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2016-09-07 [長年日記]
_ 今朝の電車の3人掛け席は長々、というか3人掛けだから少し窮屈そうに横たわる一人の酔客に占められていた。メガネを席に投げ出し、足をパーティションにかけ、赤い顔で寝入っていた。ふと見ると席の下に彼の物と思しき携帯が投げ出されていた。そこでそれを摘み上げて、彼に渡すつもりで腕や肩のあたりをそれでぽんぽんと叩いてみた。熟睡しているところを起こされると、ヒトは知らないが私は理不尽な怒りを覚える。彼ももしかしたらそうかもしれないが、その時携帯を拾ってくれたのだと見て取ればその怒りも和らぐかもしれないと思ったのだ。だが彼は目覚めない。そして熟柿臭い息を吐き続けていた。こういう時に車掌に直接連絡できる秘密の電話番号があると良いのに。車内にマイク付の非常ボタンのある場合もあるのだろうが、それがあるかを確認するには車内は混み過ぎていた。このボタンを押すと、車掌と会話ができるらしいのだが、やはりそれを押すのには勇気がいる。結局私は何もせずに彼の前で新聞を読み続けるだけだった。もう5年ほど若かったなら、義憤に駆られて彼を強引に起こしていたかもしれないが、今はそういうことをして損害を被ることを怖れる者になった。賢明というべきか根性が無くなったというべきかはどうでもいい。ただ不思議だったのは、このことの間中私はどうも怒りを感じていなかったようなのだ。私はこんなに寛容な人間だったのだろうか?だが、怒りを抑えこんで忸怩たる思いでいた訳でもなかった。私はおかしくなったのだろうか。そのくせ、何かこの状況を密かに楽しんでいたようでもあった。会社の最寄り駅になり、彼は寝続け、私は降りた。
帰り道。自宅そばの自販機の前に、コンビニで買ったお菓子のゴミとビールの空き缶、そしてたばこの吸い殻が落ちていた。ここでつかの間の息抜きをしつつ一服している者がいるのを何度か目撃していた。一度は面と向かって「ここは喫煙場所じゃないですよね?」と咎めたりもしたことがある。だが今日の私はここでもまた怒りを感じるよりもその行為の愚かしさをおかしく思っていただけだった。自宅そばのゴミ集積所に差し掛かると、どうやら回収後に出されたと思しき資源ごみが、当然回収されずにおかれていた。このようなことがあったとき、割を喰うのは集積所のそばの家の方なのだ。だがここでも私は怒りを感じなかったのだった。私は何かおかしい。早く涼しく、いやいっそ寒くなってくれないものか。明日も天気は荒れそうだ。早起きせねばなるまい。