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2014-12-02 [長年日記]
_ オムライス~(竹内結子)




_ 食事終わって「グレートトラバース」の録画(先日長野の地震で中断した番組の再放送)を見ている。田中さんはついに北海道に入る。幌尻岳の山頂の孤独。そこに俺は憧れを感じてジーンとくる。そしてちょっとムズムズしてくる。田中陽希のようなハードな山行は無理としても、少しの重たさと少しの疲弊と引き換えに、俺も孤独を楽しみに出かけることはできる。良い場所を知っているんだ。本当に一人になりたければいつでもそこに行き、鹿の声に耳を澄ませながら少し不安な静寂の夜を過ごすことはできるのだ。
_ もう寝ちゃおうかと思ったが結局全部見てしまった。旅は良い。
2014-12-03 [長年日記]
_ 意見の違いを認め合ったうえで妥協点を探る。これがディベートだ。自らの意見をすべて呑んでもらおうというのではないし、相手の意見を全面的に受け入れることでもない。人の考え方はそれぞれ異なっていることは自然なのである。そういう意味では、ただ考えを聞くだけの会話の中において、それを目指そうとするのは間違っているのかもしれない。そこにおいては、彼我の思いにどれほどのギャップがあるのか、まずそれを把握するに留めるべきなのだ。俺はだから、今日は間違った反応をしていたのだと思う。俺の思考は、俺が望むほどに柔軟ではないのだ。しかもこの行為は多くの制限のもとになされねばならない。例えばいさかいは起こってはならないこと、食い違う意見の元となっているかの対象の考えを、己の主張に無理矢理寄り添わせるように偽装しないこと、そして再び、それぞれの境遇の違いを認め合うこと、などである。難しすぎる。人間嫌いが酷くなる一方だ。平和の裏にある考え方の相違、境遇を比べあって不当や不遇を感じること、コミットしないこととコミットできないことを混同する不見識、しても意味の無い反省や後悔。そんなものとまともに向き合って、それでも人生は素晴らしい、楽しいと言えるのか。こんなことばかり考えてるとインポになっちゃうよ、俺。だが、俺にはまだもがく余地はある。最終的には感覚のようなもので決めざるを得ないかもしれないが。未来において完全に諦めることができるように、今諦めずに取り組むことはきっとあるだろうと思う。
_ 破れたジーンズがもう一本あるので、こないだのように当て布を当てて補修しようと思った。ダイソーで針と糸を買うと、糸を通す穴のあるところが二つに割れている針。そうか!これならノーベルさんの糸通しがいらないかもな。しつけ糸も買った。当て布は家の中を探せばなんかあるだろう。帰宅。しかし大事なものを忘れた。というか買うことに気付けなかった。それは、待ち針。おお、おお、おお!
_ 最近ヴェルコールのことが気になっている。今では「海の沈黙」だけが岩波文庫で再版を重ねていて、またそれだけが評価されていると言っていいようだ。先日面白く読んだ『人獣裁判』を、百科事典程度の知識を集めて数時間のための駄文を書いたのだと批判する方もいるようだ。俺が面白いと思ったのは、1950年代においてもサルの知性を検証する実験がすでになされて、ある程度の成果を収めていたらしく思われることだった。『海の沈黙』はいずれ、朗読してみたいと思う。実は朗読は結構好きなのだ。システマティックに練習したわけではないが、やってみると面白いかもしれない。ところで、そのヴェルコールの本を2冊入手した。『六つの声』(白水社、小林正、1954、原文は1950)と『夜の武器・昼の力』(新潮社、杉捷夫訳、1953、原文は1945と1951)。まさに人間足らんとする魂の苦悩とか帯に書いてあって、今はちょっと読む気がしない。
2014-12-04 [長年日記]
_ 夜をこめて 鳥の空音は 謀るともよに逢坂の関は許さじ
百人一首にもある清少納言の歌。「空音」とは鳴きまねのことだ。
愚かな発言に傷つくのは何故なのだろう?後になってから、過去の自分の愚かな発言で現在の自分が傷つくのは何故なのか。クオリアの同一性を証明できないうちは、前者にはまだ対処することができるかもしれない。
オウムは「オタケサン」と言いながらオタケサンが何者であるかを知らない。感謝知らずの人間の言う「アリガトウ」もせいぜいそれと同じだ。
自然の驚異と言う他無いのだが、感謝の心がこれっぽっちもないにも関わらず、その「アリガトウ」はまるで心からの感謝が込められているように聞こえてしまう。だが気を付けた方がいい。コノハズクは仏心を持たないにも関わらず「仏法僧」と唱えるではないか。本質的には何の違いも無い。つまり、人は必ずしも人ではない。会話は本質的には成り立たないし噛みあわない。ただ、聞くことだけが相手を理解することなのだが、聞くことからは始まらないのである。だから人と人は分かり合ったように思い込むことしかできないのだ。まして、あなたのためを思って、などと、何故そんな大それたことが言えるのだろうか。人は人ではない。あまつさえ獣ですらない。人はその発言の能力においては鳥と何ら変わるところが無い。翼の無い鳥、飛べない鳥だ。そんなものに何の特別な価値があるというのか。わかっているよ、俺は自らにそれがあるとは認めたくない己の愚かさや醜さや個人的な怨嗟をこうして全人類の問題へとすり替えて冷静になろうともがいているのだ。全く美しくは無い。きれいごとでは済まないというのか?だが、きれいごとで済まない世界の方が間違っている。世界が美しいのは、全くもって、そこに人が存在していない時だけなのである。
_ 待ち針買ってきた。これもダイソーにあった。これで適当な当て布になるものを見つけたら、いよいよジーンズの修繕ができる。でもその前にちょっと乳首に刺してみたいような気もする。気だけよ。乳首はツボには違いないが、そこに鍼を打つのはよほどの達人でない限りしてはならないことだ。でも「花と蛇」の中で杉本彩姐さんがやってたみたいだな。見たこと無いんだけど。
_ 記念すべきオムレツ。
なんかだんだんオムレツの画像をアップすることがばかばかしく思えてきた。今日はことの他俺の生き様がばかばかしく思える日だ。そういう日もある。今日のオムレツが何故記念すべきなのかと言えば、先日見つけた裏技に頼らずにできたからなのだ。裏技と言うのは、(1)半生の状態で一度パンからボウルに戻してそこでかき混ぜてエマルジョンのような状態にする(2)返して整形していくときにシリコーンのヘラを使う ということなのだが、今日はなんとなくできるのではないかと思って、フライパンの上でそのままぐしゃぐしゃとかき混ぜて、隅に寄せて手元をトントン…これで上手い具合に返ったのである。ここまでに通算で卵37個くらい使っている。すべて俺が食べた。回数にして18回と言うところだろうか。俺は学んだ。この先ことが上手く行かなかったとしても思い出すべきだ。何度失敗しても最低18回繰り返せば成功するかもしれない。そういうことが過去に一度はあったのだ、と。もちろんその失敗の中で、大いにもがかなくてはならない。このことに思い至った以上は、もはや料理が美味いかどうかは問題ではない。美食を追及することなど愚かな行為だ。
_ [紀行] 俳句紀行シリーズ・海の細道を行く①芭蕉の夢
BRに焼いたのは2012年の10月頃である。俳人長谷川櫂が、大阪で没した芭蕉のその後を追う。遺言に従い淀川を”のぼり船”で遡上し、当時湖南沿岸にあった義仲寺。ここは俺も2度ほど訪れたことがある。ここを墓どころとしたのは芭蕉の弟子たちがこの地に住んでいたからであると長谷川櫂は言うのだが、俺にはもっと大きな疑問がある。義仲寺はもちろん、朝日将軍木曾義仲を祀る寺であるが、ここに”背中合わせ”となるように墓所を定めた理由は何であったのか。武人と俳人(←おお、これだけでなんか日本版剣と魔法のファンタジーになりそうな感じがする。てきとーだが)の取り合わせは奇妙だ。芭蕉は木曾義仲にどのような憧れを抱いていたか。芭蕉の生きた時代の源平の物語はどのように語られていたか。木曾義仲はどのような評価をされていたのか。俺たちにとっての元禄時代と、元禄のころからみた平安末期とを隔てる”距離感”はどれほど異なっているのか。俺たちが芭蕉に抱く純然な文人のイメージは間違っているのか。そんな疑問が沸いて出てくるのである。まあ調べればわかってくることなんだろうけどな。
_ 数日前にNHKラジオで近藤麻理恵が話していて、「片付けの魔法」にかかってみても良いかな、という完全なるキマグレンが生じたのである。古書を買い求め、さらにテレビドラマも見たのだが、つくづく仲間由紀恵の怪演っぷりはもう止めようもないな、と感じ入った。この人はもはや癖の無い普通の女性を演じることなどできないだろう。もちろんそれを求められることも無いだろう。ドラマはあまりにもテレビ向けにドラマチックに盛り立てられていていただけないものだったが、そして役どころを好きには決してなれないものの、「純と愛」の夏菜はそれなりに達者な役者なのだと思われた。しかしドラマに現れる魔法はともかくとして、近藤さんのメソッドはどうだろうか。ひとつひとつを手に取って、ときめくものだけを残す。基本は捨てるで何を残すかを選択する、というそれだ。彼女のメソッドで行くと、決めやすいものから始めて行けばまず衣服、次が本、ということとなる。この場合、残すべきものが捨てるべきものに比べて少ないことを望むのであろうが、こと本に関しては俺の場合はそうはいかない。それはやはり本の特徴故なのだろう。まず愛着という点でいうなら、それは入手しようとした時点で愛着あるものとなり、その愛着はよほど拙い内容でない限り消えることが無い。この本をなぜ入手しようとしたかと言うモーティベーションはいつまでも重要だからなのだ。そして、これまで使い切ったからちゃんとさようならを言って捨てる、という訳にもこれまたいかない。内容を忘れてしまうことも含めて、何度読んでも得るものがあるためだ。つまり蔵書の多くはときめくものになってしまう。どうしても。「捨てる技術!」の人は聖域を作るなと書いたが、やはりそれは捨てることによってそこにまつわる様々な想いも同時に捨ててしまって顧みるなと言うことだ。そういう書物はつまり暇つぶしのための書物であって、それだけを読書と呼ぶのなら俺の趣味は読書だとは言えなくなってしまうのである。読んで読書感想文でも書いたらポイッと捨てられるならいいのかもしれないのだが。俺は過去に目を通した書物は折に触れ反芻したい。それを感じたときにすぐに検索できないほどとっちらかってしまっていることは問題だと思っている。だが、それならないことと同じだ、そう言えるのだろうか。それは問題のすり替えだ。問題は、とっちらかっていて足の踏み場が無いという在宅時に負傷するリスクの問題であり、また欲しい情報に直ちにたどり着けないという実体のかさばる情報データの格納と検索技術の問題なのである。だから、本来技術的に解決されるべき問題なのである。ただ捨てると決めることはテクノロジーではない。そんなわけで、順序はせめて小物類と本は逆にすべきだろうと思う。「いつか読み返すは絶対にない」というのはそういうクオリティの書物に目を通すことを読書と称しているだけのことだ。だが、近藤さんの言う「ときめく」の定義をきちんと行うならば、このメソッドは有効に働くのかもしれない。部屋別で無くモノ別、とか、どんな環境で暮らしたいのかを想像するとか。まあそんなことを修得してみたいように今思っているところ。寒い季節にやれば体力の消耗も少なく済むだろう。魔窟に秩序が訪れても、それは相変わらずきれいに整理された魔窟以外の何物でもないであろうが。
2014-12-05 [長年日記]
_ 毎日何かしら書くことはあるはずなのだが今日は何を書くべきだったのか。そうだ。ウォシュレットが壊れたらしい。なので、新品を購入する。電気工事は不要なので、これはウォーターポンプレンチなんかを持ってさえいれば自分で交換することはたやすい。ただ、今のものも電源だけは入るので、交換したらちょっと分解してみようかななんてよからぬことを考えてもいる。いやいや、ちゃんと向き合って「今まで俺のケツを清めてくれてありがとう」と言って捨ててしまうべきなのか。
_ VPSの契約を月払いから年払いに更新。最近、512MCPUのお安いSSDのプランが出たのでちょっとUbuntu練習用に契約しようかと思ったがやめた。それをするのなら、一台寝ている自作機を復活させてインストールした方がいい。もちろんそうするためには家が片付いていなくてはならない。
_ それよりもっと書くべきことがあったのだ。上の前歯の裏側に小さな欠けがあって舌先が引っかかる。行きつけてた歯医者のカードを見ると、前にかかったのは2012年だった。電話して予約した。明日、英会話のあとすぐ行く。ここにはちょっとSっ気のある(と勝手に俺が思い込んでる)歯科助手さんがいたのだが、今もいるだろうか?また会えるかと思うと楽しみだ。もうひとつここが気に入ってるのは、ここの先生が治療中に思わず「オーマイガッ」とかつぶやいて患者を不安にさせるというあたりだ。まあそういうことだけ言うのならイヤな想いしかしないのだが、逆に治療が思いのほか上手く行くとあからさまに喜ぶ。まるで、考えてることが人にわかってしまう「サトラレ」の医者ではないか。その治療のあと俺は、横浜駅そばのクラフト専門店に行ったり中央図書館に行ったりしたいと考えている。そして、近藤麻理恵のメソッドを試してみようと思うのだ。まずは衣服。そう考えると、捨てるべきものがそれなりに多く出てくるような気もしている。ただし、手を付けるものの順序は近藤メソッドでは上手く行かない気がするので、自分なりに改変中。
2014-12-06 [長年日記]
_ いつもNAVIつながんねえ。セキュリティソフトがブロックしてるんだろうか?
_ 英会話。今日はいつもの師匠はお休みで、前に1度か2度担当してもらった男の先生。正直言うとちょっと苦手感があった。ただでも聞き取りが苦手なのにこの先生の発声はあまり明瞭とは言い難いので。だが、今日は思ったより良いコミニュケーションができたように感じた。多少リスニングが捗ってきたのかもしれない。それはそれでまたいつもの師匠のおかげなんじゃないのかな、とも思われる。先回書いたeメールの手直しを見てもらう。こちらが言いたいと思っていることをうまくguessして的確な言い直しをしてくれたように思う。雑談の中で、明日はどうするのか、テレビでも見てるのかと聞かれて20:00からのドラマを見るのだと答えたら「Taiga…?」と聞き返される。軍師官兵衛のことをわかっていたようだ。イギリスではそれに相当するのは”period drama”と呼ばれるもので,ふつう時代劇と訳されるようだ。たとえばどんなと尋ねると、”Downtown Abi”という”interwar peroiod”のドラマが有名かな、という。あとで調べると ”Downton Abbei”が正しかった。ちなみに”interwar”とは両大戦の間の時代のことで、ヨーロッパにおいては重要な時期と位置付けられる。日本でも戦間期と呼ばれるが、俺はそういう時代区分をこれまで意識したことはなかった。日本語ウィキペディアにある紙幣を燃やして「暗くてお靴がわからないわ」「どうだ明るくなったろう」という戯画くらいしか知らないのである。で、この紙幣を燃やす人が第1次大戦で設けた成金と言うわけだった。だがこれすらも戦間期に結び付けられるものではなく、その後金融恐慌に至り、身売りの娘や「大学は出たけれど」という言葉が日本の戦間期を象徴している、ということである。
_ そのあと予定通り歯医者に行った。会いたかったSっ気のある(というキャラを勝手に俺が付けている)歯科助手さんはいらっしゃらなかった。とりあえず前歯の裏の欠けはやはり虫歯で、その治療はすぐに済んだ。歯石が酷いのと、前歯の先が薄くなって欠けているので、その治療がしばし続く。
_ いつもNAVIつながった。ブラウザでSSL3.0使うの設定を変更する必要があった。
_ 灯油の配達頼んだ。とりあえず3缶。これで下半身丸出しで部屋にいても寒くないな!………寒い。
2014-12-07 [長年日記]
_ 日付変わりました。ジーンズの破れを繕ってた。こういう仕事ってなんか落ち着くよな。織り目と縫い目をたどってひと針ひと針。そう言えば最近母の人と良く昔話をするんだが、彼女も俺も寅年である。ふた回り違うかな。それで、彼女の子供時代はまだ戦中でもあったので、良く千人針を頼まれたという。虎は千里を行き千里を帰るとのことで生還を祈ったということのようだ。兵士は生きて帰らぬことを美徳としてはいてもこのような風習があったのである。普通は一人ひと針しか縫えないのだが、寅年の女子は歳の数だけ縫うことができたのだということだった。母の人は昔から泣き虫なのだが、悲しくて泣くこともあろうが、悔し泣きすることが結構多いのだった。そういえば俺も幼いころは良く泣いた。予防接種で俺の前の子が注射の怖さに泣くと、その怖さが伝わって泣いた。思い通りに事が成らないと悔しさで泣いた。自分の意見が伝わらないと泣いた。このように、泣く奴は反射で泣く。そのことにいちいち驚くことはあたらないのだ。泣き虫だった男は女子の泣き顔にいちいちビビらない。覚えておく価値があるだろう。アイロンがけも好きだよ、俺は。レース編みとかもやってみようかな。できたら男にプレゼントしちゃお。これはビビるだろうな。
_ きのう図書館行ったら、日吉の慶応キャンパスにある、旧海軍最後の司令部のあった防空壕に関する講演があることを知ったので、急遽出かけた。軍や大戦のことはこれまであまり興味を持っていなかったのだが、日本と言う国の歩みとこれからを考える上でどうしても無視することはできないと思う。だが、それよりもまず地元にある史跡のことを理解したいという気持ちは大きい。毎月第4土曜に見学会があり、全長5kmのうちわずかに500mではあるが、中に入ることができる。今年は厳しくても来年のいつか、訪れたい。その後もあちこちうろついて結局お片付けの魔法は発動せず。
_ 片付けは捗らなかったけど、ウォッシュレットの交換はさすがに2度目なのでサクッとできた。きれいな便座って良いよね。しかし先回の奴、2012年に交換してるみたいなんだよな。保証期間は1年。そんなに寿命短いのか?スイッチ関係がいかれてるわけなので、交換したら古いのばらしてみようかと思ったけど、新品と交換すると前の奴がえらく汚く見えてきたのでやめた。まあときめかないものは捨てるべきなんだね。
2014-12-08 [長年日記]
_ 大変まずいことに、スカパーの録画で主に使っているブルーレイレコーダーのディスクドライブが認識されなくなってしまった。なんとかネットでつないでほかの録画機にダビングするしかないような気がするが、ちょっと参った。
_ ゆうべ夜遅くなったが、衣服の片づけをがさがさ始めた。結構捨てるものが出た。並行して近藤さんの本を読んでるのだが、だんだん考え方が納得できるようになってきた。相変わらず、本の片付けについては考えを一緒にはできないのだが。
_ 「俳句紀行シリーズ 海の細道を行く」第2回。芭蕉が源平の世に深い共感を抱いていたことは彼の句を読んでいくとわかる、ということだ。それを示す代表的な句が「夏草や兵どもの夢のあと」である。この句を見るにつけ、高舘の義経堂の義経像を見ていないことが悔やまれる。芭蕉は弟子たちに、西国を回り長崎などにも行って中国の船を眺めたり異国の言葉に耳を傾けたりしたい、などと言っていたようだ。
2014-12-09 [長年日記]
_ スカパーとつないでるレコーダーは、LANでチューナーとつないでるため、LAN経由で別のレコーダーにダビングすることができないことが判明。ACの抜き差ししても不具合直らぬのでこれはレコーダーを替えることを真面目に検討せねばならないということである。うぐう…
_ アマゾンで無料のクラウドサービスが使えるっぽいのだが、設定が面倒で軽く挫折中。
2014-12-10 [長年日記]
_ 人生がときめくかどうか知れないが、とりあえず”ときめかない”衣類を今朝の資源ごみに出した。45Lのごみ袋3.5袋。それなりに多いなあと思った。そして、長い間寝室に転がっていた、故障した窓置きエアコンの回収を申し込むために郵便局へ。ここでリサイクル券を発行してもらうのだということは、メーカーへの問い合わせと、家電リサイクル券センター(RKC)のHPから知った。郵便局なのかと言うところも驚きだったが、問題はその後で、RKCのホームページ見てもリサイクル券見ても、そのあとの手続きがさっぱりわからない。正直、リサイクル料さえ払ってくれればあとはどうなっても知らないと言わんばかりで腹が立つ。結局guessで横浜家電リサイクル推進協議会に電話したらそれが正解。回収日を先日交換したウォシュレットと同じ日に設定した。そして、運送代が別途必要なのだが、業者さんに手渡しするようにと言われたのである。他の方法は無いかと言うと、しばし上司か同僚に相談した後で、もし仮にリサイクル券と運送代を両方合わせてなら事前に振込できるのだが、すでにリサイクル券を買ってしまっているのでそれはできない、と言われたのだった。結局、最初から横浜家電リサイクル推進協議会に電話するのがベストだったのである。なぜこんなにわかりにくいのか。市民目線でないからなのである。フローチャートくらい書けばいいのだ。それだって複雑ならだれも読まないだろうが。
_ 夜、宅配の再配達を頼んでたので早めに帰宅。18:00からの時間帯を指定していたがコメントには18:30-19:30がとても都合よいと書いておいた。だが、業者は18:15に来た。俺が不在と知ると、携帯に、都合五個の荷物を玄関先に置いておきましたすみません、という留守電である。何だそりぁと思って急ぎ帰宅すると、荷物自体は無事。だが、受け取りのサインはどうするのか。そこで留守電の発信元に電話して尋ねると、「受け取りはこちらで書いておきました」という。「そりゃまずかろう」「もし今日この後ご在宅なら持参します」「いや、外出する」「すみません、ではお渡しできません…」どうしようもないし実害はとりあえずなかったことを良しとしてこの件で責めることは止めとした。だが、ヒトの署名を勝手にしてしまうことを軽く考えてもらっては困る。困るのだよ、○○○の諸君。そういうわけでとりあえずここで公開。
2014-12-13 [長年日記]
_ 英会話。いつもの師匠がアイルランドに行ってきて、いろいろネタを仕込んできたようだ。彼女のひいおじいさんはケリーマウンテンの銅山で働いていたことがあるというようなことを言っていた。〽コークからケリーマウンテンへ行ったとき… という歌詞で始まるThin Lizzyというアイルランドのグループの歌を教えてくれた。このコークからケリーマウンテンというのはキラーニー国立公園というアイルランド初の国立公園ということである。ウェブで見てみるとなんとも美しいところ。アイルランドに行きたい。アルスター伝説読みたい。でんぱ組のえいたそが最近気になる。
2014-12-14 [長年日記]
_ 現実の厳しさに打ちのめされる日々だ。ただ生きるということがそれだけで苦痛だ。この世界で生きることが苦悩の連続だ。生き生きと楽しく日々を送れるなんてなんという幻想、あるいは自己欺瞞、あるいは鈍感さなのだろうか。一度こう考え始めてしまったらもう深く落ち込んでいく他はない。デメテルがハデスに娘・ペルセポネを奪われた悲しみと、アマテラスのスサノオの乱暴狼藉に対する怒りが世界から光を奪った。そのような世界が現前にある。そういう閉塞感から俺はどのように光を見出せばよいか。そのヒントもまた、それら神話の教えるところにある。かくして今は、読書のための読書をしよう。今日手に取る書の題はその名も『ヴァギナ』。それを”脚の間に持っている”女性の著書。引用は広く細やかで、安達哲の『お天気お姉さん』を原作とした映画でヒロイン桂子がテレビカメラに向かってスカートをまくりあげる仕草にまで言及されている。邦訳で400ページ余り。口絵はもとカラーだったが日本版とアメリカ版は白黒に差し替えられていることがはからずもヴァギナを隠ぺいせんとするイデオロギーの愚かしさの証拠となっている。まあ今や、この手の画像に触れようと思うならウィキペディアが良い助けになってくれる。ヴァギナの解禁がなされたなら、俺のように童貞をこじらせる若者も減ることであろうし、ジェンダー云々を理念だけで語ることによる陥穽にもはまらずに済むというものではないだろうか。
2014-12-15 [長年日記]
_ 調子また一つわろし。MasterキートンReマスターというのが出た途端にもう売り切れになっているらしく、アマゾンで買おうとすると定価の3倍くらいになってる。誰か買い占めてるだろ!
_ [読書] 『ヴァギナ 女性器の文化史』(つづき)キャサリン・ブラックリッジ、藤田訳、河出書房新社、2005。
第一章読み終わる。この章ではアーモンド形や楕円形のデザインがことごとくヴァギナであるかのように書かれている。仏像の舟形光背もヴァギナ、ハート型もヴァギナ、である。まあ言われてみればそのように見えなくは無いのだけれど、いちいち根拠があるのかと疑いたくもなってくる。このままでは目は心の窓ではなく目は顔面のヴァギナになるし、空飛ぶ円盤も集団的無意識が表象した空中を行くヴァギナ、パイプの煙やシロイルカの吐息のドーナッツもヴァギナになってしまうのである。そうなのか?…いや実はそうなのかもしれない。そうであっても悪いことは無い。長い物がすべてファロスの寓意と取って特段悪いことがおこらないのと同様に。ただ、それですべてを説明したことにしてはいけない。そうそう、キャサリンの言うところを信じるなら、楕円形やハート形だけでなく逆三角形もまたヴァギナなのである。たぶん丸は楕円の一種なのでこれもまたヴァギナなのであろう。順三角形もヴァギナではないにせよ、下半身に向かって肉付きの良い豊満な女性のシンボルと言うことになるだろう。すると地面のひび割れも…キリンの斑点も…猫のブチも…ああ、世界がスメグマティックになってくる。
2014-12-16 [長年日記]
_ 調子今一つわろし。Linuxでtreeコマンドを-Xオプションで叩いたら、フォルダの階層構造がまんまXMLに吐き出されて、そのXMLは今やほぼどのブラウザでも折り畳み可能なツリー表示されている。あとは要素をどういう風にどこに格納しておくかくらいを気にすればいいのだろう。なんか10年ほど前にJavaとXMLを連携させようとして結構苦労してたのを思うとずいぶん楽になったような気がしてる。そういうところに陥穽はあるのだろうが。
_ [読書]『ヴァギナ 女性器の文化史』(つづき)
次の章はその部分の呼び名の変遷について。ちょっとついていけない。やはり学生時代にラテン語とギリシャ語は大変でも習っといた方が良かったかなと思う。ところで女性器にはかつて角があると思われていたということが書かれていた。俺たちにもなじみ深い女性器の断面の絵図を見ると、膣の上方に子宮があり、それが頭部であるかのように左右に卵管・卵巣とつながっているのだが、その左右が実際のつのであると解釈されていた時代があったということだ。13の刻みを持つ豊穣の角はこれと関係があるようなことが書いてある。もちろん13という数字にもメンストリュエイション的な寓意があるのである。つづく(まだ先は長い)。
2014-12-17 [長年日記]
_ 多少持ち直してきた。気が付くと黒犬の口の中でもがいてる俺。これっぽっちも自信の無い俺。まさに糞虫と言うにふさわしい。関係ないけど「ドクムシ」とか「神様の言うとおり」とか読みたくなってる。最初の方だけ無料で読めるので後引く。で買い始めると「彼岸島」みたいにダラダラ続いていくんじゃないのかとか思って手が出せない。チャンピオンに載ってた「バトルロワイヤル」全巻読破した自分は立派だと思うよ。
_ 本のカバーにタイトル書いてて書き間違えた。茶色っぽい有隣堂のカバーなので白い修正液使うのが嫌。でもいまだに茶封筒用の修正液とか売ってるのな。ポチしたよ。
2014-12-18 [長年日記]
_ 何かしおらしいことでも書こうかと思ったけど、何をどう書いても所詮他人事にしかならないから止めとくよ。ただ、また会った時にはこれまでと同じく、ネチネチしたエロ話を交わして笑いあえることだけ望んでいる。俺という男にもこの日記にも、そこ以外に大した特質はないのだから。もっとも君までがそうだとは言わない。すまぬ、オチは全くない。
2014-12-19 [長年日記]
_ 日付変わりにける。
_ [読書] 『ヴァギナ』(つづき)
長い本だし夜にちょっとづつしか読めないのでしばらくこの日記はこんな感じで続かざるを得ない。しょうが無いよな、特記すべきことがそのくらいしかないんだから。で、今、動物のヴァギナの話に入った。キャサリン曰く、動物のペニスの多様性に比べてヴァギナの多様性にはあまり言及されることが無い。以前放送大学で生物の生存戦略に関する長谷川真理子先生の講義を聴講した時にも、ペニスの多様性は生存戦略と絡めて多く語られていたような気がする。ところで、ハイエナだ。ブチハイエナのメスの陰核はほとんどオスのペニスと変わらない外見であり、両者同様にエレクチオンするのであるという。しかもだ、君(君って誰よ)。そのクリトリスには尿管というか産道と言うかそういう管が内部で合流しているのだぞ。これがどういうことかわかるかね?そう、出産のときにはそのペニス様の陰核の内部を通って新生児が生まれてくるということだ。当然それはその陰核を二つに割くことになり、第一子の死亡率は5割に届く。その後は割けたままとなり出生率があがるのだそうだ。こんな重大なことを知らずに半世紀生きてたのか、俺と言う腐れ外道は。でもこういうことなら山上たつひこあたりががきデカに書いてても良さそうなもんなんだがなあ。もちろん、動物マニアのキムタクはこういうことをちゃんと知ってて酒の席の話題にでもするんだろうな、とふと思う。
_ そういう訳で今メンストリュエイションという言葉で検索すると俺の日記がトップに躍り出てしまうのである。すまんこってす。
2014-12-20 [長年日記]
_ 粗大ごみの日だったのに、ゴミ出しルールにある期限8:00の7分前に目覚めてあわてて出しに行く。布団一組とウォシュレットと、そして窓置きのエアコン。これが重たい。まあ無事に回収してもらえたので良かった。年末にはあと椅子とベンチがある。どっちもちょっともったいない気もするが、置いといても所詮猫の爪とぎにしかならないのでさよならすることにした。結局家にトレーニングマシンがあってもモーチベーションは保てないのだった。ちょっとは人目があった方がいいということだろう。
_ なわけで羽田。出発10分遅れ。やはり最終でなくて良かった。
_ ところで英会話教室。今日はイントロで何がきっかけだったか、そうそう、俺の両親の健康を祈って''fingers crossed''とやってくれて、そこから迷信の話に。「我が母、いと迷信深きものにて階段にて人とすれ違いし時、あるいは着衣過ちて付けたるは皆わろきことと見たり。かかる時かれ、その場にて三度周りて悪しきをはろうなり。なれ、何の迷信持てる」と聞かれて咄嗟には思いつかなかったのだが、日本の習慣には多くのルールがあると言われて、その多くに迷信の類があることに気づいた。箸渡しは忌みごとであると言うと、師匠は、それは日本の葬儀に関することだろうと言い、骨を拾う作法について大変興味深く聞いていた。何故かほど興味を持っているのかもしばしわからなかったが、そのうちなるほどと得心した。師匠の国では火葬を見ることが無いのである。したがって、人骨を目にする機会もまた少ないため、それはどんな風か、どんな気がすると頻りに興味を寄せたのだった。足から拾って最後にスカルを砕いてvaseに入れるのだと言うと、信じられないと言った。多分初めて火葬に立ち会った際には俺にもそんな驚きが生じていたに違いない。驚きは知を愛すことの誠に大きなきっかけである。性的なことに興味が尽きないのもまたそういう駆動力によるのだろう。何より、好奇心という語に奇という驚きと関連の深い字が用いられていることが、既に自己言及的なのである。驚きをもって我生まれ、驚くが故に我想い、驚きによりて我探究す。かくして驚き故に我生く。そうであればいつまでもグングンと言う音をさせながら成長し続けることができるであろう、H.G.ウェルズがそうであると言われたように。それはもう、永遠に生き続けることと殆ど変わりがないのではないか。かくして、札幌に着いた。
2014-12-21 [長年日記]
_ つるつるの地面に悩まされつつ札幌。晩飯にそこらへんのスーパーで買った刺身が超美味くて泣けた。軍師官兵衛、終わる。年の瀬だなあ。次回作、大沢たかおが相変わらずでかい芝居をしててちょっとどうなのかと。でも見ると思う。大河は「花の生涯」からぶっ通しで見たいのだが、叶わぬことだ。
2014-12-22 [長年日記]
_ おー、ついにこんな感じに。
_ とはいえこのくらい積もった方が、いっそ歩きやすい。実際、おとといから昨日にかけては気温が上がって路面が解け、続いて急激に冷え込んだために人も車もスリップ事故を散々起こしたとのこと。
2014-12-23 [長年日記]
_ ばたばたと横浜へ。戻ればもうさすがに年の瀬という感じだ。あさイチで見たホースラディッシュと過炭酸ナトリウムが欲しかったがどっちも手近には無し。お取り寄せてみる。
2014-12-25 [長年日記]
_ ブラタモリ復活。しかも「いいとも」止めたからタモさんは日本中に行くことができるのだ!なんてすばらしいのだ。旅するタモさん。「いいとも」が終わった時に即座に期待したことが現実となる。ただ惜しむらくは、久保田祐佳じゃないんだよね、お相手が。
_ [漫画] 「いじめて女王様」「密やかな関係」「蜜室」ビューティ・ヘア
この人は2002年に作品が見せしめのようにわいせつ物頒布等の罪に問われてしまったかわいそうな漫画家さんなのであるが、裁判でも指摘されたように、罪に問われてしまうほどに絵がうまい。ほとぼりの冷めた今、俺はこの人の作品を少しずつ読み始めている。そんなわけで最近エロを隠そうともしないこの日記だ。俺もわいせつ物頒布の罪にいつ問われないとも限らない。もっと言うなら、身近な人間がこの日記の読者であることを自覚していながら普段は面と向かって言えないような猥雑な内容をあけすけに書いていることはセクシュアルハラスメントに該当すると言われたならそうかな、そうかもと認めてしまうようなことになってしまうリスクすらあるのである。世界はリスクに満ちている、生きているだけで。そんな世界でリターンを得ることもほぼ望めないリスクを取ることは愚かなことだ。それでも書いてしまうのは何故なのか。カフカが死後に残すつもりではない数多くの作品を健康を害しながら夜の古城で書いたことを想え。もっともこっちはそんなものと比べようのない低俗さだけが売りなのだが。
自分のことはどうでも良かった。大事なことを書くのを忘れてた。今アマゾンから届いた本見てて絵柄がダーティ松本に似てるなあって思ったページがあった。そういえばビューティとダーティは対句になっている。意識してんのかなあ、でもビューティ・ヘアの方がデッサンは確かだ。ダーティ松本は衝撃的な構図で楽しませてくれはするけど、実用的じゃないんだなあ。
2014-12-26 [長年日記]
_ Rの計算結果をShinyによってインタラクティブにプレゼンする方法はわかった。じゃあ、ノンプログラミングGUIを実装するにはどうしたらいいのか。これはもうしっかりとJSの世界なんだろうか。あまし自信無いが、やり方だけでもわかったら冬休みはデータベースの自由研究に集中できるんだが。
2014-12-27 [長年日記]
_ 仕事納め。やり残してることは例によってたくさんあるけど知るか。「検索ちゃんネタ祭り」(←一瞬”ネタ祀り”って書いてしまってびびった。なんか鎮魂のコントみたい)の録画とか「モニタリング」の木部さんの動画とか見てくつろごうと思ってるとこ。
_ 検索ちゃん開始50分。今年のオリラジが残念すぎて心が痛いよ…。小池栄子は良いよな。栄子とええことしたくなって心が痛いわ。
_ [読書] 「蓮舫写真集」ワニブックス、1988.
こういうのを読書とは言わないだろうけど。今や二束三文の写真集なわけだが、蓮舫21歳の頃の撮影と言うことになる。法令線など痕跡も無くて健康的。バスタブの中で寄り目になってる一枚がとてつもなく可愛い。脚太い。
_ 今日はガス屋さんの点検日。あまりにも片付いて無くて3週くらい伸ばしてもらっていたのだった。ガス器具のある1F台所を午後ばたばた片付けて掃除機だけ掛けたらちょうど来た。異常なかったが風呂釜の排気口付近の草刈りを勧められたので明日日中見てみるつもり。ガス漏れ警報器は2月に期限が来る。消火器勧められた。ガス屋さんの警報器を付けてるので1000円引きになって8000円で期限は5年。霧状なので使った後も掃除は楽だと。備えあれば…とは思ったが今回は止めといた。不在時の火事のことはいつも気にはなる。もうかなり前のことなのだが、かつて煮物をコトコト煮たままネットで知り合った人々とのオフ会に出かけてしまったことがあった。会の途中で気づいたのだがどうしようもなくて、誰が出るわけでもないのに自宅に電話して、不通になっていないから最悪火事で全焼してはいないようだとか酒どころではなかったのだが、恐る恐る帰宅したらガス漏洩することなく鍋も焦げ付くことなく火は消えていたのだった。別の時だが、使ってない部屋に分岐しているガス栓を、俺が留守の間にどうやら猫が乗っかってひねったらしく、警報器が鳴って両隣を騒がせたということもあったっけ。留守がちでつい器具の点検もやらない年があったのだが、ちゃんとやっとくべきことだと思うよ。備えあればうれしいな。
_ 検索ちゃん開始1h30min。友近!ああ、何と言う涼風凛。何と言うものすごい切り取り方なのだ。一人の芸術家を追う特番に出る女性タレントと言えば、松下奈緒だったり栗山千明だったり天海祐希だったり。最後の爆笑問題は無用だな。でもアゴクイっていう言葉もあるのは初めて知ったよ。
2014-12-28 [長年日記]
_ 家の裏手に回って風呂の排気口のところの草刈り…と思ったら、家の隣との間の通路途中から裏手全体に渡って、屋根の方からアイビーが地面の近くまで垂れ下がっていたのだった。現代の秘境だ。家の中は魔窟で家の外は秘境。まるでうちはインカ帝国だ。俺は初代皇帝○○○・カパックだ。今日のところは剪定ばさみでだがチョキチョキ刈り込むだけで勘弁しておいてやる。
_ [特撮] 仮面ライダードライブ
仮面ライダーマッハ登場。「レッツ変身!」ってなんだよw それにマッハってもともと人の名前だからな。ボルツマンをいじめて鬱にしたことで有名な物理学者。私服の霧子可愛い。これぞ至福。
_ グレートトラバース達成スペシャル
今日はリラクセーションヨガの年内最終クラス。午後3時くらいからジム行って久しぶりにみっちりトレーニングしてきた。帰宅して鳥鍋食べつつ、今日の放映録画で見てるところ。間寛平と眞鍋かをりも出てる。そういえば俺こないだ、眞鍋かをりの最初の写真集アマゾンで買ったんだ。「ガールフレンド」っていうやつ。やっぱり二束三文。たしかデビューの時1歳だけ年齢詐称してたんじゃなかったっけ。今はさすがに目じりが下がってる。ちょっとまえに割れた腹筋を雑誌の表紙で披露してたっけ。俺の腹筋は偽れるのか。違った、いつ割れるのか。
2014-12-29 [長年日記]
_ 快速エアポートの中。スカイの最終便少し早く着いた。今回年末年始を考慮して無くて短い滞在。お年玉とか全く考えてないので
甥の人々と会ったらケチ呼ばわりされるに相違無い。今回思いついて、ミニアイゼン持って来た。持ってきた以上は使う。
_ 来る途中読んだ古新聞からの耳寄り情その報1。水酸化アルミの乾燥ゲルが屈折率ほぼ1に出来るらしい。何か悪いことに使えそうだな。その2。アパッチスパーク使ってみたい。その3。元祖東村山音頭by三橋美智也。志村のより古い。さがす。
2014-12-31 [長年日記]
_ 1日早い初詣。
ついに大つごもり。みんな、今年もいろんなことがあったね。俺もずいぶん多くの気づきと、もしかするとそれをうわまわるかも知れないほど多くの物忘れがあったと感じてる。混雑を避けて1日早い北海道神宮へのお参りをした。それでも結構な人出があり、多くは中国系の観光客と思われた。母の代わりにひいたおみくじは中吉。神の教えを見ると、困ったときだけ神頼みする性根が気に入らん、といったような、戒めとも神の愚痴とも取れるようなことが書いてあった。俺は何だか新鮮な気持ちがした。
ちょうど昨日のこと、このごろ身の回りに何かと不運なことが起こることを母と語らっていて、俺たちにとって世界が理不尽であることに理由があるのかとか、不幸が起こることは何か俺たちが良くないことをしたからだろうか、といった会話となった。俺は、聖書の中に、そんな風に己が身の上に次々起こる災難に、本来は信仰の篤いものでありながらやがて神と対立した男がいたことを思い出し、そのことを話したのだった。ヨブの身の回りに起きた不幸は我が身のみならずその親族にさえ及んだものだつたから不幸自慢すれば誰にも負けないようなランクだっただろうが、それでもはじめ、ヨブの信仰は崩れなかった。彼の友人と自称するあの者たちがあらわれ、ヨブの不幸はヨブ自身の罪に原因があり、そうでないならそのような不幸は起こるはずもない、と彼に告げるまでは。それまでのヨブは、何が起ころうと受け入れる覚悟を持っていたはずだったが、それを失わせたのは、ある意味悪意のない、近しいものの言葉だったのである。このことはもっと広く知られるべきことだ。ヨブの友人は己の正しいと思っていたことを素直に告げただけであり、それがどれほどヨブを傷つける言葉であるかなど思いもよらなかっただろう。それが問題の核心だ。誠や思いやりから出たはずの言葉が、同時にその向かう側をもっとも傷つける言葉となるのである。放った言葉は誠に矢と同じで、回収するときは何かを傷つけた後であり、何も傷つけなかった時にはどこか彼方に飛び去ってしまうのみなのだ。それは、射手の信念が強いほど、そして放つ先への情が強ければ強いほど、より深く大きな傷を作るのである。しかも射手と獲物とではその矢の威力の感じ方も大いに非対称的であり、このアンバランスは問題をより悪い方向に転がす駆動力たりうるのである。さらには神的なものも必ずしも最善のやり方で人に報いるわけではないのだが、われわれはそのことをいかに説明すべきかの術を持たない。かくして「自然の行うことは全て善きことである」とか、「世界に生きることはそもそも全て苦である」とかいう開き直りにも似た絶望を認め、そこから再出発することになる。そうなったとき初めて、その開き直りは最早絶望とは言えなくなるのである。
_ きだ@移動中 [おー、さすがに寒そうですね。四連休でしょうか。気を付けお過ごしください。 年を取るとは、経験値が増えて新しい体..]