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2016-09-01 [長年日記]
_ 九月になった。今日はまた暑い日だった。
_ [漫画] 「殺戮姫」みさき速、秋田書店、2008.
『酒は辛口肴は下ネタ』読んで以来、新作読みたいなと思ってるのだが。
殺戮姫・森川流(しんかわるう)は、人間をイヤだと思った時殺人鬼の本性をむき出して殺戮を始める。これをかろうじて止められるのは主人公の石堂王士(おうじ)だけ。流が暴走すると人類が滅びるほどの威力があるらしいことが説明されており、それで王士は「救世主」などとも呼ばれている、という話。ぶっきらぼうなヒーローと天真爛漫かつクセの強いヒロイン、と言う図式は『酒は辛口…』と同じに見える。悪くない。その二人の関係を軸にしながらさまざまな個性を持つ犯罪者、クラスメート、恋敵、などを描きこんでいく。犯罪や殺戮の表現が凄惨なのでまあ有害図書の部類かもしれない。創作の世界でこのような表現がどこまで許されるかと言う問題は『有害都市』(これも最近読んだ)を引くまでもないが、深い問題を孕んでいる。過激な表現を規制しようとする考えには、描かれていることをそのまま受け止めてしまう良く言えば「素朴さ」悪く言うと「想像力の欠如」がやはりあると思う。見えているものが見ているものに強い影響を与えるのは当然のことだが、それが作り事を示しているのか事実を伝えているとみるのかを区別することは、最終的には読み手にゆだねられることになる。これは有害だ、と言うとき、それをなぜ有害と感じるのか、と言う読み手の態度への問いかけが同時になされているのだ。そういう意味で、創作物への関わり方ということにおいて、読み手はただ受け身でいるわけにはいかず、創作活動における主体はむしろ読み手である、という言い方が成り立つだろう。