、私はあなたにその4000円をあげましょう。ただし、もしもあなたがその本の著者の代わりにその本の内容に匹敵するものを書くと言うのなら。ここでいう本の著者とは実は林先生自身のことなのである。でも俺はこの林先生の言葉に合理的な反論をすることが今もってできないのだ。これを推し進めるなら、少しでも必要と感じる本は幾らの値段がついていようと高いということは無いということになる。かくして、野口悠紀夫さんでさえも整理することのできない蔵書問題が解けない課題としていつまでも残るのである。ダンシャリする奴にはわかんねえよ。わかって欲しくもねえ。ただただ、蔵書に費やすお金があるということは生活に余裕があるということの証拠であり、俺にとっては積読でさえもそれを購入した時の己の問題意識を語る示準化石のようなものなのである。積読にもそういう存在理由がある。こんなふうに思ってしまったらもはや家が片付くはずなんてないじゃないか。ちくしょう、ちくしょう。
_ 最後に一言。「キョウリュウジャー」「くいしばれ」「殴る」「悔しいです」で検索して俺の日記にたどり着いてる人がいるようだ。がっかりさせてホントにすまん。でもあの回は面白かったよな?な?