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2014-10-01 [長年日記]
_ 今日も早く帰る。そしてまず川崎市立図書館に寄ってGPUを使ったプログラミングの本を借り、電車で3駅移動してバスに乗り、整形外科で温熱治療と電気治療を30分ほど受ける。そこから最寄駅に行き横浜駅から横浜国立大学までバスに乗った。放送大学の学生であることを良いことにして、他大学の図書館を利用したのである。そういうことができるのである。キャンパスに入るなり、俺は真鍋かをりのことを思い出していた。Biometricsという雑誌の1965年版(俺が3歳の頃のものだ)を閲覧して必要な個所をコピー。ここの図書館は21:45までやっている。俺の着いた20時過ぎくらいにはあまり多くの学生はいなかった。広いキャンパスは夜になると狐狸の類が出そうな田舎だ。図書館も広い。蔵書も豊富にあるように見える。ここで22:00近くまで調べ物ができるのは幸せなことだと感じた。パソコンを使える部屋もある。現在もしPCも持てない貧しい学生であったなら、勉学を進める上でもかなり不利だろうななんて思った。いい経験した。今度は昼間に来たい。実は、社会科学系の図書館に所蔵の本は直接閲覧ができないために、事前申し込みが必要なのだが、本来は直接この中央図書館に来て申込み、翌日以降に閲覧が可能になるというシステムだったらしい。そういうことはHPに書いていなかったので、今回は特別に当日申込みを受けてくれたのだが、次はもう無いようだ。そうなると、2度来る手間をかけるよりは複写依頼を放送大学経由で出した方が手間が少ないということになる。
2014-10-02 [長年日記]
_ LAGOONのボーカル、ヘソ出しててエロくて可愛いな…って瀧本美織じゃーん!美織、お前いつからそんな悪い子になったんだよ。ちなみに「悪い子」は褒め言葉。くうう生まれてきたことに感謝したい。
2014-10-03 [長年日記]
_ 日付変わりシュタイン。おととい横浜国大で複写してきたペーパーを眺めてた。詳細書くのやめたが、ここに載っている技術は俺が3歳児の頃に発案された。ともかく俺をして興奮せしめる妖しい魅力がある。そういえば、日本で抜き取り検査の理論を盛んに研究されたのも俺の生まれたころだった。俺たちの父母の世代が開いた技術を俺たちが使い、また洗練しようとしている。技術のDNAとはまさにこういうことなのだ。技術をバカにするなかれ。ファンタジーではテクノロジーは機能しない。ただ、テクノロジーを開いていくためには誇大妄想狂だけに見える桁外れの未来の姿というものも必要なのである。
2014-10-04 [長年日記]
_ だいぶ寝ていた。夕刻、腰の治療へ。もうだいぶ具合は良いが念のため。看護師の女性に、腰と腹の周りがかぶれているのを見て、湿布のせいかと尋ねられる。実はコルセットを付けると腹部が締められるので上半身が逆三角形に見えるのが嬉しくて、必要以上に強く絞めていて汗でかぶれたようなのだ。それを看護師に話すと、そういうのは止めろと言われたのだった。もう痛みは引いてきたのでコルセットは止めても良いと思う。
_ 山賊の娘ローニャのメイキングを見てて、これからアニメについて語ろうとする者はこういうものも見とかなきゃいけないのかな、嫌だな、うんざりだな、と思った。3Dの技術を駆使して所詮は2Dの世界に何を付与しようとするのか。リアルな子供のモデリングからはじめてそれが2Dの手描きになるような処理を施す。いわばリバースエンジニアリングのようなことをやっている。思うに、3D体験を俺たちが本当に楽しもうとするためには、やはり裸眼で全方向に対応できる3Dディスプレイが必要なのだ。モデルを元にしてたくさんの表情や動きのパタンを作成する。これらの組み合わせとして人物キャラクタが演技するのだが、一度このようなデータバンクができてしまったら、そのあとキャラクタを演技させるのにはもはやいわゆる「アニメーター」はいらなくなってしまうのではないだろうか、と思う。シミュレーションでアニメーションを作っていることと、意味においては変わらない。いずれそうなるのだろう。そうなれば、特殊なスタッフが高価な機器を使ってアニメ作品を作る時代はそう長く続かないようにも思う。一旦有用で実現可能となれば、そのあとは効率もコストもどんどん改善していくはずだからだ。ボーカロイドのやってることが映像の世界に拡張されていくという見方もできる。だが、そのように使える技術がオープンになっても、それを用いて優れた作品を作ることのできる人間はそうそういない。そういう人間の価値は高くなる。一方でクズな作品もどんどん溢れ出す。大量の石の中から玉を見分けてとりだすこともまた困難になっていく。これからこういう世界で生きていく人間は、絵なんか描けなくても良いけどクリエイティブにならなくてはならず、表現できる技術を持っていることよりも、表現したいこと自体を持つことのほうがずっと重要になっていく。すべての創作活動がそうなっていくときに、その「真に表現したかったこと」同志をたくさん並べたら、そのうちのどのくらいが独創的であるのか。クリエーターの在り方を問われる息苦しい時代が来そうに見える。
いや、もっと書いておくべきことがあった。これだけグラフィックの技術が進歩したにもかかわらず、相変わらず「不気味の谷」が越えられていない。あるいはそこに限界があるのかもしれない。多くの人の好みにマッチするようなキャラクターは、少なくとも「美女100人の平均顔」のようなものではないだろう。そう思ってたら、実はそうでもないという気もしてきた。
_ NHK Sp.で御岳山の噴火の特集をやっている。山頂付近は、以前博物館で見たポンペイ展を想起させる悲惨さだ。これが現実なのだ。今日までの集計で、何と50人が亡くなった。一面火山灰に覆われて泥のようになり救出活動の困難さは想像に余りある。日本という国土は危険なのだ。それは昔からそうだったのだと思う。こういう危険な地域に住むための古来の知恵はどれほどが伝わっていて、どれほどが失われてしまったのか、とも思う。まあ現実の厳しい惨状の前にあっては語る言葉も空しいものに過ぎない。
2014-10-05 [長年日記]
_ 雨の中Javascript関係の本たくさん借りてきた。たまたま目についた「最小二乗法の歴史」も借りてきた。最小二乗法を最初に考え付いたのはガウスなのかルジャンドルなのか。そもそもの応用は惑星軌道の計算と聞いたことがあるが、仮にそれが楕円軌道へのフィッティングだとすると、最小二乗法は最初から非線形問題を扱っていたことになるがそれで合ってるか?などが知りたい。そのあとヨガ行ったが、今日は30分だけ。家で食事しつつ「軍師官兵衛」の録画を見る。思った通り、BSで放送したやつは雨の影響で映像乱れていた。
2014-10-06 [長年日記]
_ 朝は結構な大降りだったが、昼になると途端に晴れ上がって暑くなった。台風一過。天下の秋が来る。
_ JavaScriptのことを調べてて、昔PerlとJavaとHTMLとXMLで作ろうとしたゲームのことを思い出した。ファイル構造をマルッとツリーで表示したい。あの頃、キャラクターの属性をDOMで書くかSAXSで書くかで悩んだりしてたっけ。ヒントになるかと思って動かしてみたら昔作った画面が出て来て懐かしかった。完成させちゃおうかな。
2014-10-07 [長年日記]
_ 一年前の古新聞を電車の中で読んでた。豚や羊を使った”臓器工場”の実用化を五年後、とか書いている。たとえば膵臓の無い豚を遺伝子操作で作ってから、クローン技術でその胚を作る。そこにヒトのiPS細胞を入れてやってとある母豚の子宮に入れて育てると、その子はヒトの膵臓を持った豚になる、ということらしい。たぶん長生きできないその子は、ただヒトに膵臓を移植するために生まれるのである。では膵臓で無く脳でやったらどうなるか。ヒトの脳を持った豚はヒト扱いすべきかどうか。ヴェルコールの「人獣裁判」はもうすぐSFでなくなってしまう。
_ そういうわけで青色ダイオードがノーベル物理学賞受賞。
_ ふたたび去年の新聞。読書欄、「インテルの製品開発を支えるSFプロトタイピング」。SFを書くことを通じてその技術の将来のインパクトを占う、フューチャリストの仕事。俺が注目するのは、「書くことで」であって「読むことで」ではないこと。しかし、既に数多くのSF作品が書かれているのだから、「読むこと」によってそこから未来を占うということも今なら可能なのではないか、と思う。既に書かれた作品群が、充分な大きさの母集団とみなせるのだから、そこからのサンプリングもまた十分に説得力を持つはずなのである。ただ、これから書かれるものによって未来を推論する場合は、書き手によってある程度技術の指向性が決まっている。読むことによる場合は、まんべんなく偏りなく多くを読むことが必要だ。次いで、その読んだものを小説として理解するのでなくテクノロジーとして理解する実力が必要だ。この意味で読むことによるフューチャリングは手間がかかるけれど価値あることではないかと思うのである。
_ 自他ともに認めるアンチ・エクセル派だ。今日はこんなことにむかついた。表計算ソフトのくせにオブジェクトをシートの上に配置できるなんてどうかしてるが、しかもそれらを複数選択するのに昔あった選択ツールが見当たらない。ふざけんなとプリプリしながら探したら、「クイックアクセスツールバー⇒インクツール・ペンタブ⇒オブジェクトの選択」というところに隠れてた。オメーウジャケンナヨ(ボビー・オロゴン)。また一つエクセルが嫌いになった。
2014-10-08 [長年日記]
_ 快気、月蝕。
_ 整形外科行って、もう腰痛くないって言ってきた。もう来なくていいと言われた。快気だ。買い物してバス待ってたら、月が欠け始めていた。帰宅して少し待ってたが、雲隠れにし夜半の月かな。夜半って夜中のことかな。あまちゃん見て常夜鍋。
2014-10-09 [長年日記]
_ 図形の問題に夢中になってきた。とりあえず2次元のミンコフスキー和を簡単に計算できないかな。この手のアルゴリズムにはカーペンターズ・アルゴリズムというのがありそう。カーペンターズ・アルゴリズムというのは、たとえばボロノイ図を描くのに、頂点の数だけアリジゴクを集めて来て、うまいこと彼らが初期位置から平面上は動かないような工夫をして、おのおのに巣を作らせると、その巣の稜線がまさにボロノイ図になる、といったような図形問題のアッと驚く解き方のことを言う。この意味では、セグメンテーションをやるのにリージョン・グローイング法をうまく使うとか、膨張と収縮を繰り返して細やかなノイズや枝を消し去る画像処理方法なども一種のカーペンターズ・アルゴリズムと言えそうに思う。とりあえず、数のおけいこセットの色板みたいなのを使えば、ミンコフスキー和を大工式で計算することはそう難しくないと思う。それを、なるべく数式だけで計算したいんだ。
2014-10-10 [長年日記]
_ 連休なんでまた札幌来た。さすがにだいぶひんやりで気持ち良い。コーヒーと鍋がうまい季節になりにけり。帰りは台風に向かって帰るよ! ホントかな、大丈夫かな、野分かな。(←俳句。季語は野分)
2014-10-11 [長年日記]
_ ナナカマド。
_ 気をつけないと寒気にやられてしまいそうな札幌。だが、一年を通して頭が茹だるような暑気の無い土地柄は知的な作業をするには適地だとも思う。何たって焙煎の深い熱いコーヒーをいつ飲んでも暑いと感じないのがとても良い。ああ、良い…。
_ そうそう、昨日の事だが、帰省の前に立ち寄った所がある。放送大学の学習センター。他大学からの借入図書が届いてたのだが、返却日が連休明けなので、受け取っておかないと目を通す暇がないのだった。線画の形の分析に関する本。高い洋書だが、手元に欲しい!ちなみに、九州の大学図書館からの借入。これも学生の特権。輸送費700円ほど払えば、こんなことも出来てしまう。
2014-10-12 [長年日記]
_ 札幌3日目。ポロクル乗って、「あらびか」に久し振りにやって来た。北大の12条の出入口のイチョウは色づくまさに直前。「あらびか」が「るびあ」だった頃、店の中を太った猫がのそのそ歩いていたが、今はいない。「あらびか」と「るびあ」の関係も知らない。
_ そのイチョウ。
_ 義経まだあったのか!
2014-10-13 [長年日記]
_ 空港じんぎ。
お控えなすって。出発まで時間があるので夕食。呼び込みの女の子が、肉が三種類あってリブロースが柔らかくて美味しいんですよね、なんか言う。マツジン本店のそばで育った俺にジンギスカンを語るとはいい度胸だ。気に入った。店内、配膳してくれた女の子は桐谷美玲に似たいい子で、満面の笑みで生ダレがどうしたとか私も食べてとか言うのには参った。嘘だが。
_ 実は初め予約してた便はもっと遅い時間なのだが、夕刻天候調査となり危険を感じてもっと早い便に変えた。両親宅を出た直後に欠航に変わったのである。今待っている便も、羽田が荒れていたら千歳に舞い戻る。さあ、どうなるか?答えはこの後すぐ。ごめん、すぐにはわからないと思う。
_ 空港コーヒー。
_ たった今羽田にダッチダウンした。良かった。ジンジギザンザザンオーイェイ!
2014-10-15 [長年日記]
_ ささやかなミステイク2つ。その1。他大学から借りた本を返しに学校の図書館行ったら、本を入れてた袋を持参するのを忘れてたことに気づいた。その2。スーパーで20円割引のチケットを1品目に間違えて2枚添えて出したら2倍割り引かれてしまった。レシート見て気づいてカウンタに申し出たら「こっちのミスなので…」とそのままにしてくれた。申し訳ない。また買い物行くから許せ。
_ ささやかな「あ、やべえ」。スマホで「インプリント」という言葉を調べようとしたら「陰部─ウィキペディア」がサジェストされたので何気なくページ開いてビビりまくった。だが、こんなこともあろうかと思って覗き見防止フィルムを付けておいたのが役に立ったよ。ウィキペディア、モロ過ぎる。
2014-10-19 [長年日記]
_ [放送大学] 「『自省録』を読む」2日目。
昨日に続き全12巻分を概観してディスカッション。マルクス・アウレリウスは何を問題としたかその問題にどのような処方を用意したか、その処方はいかなる根拠に基づいていてそこから何か規範や法則のようなものが導けるか。このことは各自のレポートにもゆだねられたが、俺はこの授業を通じて一つ気づいたことがある。
マルクス・アウレリウスの意識していた神とは一体どんな存在だったのか。自省録を読んでいくと、神に関連する記述が多く出てくる。それはしかし、全てを善きこととして設計する知力溢れる神であったり、逆に、人の基準になる善と悪には頓着しない言わばグノーシスの無知なる創造神であったり、あるいは慈愛に溢れるものであったり、逆に人知で推し測ることのできない暗い顔をした残酷な神であったり。時代からいえば彼の崇拝した神はヤハウェの神ではありえない。しかし、ではそれがギリシャ・ローマの多神教の、とりわけゼウスであるのかと言えば、俺が読み親しんだギリシャ神話に出てくる、あの夫人・ヘラを欺いてしょっちゅう浮気をしていたあまりにも人間的なゼウス像とは明らかに異なっているのである。
そう言えば、日本の神話にあらわれる神々も、不可知な行動を取ることは多いが、それに負けず劣らず人間的でユーモラスな存在のように描かれていることが多いと感じる。そんな人間的な神が、神社に祀られているさまを見るならば、何物のおわすかは知れない畏怖や崇敬の念を抱かずにおられないのである。この、神のキャラクターのブレは一体何なのだろう?ここから想起される一つの想像は、もともとギリシャの神にせよ日本の神にせよ、人間的な面に加えて、人の理解を遥かに越えた恐ろしい存在であったのだ。しかし、その神々の物語はその”なにごとか”を雄弁に伝えることはできず、ただ、その民俗誌的な部分だけが伝わったのではないのか、ということだ。たとえば「因幡の白兎」の話は、ワニザメを欺くトリックスター的な兎のキャラクターを生き生きと伝えてはいるけれど、「古事記」を良く読めば、その兎はその頃信仰されていた未来を預言する一柱の神格であったことがわかる。そのような、人知を超えた側面よりも、彼のトリックスターとしての側面の方がもっぱら後世に伝わったのではないのか。我々が神話を読む場合には、そこに隠されている畏怖の対象としての神々の暗いプロフィールを丁寧に読み解く必要があるのだろう、と思うのである。
_ それにつけても。今回の面接授業においてもまた、授業の論点を無視して我が事を語る「困った輩」がいたのにはすっかり参った。ただでさえ、『自省録』や哲学にシンパシーを強く感じていると思われる輩の、ともすれば議論を占有しようとしかねない”かぐわしい”言動が俺の自律神経をチリチリと焦がしていたところにそのような発言が長く続いたのにはとうとう堪らなくなってしまった。マルクス・アウレリウス自身は、そのような輩が自分に対してなんら影響を及ぼしはしないではないか、だから公共に尽くすという目的でないのならば、人が何をしているか何を考えているかと言うことに思い悩むな、といった趣旨の処方箋を与えている。だが俺はまだそれを自家薬籠中のモノとすることはできなかったし、何よりも授業の残り時間が15分を切っていた。ついに手を挙げて、その内容は、今論点としているマルクス・アウレリウスの挙げた処方には無いことであるから議論が発散している、と発言せざるを得なかったのだ。ストア派のマルクス・アウレリウスも、俺の私淑するエピクロスも俺にアタラクシアを求めよと勧めてくれた。しかし、この授業の最後はおよそアタラクシアには程遠いものだったのだ。自律神経の焦げる匂いは、その後入浴して食事を摂るまで続いたことだった。しかし、それ以外は大変有意義で楽しい授業だったのである。
_ ハローワールド、フロムS50。ウィンドウズタブレットから繋いでます。これ、今度帰省したら母の人に渡す予定。結構好い感じだが、アプリとかダウンロードするのはまだ良くわからず。とりあえずオフィスがすぐ使えるのは悪くないが、やはりキーボード欲しいよね。俺のホームページ、早速お気に入りに登録したから、毎日読みなw あと、らじるらじる も登録したから。
2014-10-20 [長年日記]
_ 雨がしとしと月曜日。昨日の授業の影響なのか、少し頭脳が熱を帯びている。自省録ぱらぱらめくりつつ、iPhoneで検索しつつ、レポートのネタを仕込み始めている。レポートのネタにするには大きすぎるが、おとといから気になり始めた、マルクス・アウレリウスにとって神とはどのような存在だったのか、という問題は、マルクス・アウレリウスを知るための重要なポイントなのだと思い始めている。政務に就く前の彼は、神学(こういうとついキリスト教的神学を想起してしまうが、そうではない)を学んでいたのである。この神学はいかなるものであったのか。西暦121−180年当時のローマ帝国とはどんなところだったのか。そんなことをウィキペディアで調べていると、ジョルジュ・デュメジルという比較神話学者のことに行きついた。ちくま文庫版のコレクション全四巻が例によって絶版で高い値がついている。
2014-10-21 [長年日記]
_ また帰りが遅くなっちったよ。アイス食いつつ「しょんないTV」見てる。浜松市篠原町はなんと3人に1人が鈴木さんと言う超鈴木さん率の高い場所。なぜか、鈴木以外になりたい苗字は1位:佐藤、2位:刑部(おさかべ)・鈴木、3位:五十嵐、らしい。確かに3文字の苗字は良いかもね。ちなみに広瀬麻知子アナのなりたい苗字は1位渡辺さん→ピエール瀧に「もう居ますからね」(渡辺真知子)って突っ込まれてました。
2014-10-22 [長年日記]
_ 雨がしとしとでやんなる。
_ [読書] 『ローマの起源―神話と伝承、そして考古学』アレクサンドル・グランダッジ、北野訳、白水社文庫クセジュ(2006)。
今日届いた本。さっそく50ページほど読んでみた。俺はローマのことを何にも知らない。今紀元前750年あたりの創建者ロムルスからの王政時代のことを読んだ。最近その存在を知ったジョルジュ・デュジメジルの三機能説(上位から主権・戦闘・生産)などにも言及があった。日本のスサノオ神話だと順にアマテラス・スサノオ・クシナダなどとなるようだ。この、直接の文献資料の存在しない初期王政時代においても、ユピテルをはじめとする神に仕える神官とか神祇官とか呼ばれる職がどうやらあったらしい。その教義的なところはここまで読んだ中からはあまり読み解けないが、ユピテルにはいくつかの神格があるようで、その中の一つが落雷に関係するユピテル・エリキウスでありあるいは戦闘に関係するユピテル・スタトル(潰走を防ぎ踏みとどめさせる、とある)であり、あるいは性格不明のユピテル・フェレトリウスだったりするようなことが書いてある。伊勢を回ってみるとすぐにわかるが、日本の神にも和霊・荒霊・幸霊・奇霊(にぎみたま・あらみたま・さきみたま・くすみたま)といった複数の神格があるとされており、一つにしてそれぞれ異なる神であるかのようである。おそらくは、マルクス・アウレリウスの信仰していた神もそのように複数の人格を持つ神であり、その一つは厳しい自然の姿を象徴する畏るべき神であったのではないかと思われた。さっさと読んでレポートまとめないとな。この土日が勝負。本当はそこまでにさらに塩野七海だのギボンだのの関連箇所を読んでおきたいところではある。つづく。
2014-10-23 [長年日記]
_ これ旨いよね!
_ ニューデイズにしか売ってないのが悲しい。日本のご家庭版オムライスのおにぎり。卵でたんぱく質が摂れるから気に入ってる。子供好みの味なのも。
_ 今日は午前中外出だったのだが、出かける覚悟がすごく必要な日だった。起きてしまえばどうと言うことは無いはずのことが、始まる前にはとてつもなく恐ろしいことのように思えてしまうこと。今日の俺は、ちょうど「寝床の中のマルクス・アウレリウス」のようだったと思う。それで一つ思いついたことがある。何か人為的でないことは、普段からよく観察してさえいれば予測ができる。しかし人はその心の中で何を考えているかはなかなかわからない。不可知論の立場に立つならば、そういう備えても備えることのできない事ならば備えはそこそこにして何か別の能力を鍛えるべきなのだろう。人と人は同じクオリアを体験することができるとは絶対に証明できない。つまり人と人は所詮分かり合えない。分かり合えたように見えているけれど初めから終わりまですれ違い続けている可能性だってあるのだ、アンジャッシュのコントのように。つまり人と人とは極限において理解しあえない。そういう理解がまずあれば、人は人に裏切られることは無いのかもしれない。このニヒリズムは俺には一つの福音である。
2014-10-24 [長年日記]
_ 会社帰りに、レポートのネタになりそうな本を探し、安直に塩野七海の「ローマ人の物語」のマルクス・アウレリウスに関連する巻を求めた。ついでに「ヴィンランド・サガ」15巻と、さらにシュレーディンガーの「自然とギリシャ人・科学と人間性」(ちくま学芸文庫)を見つけて購入。原子論のところでデモクリトス・エピキュロス・ルクレチウスに触れているが、ここにガッサンディという16世紀に生まれたフランスの物理学者を取り上げている。良く知らないがさすがと言う感じがする。
2014-10-25 [長年日記]
_ 3週間空けて英会話教室。とっさの英語が出てこなくなって、ごく普通の例文を考えるのに苦労してしまう。フレーズを使って何かを言うときの例を考えるのに、ついつい小難しいことを考えてしまうのは如何ともしがたい。という話をgrapevineの上で聞いた(今日習ったフレーズ。うわさに聞いた、ということらしいが、何でブドウの木の上なのかわからない。マーヴィン・ゲイがそんな歌を歌ってたらしい)
_ 日経読んでたら「俺通信」という言葉を福光恵氏のコラムで知る。俺のこの日記はさすがに最近は一人称を「俺」にしているだけあって、「俺通信」の代表ともいえるだろう。どちらかというと、小学校入りたての子供が書くような、ただ起こったことを連綿と描き続ける稚拙な作文のような意味だ。こういう記事を押し付けられる身にもなってほしい、という愁訴の記事のように思われる。そういうメールや会話を出したりしたりすることも俺は決して少ないとは言えないだろうな、とは確かに思う。まあ時間の無駄と思ったら読まないでうっちゃる自由はすべての人に与えられているのだから俺は気にしないでひたすら「俺日記」を書き続けようと思う。繰り返すが、この日記に何か読んで得になることを期待しちゃダメだ。ましてオフラインの俺についての何かをguessしようとするのもあまり得策とは思われない。しかしもう10年以上書き続けているのだから、このデータの中から俺という人間が誰なのかを推定することは十分可能だろう。そしてその内面には良俗と相容れることのない暗い側面や醜い行為へのインセンティブを読み取ることもきっと可能だろう、とは思う。そのようにして俺がネットの上に残した情報から再構成される「俺」はどの程度「俺」なのか。その再構成された俺にもしも罪が認められるなら、その罪を犯す(犯した)のは俺なのか。古代の事実が、考古学的手法が発達する未来になればなるほど、一方時間的にはどんどんその事実の起こった時点から遠ざかっていく未来になればなるほど、一層その理解が進んでいくのはどういうことなのか。それは、情報が時を超える可能性を持つということなのか。では物質を情報化して、さらにまたその情報から物質を再構築すると、物質は時を超えることができるということなのか。これは何なのか。俺にはそのことの頭も尻尾もわからない(これも今日の英会話で出てきたフレーズ)。
_ [漫画] 村祖俊一「今昔物語」
村祖俊一さんと言えは80年代頃に中島史雄ととも三流劇画誌でロリコン青少年の人気を二分した(内山亜紀とかも入れるべきなんだろうか?)漫画家で、俺はどっちも好きだが村祖さんの幻想的な物語には強く惹かれるものがあった。今も昔の単行本を掘り起こして読んだりしていることがあるが、この人の新作がマンガゲットで無料で読める。今昔物語自体はあまり読んだことはないのだが、いわば二次創作と言える芥川龍之介の小説や溝口健二などの映画などの中で知られる話などもある。これのうちの40話を漫画化している。古典は良い道標になるのだ。これに沿って描き進むうちにその描き手は何か有用なものを必ず見出すだろう。すでに人類としての膨大な経験がデータになっている。その中からこれからの自分にとって有用なことを見出すのはもはや困難ではなく、倫理も哲学も処世術も皆総点検すべき時になっているように思われる。そのことは村祖さんの作品とはあまり関係が無い。ただ、楽しむにしくは無し。
2014-10-26 [長年日記]
_ 日中はなんか居眠り三昧。夕刻ジム行ってヨガ。それからマシンで筋トレしてから15分くらい走る。15分くらい走らないと足りないみたいだな。先日の腰痛対策のために、バックエクステンションをメニューに加えた。腹筋と背筋を鍛えて自前のコルセットを作るのさ。なかなか体重減らねえよ。
2014-10-27 [長年日記]
_ 赤瀬川さんが亡くなった。藤森照信さんが、90歳くらいまで生き続けて面白がらせてくれるような人だと思っていたので残念、と言ったようなコメントをしていた。俺もそう思った。「父が消えた」、読んでない。赤瀬川さん、トマソンを見つけてくれてありがとう。
_ 女の子が頭につけてるこれ、なんて言うの?
わからなくてメモした。バンダナというかスカーフというかお弁当包んでるハンカチみたいなの、頭にしてる子っているじゃない。あれ。うっかり間違うと風呂上り見たい感じになっちゃうあれだよ。
_ 今朝、京浜東北線が遅れた。理由は王子駅付近で起きた痴漢騒ぎ。犯人と目される人間が王子駅で停車したときにホームから飛び降りて線路を横断して反対側の山の方に逃げ込んだらしい。捕まってないのか?そして、自分で止めておきながら「いやー京浜東北線止まっちゃって…」とか言いながらそのあと何気ない風情で会社に行ったのだろうか。言っとくが俺ではないぞ。
2014-10-28 [長年日記]
_ [読書] 「自省録」マルクス・アウレリウス(つづき)
寝床で読んでるうちに当然のごとく寝落ち。ここ数日レポートのネタを仕込むのに悩んでるところ。書きはじめる前にともかく(授業ではすべて読まなかったので)一通り読んでしまわないと取り掛かることができないという因業な性格だ。だが、単位取得に汲々としていた"最初の"大学時代と違って、駄目なら駄目であまり高額ではない授業料が少々無駄になるばかりだと思えば、やはり納得いくように学習したいと思う訳で、そういうわけだから俺の学生生活は活発ではないが充実している。11巻の最初まで読み通したのでだいたい論旨とすべきものが見えてきたように思う。
実は、たかだか1単位の授業のために、参考書を4冊ほど買っている。塩野七海「ローマ人の物語」、岩波新書「一神教と多神教」、ちくま文庫・ギボン「ローマ帝国衰亡史」、中公新書「ローマ帝国の神々」である。興味は、若い頃は神職にあったというマルクス・アウレリウスが、どんな神にどのように仕えていたのかに対する興味。「自省録」のあちこちで神、あるいは神々、そしてほぼ同格と思われる自然に対する言及があるのだが、この神がどのような神なのかを理解するのはマルクス・アウレリウスの思想を理解するのに有用と思われたからである。だが、もちろん、このことを付け焼刃で深耕するわけにはいかない。いまだローマにとっては異教であるキリスト教に関する言及すら「自省録」には現われるし、神だったり神々だったり唯一神なのか八百万の神なのかも良くわからず、ギリシャの神々もオリエントの神々も信仰されていたらしい。一方で神祇官のような職もちゃんとあって、確固たる祭祀も行われていたようである。古代ギリシャの信仰の影響という点でいえば、プラトンが唱えたデルウミゴスデミウルゴス(←FF6に出てきた奴適当に覚えてしまっていた。ハズカシー)のような創造主という存在ももしかするとマルクス・アウレリウスの思想には多少の影響を与えていたかもしれない。という訳で手に余るから、レポートとは切り離して楽しもうと思う。楽しめないとしたら、これらに費やした数千円の投資に対してレポートを提出して得られる1単位の獲得というのはおそらく割に合わないのだ。だから、これは授業をきっかけにして自らの興味が招いた自主的な消費行動なのだ。そう考える以外に救いがあるというのか?投資対効果の計算にはこの消費行動による俺の幸福度向上という項が含まれねばならないのである。つづく。
2014-10-29 [長年日記]
_ [読書]「自省録」マルクス・アウレリウス(ほぼ読了)
ほぼ、と言うのは、まだ本文しか読み終わってないせいだ。ここまで読んで、一応レポートの主題がまとまりつつある。マルクス・アウレリウスの神観はやはりさておくこととして、結論から言えばマルクス・アウレリウスはやはり哲人皇帝の呼び名に相応しい人物であり、されど決して哲学者ではなかったのだ、ということにしようかな、と思っているところで、そういうストーリーを書きはじめる準備中。本当は、原文にどのような言葉(ちなみに原文はギリシャ語)を用いているかとかそれを、キリスト者であった神谷美恵子がどういう意図で日本語に翻訳しているかと言った事柄や、往時の考古学的知見や歴史的・地理的状況みたいなことを総合的に踏まえないと、"事実"の調査という意味でのレポートにはあまりにも材料が足りない。そうではなくて、今あるこの本文から読み取れること、想起されること、演繹されることなどに集中することに決めた。郵送で送るにも、土曜の午前中には完成させていたい。いつもはその時間は英会話の宿題をやる時間なのだが、幸いなことに既に終わっている。
2014-10-30 [長年日記]
_ 平野ノラって面白いなw
_ 今日、とある映像を見る機会があった。未来予測に関するものなのだが、視聴してると、特異点が訪れた後も人間は死ぬことができず、かといって安全な食を楽しむ選択もできなくなって、結局はどうなってしまうんだ、人類は14歳で終わるのか(by楳図かずお)という暗い気分になっている。果糖ぶどう糖液糖(異性化糖)を介してすでに俺たちは多くの遺伝子組み換えトウモロコシ由来の物質を摂ってしまっているらしい。果糖自体も満腹感が得にくいとか老化物質をたくさん作るとかすぐ中性脂肪に転換するとか、なんだか砂糖よりも害の多い糖分であるということも言われている。俺は今これをロッテの「爽」抹茶味食べながら書いてるんだが、これにも「異性化糖」というのがちゃんと入っている。俺も14歳で終わるんだ。52歳だけど。
2014-10-31 [長年日記]
_ 今日の帰りの電車には悪魔崇拝者がたくさん乗っていたので恐ろしかった。世の中が乱れに乱れてついに邪教徒が増えてきたのだろうか。世も末だ。週末の楽しみタモリ倶楽部は空耳の始まった辺りでHD容量無くなった。世も末だ。
_ きだ [ない…]
_ けい [あるね。書いたからあるもんね。]