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2019-05-29 [長年日記]
_ 雨の朝。肌寒い。またしても定積分がうまくいかずにやや寝不足の中でいくつも心揺さぶられる夢を見たが、濃紺の器の金継ぎが見事にできたというちょっとほんのりした夢がとても良かった。
_ 先週はすっかりサボった自主ヨガと筋トレせんとジムへ。思いの外体は動いてくれている。今朝方寝不足まぎれに寝床で読んでいたクリスティーナ・ブラウンの「ヨガ・バイブル」にインスパイアされて、肘で立つ倒立を練習し始めた。やってみて気づいたのは、馴れてくれば三点倒立と同様に簡単にできそうなことと、手だけで支える倒立をやる前の準備にもなること、さらには今まで自己流で真似していたサソリのポーズの準備にもなるし、ブラのホックの辺りから上(という言い方を良く女性のヨガインストラクターの方はおっしゃるのだけど、うん。まあこのおじさんにも何と無くわかるよ)を反らすことになるのでカポターサナ(鳩のポーズ)の準備にもなりそうなこと、さらにさらに、ウシュトラーサナ(ラクダのポーズ:ウシトラなのにらくだとはこれ如何に!)を深めるのにも役立ちそうだ、ということだった。逆転のポーズのヴァリエーションが1つ増えるのも嬉しいことだ。「ヨーガ・バイブル」はスタイルの良いヨギやヨギーニのアーサナの写真が多く載っているので眺めてても楽しい。クリスティーナさんに鳩の王のポーズを強要されることを想像するなら、沼正三氏でなくとも白人ドミナによってヤプーなる肉便器「セッチン」へと変貌させられるようなM的妄想に浸れることだろう。そういう本じゃないけど。
トレーニング終わってジムで入浴。体を洗いつつ、自分には徳が無い、ということをなんとなく思っていた。徳のある人というのは、それとアピールしなくとも困っているときに助けになってくれる誰かがどこからとも無く現れて過ちを正してもらえたり弱点を補ってもらえたりする人のことだろう。困窮した大人が「不徳の致すところで…」とかよく言うが、それはそう言うことなんだろうな。
そんなことを考えながら湯船に入ろうとしたとき、先に入ってた人が私に声を掛けたのだった:
「(足に)石鹸が付いてますよ」
その人は私を咎めるつもりだったかもしれない。だから私は謝るべきだったのかもしれない。しかし私の口からは咄嗟に「有難うございます」と言う言葉が出たのだった。石鹸を落として入浴しなおす。恥ずかしさはあったような気もする。しかしそれは入浴の発汗と紅潮の陰に隠れていた。そして、誤りをおかさずに済んだから感謝したのだ、先の人は誤ちに気づかせてくれたのだ、と思うことにした。私も全くの不徳の者というわけでは無いのかもしれない。そう言うことにしておきたい。