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2016-09-10 [長年日記]
_ [漫画] ゴールデンカムイ 8、集英社、2016.
読んだのは先月。味噌(アシリパちゃんはこれを”杉元のオソマ(=大便)”と呼んでおきながらも愛好している)を付けて食べる行者にんにく(昔はアイヌねぎとも呼んでいた)がおいしそう。カワヤツメは子供の頃父の人が知り合いからもらってきたのを食べたことがあるが、あまり上品な食べ物ではないと記憶している。北の大地のグルメ漫画である。ヒンナヒンナ。挙動すこぶる不自然な剥製マニア江戸貝と鶴見中尉(猫好き?)の訳の分からない愛の交流を挟んで”刺青人皮強奪戦”の舞台は夕張炭鉱へ。
_ [漫画] 猫のお寺の知恩さん 1、オジロマコト、小学館、2016.
新刊。これ読んだ直後にこの人の以前の作品「カテキン」読み始めたんだが、あとがきマンガ見て「おや?」と思い、調べたらおお!この人女性だった!女性なのになんであんなに劣情を誘うケツを描けるんだ!童貞をこじらせた経験のある男性と思ってシンパシー感じてたのに裏切られた。いい意味で。「カテキン」描いてたころはあとがきマンガによるとどうやらEカップであったらしい。私の驚きが伝わるだろうか?私にとっては、ケン月影が女性であったと言われるくらいの衝撃なのだ!ああ伝わらんだろうな。「猫のお寺の智恩さん」は、「富士山さん」もそうだったけど、基本のんびりしたヒロインと、わりと冴えない部類に属しつつ特有の可愛らしさとエロさとたまに見せる頼もしい面などを合わせ持つ男子とのほのぼのした交流。こうしたものに寄せる作者のまなざしは、てっきりこじらせ男子の物に違いないと思っていたのに…。ああ、でも結果ヒロインは身持ちが固かったりして、そのあたりにフェミニンな香りが確かに漂ってもいる。面白い作品を作っている人の中で、実はその作品以上にその作り手の人物そのものが面白いというケースはある。フランツ・カフカとか楳図かずおとか赤塚不二夫とか。オジロマコトさんもそういう人なのじゃないのだろうか、などと思う。男でも女でもいいじゃないか、という意見はあるだろう。私も間違いなく同意する。いいんである。だが作り手がどのようなものに関心を持つかと言う作品を味わううえで大きな要素を締める部分を考える際に、作者のプロフィールを考慮することは必要なことと考える。何歳の時にどこで生まれた、ということと、生物学上の女性として誕生した、ということは同等にかんがみられるべきことと思うのだ。そのようなことどもがあるから作品にそれらが反映されるのかもしれないし、あるいは生来の傾向とは関係なく、あるいはそれを上回るほどの衝撃的な事件が彼の人生で起こり、それがその作品の動機となったのかもしれない。それを理解することで作品はよりおいしく味わえる。逆に、そのような理解があったなら、作品において描かれた表層だけを真に受けてそれが有害図書であるなどとナイーブな断定をおかさずに済むというものでもある。さらにはそういう周辺情報を集めたくなることは、知識の交流や購買意欲を活発にするからその結果世界は豊かになっていくかもしれない。何も悪いことはないのだ。興味があるのならあなたの使える情報リテラシーを駆使して周辺情報を可能な限り考慮してみたら良い。世界が単純であると語るためには一度そんな雑多なことにまみれてみることも必要なのではないのか。あなたが、私が思っている以上に世界は複雑で、しかも良くできている。作品との出会いも人との交流も、そのようなことを感じさせられるものであってほしいと思うのだ。
_ まだ少し蒸し暑さを感じる土曜の午前。コーヒーを淹れようと思って用意していたが、なんとなくためらっているうちに可否茶館からフレンチローストが豆のままで届いた。これだけでこの時間は幸せだ。