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2014-11-23 [長年日記]
_ 悲しいことー!(←懐かしいな)ふわとろオムレツ作ろうとしたらスクランブルエッグになったことー!くそ、成功するまで毎食スクランブルエッグでも煎り卵でも食べたるわ。あ、そうだ。山芋入れてみよう。
_ アレス・バンド。この間日記に書いたこれなんだが、俺はいつもコクヨのセY-3というフィールドノートを持っていて、昨日英会話のときに師匠に「夫れいみじうをかし」と突っ込まれたので、「之の中ぐりっどの描かれたる紙也。我てきすと・ぐらふなど何くれとなく描きつけたり。絵も描けり。」「上手也」「さらば我に問いあり。かの女髪につけたるもの如何に」「へあばんど、若しくは『あれす・ばんど』なり。なれ知るやア『あれす』」
俺はアレスとは初耳だったのでそれは神の名か(マルスとかなんかそんな神がローマにいたように思ったのだが、ギリシャの軍神のようだ)と聞くと、「さにはあらじ。我が英国なる小説家也。なれ、でぃずにいの映画見ずや」いろいろ話してるうちに、それがやっとアリスのことを意味していると気付いたのである。作者ルイス・キャロルことチャールズ・L/ドジソンはDonであろうとか(Donとはオックスフォード大やケンブリッジ大の教師のことである。これは正しくなく、Lectureship(講師)だった)、絵も描いていたとか(キャロルは自身の作に挿画を入れている)など話しているうち、そういえば彼は少女の写真を数多く撮っていたのを思い出してそのことを言うと、「さなり。controversialなことなり」と師匠言う。controversialは物議をかもす、などと訳される言葉である。キャロルがペドフィリアであるらしいということを婉曲に述べたのだった。これは使える言葉だ。何やらエロいことを想起させる言葉を発した人に対して「それはcontroversialじゃないか?」と言ってあげるのである。最近覚えた「名状しがたい●●のようなもの」という言い回しと共に声に出して言いたい日本語である。日本語じゃないけど。
_ さて一眠りして朝。おはようございます。クリス・ペプラーです。←このものまね結構似てると自分では思ってる。何か月かぶりに玄米炊いて朝飯。昨日スクランブルエッグになったふわとろオムレツチャレンジ第二回だが、今度は山芋を少し擦り入れて”ふわふわ”の”ふわ”、くらいは実現した。だが”ふわ”が足りない。”とろ”にはならない。一つ気になってるのは、使ってるフライパンが年季の入った鉄製なので、焼き加減が難しいことである。餃子も鳥の蒸し焼きもこれで作ってるから愛着があるのだが、底もベコベコにうねってるので熱が均一に通らないのは問題だ。フライパン買おうかな。どんなのがいいのかな?
_ 屈辱の第三回。
昼飯。ううっ、途中まではいい感じだったんだ。今回小さいけどテフロン加工したフライパンがあったのでそれを使ってみた。だから途中までは良かったんだ。でも、最後まで箸で何とかしようとして崩れ始めて、うまくひっくりかえせなくて、くっ、ぐふっ、無理やり押し付けて形整えようとして結局バラバラになったのでもうモーチベーション無くしてチキンライスなんか作る気全く無くなって醤油で焼き飯作ってその上にぺとぺと置いてイワシのいしる(魚醤)で味付て雑に食った。泣きながら。ぐふっ、ざくっ、どむっ、びぐざむ…。だが適当にうまかったし次に期待だ。あーあ、晩飯も卵か。コレステロールって平気なのか?
そうだ、今気づいたけどこういうときに使えばいいんだ。「気が付くと、名状しがたいオムライスのようなものが皿に載っていた」
_ だいぶ以前に読んで付箋を付けていたところを、iPhoneのメーラーを開いてSiriで音声認識させて乱読記(俺の読書ノート)に反映させている。同音異義語などどうやって区別させたらいいのか。ちょっと間違えて取り消したりバックスペースで直す作業はどうやってSiriさんに教え込んだら良いの?とりあえず「・」は「ナカグロ」。
_ 第4作。
どんなもんだと自慢できるような出来ではないが、前作に比べると格段に進歩してるように思われる。火加減はわかってきた。だが如何せんフライパンが小さすぎて全体の形が崩れる。その形を何とかしようとしているうちに火が通りすぎてしまって、「ふわとろ」ならぬ「ややとろ」になってしまう。という訳で明日をお楽しみに。ちなみにこれから鳥鍋を食べるのでこのオムレツは前菜として食す。筋トレしてきたからまあタンパク質摂るのには良いだろう。ロッキーよりは食べてない。最もあっちは生だったが。ちなみに今日鍋をするということは明日の朝は今日炊いた飯で雑炊になるのである。もちろん卵で閉じるつもりだ。だから明日の朝のオムレツは必然的に、雑炊の前菜と言うことになるのである。和食に合うオムレツとは?納豆でも添えるか。。。
_ あまちゃん、続き。無事映画を撮り終わって、コンサートの準備に入る一同。2011年の3月12日がそのコンサートの日であり、日本人には忘れることのできない3.11の震災が発生するのである。あまちゃんを見るということはその想いでに再び対面するということだった。マルクス・アウレリウスは、何が起きようとも自然の行なうことは全て良いことであると考えようとした。だが、自然から受ける恩恵にもまして厳しい試練に直面した時、やはりこのように言わずにはおられない。「天道是か非か」。直接の大被害に遭わずにすんだ俺にも、自然の厳しさをそのまま、それでも”自然”のすることは全て善きことであるから、などと言って全面的に許容することはできない。が、あのときの厳しい状況を思い出すことにはきっと意味があるのだろうと思う。あまちゃんの構成はどこまでも考え尽くされていると思う。