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2020-12-18 [長年日記]
_ 週末だ。昨日寒かったなあ。今日はヨーガでポカポカ。
エピクロスのことが好きだと書いたことは何度かあるような気がするが、先生の言葉「隠れて生きよ」には、前振りがあったらしい。「人間の本当の楽しみ(快楽・安楽)というのは、結婚することは避け、子供を作らず、「隠れて生きよ」(ギリシア語: λθε βισα, lathe bisas, ラテ・ビオーサス)という方針で生きる時にはじめて得られる」(ウィキペディア『アタラクシア』の項)とのこと。独身でこそこそ生きてる俺のことじゃないか。いやそう早飲み込ませずにちょっと思いついたことを書いてみよう。実は今日、ヨーガが終わってジムを出かけた時、スマホに向かって不満そうな言葉を吐きながら身共の横を通り過ぎた御仁がいた、と思いねえ。別にぶつかったりしたわけじゃないのでスマホ歩きの件は今日は不問だ。だが、せっかくジムで汗流して心地良かったのに(それはその御仁も、だと思う)、そんな不満な気持ちに軽く巻き込まれて「あーあ」という気分になったのだ。知り合いから何か憂鬱の種をもらったのだろう。その気分は幸福でもアタラクシアでもあるまい。で、ふと思ったのだ。人と関わればこんなことはしょっちゅうだ。家族と暮らしていても必ずしも心穏やかな日ばかりとは限るまい。一人でいるとこんな言葉を受けることは少ない。その時自分が悩んでいるか心穏やかであるかは、全く自分の心持ちにしか左右されないのだ。これは幸福なことではあるまいか。
一人暮らしに慣れてない人にはもしかすると信じられないかもしれない。強がりのようにも聞こえるだろう。人と話してないと落ち着かない人だっている。でもその時の自分には、エピクロス先生の言葉が腑に落ちたのだった。もっと言えば、人から不平を言われても心穏やかな人だっているだろう。エピクロス先生の言葉は、そんな境地には無い、「入門者」への教えだったのだろう。
何はなくとも今宵の私には『ジョジョリオン』と『ゴールデンカムイ 』の新刊がある。これが幸福な状態でなくてなんだろうか。
_ 仕事がらみで統計学のことは調べざるを得ない。フローレンス・ナイチンゲールは確かにこの分野で大きな業績を上げたのだが、彼女が取った病人への対策は実は成果を挙げなかった、さらにはそのことは秘めていた、という説があるようだ。自分は、ナイチンゲールこそデータ・サイエンティストの鑑であると信じていたのだが、こういうところが歴史の妙と言える。真面目に調べたくなった。彼女はどのようにして、どのようなデータを取り、どのようにまとめたのか。そして、前説が真実なら、いかに対策を誤ったのか。もし自分が、知識をひけらかして満足するだけのつもりでないのならば、単に歴史を題材とした芸能誌のような話題で満足しているわけにはいかないような気がしてる、というだけなんだけど。
我が家にも新刊あり。岸辺露伴は動かない実写ドラマNHK でやるんだけど面白そうでした!
来週ですね。小説版読んでないのでこれから読んどくかなあ、と。