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2019-05-06 [長年日記]
_ [読書] 『服従』ミシェル・ウエルベック著、大塚訳、河出書房、2015。
10連休の最終日に読了。出版年を見ると、話題になってからもう4年ほどたったということなのだろう。2022年のフランス大統領選挙で国民戦線を率いるマリーヌ・ルペンと穏健イスラーム政党のモハメド・ベン・アッベス(おそらく架空の人物)が戦い、後者が勝利する。その前後の期間の変化が、パリ第三大学に教職を得た主人公の主観で語られる。輝かしかった欧州の衰微、イスラームという彼らにとって新しいものへの期待と恐れ。それらは主人公の専攻するユイスマンスという作家への愛好と終盤のそれとの離別に印象的に描かれている。ユイスマンスという作家には、かつて創元推理文庫版「彼方」で出会い、その後渋沢龍彦訳の「さかしま」を何とか読んだのだと思っていたが、前者では悪魔主義へのアプローチ、後者では「画家マチス」ことマチアス・グリューネヴァルト描く磔刑のキリスト像の凄惨な印象(この画はウィキペディアのマティアス・グルーネヴァルトの項で確認することができる)だけが残っていて全体としてのあらすじはどちらも記憶にない。読み返してみるのも良いかな、と思った。『服従』の中でなんとなくフランス的だなと感じたのは、旨そうな食事とワインの描写(それも後半になるとセネガル料理のケータリングの礼賛となる。セネガルは元はフランス領で公用語もフランス語、国民の9お%以上はイスラームである)アナルセックスに関する記載が特記する風でもなく自然に数か所出てくるところ。それから、やや唐突な感もあるが本書のタイトルである『服従』と直接的に関係するポーリーヌ・レアージュ(現在ではドミニク・オーリーという女性ジャーナリストの筆名と知れている)『O嬢の物語』が引用され、服従することは幸福なことなのだ、という私にはいささか言い古されたような感もある記述がある。最終的にイスラーム教徒となって地位と財と、さらには一夫多妻といういかにも「反ユイスマン的」な幸福な人生を保証される主人公の状態は、服従すること自体に喜びを見出すO嬢の幸福とはだいぶ違うように思われた。小説が思考実験の文学であるということを再認した。SF読みたいなー。
_ 読後感に関連したごく私的な思いを少し書くと、世界は永遠に続くものではないということをときどき強く感じる。ヨガのインストラクタ先生が「自分たちは宇宙に浮かんだ一滴である」というとき、踏み跡の消えかけた道の山肌の崩落を見るとき、政治的な大きな変化が起こるとき、多様な人々がすぐ近くで声も立てずに生活していること、きわめて自然に共同体がモラルを失うこと、大きな災害や極端な気候変動に翻弄されるとき、そしてもちろん老いへの自覚。そんなことどもは、まるで世界や地球自身が老年期に入ったことの兆候のように感じられて仕方無い。そういう日もあるのだ。何をすればそれらに備えることになるのかわからない。普遍的に価値があると思われることをするだけなのだろう。それならば"明日地球が粉々になっても"無駄なことをしたとはならないだろう。でんぱ組しばらく見てないなー。